日本のこの20年-4 荒木章文 | 荒木章文 |
日本のこれからの方向を考えた時、我々は国家戦略を考えなければならない。 いままでのようにはいかないのである。 自分の足で立たなければならない。 そうしないと日本は、外側の大きな力の前に滅んでいくかもしれないのだから。 自分自身が、この国家が、何か得たいのしれないものの為に左右されている。 そんなことを言っているわけではない。 ただ、それを見ようとしないだけである。 「社会現象には法則がある。」と小室博士は、英国古典派の前提として解説されてい る。 人間がその社会法則にのる形で、社会現象をコントロールすればその法則の作動の 結果、人間の意志によって社会現象をコントロールしたことになる。 例えば、経済現象において国家が「財政政策」と「金融政策」、そして「市場介入」に よって社会現象をコントロールする。 「財政政策」や「金融政策」、「市場介入」という政府(人間)の意志で制御できる 変数を他人(他国)ににぎられていたなら・・・ 世界が未だ、力の均衡によってバランスしていることを知らずに、安全保障は自然 に存在していると考えている。 そんな国民と、力の均衡で世界はバランスしていることを知っている為政者は、徹底 的に意識は乖離していることだろう。 鳥瞰図的に見たときには、安全保障(政治)をお金(経済)で購入していることに気 づくだろう。 この日本の衰退を片岡教授はこう述べている。 (引用はじめ) この国防を疎かにした結果日本は現在に至るのである。 日本は安全保障を、お金(経済)で買っているのである。 (引用はじめ) この時から実際には、安全保障代金を払い続けてきたのである。 (引用はじめ) これがこの20年間の大まかな整理である。
2000/10/30(Mon) No.01
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アメリカ政府の政策立案・実行過程−3 荒木 | 荒木章文 |
アメリカ政府の政策立案・実行過程−3 アメリカ政府における政策立案・実行の過程とはどうなっているのだろうか? (引用はじめ) つまり、極東におけるアメリカ管理戦略を考える上で押さえなければならない存在が2人いる。 (引用はじめ) このようにアメリカにおける、シンクタンクの役割は非常に大きなものである。
2000/10/25(Wed) No.03
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アメリカ政府の政策立案・実行過程−2 荒木 | 荒木章文 |
アメリカ政府の政策立案・実行過程−2 次にアメリカに政府における外交政策決定のしくみを整理していく。 前掲書P.139の図説を見ていただくと非常にわかりやすく、外交政策決定に関係する国家機関が理解できます。 政策決定に関わる機関を大きく分類すれば 2.「国防総省」 3.「中央情報コミュニティ」 4.「国務省」 5.「連邦議会」 6.「大学・シンクタンク・NGO・NPO・財団・基金」 7.「マスメディア」 ここでは、シンクタンクに関する記述を引用することにする。 (引用はじめ) そしてこの提案提言でアメリカにとって重要な問題については、大統領府における国
2000/10/25(Wed) No.02
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アメリカ政府の政策立案・実行過程−1 荒木 | 荒木章文 |
アメリカ政府の政策立案・実行過程−1 アメリカに政府における基本的なしくみを整理していく。 まず、大まかに3つに分類することができる。 で分類される。 まず大統領の下に大統領府とよばれる、大統領の日々の活動を支える補佐官らと、 その他各省庁が存在する。 さらに独立政府機関として おおまかには、アメリカ政府の仕組みはこのようになっている。
2000/10/25(Wed) No.01
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「社会科学」と「リベラルと保守」 荒木章文 | 荒木章文 |
「社会科学」と「リベラルと保守」 社会現象には法則が存在する。 (引用はじめ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 英国古典派の根本にある前提は、「社会現象には法則がある」ということだ。 単純な経済の「需要と供給の法則」を想像すると、社会法則とは人間の主観の外に客観的に存在する。 (引用はじめ)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「自由意志を持つ人間」の総和の行動において、それは経済であれ、国際政治であれ「社会法則」が存在する。 (引用はじめ) 「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち 副島隆彦著 講談社α文庫 P.159 《マレーは、それまでリベラル派の独占物だった「社会科学(厳密な学問)」という武器を、保守派がもつようになったことを示す人物である。》 ところで、この記述からすると「社会科学」は、アメリカにおいてリベラルの独占物でありやがてチャールズ・マレーの「ザ・ベル・カーブ」をもって保守派がその武器をもったことになっている。
