■ここは、主に副島隆彦の弟子から成る「ぼやき漫才・研究会」のメンバーが小論を掲示し、それに師や他のメンバーが講評を加えていくところです。

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(2000/09)

Geopolitics(地政学)の授業を覗く22(最終版) おくやま
ボスニア・コソボへのアメリカの軍事介入の是非を話すため「隣の家で幼児虐待を行っているとわかったらどうするか」というモデルに例えてグループで討論したことは前回述べたが、これと同じ話をカナダの友人と話した時もだいぶヒートアップしてしまった。

この友人は香港人の父とフィリピン人の母を持ち、ニューファウンドランドという東海岸のド田舎で生れた、かなり変わった出自のカナダ人である。

日本で例えて言えば、青森のはずれの村で生れ、台湾の父と韓国の母をもつ在日の人、という感じであろうか。もう随分長いこと親しくさせてもらってる。

私は例のごとくアイソレーショニスト(国内問題優先派)の立場から軍事介入は極力反対、と意見を言ったら、なんと彼は烈火のごとく私を非難し始めた。

「お前には人権 (Human Ritghts)保護の思想がないのか!」「虐げられている人々には人権があるんだ!」「なんでそんな退行的regressiveな考えなんだ!」と散々である。

元々副島氏の著作を読むくらいだし、朝日新聞などの偽善的メディアの扇動する「人権」の怪しい部分を自分なりに調べて知っているつもりだったので、こちらも負けずに「人権?それって怪しい思想だと思うぜ」と切り返した。

すると彼はますます声を荒げ、まるで私が良心のかけらもない冷血人間であると決めつけ始めた。

彼の言わんとするところは「人権というのは万人に平等に与えられているものなのだ!」ということで、まったくルソーの主張そのものである。

ここで私は切り札を出した。実はこの夏、日本に帰国した際、副島氏の弟子の方々とお会いする機会があったのだが、その中の一人に、沖縄の住民運動に関わっていた廣瀬哲雄という方がいた。専修大学の院生である。

彼は私に「いやぁ、人権が平等なんてウソだね。究極的に言えば人権の価値なんて『市場価格』で決められるんだよ」とズバリ実体験から得た知識を教えてくれたのである。

その場に居合わせたもう一人の弟子、古市蓮誠という早稲田の学生の方もそれを積極的にサポートする意見を出してくれた。いわゆる「左翼人権運動の手の内」というものを色々教えてくれたのである。

法学素人談義というサイトでおなじみの“しまげん”氏は「世界の賠償制度では、例えばある家族のお父さんを事故で殺してしまった場合、そのお父さん人が生涯稼ぐであろうという金額を家族に払う、というような、いわゆる“ホフマン式”で『人間の値段』が計算されて賠償額が決められているんだよ」ということを教えてくれた。

こういう話を聞いていたので、私はそれを切り札にしてこう言ったのである。「いや、人権平等なんてありえない。人権なんて結局は『市場価値』で決められるのだ」と。

火に油を注ぐとはこのことである。今まで見たことがないほど彼は怒ってしまった。もう本当にカンカンである。私は内心、こりゃ絶交かな、と少し心配したほどである。

しかしそれでも負けずに反論していると、彼も最後には「人権平等というのは確かに理想である」と、本当に苦々しく、渋々と、認めた。とっても悔しそうであったが、冷酷な事実には勝てないと分かったのだろう。

そして議論の終わりにぼそっと、こう教えてくれた。「人権というのは俺らみたいなカナダでのマイノリティにとっては本当に大切な社会の『理想』なんだよ」

社会的立場の弱いマイノリティ−の人々にとって、人権思想というのは、言ってみれば WASPを始めとする社会支配階級に対抗する唯一の武器である、という事情があるのだ。


以下、次号につづく

2000/09/30(Sat) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 21 おくやま
ディスカッションをするというのは、要するに自分の意見を述べるということである。

話を向けられた時ハッキリと自分の意見を言わないと気持ち悪いと思われるし、バカにもされる。この事実は最近の国際化の流れのなかで日本人の間でもずいぶんと認識が高まっている。

かくいう私も授業などではハッキリ意見を言わなきゃだめだ、と聞いていたので心の準備はしていたのだが、実際にこっちで本格的な授業を受けはじめてみてちょっと肩透かしをくらってしまった。こっちでは案外おとなしい人も多いのである。

討論すると言っても、どうやら思ったよりは「言い争う」という感じではない。実はカナダ人というのは一般的にアメリカ人よりおとなしいタイプが多いので、ディスカッションをしてもそれほどヒートアップすることはあまりないのだ。

ところが例外が2つほどある。政治思想と宗教に関してである。これだけはいつも大論争になってしまう。

私の友人で宗教哲学 Philosophy of Religion というクラスを取った人が教えてくれたのだが、ここでは授業が毎回大論争になってしまって散々だったそうである。彼はクラスに自分の居場所が無くて困ったと言っていた。

政治思想のクラスも同様で、論争がこじれてくるとかなり険悪な雰囲気がクラスに漂うという。ほとんどケンカ状態らしい。さすが政治思想や宗教で殺し合いを演じてきた文化は違う。

そのようなクラスのディスカッションと違って地政学の授業での議題というのは割合「おとなしめ」なトピックが多いのだが、それでも多少なりとも政治思想に関係しているので、たまにヒートアップすることがある。

かくいう私のグループでもアメリカのボスニア・コソボへの軍事介入の是非を話し合った時はかなりヒートアップした。

私のグループは五人で、私の他に若い中国系の男の子と女の子が一人づつ、白人のフェミニスト系な年増の女性一人、そして例の若いハイジャッカー君である。

当日ハイジャッカー君は休み。若い中国系の男の子は介入慎重派、女の子は意見ナシ、そして私は基本的に軍事介入反対(アイソレーショニスト)の立場で意見を述べていたのだが、そのフェミニストの年増女性の意見を聞いて私はビックリしてしまった。

