■ここは、主に副島隆彦の弟子から成る「ぼやき漫才・研究会」のメンバーが小論を掲示し、それに師や他のメンバーが講評を加えていくところです。

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(2001/01)

ハンチントン文明の衝突 「儒教・イスラムコネクション」なんかあるもんか論 荒木 章文
ハンチントンの「文明の衝突」の中で、儒教・イスラムコネクションという考え方が出てくる。
 非西欧文明としての儒教文化圏なるものが本当に「儒教を軸」に団結するのか?
 儒教文化圏の結束なんてありえるのか?
 (ここではひとまずイスラム勢力についてはおいておくことにする)
 そのことを検証していくことにする。
 以下の文章はハンチントンの要約引用である。

(引用はじめ)
 ハンチントンは、今後は西欧文明と非西欧文明との対立が深まると考える。そして非西欧社会が、(後述する)「儒教・イスラムコネクション」を形成し、西欧世界に対抗するだろうと予見する。
名著に学ぶ国際関係論 花井等編 有斐閣コンパクト 1999年12月
P.115
(引用おわり)

 ここで注目しなければならない事実として「中国人は儒教徒ではない。」という大きな事実である。
(中国人という言葉自体が、国民国家の人民という定義でいいのかどうかの問題はあるとしてもここではとりあえずおいておく)
 より正確には「大多数の中国人の行動を決定する思想は少なくとも儒教ではない」ということになる。
 次に岡田教授からの引用である。

(引用はじめ)
 「日本人は中国人を儒教徒だと思っているでしょう。いや、日本人だけじゃない。アメリカ人もフランス人も、みんなそう思っている。とんでもない。たしかに表面は儒教徒かもしれないが、本質は道教徒なんです」
 それまで中国人は儒教徒だと信じて疑わなかった私は、この言葉にひどく驚いた。
過去の文献を読むかぎり、中国は儒教の国のように見える。
 だが、考えてみれば、文字で書かれた文献にのこっているのは皇帝や知識人たちの姿、それも理想化された姿であって、大多数の庶民の本当の姿ではない。つまり、儒教は知識人階級の宗教であって、一般の人々には縁のないものなのである。
妻も敵なり 岡田英弘著 ザ・マサダ 1997年10月 P.161−162
(引用おわり)

さらに宗教としての儒教は二世紀末に既に滅びているという。

(引用はじめ)
 儒教という言葉をどう定義するかにもよるが、宗教としての儒教は、二世紀末の後漢時代に事実上滅びている。本来の儒教は、先祖を祀ることを重んじ、その儀礼をいちいち定めた信仰であった。いわば葬式専門の学派だったらしく、葬式や副葬の儀礼についてはひどくうるさい。墨家の文献に非儒編というのがあり、その中に当時の儒家について書かれている部分があるが、それによると、儒家というのは人が死ぬとやって
来て、屋根に上がってホイホイと魂を呼んだり、鼠の穴をほじくって出てこいと叫んだりするので、バカバカしくてしょうがないとある。どうやらこれが儒家の本来の姿、つまり一般民衆の生活に根ざした姿であったようだ。
 二章でも述べたように、184年に黄巾の乱が起こって後漢帝国が崩壊し、元来の“漢民族”は事実上絶滅したわけでだが、その漢民族の信仰する儒教も、ここで「死んだ」のである。それまでの儒教は後漢の国教になったほどであり、隆盛を極めていた。しかし、その隆盛ぶりも、黄巾の乱で皇帝の権威が失墜し、秘密結社の信仰する道教が勢力を得ると、あたかも夢まぼろしのごとくになってしまったのである。
 ここで「宗教としての」という言葉をつけたのには訳がある。つまり「宗教ではない」儒教はこれ以後も残ったからである。
 後漢帝国が滅びても、その統治システムである皇帝制度は残った。具体的に言えば郡県制もそうだし、漢字も広い地域を統一的に支配するための重要な道具として引きつづき利用された。したがって、それを使いこなせる技術者、つまり、官僚も、重要な位置を占めつづけた。
妻も敵なり 岡田英弘著 ザ・マサダ 1997年10月 P.164
(引用おわり)

以上のように、宗教としての儒教は既に滅びている。
また、中国人の大多数に影響を与える思想は、儒教ではなく道教である。
この二つの事実をもって考えてみると、少なくとも「儒教を軸」として中国と韓国と日本が結束するなんてことはありえない。
 こういう結論になる。
 それを岡田教授は以下のように述べている。

(引用はじめ)
 ときどきアメリカ人などで、こんなことを言う人に出会う。
 「近い将来、儒教文化圏に属する中国と韓国と日本が組み、イスラム文化圏とも手を結んで、地中海・北米文化圏に対抗することになるだろう」
 なかなか面白い考え方だが、残念ながらこんなことはありえない。もし儒教がキリスト教のような宗教であるのなら、その可能性はあるが、信仰体系としての儒教はすでに二世紀で滅びている。残ったのは古典としての経典だけである。もはや宗教としての実質がなくなっている以上、儒教を軸にして中国と朝鮮と日本が結びつくなどということはありえない。
妻も敵なり 岡田英弘著 ザ・マサダ 1997年10月 P.166 
(引用おわり)