2000/10/23(Mon) No.01
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日本のこの20年-3 荒木章文 | 荒木章文 |
@自由貿易を続ける。しかし、世界覇権国は存在しつづけなければならない。 A自由貿易を続ける。日本が世界覇権国になる。 B地域貿易を行う、しかし地域覇権国は存在しつづけなければならない。 C地域貿易を行う。日本が地域覇権国になる。 D自由貿易・地域貿易をつづける。世界覇権国・地域覇権国の保護国として存在する。 E自由貿易も地域貿易も行わない。鎖国する。 この中で、貿易(経済活動)を担保する軍事力が必要ないのはDだけである。 さてここからは、1945年日本の敗戦から米ソ冷戦対立構造の中にはいっていき、日本に対するアメリカの占領政策が如何に変化していったのか? (引用はじめ) このサイトの連載「Geopolitics(地政学)の授業を覗く 16」9月23日でおくやま氏が書かれていいるように、戦後の米ソの冷戦構造を考えた時ジョージ・ケナンという人物は非常に重要な人物である。 この「日本の敗戦」→「占領」という時期、日本とアメリカの関係の背景には世界史のこの歴史的な転換が存在したのである。 (引用はじめ) 日本降伏後の対日戦略に変化が、みられた。 (引用はじめ) 米国が日本を占領し続ける必要はないのである。 (引用はじめ) 世界覇権国アメリカの対日管理政策は、「日本の敗戦」→「占領」→「米ソ冷戦構造」 D自由貿易・地域貿易をつづける。世界覇権国・地域覇権国の保護国として存在する。 の前提条件が、米ソ対立という冷戦構造だったのである。
2000/10/20(Fri) No.01
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日本のこの20年−2 | 荒木章文 |
日本は自由貿易によって今日の繁栄をきずいてきた。自由貿易あればこそ、資源の無い日本は繁栄をきずいてこれたのでる。これを小室直樹は「大国日本の逆襲」光文社 P.38の中でこう言ってる。 (引用はじめ)自由貿易が行われているかぎり、資源問題は、経済問題にはならない。もし、完全に自由貿易が行われていれば、資源の有無多少は、経済と関係ない。と断言すると、一見、奇異の思いをなさる読者もあろう。 つまり、「自由貿易が行われている限り」という条件がなくなれば、資源問題は経済問題になってしまうのである。 であるならば、この自由貿易が成立する条件を押さえておかなければならない。 (引用はじめ)中略・・・基軸通貨があってはじめて、世界市場が成立することができる。 自由貿易←世界市場←基軸通貨←世界帝国 ここに、世界帝国という言葉は必ずしも妥当でないかもしれない。しかし、「パクス・ブリタニカ」「パクス・アメリカーナ」の上位概念として適当な用語がないまま、あえて使用することにした。 この世界帝国とは何か?帝国主義者の国のことである。 地域内貿易(保護貿易)←地域市場←地域通貨←地域覇権国 これはまさに、ブロック経済そのものである。 やはり自由貿易を担保するのは世界帝国(覇権国)である。 この中で、自由貿易を続ける選択としては@ADの場合である。 あとは地域貿易か、鎖国かの選択である。
2000/10/17(Tue) No.02
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日本のこの20年 | 荒木章文 |
最近小室直樹の「大国日本の逆襲」を読み直していた。 1988年の出版物である。 副島氏の「日本の危機の本質」講談社 より10年前に出版されている著作である。 今回から、1980年以降の、この20年間の日本とアメリカの経済の関係について整理していくことにする。 この関係が成立した過程については、片岡教授の「日本永久占領」がある。 それについては別途機会があれば論じていくことにする。 (引用はじめ) 87年、アメリカは最後の一線をこえた 経常赤字を資本黒字で補う。 ここで、貿易収支はいいとして、貿易外収支や経常収支、資本収支などの用語が出てきた。 (引用はじめ) この中で一点だけ、利子と利潤について貿易外収支に勘定されると記載されているが、科目としては所得収支とよばれる勘定科目に勘定される。 経常収支=貿易収支+貿易外収支etc 資本収支=直接投資+証券投資etc
2000/10/17(Tue) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く32 | おくやま |