私たちのグループではトピックを分かりやすくするためボスニア・コソボの話を「隣の家で幼児虐待を行っているとわかったらどうするか」というモデルに例えて話を進めた。

私は「いやぁとなりのオヤジ(権力者)が自分の子供(国民)を折檻してても、もしかしたらただ単にしつけてるだけかも知れないし・・・警察呼べばいいのかもしれないけど、国際社会には本当の意味での『警察』はいないしねぇ」と言った。

するとそのフェミニストの彼女は「アンタ、なにいってんのよ、積極的に介入するのよ、決まってんじゃない、アメリカの軍事力で積極的に民族浄化を防ぐのよ、なんといっても女性が強姦されてるのよ」と一気に言われてしまった。反論の余地ナシ、である。

そしてその後「女性の権利」がどうだこうだと非常に極端で典型的なフェミニストの思想・信条をとうとうと述べるのである。

そこでふと気がついた。フェミニストというのは副島氏の思想地図によれば「極左」なのだが、大ざっぱに見ると民主党系のグローバリストと、思想的に近いのである。

フェミニストはグローバリストなのだ。

以下、次号につづく

2000/09/29(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 20 おくやま
さて、必死になって宿題のノルマをこなし、講義の時間がおわると、いよいよディスカッションの時間である。

まずグループ分けである。クラスの人数が20人ほどなので、だいたい一グループ5人ぐらいで分かれて話合いが始まる。

各グループで別々のテーマを話し合うわけであるが、これは前もって決められた人が宿題の論文を読んで、その内容を元に質問を二・三個ほど作って来なければならない。

これの当番に当たってしまった人は大変である。作ってきた質問の「質」でその人がしっかり読んできたのか完全にわかってしまうからサボろうとしてもあまり手を抜けない。

各グループの討論する質問が決まり、やっと話合いが始まる。しかしこの期に及んでも読んでこない奴はやはり読んでこない。ふてぶてしい奴というのは世界共通でどこにでもいるものである。

しかし彼らが日本人と決定的に違うのは、論文の内容を知らなくてもガンガン平気で討論できることである。私は「読んでもないくせにスゴイねぇ」と心の中で舌を巻きつつ話をするわけだが、あまりのふてぶてしさに、逆に感心してしまうこともしばしばである。

話し合いでまず最初に出るのは論文への文句、いや、批判である。「何書いてあるのかよくわかんないよねぇ」とか「彼は非常に偏った見方してるよ」なんてのはザラである。彼らにとって議論の基本は「まず否定から入る」、といって過言ではない。

日本人である自分としては「ああこの論文の著者もこれ書くのに大変だったんだろうなぁ」とか、「まあよく書けてるよ」なんて誉めてあげたい気持ちになってしまう。なんと言っても著者たちは、まがりなりにも世界一流レベルの知性なのだから。

ところがこちらの大学生にかかると「世界一流の知性」であろうがなかろうが、とにかくけちょんけちょんである。一番ひどかったのはヒトラーの「我が闘争」であったが、ハンチントンの「文明の衝突」の時もかなり批判が多かった。

一通り文句を言ってそれぞれ自分なりの意見を述べ、担当の人が考えてきた質問に対する回答をグループで用意した後にクラス内で発表会となるのだが、これがまた色々あって楽しいのだ。

必ずクラスには二人ぐらい「発言好き」な奴らがいて、彼らが「発表会ジャック」をしてしまうのである。今回とったクラスはどちらかと言えばおとなしいほうだったのだが、それでも確実に2・3人はうるさいのがいた。

こういう発表会ジャックをするのは、うちの大学ではだいたい白人かユダヤ人、もしくはインド人と相場が決まっている。よく中国人や韓国人などのアジア系も議論好きだと言われるが、私は今まであまりそういった例を見たことはない。

私のグループでも金髪の白人で若い「ハイジャッカー系」のうるさい奴がいた。彼は教室にスケボーを持ちこんでくる、一見普通の、どこにでもいるちょっと大人っぽいガキンチョなのだが、議論になるとしっかり自分の意見をビシビシ言うのである。

彼は日ごろの情報収集も怠らないようで、国際関係などにはやたらとくわしい。聞いてみると「地元の新聞だと、国際ニュースが全然載ってないのでニューヨークタイムズのホームページをいつもチェックしてる。あれが一番いいね」と言っていた。

人は見かけによらないものである。

以下、次号につづく

2000/09/28(Thr) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 19 おくやま
最近授業の講義の内容の話ばかり続くので、少しこの辺りで話題を変え、クラスで行われたディスカッションについて触れてみたい。

普通の冬の授業では、3単位の授業だったら週三時間のクラスに一時間のディスカッションのクラスがついているのだが、今回の夏の授業は特別集中コースだったので、毎日の講義の後に一時間ほどディスカッションの時間が設けられた。

具体的に何をするのかというと、宿題で読んできた論文について意見を述べ、そして討論する、という単純なものである。「なんだ、そんなの大したことねぇじゃねぇか」と皆さんもお思いだと思うが、これが一筋縄では行かないのだ。意外と大変なのである。

まずその「宿題」であるが、実は読む量が(留学生にとっては)半端じゃない。だいたい一回に出される量は20ページぐらいの論文の一つか二つ分くらいである。

ある日の例でいくと、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」(89年に最初にナショナル・インタレストに載ったやつ)とサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(93年に最初にフォーリン・アフェア−ズに載ったやつ)の二つの合計30ページほどである。

私の場合、「歴史の終わり」は渡部昇一訳の日本語版で読んでいたし、「文明の衝突」は人から聞いてなんとなく内容は知っていたので、あまり細かく読まずに斜め読みする程度でごまかして授業にのぞんだが、知らない論文が宿題で出ると本当に悲惨である。