2001/01/06(Sat) No.02

「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理なしくみ」を読む1 荒木
日本の知識人はパクルことによって生計をたててきた。
明治以来ずっと世界を翻訳して輸入してきた。
いや、それは何も明治時代にはじまったわけではない。
古代からずっと、中国からパクッてきたのである。

西欧の近代学問の立場では、出典は出典として銘記する。
それが近代人である。
この点でカレル・ヴァン・ウォルフレンは日本の知識人達とは異なる。
故に、この内容は世界基準の学問の世界ではどうやら事実のことであると言える。

カレル・ヴァン・ウォルフレンの最新刊を読んでいくことにする。
 まず、グローバリゼーションの持つ意味から整理していくことにする。
 ウォルフレンは以下のように二つの意味を指摘している。


(引用はじめ)
すでに明らかになったように、グローバリゼーションは基本的に二つのことを意味する。
一つはアメリカ政府やウォールストリートの権力者を中心とする勢力が計画し、彼らが後押しする超国家組織が推進する政治的ミッション、すなわち宗教の世界的伝道に似た使命であり、もう一つはテクノロジーの発達によって、地球を舞台としたあらゆる類の新しいビジネスが可能とした、強大なパワーである。「アジア危機はより優れた経済秩序を普及させる絶交のチャンスである。」というIMF(国際通貨基金)専務理事の数回にわたる発言によって、グローバリゼーションの持つ政治的ミッションが紛れもなく明らかになったのである。
「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理なしくみ カレル・ヴァン・ウォルフレン ダイヤモンド社 2000年12月 P.110」
(引用おわり)

以上を整理すると

@アメリカ政府やウォールストリートの権力者を中心とする勢力が計画し、彼らが後押しする超国家組織が推進する政治的ミッション
Aテクノロジーの発達によって、地球を舞台としたあらゆる類の新しいビジネスが可能とした、強大なパワー

となる。

グローバリゼーションには上記の二つの意味があるとウォルフレンは言う。

ここで問題になってくるのは@の政治的ミッションの事である。
この政治的ミッションとは誰によって実行されてきたのか?

(引用はじめ)
政治的意図をもったプログラムとしてのグローバリゼーションは、特にアメリカの利益集団の指示に従って、一群の国家政府や国際機関の手で、さらに多くの金融報道の解説者によって推進されている。したがって、グローバリゼーションとはほぼアメリカニゼーションに等しいという非難は、日本でもよく聞かれるが、あながち的はずれではない(この問題は、第5章のテーマである。)問題は、政治的戦略プログラムが適応を強要していることである。他の国はとにかくグローバル化しなければならない、という。
政府はもっと市場を開放し、金融システムを自由化すべきだと主張する。いわば、ワシントンがこうすべきだと定める標準を導入すべきだというのである。
「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理なしくみ カレル・ヴァン・ウォルフレン ダイヤモンド社 2000年12月 P.26」
(引用おわり)

(引用はじめ)
グローバリゼーションの推進派であるアメリカ政府やウォール・ストリートの利害関係者、金融報道機関、IMF、世界銀行、ヨーロッパ諸国の財務省、そして多国籍企業、こぞってグローバリゼーション以外には今後世界が進むべき道はないと、口を揃えて唱え続けた。
「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理なしくみ カレル・ヴァン・ウォルフレン ダイヤモンド社 2000年12月 P.47」
(引用おわり)

このグローバリゼーション、政治的戦略プログラムを推進する存在。
「アメリカの利益集団の指示に従って、一群の国家政府や国際機関の手で、さらに多くの金融報道の解説者によって推進されている。」存在。
これらを総称して何というか?
そう、答えは「グローバリスト」である。

このグローバリスト(globalists)によって、政治的意図をもったプログラム(政治的ミッション)としてのグローバリゼーションは推進されている。
それでは何故、グローバリスト(globalists)がグローバリゼーションを推進するのか?

(引用はじめ)
民主党系の政財界人は世界各国に金融資産を持っている。この勢力の人々が多国籍企業(マルチ・ナショナルズ)として国際的なビジネスを行ない、世界に分散して保有している自分たちの金融資産と、石油やウラニウムやその他の鉱物資源の利権を守るためにこそ、アメリカの軍隊を外国に駐留させ、いざというときに使うのである。この立場をグローバリズム(globalism)と言い、こういう考え方を持つ人々をグローバリストというのである。
逆襲する「日本経済」 副島隆彦著 祥伝社 1999年7月 P.223
(引用おわり)

以上の理由による。

2001/01/06(Sat) No.01

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