市場原理の導入による官僚制抑制

廣瀬 哲雄

1・はじめに
 この論文は、官僚制の抑制方法について提案するものである。官僚制の問題は古くより政治学の領域で論じられているが1、経済学的な分析が始まったのは1968年からである2。その記念的論文であるNiskanen(1968)では、もし官僚が贈収賄のような直接的に利益が生じる行為をしなかったとしても、合理的な行動の結果として無駄が生じることが示された。その後、官僚分析の経済学的アプローチは拡充し、最近では、どのようにしたら官僚の行動を最適化できるのか、どのような制度設計をすれば官僚を最適化した行動へ導けるのか、という「プリンシパル―エージェント論」が注目されている3
 当論文ではさらに踏み込み、官僚の政策判断に対し、各官僚が行ったの政策判断と、官僚個人の生活を結びつけることで、官僚の判断の「最適化」を目指すものである4。なお、当論文における官僚制の範囲は、行政職員に限定する。これは、当論文の目的が行政監視と官僚行動の抑制にあるからである5

1古典的にはWeber(1919)が代表的である。また他にもDowns(1966-1967)などがある。
2寺本(1985)によれば官僚制の経済分析はNiskanen(1968)を嚆矢としている。
3これについては例えばMilgrom(1992)に詳しい。またこの考え方で日本分析したものとして、Ramseyer at el.(1993)がある。
4この場合の「最適化」とは、住民の税負担に対して住民の利益を最大化する、という意味である。
5このことは、当論文で展開される理論が、他の組織にも適用できることを妨げるわけではない。Niskanen(1968)。


2・官僚制と官僚の合理性
2.1 官僚制の特徴

現在の政治制度において、ある支出が形式的には首長6名で支出されたものでも、事実上の決定権をその自治体の上級官僚が握っており、首長は全く関与していないこともある7。そのような場合でも、最終的に責任を追及されるのは、通常、行政の最高責任者であり形式上の決定者である首長である8。さらに問題の発生により、新たに「賠償金」など何らかの財政支出を行う場合もある9。これはある意味で政策決定者の失敗を地域住民も負担していることになる。官僚が問題を起こした場合、監督する義務のある首長の責任は「監督責任」という意味で免れることはできない。そのような首長を選んだ住民にも責任の一端はあるだろう。しかし、実質的な政策決定者である官僚が、なぜそのような政策を決定したのか、官僚のもつ合理性10を明らかにする必要があるだろう。

6これは大臣、総理大臣などにも適応できる。宮本(1993)。
7Wolfren(1989)
8最近では、狂牛病問題がある。例えば朝日新聞(2002a)
9狂牛病問題では、狂牛病に感染している疑いのある和牛を買い取った。朝日新聞(2002b)
10官僚行動そのものは、官僚にとって合理的である。黒川(1997)。


2.2官僚のもつ「合理性」の源泉
前項で示した、官僚が政策を決定する際の「合理性」には、どのようなものがあるだろうか。その一つについて「含み権力」11という概念を用いて説明してみよう。「含み権力」とは、官僚が行使している執行予算と、失敗したときに取らされる責任であるペナルティーとの間にある、いわば土地の「帳簿価格」と「実勢価格」の間のような関係のことである。これを当論文では「含み資産」ならぬ「含み権力」と呼ぶものである。
各官僚の「含み権力」の算出方法は、「実勢価格」を現在その官僚の判断で行政に支出させることのできる金額とする。また「帳簿価格」は、その時に受けるペナルティーとする。この「実勢価格」と「帳簿価格」の差額を「含み資産」ならぬ「含み権力」とする。
「含み権力」を計算する場合、最高額の「帳簿価格」はいくらになるであろうか。それは、その官僚の退職金の額であると考えられる。なぜなら現在、官僚の最大の責任のとりかたは、「懲戒解雇」であるからだ。しかもその場合でも、何らかの再就職は可能なため、将来において支払われるであろう賃金は、この場合「帳簿価格」に算入しない。また、官庁本来の仕事とは関係が無いものの事実上は既得権になっており、批判の多い特殊法人等への「天下り」による実質的な所得増12も確定的な賃金ではないため算入しない。そのため懲戒解雇によって受け取ることのできなくなる「退職金」のみが、最高の「帳簿価格」であるといえよう。

11以下廣瀬(1999)に拠った。
12原田(1997)

2.3「個人責任」による新たな合理性の付与
 官僚制を構成するのはあくまで官僚個人であり、官僚個人の集合が官僚制を形成している13ならば、官僚個々人の合理性を変更させることが官僚制の抑制につながるだろう。したがって、官僚制の抑制をしようとするならば、官僚個々人もつ「含み権力」の額を減ずるように制度設計するべきである。これは、官僚の政策判断で損失が生じる可能性がある場合、官僚の判断の中に、ここで示された「含み権力」をゼロにする、もしくはその可能性を示すことが、官僚の政策決定の「合理性」を変化させるだろうということである。
 具体的には、官僚が行ったある政策判断に対し住民がその必然性を認めない場合、官僚が行った政策の費用を、官僚個人の資産で賠償させるものである。刑事ではなく、あくまで民事の「損害賠償請求」によって責任を取らせるのである。こうすることで、官僚の「政策判断」とその「責任」をより一致させ、「含み権力」を減じさせることで、「選挙に選ばれないためにかえって気付かれずにいる」14官僚たちに、自発的に既得権を放棄させる15のである。

13廣瀬(1999)。この発想はWeber(1919)より得た。
14Boaz(1997)
15横山(2000)