これがネイティブのカナダ人なら、別に内容を知らなくても1時間も集中して読めばなんとかなるのだろう。私たちだって、もし「歴史の終わり」や「文明の衝突」が日本語で書かれていたなら、たぶん楽勝である。

しかし私はハンデを背負った悲しい留学生。五年もいるぐらいだからいい加減読むスピードだってネイティブ並みになっていても良さそうなものだが、相変わらず読むスピードは、遅い。やはりネイティブの人間にはかなわない。

が、人間というのは環境に慣れるものである。これは個人の能力差に関係なく、本当に事実である。

私の読むスピードは相変わらずなのだが、代わりに長年の留学生活で環境適応本能として、ある超能力(?)が身についた。それはのは「何が書いてあるのか」という、論文の要点を短時間に探し出す能力である。

簡単に言えば主語と動詞を探し出すのが上手くなった、と言えるのかもしれない。特に英語は主語と動詞が文の始めのほうに来る場合が多いので分かりやすい。

それと“But” や ”Therefore” の後の、文の流れの変わり目や結論を述べる個所を探して文の大枠をつかむのである。これは何も英語に限ったことではなく日本語でも一緒であろう。

言い換えれば「こすっからくなった」と言えなくもない。テーマに関する「具体的な例」はともかく、著者の言いたいことをまず理解して、あとの細かいことは気にしない、という姿勢だからだ。自分でもこんな大雑把でいいのかな、と心配になる時も、たまにはあるが。

実はこのような超能力は、例外無くすべての長期留学生には自然とつくものである。

私も他の日本人留学生にこのようなことを聞いたことがあるが、長く滞在している人(一年以上)は皆だいたい同じような「速読力の飛躍」を体験している。

人間必死になると、どうにかなるものである。

以下、次号につづく

2000/09/27(Wed) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 18 おくやま

ここでもう一度マッキンダーの地図をご覧になっていただきたい。

私が緑色のペンで色をぬったエリアがあるが、これは冷戦時のソビエト連邦の西への勢力拡大範囲を示したものである。

このエリアは当時のイギリスの首相、ウインストン・チャーチル Winston Churchill が主張した、かの有名な「鉄のカーテン」Iron Curtain (タテの赤線で示されている)により、西側をさえぎられている。

実はこれと全く同じ形の「エリア分け」は帝国主義の時代のドイツの地政学者の間ですでに論じられていたのだ。ドイツはこの緑のエリアを完全に掌握して「地政学的に」優位に立とうと考えていたのである。

ハウスホーファーがこれをヒトラーに進言して実際に実行に移そうとしていたのは前述のとおりである。

そして大戦がおわり冷戦に突入すると、今度はソビエトがこの緑色のエリアに触手を動かしてきた。正に「目には目を」である。

私たちはここで奇妙なことに気がつく。このマッキンダーの地図、よくよく見て見ると冷戦時代の「世界の地政図」の状態とほぼソックリさんなのである。

上の Pivot Area に再び注目していただきたい。ここは当時のソビエトと、中共の一部をカバーしている。極めておおざっぱに言えば、これは共産・社会主義国の勢力の中心範囲である。

そして今度は「鉄のカーテン」(赤線)から下へ伸び、アラビア半島を斜めに突っ切り、インドを囲み、東南アジアを斜め上に上がって南北朝鮮を横断し、日本海からカムチャッカ半島へ抜けるInner or Maginal Cresent と書かれた、ユーラシア大陸を囲む半円型の大きなライン(実際に地図には書き込まれていないが)に注目してほしい。これは西側の資本主義と東の共産主義の冷戦時の「地政学上の境界線」である。

ケナンがこのマッキンダーの地図を意識していたかどうかは謎であるが、実際に彼が主張したのはマッキンダーの示した地政学的な境界線であり、そこから「ソビエトを封じ込めて一歩も出すな」ということであった。奇妙な一致と言えるだろう。

かくして帝国主義の地政学は、形を変えてながらも密かにアメリカに受け継がれていた、と言えるかも知れない。
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ここで初期の冷戦地政学の形成の要素をまとめる。究極的に言えばアメリカの冷戦姿勢を決定的にした最大の要素は、

1トルーマン大統領による“トルーマン・ドクトリン” の「自由社会への十字軍」という大義名分と、

2 ジョージ・ケナンの“ソビエト外交政策の元凶”における「ソビエトをすべての境界で完全に封じ込める」という具体的な外交政策、

の二つである。

帝国主義地政学との奇妙な一致点を抱えながらも、冷戦の地政学は確実にアメリカから形成されていったのだ。

以下、次号につづく

2000/09/26(Tue) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 17 おくやま
有名な「トルーマン・ドクトリン」のすぐあとに、こんどはケナンが決定的な論文をフォーリン・アフェア−ズ Foreign Affairs という雑誌に発表する。

「ソビエト外交政策の元凶」 The Sources of Soviet Conduct である。

これがなぜそれほど重要かというと、この論文の中でケナンは「ソビエトの封じ込め Containment」という、非常に地政学的な言葉を用いてアメリカの対ソビエト政策方針を示したからである。

しかしこの論文がそれにもまして重要なのは、これがフォーリン・アフェア−ズ Foreign Affairs という雑誌に載った、という事実である。

(最新号の表紙)

フォーリン・アフェア−ズ誌を実際に買ったことある人やホームページなどを覗いたことがある人はご存知かもしれないが、この雑誌は the Council on Foreign Relations Inc.(CFR アメリカ外交問題評議会)というところから発行・出版されている。

私もたまに図書館でコピーしたり、買って読んでみたりするが、よく日本の事が書かれているので面白い。値段は8ドル弱(US$)で、日本では確か2千円近くしたと思う。二ヶ月に一回の発行で年6冊出ている。

