わが国における
エネルギー供給システムのグランドデザイン

里屋和彦

本稿は、わが国のエネルギー供給システムのあるべきグランドデザインについて、リバータリアニズムという思想をベースに一考する。

現代社会において、「経済発展」、「エネルギー・食料資源の確保」、「環境保全」は、相互に複雑に関係し合っており、三者の関係は、一方を立てれば他方が立たないジレンマが重なったトリレンマの状態にある(1)。また、昨今かまびすしい地球温暖化問題においては、二酸化炭素等の温暖化ガスの排出を、最終的には現在の二、三割にまで切り下げねばならないという。この問題の根本解決は化石燃料からの脱却であるが、化石燃料は現在世界の商用エネルギーの9割を占めており、それからの脱却は容易な業ではない(2)。現代社会の大量生産、大量消費のトレンドを外挿した未来像の前提では、これらの問題の解決は不可能であり、抜本的な変革が必要である。

そこで、新たな未来像の構築のために有用となるのが、冒頭に掲げたリバータリアニズムという思想である。この思想の中核は、徹底した個人主義、反集団主義ということである。しかし、地域共同体は認め(究極的には否定するが)、道路も橋も自分達で造り、管理すべきだと主張する。(3)。シンプルであるが、この自主独立的な考え方は、エネルギー供給システムのあるべき理念型と多いに合致する。例えば、下図のように、持続可能な資源であるバイオマス(草、木、その他生物資源)エネルギーの自給体制が整った地域共同体は、外からの支配を受けることなく自己完結的であり、環境的な負荷もないため、持続可能な社会システムの理想的な形態(下図参照)といってよいだろう(4)。


しかるに、現時点において、いきなりこのようなモデルの具現化を試みることはできないが、現実的な方策の方向性は示してくれる。というのは、昨今話題になっているマイクロガスタービンや燃料電池に代表される分散型エネルギーシステムこそは、先の理念型へと導くものと考えられるからである。

近年のマイクロガスタービンや燃料電池の飛躍的発展は、浪費の多いこれまでのエネルギー大規模集中型から、エネルギーを有効活用(省エネ)できる小規模分散型への変革を促すことが予想される。パソコンが汎用の大型コンピュータを駆逐していったように、エネルギーも大規模から分散型へと変わっていくであろう。自立分散型ネットワーク社会こそ、安定的で望ましい社会であり(5)、これまでの大規模集中型のシステムからすると、遥かにリバータリアニズムへの方向性を持ち合わせた形態である。

このシステムの要諦は、ガス体のような一次エネルギーを、パイプラインで最終需要地(一般家庭、オフィス等)近くまで持っていき、その需要地近くで(オンサイトという)マイクロガスタービンや燃料電池により発電および熱供給を同時に行うことである(下図参照)。


しかるに、現状の電力の供給について言えば、原子力発電や火力発電など需要地から遠く離れたところで発電し、送電線で延々と電力を運んでくる大規模集中発電・送電システムである。このシステムは、廃熱ロス、送電ロスが大きく、本来経済的ではないにも拘わらず、わが国においては、巨大な規模の経済を有することにより、かろうじてその存立を保っているものの、その多大なロスを鑑みるなら、実は地球資源を過酷に収奪し続けるシステムなのである。

さらに、この巨大送電システムをベースとした、各家庭の末端での厨房における電気IHヒーター、電気温水器等の電気を熱エネルギーとして利用する形態は、資源の浪費である(6)。なぜなら熱エネルギーは、電力を作るのに要した石油や天然ガスが元々発熱量として最大限に保有しているものであり、多くのエネルギーを加えて高級な電気という利便性の良いエネルギーに変換した(その過程において多大なエネルギーを投入している)にも拘わらず、それを熱エネルギーに使ってしまうことはもったいないことである。トータルでみれば、石油や天然ガスを直接に燃やして熱エネルギーを得る場合に比べて、資源をより収奪しているのである。

電気は幾多の加工を経て得られる高級なエネルギーであって、規模の経済を追求して多大に供給することは、資源保護の観点からは間違いである。再生可能エネルギーの世界的権威であるエイモリー・ロビンス(A. Lovins)が、「電気でお湯を沸かすのは、チェーンソーでバターを切るようなものだ」といったのは有名な話である(7)。すなわち、電気は高価で良質なエネルギーであるため、それを使う場面というのは限られるべきである。しかるに、日本においてこの合理性が貫徹しない理由は、ひとえに電力会社の巨大な経営規模に起因するものである。

分散型エネルギーシステムの構築のためには、まずは、ガス体のような一次エネルギーの国内幹線パイプラインの整備に国家を上げて取り組むことが重要である。すなわち、夜警国家論でいえば、軍事、外交、治安維持に加えて、動脈幹線となる公共インフラの整備は、国家もしくは(結果的に)寡占企業にて行う必要がある。後は地域で、民間ベースで準幹線以下を整備していけばよい(8)。

そこで、大事なことは、建設後の原価償却のみを国内幹線パイプラインの所有者に保証して、その後の運用は中立機関に委託してしまうことである(9)。このことは、現在行われている電力・ガス業界の自由化論においても、最大のポイントとなっている。その意味で、巨大幹線パイプラインから、末端の一般家庭までの小さなパイプラインまでのすべてのパイプラインを保有し、いわゆる垂直統合の事業を展開しているわが国の大手都市ガス会社の形態は、全く望ましくない。