私は立花隆という知識人に、かなり入れ込んでいた時期がある。 きっかけは「宇宙からの帰還」であった。その頃の私は心理学に興味があり、宇宙飛行士の心理状態について知りたかったから、というのが単純な動機である。たしか行きつけの古本屋のおばさんに薦められて読み始めたような気がする。 なかなか説得力のある書き方をする人で、他の作品も色々と読みたくなり、「臨死体験」や「ぼくはこんな本を読んできた」などをたて続けに読んだ。 しかし「待てよ」と思ったのは作家 司馬遼太郎氏との「宇宙飛行士と空海」という対談からである。 この対談自体はとても面白い内容で、空海の仏教の宇宙観などを、アメリカの宇宙飛行士達の宇宙体験と比較した話などをしている。 なかなか知的好奇心をそそられる部分があり、自分にとっていままで読んだ対談の中では最高に面白いレベルだ、と私は今でも思っている。 しかしこの対談の最後での立花隆の締めの一言、「田中角栄なんか自分で(宇宙船を)チャーターできる財力があるんだから、宇宙に行ってもどってくればいいんだ(笑)」(宇宙を語る p354)という個所に、私は非常な違和感を覚えてしまったのである。 田中角栄というのはすごい政治家で、あまりにも汚職政治をやったため権力の座を追われた、というのが日本国民の一般的な印象であろう。 ところが、うちの親戚にものすごい直観で鋭く物事の本質を見極めることで有名な大叔母がいる。親戚中では一目も二目も置かれて尊敬されている存在なのだ。その彼女が、実は昔から田中角栄擁護派なのである。 「角栄はね、金に汚いとか散々言われてるけど、私は絶対にいい政治家だと思ってるよ。ああやってロッキードとかで追い込むのは絶対に間違ってる」とこう言い続けていたのである。 この尊敬する大叔母の主張を昔から聞いていたので、私も田中角栄を批判する人物には「もしかしたら」という警戒心をいつの間にか持つようになっていたのである。 そういうわけでこの司馬遼太郎氏との対談の最後の一言を読んだ瞬間から、私の立花隆に対する知的興奮はやや興ざめしてしまった。 それまで立花隆が有名になったきっかけというのを知らなかったのだが、調べてみると、なんと田中角栄を追い込んだ急先鋒だったというではないか。 彼の著書に「アメリカジャーナル報告」というのがある。その本の中で立花隆は、アメリカのニクソン大統領の失墜のきっかけとなったウォーターゲート事件を掘り起こして政権を徹底批判した、前述したハルバースタムを含む有名ジャーナリスト達と、なんと対談インタビューを行っているのである。 これは要するにアメリカの政権を倒したジャーナリストと日本の政権を倒したジャーナリストの記念的対談という構えである。立花隆はこのインタビューの中で自分が田中角栄を追い込んだことを、アメリカの著名ジャーナリスト達に嬉々として伝えているのである。これにはビックリした。 最近ではロッキード裁判というのはアメリカ側から角栄失墜の為に巧妙に仕組まれたものであった、ということが段々明らかになってきている。要するに立花隆は日本の検察と組んでアメリカの手先になっていた、ということがばれつつあるということである。 これを読んだ時から私の中で、立花隆をあまり信用できない、という疑念が生れたのだが、それをハッキリと支えてくれる本にはどうしても巡り会うことが出来なかった。 しかし去年初めて小室直樹氏の「田中角栄の遺言」という本を手に入れてやっと落ち着くことができた。その本にはなぜ角栄が優秀な政治家であり、いかにロッキード裁判が間違っていたのか、ということが理路整然と述べられていたからである。 この小室氏というのは、実は世の中が「角栄たたくべし」の論調一点張りだった頃から、ほぼ日本中を敵に回して「角栄擁護論」を唱えていたという。ものすごい根性のある知識人である。 彼には他にも何作か田中角栄擁護論の本があるらしいのが私は全てを読んだわけではない。 くわしくはこの「ぼやき漫才」の関連サイトである「小室直樹文献目録」を参照にして欲しい。小室直樹氏の著作に関するデータ量では、このサイトは文句なしで世界最高である。 とにかくこの小室氏の著作で、私は完全に立花隆の正体を見てしまったような気がした。 以下、次号につづく
2000/10/13(Fri) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く31 | おくやま |
