「日本版ロースクール(法科大学院)構想の真相は、
法曹教育プロセスの医学部化である」

Mr.ネルソン

現状の分析と課題

T.現状の問題点

日本版ロースクール(法科大学院)構想は、首相直属の公的諮問機関であった司法制度改革審議会が、戦後初めての抜本的な司法改革を目指して打ち出した諸政策のなかでも、「看板」であるといえる存在だ。実際に、そこで繰り広げられた議論内容の比重から考える(http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html)と、あたかも法科大学院誕生のために同審議会が発足したと言っても過言では無い。この構想は、同審議会の委員間でも、「総論賛成、各論反対」である。法曹人口の増加に賛成でも、その方法論で対立するのだ。

 だから、まず始めに、法曹がその需要に対して供給が少なすぎるということだ。これに派生して、弁護士過疎(ゼロワン地域68箇所、100人未満28県)や、裁判官・検察官の不足による審理の長期化(米国で3ヶ月の裁判が、日本では10年かかる)、一方的な売り手市場によるギルド化が、法曹界の市場原理を歪めている、などの問題が存在している。

 次に、新制度に於いても未解消の問題がある。それは、新司法試験合格者数(3000人)により事実上制限される法科大学院の少ない定員枠(容量)と、その高すぎる授業料と各種インフラ整備に費やされる財政負担などの、すなわち、国庫=国民の税金による法科大学院への支援をめぐる、法務省と財務省の対立に象徴される、「人数」と「金額」のような、「量:quantity」の問題である。大手受験予備校・河合塾の、法科大学院設置予定の大学に対する調査の回答では、平均すると「定員50人、年間授業料200万円」となり、学生とその家族にとっては切実な問題だ。(http://www.keinet.ne.jp/keinet/doc/keinet/jyohoshi/gl/toku0111/toku0111_top.html)。

 そして、学校制度面からみても、日本版ロースクールは、その名称自体からして、アメリカからの制度輸入なのだが、本場米国において法学部は存在しないのである。ところが、法科大学院構想では、法学部を温存し、その上に法科大学院が設置される。これは、法学部と法科大学院が連結された法曹養成システムであり、学部と大学院の教育がワンセットになっている医師養成システムと極めて似通っている。実際、前出の河合塾調べでは、同審議会委員だった井田良・慶大教授がそのインタビューで、「現実問題として、その法科大学院が設置されている大学の法学部卒業生が新院生の7割を占める」と回答している。

 以上、私が「日本版ロースクールは法曹養成の医学部化である」とする理由を述べた。現実と理念(構想)間のギャップを埋めるべく、私はこの政策論文を提出する次第である。

U.問題の解決策

@)新規法曹に対する定員枠(人数制限)の原則撤廃

 弁護士大幅増員反対には典型的なロジックがある。それは、「弁護士が大幅に増えると質が低下する」というものだ。しかし、経済法則に於いては、売り込み競争が激しくなればなるほど、品質も良くなるのである。それは、民間企業では常識であり、過当競争状態にある日本の自動車メーカーは、立派に世界の最先端を走っている。過当競争になると倒産が出るが、ユーザーの支持を得られない供給者は市場から撤退して当たり前であり、誰も弁護士をやめない現状の方が異常なのであって、少数者の独占(モノポリー)や寡占(オリゴポリー)による超過利潤が出ている何よりの証拠である。

 そして、弁護士の活躍の場は訴訟活動のみではなく、行政との交渉、企業内コンプライアンス(法令遵守)、公正取引委員会や各種行政委員会のスタッフ、議員やその政策秘書、政党職員としての立法関与、各種仲裁への関与、国や地方自治体の職員やオンブズマンなど、今後いくらでも拡がるのだ。「小さな政府」による財政健全化を目指すならば、行政による事前規制型システムを変えざるを得ないが、チェック機能は必要だから、司法による事後救済型に転換することになるので、法曹拡充が必要不可欠となる。

 それでもなお、新法曹たちの質の低下が心配ならば、(1)5年か10年に一回、資格更新試験を実施する、(2)身内に甘い弁護士会の懲戒制度を改善し、処分を受けた弁護士名を弁護士会などで照会できるようにする、といった制度を新設すれば良い。(参照:矢吹信「目覚めよ司法・第14回 あまりに絶望的な司法制度改革」Foresight2000年12月号)

 だから、法曹人口の総量規制(新司法試験合格者3000人)を撤廃すべきなのだ。それはすなわち、法科大学院の入学定員(平均50人)を廃止することである。(参照:堤清二+橋爪大三郎「選択・責任・連帯の教育改革【完全版】」勁草書房・1999年刊)