最近は日本語版のホームページも出来ていて、たまに翻訳された記事が半分だけ載っていたりする。興味のある方はぜひチェックして頂きたい。

さてこの発行元のCFRという機関なのだが、副島氏の著作によれば「アメリカの財界人政治ロビー団体であり、日本の『経団連』のような組織」(前掲書290p)ということである。地政学の教科書には「ニューヨークの銀行家たちの私的な会合クラブ」 a private meeting club of New York bankers (Tuathail,9p)と書かれている。

ユダヤ陰謀説を唱える人たちは「これがユダヤ世界制覇の総本山だ」というような捉え方をするようであるが、一体ほんとうのところはどうなのであろうか。

石油王・初代ロックフェラーが作った団体である、という話もこのホームページ上で論じている人がいたが、私はよく知らない。

ただ一つだけ確実に言えることは、ここで論文を発表する人たちは概して「アメリカが世界を積極的に統治・管理していこう」という立場の、いわゆる「グローバリスト」の立場であり、アメリカの外交政策決定スタッフ、もしくはそれらの人たちと太いパイプを持っている立場の人々である、ということだ。

実はケナンもこの論文を発表した当時は政府の政策企画スタッフ Policy Planning Staff として国務省総務 Director of State Dept.のもと、アメリカの外交政策に実際に関わっていたのである。

ちなみにこの論文が載った時、ケナンの名前は伏せられていたらしい。“Mr.X” という匿名 pseudonym で論文は発表されたが、分かる人には分かっていたようである。

しいて日本人でいえば、国際連盟脱退をした全権大使の松岡洋右のような人、と言えるかもしれない。

以下、次号につづく

2000/09/25(Mon) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く 16 おくやま
(ジョージ・ケナン)

ジョージ・ケナンは1904年2月16日、アメリカのウィスコンシン州生れで現在なんと96歳の現役のおじーちゃんである。

プリンストン大学 Princeton Universityで歴史、特にヨーロッパ近代史を専攻して卒業後、なんと22歳の若さでいきなり外務省 Foreign Serviceに入っている。よっぽど優秀だったかコネ pull があったに違いない。

翌年からすぐスイスやポルトガルなどのヨーロッパ各地で外交官 Foreign service officerを勤め始め、終戦間もない1946年2月、病床に伏していたモスクワから約8千字に及ぶ有名な「長い電報」 Long Telegram をアメリカに送っている。

この電報の内容は「ソビエト連邦は歴史から見ても地理的に領土拡張する傾向があり、現在もその動きが起こりつづけていてとても止められるものではない」ということだった。

この電報を受け取ったアメリカ議会はちょっとしたパニックに陥り、政府はすぐさま反ソビエトの政策方針を固め、結局それが当時のアメリカ大統領、ハリ−・トルーマン Harry Truman の有名な「トルーマン・ドクトリン」The Truman Doctrine につながっていく。

この「トルーマン・ドクトリン」が地政学的になぜ重要なのかというと、これが冷戦地政学形成のためのアメリカ側の「思想と大義」を決定したからだ。

このスピーチの中でトルーマンが述べたことは「ギリシャとトルコが現体制を支えられずにソビエト寄りの共産主義者の手に落ちてしまう。アメリカは自由社会の十字軍 crusade としてこれらの自由主義の国々を支援しなければならない」というものであった。

それは要するにこれからの世界はアメリカ型自由社会 vsソビエト型の全体主義という二分化構造である、と国際社会に向って定義することと同じである。

その上、トルーマンはここでアメリカ寄りの自由主義国家体制を支援することが「国家存亡に関わる危機」 "national security" であるとした。アメリカの危機は世界の危機であるとする、いわゆる「アメリカ=世界の警察官」思想の登場である。

このトルーマン・ドクトリンとほぼ時を同じくしてケナンは「ソビエト政策の元凶」 the Sources of Soviet conduct という超有名論文を発表する。

このケナンの論文と「トルーマン・ドクトリン」がその後40年ほど続く冷戦地政学の構造を、ほぼ決定的にしてしまったのだ。


以下、次号につづく

2000/09/23(Sat) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く N おくやま
さてここでA Cold War Geopolitics (冷戦の地政学)の代表選手たちを列記しておきたい。

1、Harry Truman ハリ−・トルーマン
2、George Kennan ジョージ・ケナン
3、Henry Kissinger ヘンリー・キッシンジャー
4、Ronald Reagan ロナルド・レーガン

などなど、いまさら私が説明する必要のないくらいの大物メンバーばかりである。よって今回の冷戦地政学ではあまり個人の紹介には立ち入らずに、地政学に関することに集中して話を進めてゆきたい。

第二次世界大戦で輝かしい勝利を収めたアメリカは、大戦後、突然自分たちが「世界一の国」になってしまったことを自覚する。

建国してそれほど経っていない「新興国」であるのに、いつのまにか世界最高の資産・武器・テクノロジーを全て手に入れてしまったのだ。これは当のアメリカ指導部の人たちも結構ビビッてしまったらしい。

そしてその戸惑いは一種の不安を呼びこし、ドイツにかわる新たな敵としてソビエト連邦の存在がクローズアップされてくる。

実は戦後すぐの時点でアメリカ国内世論はそれほどソ連に対して敵意むき出しだったわけではない。社会・共産主義を礼賛していた人々も多数存在したようである。共産主義の機関紙も多数存在したという。

その一つの例としてパルチザン・レビュー Partisan Review という雑誌が挙げられる。当時のかなり優秀な左翼系知識人がこの雑誌に総結集していたことは副島氏の著作「世界覇権国アメリカ〜」(36p)にくわしい。

私も試しに先日買ってみたのだが、「結婚しよう」などの一連の著作で有名なジョン・アップダイク John Updike が 詩 poetry を載せたりしていた。今は年四回の季刊誌となってしまって当時の勢いみたいなものは全く感じられない。ちなみに値段は一部US$6だった。