冷戦の地政学で一番有名な用語は「ドミノ理論」Domino Theory であろう。 冷戦状態が大戦の後すぐにアメリカ・ソ連を中心に急速に形成されて行ったのはすでに述べた。契機はケナンの論文やトルーマンの政治声明、それに反応したジャダノフの論文が相次いで発表された1947年(昭和22年)である。 実はこの同じ年にアメリカの元モスクワ大使であるウィリアム・ブリット William Bullit が、中国・東南アジアを経由してのソビエトの南下を警戒する発表をしていたらしい。 これを当時の海軍提督であるアーサー・ラッドフォード Arthur Radford が 53年に「ドミノ分析」Domino Analogyとして、時のアメリカ大統領 であるアイゼンハウアー Eisenhower に進言する。 このキャッチフレーズが気に入った大統領はさっそく政治用語として活用し、「インドシナ半島を失うことは東南アジアがドミノのように(ソビエト共産主義側へ)崩れ落ちる原因となる」と公式声明で宣言したのである。 この頃からアメリカ・ソビエトの両国間はまだ両陣営に属していない第三諸国が相手陣営に「落ちる fall 」ということに非常な恐怖感を覚えるようになっていたのだ。 この後、アメリカ政府内は、この理論を盲目的に信じた「最良にして最も聡明」なる人物たちに導かれ、ベトナム戦争にまっしぐらと突き進んでいく。 その当時の政治内部の様子を克明に描いたのがNYタイムスの元ベトナム従軍記者、デビット・ハルバースタム David Halberstum の主著「ベスト&ブライテスト」The Best and The Brightest (72年、邦訳:サイマル出版 76年、絶版)である。 この本はとりあえず今のところベトナム関係の政治ものとしては一番有名である。 この本と従軍記者の功績により、ハルバースタムはジャーナリストに与えられる最高名誉、ピューリッツァー賞をもらっている。彼は60年代から始まった「ニュージャーナリズム」の先駆けとしてもてはやされ、アメリカでは大変評判を呼んだ。 現在でも現役で、CNNの「ラリーキング ライブ」を始めとするトークショウによく顔を出している。彼はいわゆるNYタイムス系の「大衆寄り商業リベラル知識人」の大物である。 この本での彼の描き方であるが、要するに完全にリベラルの立場から書かれており、庶民の感覚で悪どい国家権力者を斬る、という感じである。日本向けの第二版でも「娘への手紙」という前書きで「お父さんの国の指導者がいかに間違っていたのか」ということをとうとうと述べている。 NYタイムスの従軍記者時代も現場リポートでこういう書き方をして、アメリカ政府のベトナム介入政策を批判して有名になったのだ。 これと同じようなことをして日本で有名になったのが立花隆である。 「田中角栄の金脈研究」や、一連のロッキード裁判で田中角栄を追い込んで名を上げたこの大物知識人は、実は田中角栄を辞任に追い込んだ後、このハルバースタムに会いに行ってインタビューをしているのである。 地政学から少し脱線してしまうが、これについては少し触れなければならない。 以下、次号につづく
2000/10/12(Thr) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く30 | おくやま |
スプートニクの発射がアメリカ国民を恐怖の底に突き落としたのは前に述べた。 この事件により、アメリカの国防担当の戦略家は必死に考えさせられた。しかも「地政学的に」である。 ソビエトは人工衛星を飛ばせるのである。ということは同じロケットの技術を使えば、ソ連はミサイルをアメリカ本土に飛ばすことも可能になるのではないか。 そういう理論的思考から地政学的にクローズアップされて来たのは北極海の存在である。 地球儀を想像していただければすぐお分かりいただけると思うが、実はソ連がアメリカへミサイルを飛ばす時の最短距離を行くには北極の上を通過すればすぐなのである。要するに北方面の守備固めが重要になってきたのだ。 そこでアメリカ国防省が採用したのが早期警報システム Distance Early Warning といわれるものである。略して “DEW” と呼ばれるシステムである。 これはどういうシステムかというと、北極を越えてソ連から飛んでくるミサイルをレーダー網で監視・捕捉しようするものである。後のいわゆるスターウォーズ計画のはしりと言ってよい。 具体的にどういうことをするのかというと、レーダー基地をアメリカの北、北緯55度線上に等間隔でなるべく多く配備するのである。 カナダとアメリカの国境は北緯49度線なので、それは要するにカナダの土地の中に基地を置く、という事になる。 もちろん同盟関係を組んでいたカナダは、ご主人様である覇権国アメリカの言う通りに従わなければならない。 自分の土地の一部をレーダー基地に使われようとも真っ先にソ連のミサイルの標的になろうとも、素直に言うことを聞かなければならないのだ。 アメリカにとってカナダというのはこの程度にしか思われていない属国である。 しかしカナダが他の属国と違うのは、アメリカの覇権状態から少しでも逃れようとしたたかに戦略を練っている事である。その証拠が政治に現れている。 つい先日、80年代に大活躍したカナダの元首相、ピエール・トルードーが死んだ。こちらではほとんど国葬状態だったのだがその葬式に来たメンバーの中に、キューバの独裁者カストロの姿があった。 これは何を意味するかというと、要するにカナダは、アメリカと仲が悪いキューバと昔から頻繁な国交があったのである。アメリカの属国であるカナダは少しでもアメリカの直接支配状態を逃れるため、非常に現実的に、冷戦構造の網をかいくぐって政治をしていたのだ。 日本もこのようにアメリカの覇権から少しでも逃れるためには、アメリカの嫌う国家との国交を持っていた方が良いのであろうか? 考えさせられるところである。 以下、次号につづく