ところで、わが国ではこの国内幹線パイプラインの建設が一向に進まなく、欧米に大変な遅れをとっている。

わが国は、欧米に比較して土地の所有が非常に細分化され、かつ土地利用が非常に高密である。特に、首都圏をはじめとする大都市周辺では地価が高い上に土地利用の変化が激しい。また欧米のように民有地にパイプラインを低廉かつ迅速に敷設するために制度的な枠組みも十分ではない。さらに関連法規や規制が古いものが多く、近年の技術進歩等に対応できていないケースもあり、これらが建設コストを引き上げる要因となっている。これらによって、わが国のパイプライン建設コストは、欧米の何と10倍近くにも膨らんでいる(10)。

加えて、この面においても巨大電力会社の存在が、国内幹線パイプラインの建設にブレーキをかけ続けている。幹線パイプラインが作られてしまうと、独立発電業者(IPP)が、それを利用した発電事業を営むことは必定で、結果的に今日の電力寡占体制を崩壊させてしまうからである。沿岸地域における大規模集中発電システムと電力を送る大規模な送電網の存在が、他の電力供給システムの存在を許さないものになっているのである。

わが国においては、戦中・戦後にわたる国策の中で巨大電力会社が形成されてきた(11)。今日の電力会社はまさにガリバーであり、エネルギー業界のみならず、経済界を支配している。地方経済界はすべて電力会社の支配下(地方経済界のトップは歴代電力会社のトップが就任している)にあるのは周知のことであり、このような顕著な形態は日本以外に見られない。中央の経団連のトップだけは例外的に新日鉄が担ってきたが、それでも斉藤英四郎氏の後の会長には、東京電力の平岩外四氏が就任した。このような人事は、電力会社にまつわる大きな利権が国家の中核に根をおろしていることの証左であり、巨大電力会社は、巨大な存在そのものが自己目的化しているのである。

この巨大電力会社の存在に起因して、政府のエネルギー政策において、石油、天然ガス等の一次エネルギーと電気エネルギー(二次エネルギー)の役割の峻別がまったくなされなくなってしまっている。このことは、例のごとく審議会ベースで進められている電力・ガスの自由化論議にも現れている。電力は、総合資源エネルギー調査会(経済産業相の諮問機関)の電気事業制度分科会(分科会長=鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)にて、ガスは、ガス市場整備基本問題研究会(エネ庁電力・ガス事業部長と資源・燃料部長の研究会)よって論議が行われており、いずれも平成13年度にスタートしたが、利害関係が錯綜しており混迷している。しかし最大の問題点は、上に述べたように、それぞれのエネルギーをパラレルに見て、電力とガスの物理的性質に基づくあるべき姿(例えば、国内幹線ガスパイプライン+地域でのコージェネ)への収束を阻害してしまうという弊害を生んでいることである。

また、政府のエネルギー政策は、政策決定においては、例によって審議会形式が採られているものの、実質的には、情報を集中管理する官僚がエネルギーの需給トレンドを、GNP成長率などをベースに予測し、その需給ギャップを埋めるための供給計画を立て、公共投資や補助金給付の決定を行ってきた。いわば、「国家統制型」のエネルギー政策であり、このような政策決定プロセスが、政策の自己目的化や硬直化を生み、エネルギー事業における既得権益をもたらしている(12)。

既得権益の象徴的な例が、官民二人三脚で展開してきた長年の原子力政策である。高速増殖炉の開発、使用済燃料の位置づけ、核燃料サイクル政策、プルトニウムの在庫問題等々、未だに過去の原子力政策の呪縛を断つことができず、判で押したような原子力関係者の対応は今日でも基本的に変わりない(13)。

現在、わが国においては、電力・ガス事業の自由化論議の真最中であるが、巨大電力会社を自由化論議の末にいくら分断解体しても、相変わらず電力供給体制が大規模集中型にとどまるかぎり、資源の収奪は続き、分散型エネルギー社会へのステップに踏みだせないままなのである。

繰り返すが、冒頭に述べた「経済発展」、「エネルギー・食料資源の確保」、「環境保全」のトリレンマの解決のためには、ガス体のような一次エネルギーを、パイプラインで最終需要地(一般家庭、オフィス等)近くまで持っていき、その需要地近くで(オンサイトで)マイクロガスタービンや燃料電池により発電および熱供給を同時に行うような形態、この青写真に向かって国民を啓蒙し、我が国のエネルギー政策を長期に亘ってシフトしていくことが最大のポイントである。

エネルギー産業の自由化が世界的に喧伝される中、巨大電力・ガス会社がその標的となって解体を迫られつつある。しかし、上に述べた方向に沿う形でしか、巨大電力会社、および巨大都市ガス会社の解体はなされるべきではないのである。

【参考文献】
(1)「人類の危機トリレンマ」電力中央研究所編著 エネルギーフォーラム社 33頁
(2)「マイクロパワー革命」柏木孝夫等 TBSブリタニカ15頁
(3)「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」副島隆彦 講談社α文庫 317頁
(4)「バイオマスが拓く21世紀エネルギー」坂井正康著 森北出版に詳しい
(5)「マイクロパワー革命」柏木孝夫等 TBSブリタニカ19頁
(6)「新説・石油がなくなる日」西上泰子 燃焼社40頁
(7)NEDOのHP
(8)SAPIO 平成14年3月13日号 46頁 塩野七生インタビュー
(9)英国の王立国際問題研究所へのガス事業の自由化についてヒアリング;ガスエネルギー新聞2000.12.20
(10)「国土幹線ガスパイプライン」三菱総合研究所 東洋経済新報社 124頁
(11)「気概燃ゆ/電力再編を戦った男たち」志村嘉門 日本電気協会新聞部に詳しい
(12)「構想日本」ホームページのエネルギー部門の提言
(13)「どうする日本の原子力」原子力未来研究会著 日刊工業新聞社に詳しい
図1「バイオマスが拓く21世紀エネルギー」坂井正康著 森北出版 裏表紙
図2「マイクロパワー革命」柏木孝夫等 TBSブリタニカ184頁




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