さてそんなソビエトに恐れを抱きながらも魅力を感じていた知識人がアメリカにまだ多くいた終戦後の雰囲気を打ち破ったのがジョージ・ケナン George Kennan のソ連からの一本の公式声明 communiqueであった。有名な ロング・テレグラム the Long Telegram である。

西洋社会というのは時として一本の公式声明が実際に政治を動かすのだ。

以下、次号につづく

2000/09/22(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く M おくやま
A Cold War Geopolitics (冷戦の地政学)はアメリカのドイツ地政学の徹底研究から始まったといっても過言ではない。

Center for Strategic and International Studies (略称 CSIS) という有名なシンクタンクが、ワシントンDCのジョージタウン大学Georgetown University の中にある。

副島氏の著作「世界覇権国アメリカ〜」によるとここは「新保守主義」(ネオ・コンサヴァティヴ)の牙城で、アメリカの世界戦略を次々と生み出してきた名シンクタンクなのだが(p.416〜15)、実はこのCSISの前身ともいうべき the School of Foreign Service(国外政策学院?)が戦後すでにジョージタウン大学内に設立されていたのだ。

その施設の創始者であるイエズス会 Jesuit の神父、エドマンド・ウォルシュ Edmund Walsh はベルリン崩壊の後、戦争犯罪人としてとらわれの身であったハウスホーファーに会いに行っている。

表向きはハウスホーファーがどれだけナチスの政策に関わっていたかを調べるためインタビューを行う、ということだったらしいのだが、実はどうやらドイツの「帝国地政学」のエッセンスを学び取ろうとして情報収集にいったらしい。

そういえばこのウォルシュという神父が属するイエズス会 Jesuit というのはどうも怪しい団体である。日本にもフランシスコ・ザビエルという宣教師が秀吉・信長の時代に初来日していたのは有名な話だが、そういえばそのザビエルが属していたのもこのイエズス会 Jesuit だった。

私は陰謀史観を云々するつもりは全くないのだが、ここらへんの符合をみるにつけ「どうもイエズス会は怪しい」という風に思わざるを得ない。これはただ単なる気のせいなのだろうか。

西洋の歴史を垣間見ると、キリスト教の宣教師が所々の重要な場面でスパイまがいスレスレのことをしている場合が多々見受けられる。これは覆い隠せない事実である。

かくしてイエズス会の神父が持ち帰ったドイツ地政学のエッセンスがアメリカの世界戦略に少なからず影響を与えることになったのである。

以下、次号につづく

2000/09/21(Thr) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く L おくやま
ここで簡単に@「帝国主義の地政学」のおさらいをしておく。
主要人物とその要点は以下のとおり。

1, Friedrich Ratzel フリードリッヒ・ラッツェル “LEBENSRAUM”(生存圏)、「国家は生きている有機的組織体」

2, Rudolph Kjellen ルドルフ・チェ−レン ”a state is a person” 「国家は一個の人である」=国家擬人化、“Geopolitics”という言葉を初めて使用

3, Halford Mackinder ハーフォード・マッキンダー Landpower / Heartland (陸軍力・ハートランド)、“The Geographical Pivot of History” 「歴史の地理的要点」での地政学の図式化、「コロンブス後の時代」

4, Karl Haushofer カール・ハウスホファー Landpower / Heartland (陸軍力・ハートランド)「地政学ジャーナル」“Geopolitik”ドイツの地政学を創始。ヒトラーの「我が闘争」に影響

この他にアメリカ海軍の Alfred Mahan アルフレッド・マハン の “Sea Power”(海軍力)や Nicholas Spykman 二コラス・スパイクマンの “Rimlands” (周辺地帯?)などがあるがここでは詳しくは触れない。

さて、第二次大戦が終わるとさっそくアメリカは「歴史の研究」を始めた。そして「なぜドイツがあれほど強かったのか?」ということを徹底的に分析しぬいた結果、ドイツが地政学の研究機関 Instituteをもっていたからだと分かったのである。

この時からアメリカでは他国の site of power「権力機関」を徹底的に研究する伝統が生れたようだ。そしてそれは現在まで実に脈々と引き継がれている。

それは例えば80年代に入ってから日本の通産省(MITI)がアメリカ政府に悪の権化のように思われて探りを入れられたことと同じである。

毎年のように貿易黒字をたたき出す日本の民間産業の政策指導をする通産省に対し、当時のアメリカの政策立案者たちは、日本側からすれば想像もつかないようなほどの恐怖感をもっていたらしい。

その後、90年代に入ってからはそのターゲットが大蔵省に変わったという事実が、どうも最近明らかになってきつつある。

とにかくアメリカは戦後すぐにドイツの地政学一派の優秀さに恐怖しつつも尊敬しながらその良いところを貪欲に学んでいったのである。

輝かしい勝利を収めてもその勝利に酔わずに冷静に分析を始めるその姿勢こそが、世界覇権国を狙うアメリカの凄さである、といえる。

以下次号につづく

2000/09/20(Wed) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く K おくやま
ハウスホーファーの功績はなんといっても「地政学ジャーナル」 Zeitschrift fur Geopolitik という地政学初の学会誌を1924年に創刊し、Geopolitik (ゲオポリィティック)という学派を立ち上げ、地政学を初めて単独の「学問」として確立したことである。

地政学の先駆者たち(ラッツェル、チェ−レン、特にマッキンダー)に大きく影響された彼は、下記の地政学の方程式に取りつかれるようになった。それは

(ドイツの鉄道・機械・工業力)+ (ロシアの地下資源・人民の労働力)= 揺るぎ無いドイツ(第三)帝国の確立

ということである。元々マッキンダーは「この方程式のバランスを大英帝国こそが率先して崩さなければならない」と主張したわけだが、ハウスホーファーはライバルである英国のアイディアを逆にそっくりそのまま利用したのだ。