2000/10/11(Wed) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く 29 | おくやま |
授業の話に戻る。 さて、アメリカ側の「封じ込め」を察知したソビエト側も、同じく「アメリカ封じ込め」を開始する。 ここでソ連の「ケナンの文書」に相当するのが、アンドレイ・ジャダノフ Andrei Zhdanov という当時のソ連の高級幹部の書いた「ソビエト政策と世界政治」Soviet Policy and World Politics (1947年9月) である。 この文書におけるジャダノフの主張は、世界は二つの陣営−−−アメリカ & イギリス主導の「帝国主義および反民主主義陣営」と、ソ連主導の「反帝国主義、および民主主義」と東側諸国の「新民主主義」陣営−−−に分かれている、ということである。 どこの国も自己を正当化させるためには「民主主義」という言葉を使いたがるらしい。 これ以降、アメリカ・ソビエト両陣営は国内に「冷戦コンセンサス」形成していくことになるわけだが、とりわけアメリカ側にとって決定的だったのはソ連の開発した人工衛星、スプートニク Sputnik の発射であった。 1957年の10月に発射されたこの人類初の人工衛星は、当時のアメリカ国民を相当ふるえ上がらせたらしい。その恐怖感は、いまだに新聞で見かける「パールハーバー」と並ぶぐらいのポピュラーな用語になっていることからも分かる。 日本でも98年の北朝鮮によるテポドン発射事件があったが、この日本国内の衝撃はアメリカの戦略家たちの間では「日本のスプートニクだ」ということで理解されたらしい。向こうのシンクタンクの書いたアジア研究の文章にはそういう風に書かれている。 とにかくアメリカ本土の上空500マイルを一日に七回も通過するのである。しかも西側の持っていない技術を使って、である。 アメリカの恐怖感やさぞかしであったろう。 以下、次号につづく
2000/10/10(Tue) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く 28 | おくやま |
くどいようだが「地政学」というのは大衆メディアと密接な関係にある。これは何度強調しても足りないくらいである。 今回私が取ったこのクラスの先生も地理学科の中の地政学の先生なのだが、専門はほぼ「メディア学」みたいなものであるらしい。彼の研究対象は主に冷戦期のアメリカ国内の言論文化形成であるそうだ。 当然の成り行きとして、私たちのクラスでも冷戦期のメディア・スタディが宿題となった。具体的に何をするのかというと、冷戦の影響を、大衆雑誌に載っている「広告」の中から探してくるのである。 私も学校の図書館に行って調べてみた。調査対象は Time誌や Life誌 など、当時の社会思想が「濃縮」されている一般雑誌である。 私が見たのは主に1950年代の、まさに「冷戦コンセンサス」がアメリカ国内で形成されつつある時期の雑誌広告であった。先生もこの時期のものはドギツくて面白いよ、と言っていたからである。 探すとけっこうあるものである。とりあえず私は52年発行のTime誌に載っていた、アメリカ鉄鋼業界の「アメリカの鉄の生産量は鉄のカーテンの向こう側の諸国の生産量の合計を足したのよりも多い」という宣伝をしている広告を見つけた。 完全に冷戦体制を意識した広告である。 もう一つは少し時代をずらして、60年代後半の市民運動盛んなころの左翼雑誌 The Nation という雑誌から、東側諸国への交換留学生募集の広告を見つけた。これは完全に当時の政府の政策と反している。さすが左翼雑誌である。 この広告調査をして気がついたことがいくつかある。やはり広告は社会を写す鏡である、ということだ。 特に面白かったのがアメリカのタバコと酒の業界のあからさまな宣伝である。マルボロマンはくわえタバコしてるし、セクシーな女性が酒を注いでいる広告もあった。最近の規制がかかったアメリカの広告状況とは大違いである。 一番笑ったのはレジ計算機の広告だった。今の計算機とは違って超大型ミシンのような感じである。はじめにパッと見た時は何の広告なのかサッパリわからなかったほどだ。 他にもいわゆる軍産複合体などの広告などが大量に目についた。例えばグラマンがジェット機の宣伝している広告や、鉄鋼鉱山業界が開発資金の投資を促しているのもあった。 このことからも、やはりアメリカも戦後の間もないころは社会体制がほぼ共産・社会主義の状態であったことがうかがい知れる。 これは社会資本を公共投資や戦争で肥大した軍事産業の方に向けないと、大戦後からの復員兵たちを食べさせていけなかったという事情があったからなのだろう。 戦後のごたごたしてる状況ではどの国もほぼ例外なく社会主義的な国家体制を取らねばならないようである。 この点では資本主義の権化といわれるアメリカも例外ではない。 以下、次号につづく