 同時に、キックアウト制(入学者のうち、成績が基準に満たない者を留年・中退させる制度)を採用すべきである。入学者と卒業者の人数が等しいのは、大学教育がうまくいっているのではなくて、むしろ空洞化している証拠である。卒業者は入学者より少なくなければならない。アメリカの多くの大学はキックアウト制であり、入学よりもむしろ、その後の成績評価のほうを厳格にする。入学の門戸は広く開かれているが、進学の関門がいくつもあって、厳しく学力を評価する。だから、学生に対する要求水準の高い、つまり志望者の多い大学は、入学者−卒業者=中退者の比率が高いところも多い。また、教師の方にも、学生による授業評価で、厳しく教育能力を判定され、信賞必罰が明確に反映される制度が不可欠だ。これで、法曹人口(量)を大幅に増やしつつ、レベル(質)も維持できる。

 だが、そうすると、一部の大学に学生が集中する「混雑現象」が起きるという心配もあろうが、以下の工夫によって未然に防げる。実際、アメリカをはじめ諸外国で上手く機能しているものである。(1)大学自ら学力水準を定め、教育の目標を掲げる。(2)その目標に基づいてカリキュラムを整備し、公開する。(3)各学年の期末試験の過去問題や合格点についても事前に公表する。すると入学者は、「卒業生がこのくらいの学力なら進級にはこれぐらいの学力が必要である」と逆算する。必要なら志望者に対して、(4)もっと高い学力を証明する外部評価(LSATの点数等=絶対評価)を要求する。この制度では、単に入学しただけでは社会的評価が得られないので、学生の側では、入学しても進級・卒業ができそうにないなら学費の払い損だから、そもそも入学しようとは思うまい。もうひとつ、入学者を適正な人数に抑える良い方法は、(5)奨学金である。A)と関連するのだが、成績に応じて、学費の全部または一部を免除するという形の大学ごとの奨学金を設けて、学生をランクづけて入学を許可する。学生にしてみれば、同じ合格通知でも、たとえば、第一志望は学費全額負担、第二志望は学費半額免除、第三志望は学費全額免除、という具合に条件が異なる。ならば、第一志望でなく、第二、第三志望に進学する学生も増えよう。つまり、志望が分散するのである。この他に、(6)収容しきれないほどの学生が集まった大学は、最初の半年間、通信教育に切り換えて、半年経過後に期末試験を実施し、その成績順に、収容人数をはみ出した学生は転校・退学させる。また、キックアウトが十全に機能するには、学生の転校が簡単なことが必要だから、(7)元の大学での取得単位が、転校先の大学でも認められるべきである。受け入れ側の大学にとっても、より優秀な学生獲得のチャンスであるから、(8)学生の転校に関する大学間の協力ネットワークの構築も急がれるべきである。

A)民間活力による奨学ローン・奨学金の整備と充実

 従来の司法試験は、読売新聞社会部「ドキュメント 弁護士」(中公新書、2000年)によれば、《「1年に150万円かける人もいる」(受験生)という。親の援助なしで苦学してきた合格者は、「金がない人はなかなか試験に通らない」とため息をつく。別の合格者は、「司法試験は、ある意味で受験生の財力を問う『資本試験』といわれている」》とある。

 ところが、法科大学院構想においても、T.で述べたように授業料が、「年間200万円×3年間=600万円」。それに、学生の生活費が、「月平均10万円×12ヶ月×3年間=360万円」となる(参照:「選択・責任・連帯の教育改革【完全版】」、以下も)ために、卒業までにかかる合計金額は960万円にもなる。学生は生活力がないので、これだけの負担はできない。親が代わって支払うと、家庭の所得によって大学への進学が左右されるために社会的不公平感が生ずる。自分で自分の学費を払う、自己負担の原則が、最も公平である。

 そこで、学資の全額を、希望すれば誰にでも、奨学ローンの形で、銀行から学生個人が貸し付けを受けられることにする。960万円を20年賦、市中金利+α(簡単に、年利6%の固定金利)で借りると、毎月の返済額は4万円弱程度。大学の専門を活かした仕事に就ければ十分に返済可能な金額であり、本人が中高年世代になったときに学生の子供の学費は支払わなくてよいから、可処分所得増による減税効果により、親の負担も軽減される。

 また、学業成績に連動した各大学独自の財源による奨学金を設ける。メリットは、(1)勉学へのインセンティヴ、(2)審査が厳格だからスクリーニングの基準たり得る、(3)優秀な学生が分散するので大学間格差が縮小する、(4)財政負担(税金投入)の削減効果、などがある。




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