特にマッキンダーが提起した「鉄道の重要性」をドイツは重く受け止め、徹底的に補強した。

ヒトラーと Landsburg prison ランズバーグ 刑務所で運命の出会いをしたハウスホーファーは、この「地政学の法則」をヒトラーに教示し、それに影響されたヒトラーが1924年の7月書きはじめたのが Mein Kampf (我が闘争)である。

この本におけるヒトラーの地政学最大の貢献(?)は "Us" と "Them" の使いわけである。この「自分たち」と「彼ら」の言葉の使い分けは、実は現在の国際関係にまで綿々と受け継がれる、地政学が生み出した伝統、といえるだろう。

余談ではあるが、イギリスの有名バンドのピンク・フロイド Pink Floyd に ”Us & Them” という有名な曲がある。このヒトラーの言葉と関係あるのかは、知らない。きっと冷戦状況下での ”Us & Them”なのだろう。

さて、この「地政学の法則」を盲目的に信じていたハウスホーファーが陥った地政学上のワナが三点ある。そしてそれらはひるがえってマッキンダーの見逃していた要素であり、それらは最終的にドイツ第三帝国の敗北をもたらすものでもあった。

その三点とは ・・・1、アメリカの勃興 2、Airpower 空軍力 3、通信技術の発達 である。地政学とは常に新しい地政学的要素のもつ様々な影響を徹底的に考える闘いなのだ。

そして当然この三点の「地政学上の新要素」を見逃していたドイツは戦いに敗れた。その上、自慢の鉄道による兵力輸送は、フランス軍がタクシーを使って前線に部隊を集中するという暴挙(?)に出たりして戦ったため、ドイツ軍は散々な目にあっている。

かくてヒトラーは爆死し、ハウスホーファーは腹を切って、帝国の地政学はついに幕を下ろした。そしてこの伝統を受け継いだのは、ドイツの地政学を打ち負かし、大戦後すぐにソビエトとの「冷戦」という新たな戦いに突入したアメリカ自身であった。

つくづく歴史というのは皮肉なものである。

以下、次号につづく

2000/09/19(Tue) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く J おくやま
カール・ハウスホーファー Karl Haushofer(1869〜1946年)はミュンヘン生れ。1919年、50歳のときにドイツ陸軍の参謀を勤め上げて退役し、政治地理学者になったという変わり者である。退役した時のランクは Major General である。(日本語では「大参謀」とでもいうのだろうか?読者のかたにご教示願いたい)

マッキンダーが地政学でいうところの「ドラえもん」の立場だとすれば、このハウスホーファーは、さしずめ「スネオ」のような存在であろうか。なぜならドラえもんの「道具」(地政学の学問知識)を「ジャイアン」たち(ヒトラーやヘス副総統などのナチス連中)をそそのかすことによって悪用させたからである。

この「スネオ」は、実は日本と深い関係がある。1908年〜1910年の間に日本に滞在し、日本陸軍に砲術 artillery を教えているのだ。

これを期に彼は東洋に魅了され、日本のみならず中国や朝鮮半島にも足をのばし、後にヒンズー教や仏教の経典をドイツ語に翻訳したりしている。元々学生のころに有名な哲学者ショーペンハウアーの優秀な生徒でもあったので、東洋になにか神秘的なものを感じていたらしい。

日本語のみならず中国語や朝鮮語をも自在にあやつれたハウスホーファーは、当然日本の軍事参謀とも深い親交があり、日本とドイツの同盟関係作りに多大なる貢献をしたようである。

特に日本の兵隊のサムライ的な節度や従順さには深く感動し、日本におけるドイツの影響などについて博士論文を書いたりしている。

彼の日本好きは相当なものだったらしく、ニュルンベルグの裁判が行われる直前には、なんと切腹{hara−kiri)して自害している。スネオもかなり見上げたものである。

のちのナチスの副総統、ルドルフ・ヘスRudolf Hessはハウスホーファーの第一次大戦の東部戦線のときの舎弟であり、戦後すぐ退役してミュンヘン大学の教授になったハウスホーファーを追いかけて生徒になっている。

後に政治活動で捕まって牢獄に入っていたヘスは、見舞いに来た恩師ハウスホーファーを、同じく牢獄につながれていたヒトラ−に紹介している。

これが後にヒトラーの「我が闘争」の思想の土台を形作る為の運命の出会いであった。

以下、次号につづく。

2000/09/18(Mon) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く I おくやま
(マッキンダーの肖像画)

このマッキンダーの論文の主張の要点を簡潔に述べると「歴史と共に、もう一回よく地図を見ろ!」の一言に尽きる。しかもそれを図で視覚的に訴えて説明したのでとても説得力があったのだ。

これはまさに副島氏がアメリカの政界の全体の様子を「思想地図」におきかえて描いてみせたやりかたと同じである。「百聞は一見にしかず」なのである。

まずその「歴史」であるが、マッキンダーは世界(西洋)の歴史を

一、コロンブス前の時代 Pre−Columbian(アジア人のヨーロッパ侵攻/機動力=馬やラクダ/アジアの草原部族の陸軍力 landpower)

二、コロンブスの時代 Columbian(ヨーロッパ人の海外進出/機動力=船舶/ヨーロッパ帝国の海軍力 seapower)

三、コロンブス後の時代 Post−Columbian(限られたスペースでの相対力争い/機動力=鉄道/ハートランド支配者の陸軍力 landpower)

と大きく3つに分け、現代は「三、コロンブス後の時代」だとして、鉄道と陸軍力を強化したものが世界を制するとした。

次に上記の歴史区分を踏まえた上で、さらに踏み込んで、マッキンダーは「ヨーロッパの権力闘争は太古の昔から、実はハートランド heartland の支配をめぐる争いなのだ」と説明した。

少し長いが、この時の彼の有名な言葉が、

Who rules East Europe commands the Heartland;
Who rules the Heartland commands the World-Island;
Who rules the World-Island commands the World.
東ヨーロッパを支配するものがハートランド(中核要地)を統率し、
ハートランドを支配するものが世界本島を統率し、
ワールドアイランドを支配するものが世界を統率する