2000/10/09(Mon) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く27 | おくやま |
ここで冷戦期の大衆地政学 Popular Geopoliticsについて少し触れたい。 マッカーシーの「赤狩り」が一九五〇年代にアメリカ国内に吹き荒れたのは前述した。 これは要するに政府主導の「冷戦コンセンサス作り」だったわけだが、これと同調して、大衆メディアのほうも「冷戦の地政学」をどんどん煽るようになった。 ここで一番大きな役割を果たしたのはリーダ−ズ・ダイジェスト Reader's Digestという雑誌である。日本の雑誌で例えると「ダカーポ」みたいなものだろうか。 (リーダ−ズ・ダイジェストの最新号)
冷戦の地政学、とくに大衆地政学の分野の研究では世界権威であるジョアン・シャープ Joanne Sharp は、主著である Condensing the Cold War(冷戦の濃縮?)という本の中で、リーダ−ズ・ダイジェストが以下の点で冷戦の地政学作りに決定的な役割を果たしたと分析している。 二、特定の個人の苦労話やサクセスストーリーを紹介して読者の共感を得る。 三、くり返し・・・用語、キャッチフレーズの連呼。同様のストーリーを何度も掲載。 (ジョアン・シャープの「冷戦の濃縮」) このような編集方針で情報を「濃縮」condenseするのである。出回っている数も多いので社会的影響はバカにならない。 実際に手にとって読んだことのある方は分かると思うが、何しろコインランドリーや歯医者の待合室で気軽に読めるように作られた雑誌である。サイズも小さいしページ数も少ない。 ということは載せられる情報も限られてくるし、一方的な記事の書き方になってくる。要するに紋切り型の記事が多くなるのである。 事実、私も1年前に「レイプ・オブ・南京」の著者であるアイリス・チャンが表紙に写っていたリーダ−ズ・ダイジェスト(99年7月号)をスーパで売っていたのを見たことがある。 どういう事が書いてあるのかと思い立ち読みしてみると、案の定「日本政府はまだ虐殺事件を謝っていない云々」といった内容である。あまりに一方的書き方だったので私はすっかり呆れてしまった。 こういうような「反対の見方など問答無用」という感じで決め付けられて書かれてしまうと手も足も出ない。 恐らく当時アメリカ国内にいたソ連寄りの共産主義者も、去年の私と同じような感覚を感じたのではないだろうか。この例から類推するのは、たやすい。 かくして「悪の帝国・ソビエト」や「東側諸国の恐怖の政治体制」などの一方的な視点による政治宣伝スレスレの記事が大量に出回ることになり、完全に庶民の文化意識は「恐ソ病」をかけられてしまったのである。 つくづくメディアの力というのは恐ろしい。 以下、次号につづく
2000/10/07(Sat) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く26 | おくやま |
くどいようだが、またケナンである。 彼の「ソビエト封じ込め」論文がなぜこれほど地政学的重要なのかと考えると、以下三点の理由にまとめられる。 一、「冷戦構造の地理」を配置して特徴づけさせた。 二、理論が実際に応用された。 三、「封じ込め」という概念がシンプルであり、同時に柔軟に(あやふやに)使えた。 アメリカ政府がケナンの予想をこえてはるかに過激に実行に移したことは前にも述べた。ところがその「封じ込め」は国外の地理だけでなく、国内の政治にも適用されたのだ。 いわゆる「赤狩り」Red Purge である。 (ジョセフ・マッカーシー) この赤狩りの中心となった人物は、上の写真のジョセフ・マッカーシー JOSEPH R. MCCARTHY である。 この第二次大戦の海軍上がりの上院議員は、50年代に入ると下院・非米活動調査委員会 The House Commitee on Un-American Activities, (HUAC・ヒュ−アック)という組織を作り、ソ連側とつながっていそうな怪しい共産主義者連中をガンガン公職追放にしたのである。その数、なんと205人にのぼる。 HUACの調査は政治関係者だけでなく、メディア、特にハリウッドなどの芸能界関係などにも及んだ。ついこの間のアカデミーで名誉監督賞をもらったエリア・カザン Elia Kazan などは有名な被害者である。 リバータリアン Libertarianという、アメリカの強固な個人主義政治思想の源流を作ったアイン・ランド女史 Ayn Rand も、実は委員会まで呼び出されたことがあるらしい。少しでも反政府的な思想に対して、いかに政府が極端に敏感になっていたか、の良い証拠と言えよう。 このマッカーシーによる「赤狩り」は、マッカーシズム McCarthyism という社会現象として恐れられた。