3・この提案で解決できる範囲
この論文における提案は、論理的には、すべての官僚制に適用できる。だが、すべての官僚に対し、この方法で対応しようとするならば、住民にとって官僚制の監視コストが膨大なものとなるだろう。したがって、ここで提案している「市場原理」=「個人責任」を使った官僚制抑制は、おのずと限定されたものになる。
実際には、住民が官僚制を監視するときのコストを考慮に入れれば、その監視の範囲は、上級官僚に限定されるだろう。つまり、より上級な官僚ほど実質的に支出決定できる金額が大きく、したがって上級な官僚ほどより大きな非効率が発生しやすいとするならば、より上級な官僚順に住民が監視をするだろう。そしてその監視のおよぶ順番の下限は、住民の官僚監視費用によって制限・決定されるだろう。
 もしこの「市場原理」=「個人責任」を使った官僚制抑制を最も効率よく運用しようとするならば、それは、従来からの官僚制抑制法との組み合わせとなるだろう。具体的に例を挙げれば、「住民投票による上級官僚のリコール制度」であるとか「議員による局長以上の官僚弾劾」、「退職金支払時における議会の審査」といったものとの組み合わせになるだろう16。また、これらと裁判を組み合わせることもできる17

16廣瀬(1999)
17オルソン(1994 )によれば、低額な官僚監視の方法としての司法が提案されている。しかし、司法の官僚監視能力には疑問がある。副島・山口(1991)、ラムザイヤー 他(1998)参照。


4・おわりに
 ここで提案する官僚制の抑制法は、あくまで従来から提案されてきた「住民監査」、「住民投票」といったものを補完するためのものである。どのような組み合わせが最適なのかについてはまだ明らかではない。しかし、全国で起きている公費の返還訴訟などへの対抗策として、支出金返還の住民訴訟に対する制限を検討しているところから18、逆にこの手法の有効性が確認できる。今後、行政監視・官僚制抑制の手法として、この「個人責任」を殿とした制度設計が求められるであろう。

18例えば第26次地方制度調査会第1回専門小委員会議事要旨(1998)にはすでに住民訴訟の制限が盛り込まれている。法案としても第151回国会の衆議院にも、住民訴訟の条件をより厳しくする法案(第151回国会衆議院第65号法案「地方自治法等の一部を改正する法律案」)も内閣から提出されている。これに対する反論としては、日本弁護士連合会(2001)などがある。また官僚個人への訴訟については高橋(1998)にも詳しい。


参考文献

[1] Boaz, Davit. Libertarianism: a primer Free Press, 1997.(副島隆彦訳 『リバータリアニズム入門』洋泉社,1998.)
[2] Downs, Anthony. Inside Bureaucracy, The Rand Corporation, 1966-1967. (渡辺保男訳『官僚制の解剖』サイマル出版会,1975.)
[3] Milgrom, Paul and Roberts, John . ECONOMICS, ORGANAIZATION & MANAGEMENT. Prentice Hall, Inc.1992.(奥野正寛ほか訳『組織の経済学』NTT出版, 1997.)
[4] Niskanen, W.A. “The Peculiar Economics of Bureaucracy” American Economic Review, P&P, 58, 1968.
[5] Ramseyer, J. Mark and Rosenbluth, Frances McCall“JAPAN’S POLITICAL MARKETPLACE” Harvard University Press, 1993.(加藤寛監訳『日本政治の経済学』弘文堂, 1995.)
[6] Weber, Max. POLITIK ALS BERUF,1919.(脇圭平訳,『職業としての政治』岩波書店,1980)
[7] Wolferen, Karel van. THE ENIGMA OF JAPANESE POWER ,1989.(篠原勝訳『日本/権力構造の謎』早川書房, 1994.)
[8] 朝日新聞「野党、農水相の不信任決議案を提出」,『朝日新聞』朝刊, 2002年2月5日a.
[9] 朝日新聞「買い取り牛肉の検査開始 農水省」,『朝日新聞』朝刊, 2002年2月9日b.
[10] オルソン, マンサー「合理的無知、職業的研究、政治化のジレンマ」,『レヴァイアサン』第14号, 1994.
[11] 黒川和美・長嶺純一・原田博夫・曽根泰教・小西砂千夫・川野辺裕幸「公共選択で現代の日本の問題は解決できるか」,『公共選択の研究』第28号,1997.
[12] 高橋純子「首長・職員相手の住民訴訟が急増 行政監視の武器に」『朝日新聞』朝刊, 1998年07月23日
[13] 自治省『第26次地方制度調査会第1回専門小委員会議事要旨』, 平成10年11月12日開催,http://www.soumu.go.jp/singi/No26.html (2002年3月3日).
[14] 副島隆彦・山口宏『法律学の正体』宝島社,1991.
[15] 寺本博美『公共支出の経済分析 ―決定要因と官僚機構―』成文社,1985.
[16] 日本弁護士連合会「住民訴訟の訴訟形態を変更する地方自治法等の一部改正案についての意見書」2001年5月9日, http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/sytyou/iken/01/2001_13.html(2002年3月3日).
[17] 原田博夫 「所管官庁からの法人独立不可欠」,『読売新聞』朝刊,1997年3月28日.
[18] 廣瀬哲雄「個人責任による官僚制抑制」(第3回公共選択学会発表用ペーパー,1999年), http://www.omura.gr.jp/pdf/tetuo-hirose.pdf (2002年3月3日).
[19] 宮本政於『お役所の掟』講談社,1993.
[20] 横山彰「既得権と収容権」,『公共選択の研究』第33号,2000.
[21] ラムザイヤー, J・M, ラムスセン, E・M 「日本に司法の独立を検証する」,『レヴァイアサン』第22号, 1998.






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