である。マッキンダーがこのハートランドのコンセプトを説明した際に使用した地図を見ていただきたい。

この地図で ”Pivot Area”と書かれている、現在のロシアの大部分にあたる領域が、マッキンダーによると世界支配のための「要地」なのだ。

ここで地政学は「実在事実」とは関係なく、「政治的地理現象」や「政治的地理コンセプト」を大衆に分かりやすく説明する役割を帯びてくる。

このマッキンダーの説に完全にノックアウトされてしまったのがドイツの地政学者で「ヒトラーの茶坊主」と噂される(かどうかは知らないが) 4, Karl Haushofer カール・ハウスホーファーである。

以下、次号につづく。

2000/09/16(Sat) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く H おくやま
マッキンダーはこの「貴族の探検クラブ」であるRGSの支援を受けて、彼の地理の知識を活かしながら、1899年当時 ”British East Africa” 「英国領東アフリカ」と呼ばれていた現在のケニヤにあるケニヤ山 (Mt. Kenya)への登頂を成功させている。

しかしこの年は、くしくもダイヤの鉱山の権益をめぐるボーア戦争 the Boer War (1899〜1902年)が現在の南アフリカ周辺で勃発していた。

自分の登山の成功と、大英帝国軍対オランダ系移民の子孫の「半アフリカ原住民」との間の思わぬ苦戦、という二つの対照的な事件から、マッキンダーはますます「大英帝国には地理を政治に直結させる知識が必要だ」と確信するようになったらしい。

余談ではあるがここで英語圏での19世紀後半から20世紀前半にわたる、一連の有色人種社会の勃興についての西洋社会側の歴史観についてふれておきたい。

日本の歴史の教科書は日露戦争(1904〜5年)の世界史の中の重要性を教えていない。これは国際的に見てもその通りだと思う。

しかし渡部昇一氏などが主張するように「日露戦争こそが、人種差別の世界をたたきこわす最初の原点となった」というのも、どうやら的を得ていないらしい。

実はこちらの考えではこの「ボーア戦争」と「日露戦争」という二つの事件(本当はもう一つ他の事件があるらしいのだが忘れた)が、なんとお得なバリューセットになって(?)「白人優越社会の終焉の予兆だった」と見られているらしいのだ。

日本が当時のハイテクを駆使して戦ったあの日露戦争でも、英語圏ではどうやら南アフリカの半土人の反乱と同列にとらえられているのである。なんともまぁ悲しいことだ。

話を元に戻す。オックスフォードで自分の学派、「新地理学」”New Geography” を旗揚げしたマッキンダーは、”The Geographical Pivot of History” 「歴史の地理的要点」をという有名な論文を1904年に書き上げる。

この中で彼は地政学の必要性を、それを世界史と関連させて、論理的に、かつ鮮やかに説明しまくったので、当時の世界の地政学者たちは、もうメロメロに参ってしまったのだ。

以下、次号に続く

2000/09/15(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く G おくやま
2, ルドルフ・チェ−レン Rudolph Kjellen (1864〜1922年)はなんとスウェーデン人である。もともとはスウェーデンの保守派の政治科学者 political scientist らしいのだが、同じ保守の立場から、後にナチスを熱狂的に支持したらしい。

この人物がなぜここで重要なのかといえば「国家は一個の人間である」a State is a person という概念を明確に表明して、国家を初めて「擬人化」したことと、”Geopolitics” という言葉を歴史上初めて(1899年)使ったからである。要するに最初に「地政学」の看板をかけたのだ。

彼の ”Geopolitics” の定義は少し長いのだが

"the science which conceives the state as a geographical organism or as a phenomenon in space"
国家を地理的有機物、もしくは地表域における現象として捉える科学(学問)

ということである。国家をあくまでも「実在物」として考え、それを科学的に地理分析すること、といったところであろうか。しかしまぁ定義というのは、日本人である私にとっては、なんとも面倒くさいものである。

3,のハーフォード・マッキンダー Halford Mackinder(1861〜1947年) がこの帝国主義地政学の「真打ち」である。彼は生っ粋のイギリス人だが、彼の思想・業績は海をこえて、実はライバルのドイツ帝国の地政学者たちに最も大きな影響をあたえた。

その彼のキャリアは1887年、当時25歳の若さでオックスフォード大学で教鞭をとったことから始まる。

この時に彼を推薦・支援したのは 王室地理協会 Royal Geographical Society (RGS)という、1830年に創設された上流階級の探検家クラブで、これは大英帝国植民地政策へのシンクタンク的な役割も果たしていたらしい。

世界的に有名なロイズ保険が貴族の社交クラブのようなかたちで発展していったのと同様、イギリスにはどうもこういう「貴族クラブ」のたぐいが古くから経済・政治的影響力を持ちつつ、今の社会基盤を形成したような痕跡がある。

以下、次号に続く


2000/09/14(Thr) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く F おくやま
よってこの時代の Imperialist 帝国主義者 たちの間の一般的な Geopolitics「地政学」の定義は

knowledge that dealt with the relationship between the physical earth and politics.
自然地表面と政治とのあいだの関連性を扱った知識(学問)

ということで理解されていたという。

このドイツの「政治と地理の科学的分析をする戦略家を集める」という国家方針は他の列強にも影響を与え、これがT・ル−ズベルトの時代にアメリカが国防省(ペンタゴン)を作るきっかけとなったらしい。アメリカはドイツからけっこう「良いとこ取り」してるのだ。

ここまで簡単に触れられたあと Imperialist Geopolitics (帝国主義の地政学)の形成に多大なる影響をおよぼした「賢人」 Wise Men と呼ばれる代表的人物たちが紹介された。