事実、やっていたことは、程度の差こそあれ、本質的にはナチスの警察「ゲシュタポ」や、戦中の日本の「特高」などの思想取り締まりと変わりない。 それがなぜ地政学に結びついてくるのかというと、じつは政府のこういう意識的な国内思想統一も「地政学」だからである。 植田氏がこの「ぼやき」のHPの姉妹サイトに現在「ワシントン・コンセンサス」という、大変興味深い論文を掲載している。この言葉の定義は植田氏によると (引用はじめ) ということである。この「ワシントン・コンセンサス」のようなものにあたるのが、この当時の「冷戦合意」 Cold War Consensus であった。その核は、ケナンの主張した「ソ連封じ込め」である。 マッカーシーは、当時のアメリカ政府内の「コンセンサス」を国内側でも実行するにあたり、かなり犯罪スレスレの強引な手段を使った。なぜなら「膨張する悪魔のソ連」という、実際にあるかどうか分からない地理概念を、政治主導で大衆レベルの人間たちに無理やり叩き込むことが必要になったからである。 そういう意味では、地政学というのは国内言論・大衆世論まで無理やり操作して巻き込んでくる「はた迷惑」な代物である。 かくして米国の国内側の「ソ連封じ込め」も完成していったのである。 以下、次号につづく
2000/10/06(Fri) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く25 | おくやま |
(マーシャル国務長官)
さて、トルーマン大統領の「トルーマンドクトリン」の追い風を受けて、1947年にフォーリン・アフェア-ズ誌に発表されたケナンの「ソビエト封じ込め案」が実行に移されることになった。 セオリー Theory(理論)が プラクティス Practice(実践)となったわけである。 ただケナンは政府の実行した「封じ込め政策」に少なからず違和感を覚えていたらしい。彼の理論よりもアメリカのとった実際の政策ほうが、はるかに徹底的で、過激だったからである。 まずアメリカは冷戦の最初の舞台となった戦後間もないヨーロッパに、アメリカの影響力を拡大・保持するため、ヨーロッパ経済復興計画The European Recovery Program という大規模な資金援助を決定する。 いわゆる「マーシャルプラン」Marshall Plan である。 この「マーシャルプラン」というのは上の写真のジョージ C.マーシャル George C.Marshall という当時のアメリカ国務長官 U.S. secretary of state によって計画されたものだった。 1947年6月5日、この計画がハーバード大学での講演で発表されるとアメリカ政府はこれをただちに実行に移し、のべ16カ国に及ぶヨーロッパ諸国へ経済援助を開始した。 「マーシャルプラン」によってアメリカからの支援を受けた国々は、ソビエト率いる東側諸国の拡大想定ルートをわざとブロックするように配置されていたのだ。ここでもアメリカの冷静な「地政学的な計算」に抜かりはない。 この計画の実行のよって生れてきた概念がある。いわゆるアメリカの支援を受けたヨーロッパの「西側諸国」(The West)という概念である。これに対してソビエト側の「東側諸国」(Eastern Power)という概念も、相対的に生まれた。 この対立を「冷戦」と名づけ、時代の波に上手く乗って描いてみせたのが、前述の名ジャーナリスト、ウォルター・リップマンである。フランシス・フクヤマが冷戦後の新しい世界の枠組みを「歴史の終わり?」で大胆に提案して有名になったのと非常に似ているパターンである。 ここで注目していただきたいのは西側諸国と東側諸国のどちらにも属さない「第三世界諸国」The Third World Countries という概念が生まれてきたことである。要するにどちらの陣営にも属さない中立国 (あるいは地帯)である。 しかしこういう「どっちつかずの状態」というのは外交戦略的に危険である。これは朝鮮半島や中東、ベトナムの例を見るまでもなく歴史が証明するところである。 よって、日本はここでハッキリとアメリカ側についたから冷戦の混乱をまぬがれることができた、といえるかもしれない。一方の勢力に完全に抱え込まれたから戦後の経済復興もあったし、それなりの平和を享受して来ることができた、ともいえる。 しかし冷静に考えれば、ついこの間まで元祖「東側勢力」 Eastern Power として君臨していた大日本帝国は、敗戦後からたった二年で、冷戦の枠組みの中のアメリカ側の地政学上の「駒」として、あっさり「西側諸国」に組み込まれてしまっていたのだ。 この瞬間から日本は国家戦略を失った、といっていいのかもしれない。
2000/10/05(Thr) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く24 | おくやま |
Critical Geopolitics(批判地政学)の話が出たのでここで少し触れておきたい。 現在の地政学の主流はこのクリティカル・ジオポリティクス Critical Geopolitics(批判地政学)であり、主に4つの分野に分かれて研究されている。 1、Formal Geopolitics(形式地政学)・・・地政学の思想や伝統などの分野。特定の知識人・戦略家・研究機関やそれらの政治・文化的なバックグラウンドなどが主な研究対象。 2、Practical Geopolitics(実践地政学)・・・特に政治家の「国政」の分野。外交政治における「実践的な地政学的理由付け」などが主な研究対象。 3、Popular Geopolitics(大衆地政学)・・・大衆文化、マスメディアなどが地政学に与える影響を考える分野。人々の間に形成される「地政学的理解」やそれによって生れる「国家意識、ナショナル・アイデンティティ」などが研究対象。 4、Structural Geopolitics(構造地政学)・・・現代の地政学を取り巻く状況を見る分野。グローバル化の「プロセス、過程」やその傾向や矛盾などが研究対象。 これらが現在の地政学の研究分野の主な4つの大きな流れである。これらの流れをまとめると、現代の「地政学」の一般的な定義は以下のようになる。 「“地球の区割り”をする政治論文、視覚化作業、そしてその構成作業のこと」 ということである。 地理学(Geography)は北米が生んだ「社会科学」(Social Science)のはしくれではあるが、どうやらその一派の「地政学」の現在の主流であるクリティカル・ジオポリティクス Critical Geopoliticsは、なんと「社会科学」という枠組みから逃れようとしているらしい。 というのも、地政学というのは 知識人・戦略家 intellectuals, 研究機関 institutions, そしてイデオロギー ideologyなどの「非物理的」な分野を扱うからである。 それは、社会現象という複雑な係数の交わった世界を、数値で計りそれを「定理」として普遍化させるという社会科学の根本的な矛盾点・限界から離れよう、という地政学の「あがき」とも言える。 ゆえに現代の地政学は純粋な科学・学問 Sceince というよりも、ただの「政治学」に近い方向を目指しているといった方が良いのかも知れない。 以下、次号につづく
2000/10/04(Wed) No.01
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Geopolitics(地政学)の授業を覗く23 | おくやま |
(ウォルター・リップマン) さて、久しぶりに勉強の話に戻りたい。 「冷戦」ということばがある。これは英語の Cold War という言葉をそのまま直訳したものであることはよく知られている。 この言葉を最初に使ったのはウォルター・リップマン Walter Lippmann というアメリカの名評論家・ジャーナリストであった。アメリカのリベラル系のジャーナリストの中では伝説的な、超大御所である。 ドイツ系ユダヤ人の子孫で、かなり早い時期から反共姿勢をとっていて、ジョンソン大統領の推進した「善良な社会」という政策スローガンは、彼の反共・反マルクス本の The Good Society (1937年) から取られたものである。 彼は1922年の名著「世論」Public Opinionで有名だが、その他にも民主党系の雑誌、ニューリパブリック The New Republic を創刊したり、当時のアメリカ大統領、ウッドロウ・ウィルソン Woodrow Wilson に政策提言をして第一次大戦後の戦後処理、ベルサイユ条約 the Treaty of Versailles の交渉にあたったりしている。国際連盟 the League of Nationsのコンセプトの元を作ったのも彼である。 彼は第二次大戦中から、早くも戦後のアメリカが国内優先政策(isolationist policy)に傾くのを恐れていたらしい。アメリカ初期のグローバリストと言えよう。 その大戦終了後すぐの1947年に出版したのが有名な「冷戦」The Cold War という本である。この本はベストセラーとなり、そのタイトル名はすぐに時代を象徴する言葉となった。 この本の中でリップマンはケナンの「ソビエト封じ込め戦略」を「戦略的な奇形」”Strategic Monstrosity”と言ってコテンパンにけなしている。要するに外交手段よりも軍事政策を優先させて「ただひたすら地政学的に封じ込める」という考えが我慢ならなかったのだろう。 このリップマンがなぜ地政学にとって重要になってくるのかというと、冷戦構造の形成に疑問を最初に投げかけ、それが現代の地政学の主流である、いわゆるCritical Geopolitics(批判的地政学)の先駆けとなったからである。 地政学におけるメディアやジャーナリストの影響は、やはり大きいと言わざるを得ない。 以下、次号につづく
2000/10/03(Tue) No.01
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