1, Friedrich Ratzel フリードリッヒ・ラッツェル
2, Rudolph Kjellen ルドルフ・チェ−レン
3, Halford Mackinder ハーフォード・マッキンダー
4, Karl Haushofer カール・ハウスホファー

彼らは知る人ぞ知る、そうそうたるメンバー・・・らしい。ちなみに私はこのうちの誰一人として知らなかった(苦笑)。この中で一番重要なのは 3のマッキンダーである、とのこと。ではまず Ratzel の紹介である。

フリードリッヒ・ラッツェル Friedrich Ratzel(1844〜1904年)はドイツの地理学者で、社会ダーウィニズム Social Dawinism に大きく影響される。この人はもともと左寄りのリベラル派だったが、後に保守に転向した。

主著 「政治的地理学」“Political Geopgraphy”(1897年)の中で、「(ドイツ)国家は生きている有機的組織体」the state is a living organism であるとして、優秀な国家は必然的に "LEBENSRAUM" = Living Space (生存圏) をより多く求めるようになるのだ、と説いた。

それは要するに「国家は生き物で、領土はその身体である」ということだ。ラッツェルは社会ダーウィニズムに「スペース」が考慮されていない点を突いて自分の理論としたのである。

ここで注目すべきは、彼が「国家は成長とともに領土も大きく拡張してゆくのが『自然界固有の法則』 Natural Law である」と主張したことである。西洋社会の伝統的思想の「自然法」がここでも出現してくる。

もちろん彼の「論理的」主張を聞いた当時のドイツ人はヤンヤヤンヤの大喝采である。かくして帝国主義の領土拡張への野望は正当化された。

以下、次号に続く

2000/09/13(Wed) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く E おくやま
授業が本格的に始まった。まずは@ Imperialist Geopolitics (帝国主義の地政学)からである。

やはり地理学の中でも地政学というのは歴史の要素が大きいので、まずは当然その起源・由来の説明から入る。

そもそも地政学という学問・概念が生れた元のもとをたどっていくと、最終的には近代国家の誕生に結びつく。

その近代国家の枠組みが初めて本格的に誕生したのは 1648年の 「ウェストファリア講和」 the Peace of Westphalia からであり、これは「ドイツ三十年戦争」というヨーロッパ最大にして最悪の宗教戦争の、いわば尻ぬぐい協定である。

この協定からいわゆる「王権」がヨーロッパで初めて規定され、多国間協定 mutli-polar Treatyが起用されるようになり、これが現在の国際関係の基礎となっていったらしい。これはそんなに古い話ではなくて、日本でいえばつい江戸時代の始めごろの話である。

しかし、このころから冷酷な国際関係というものを肌で感じながら必死で共存しているヨーロッパ諸国と、ただ太平をむさぼっていただけの日本の差は、やはり大きいといわざるを得ない。

19世紀なかごろになって産業革命 Industrial Revolution が本格的になると大英帝国が勃興してくる。そしてヨーロッパ大陸側からライバルとして「待った」をかけてきたのが、カイザー・ヴィルヘルム率いるドイツ帝国である。この2国間の競争が、地政学を生み出す原動力となったらしい。

伝統的に「ドイツ参謀本部」という現在の軍事シンクタンクの先駆けのようなものを組織していたドイツは、1891年にシュリーフェン伯爵(von Schlieffen)が参謀総長に就任すると、”Geography” = 地理学を Science として参謀本部に本格的に導入する。

各国もこれに続き、19世紀末にもなると激しい植民地争いなどから、愛国精神が奨励され、ダーウィンの生命発達理論から拡大された「国家の社会成長」 Social Evolution of State= 国家も弱肉強食状態である、という概念も一般的になってくる。

しかしこの頃にはすでに世界のあらかたの「空き地」は植民地化されてしまい、列強はこの地球という閉鎖構造 Closed System のなかで、自国の "efficiency" (効率)"position"(位置) "military power"(軍事力)のみを追求していかなくてはならない状態に追い込まれてしまった。

ここで列強の Intellectuals (戦略家・参謀・知識人たち)は、距離をおいて、あたかも「神の目」で世界を見るように、地理を科学的に、そして政治的に捉える研究を始めたのである。

以下、次号に続く

2000/09/12(Tue) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く D おくやま
ところがこの Geopoliticsという言葉の定義は、実は時代と共にまるっきり違う意味や使われかたをしている。そして、それは一体なぜなのか、と考えるのが、そもそもこのコースのメインテーマでもあるのだ。

大きくわけてこの ”Geopolitics”という定義の違いは5つの時代区分に分けられる。そしてそれそのものが定義の論点(discourse)の違いとなっており、授業はそれを順に沿って見ていくことで進められる。

その大きな時代区分(=論点)は以下の通りで

@ Imperialist Geopolitics (帝国主義の地政学)
A Cold War Geopolitics (冷戦の地政学)
B New World Order Geopolitics(”新世界秩序”の地政学)
C Environmental Geopolitics (環境の地政学)
D Anti-Geopolitics (反−地政学)

となっている。

ここで今回の授業で使用されたテキストを紹介しておく。今回授業で使用されたのは以下の合計2冊で、普通の冬のコースではこれに多少の副読本が加わるらしい。

−Tuathal, G.O., S. Dalby, and P.Routledge (eds) (1998) The Geopolitics Reader , London: Routledge.

−Tuathal, G.O., S. Dalby (eds) (1998) Rethinking Geopolitics, London: Routledge.

同じ出版社から同じ人物たちが出しているのだが、これはこの新分野の学問の最高峰が、この Tuathal トール氏 と Dalby ダルビー氏だから、ということだからであろうか? そこまで詳しくは、私も知らない。ただ今調査中である。

ちなみにその著者たちを紹介すると、トール氏は現在アメリカの Virginia Tech バージニア工科大学の地理の助教授、ダルビー氏はカナダの首都オタワにある Carleton University カールトン大学の助教授である。

なんといってもこのテキストに集められている論文の内容のレベルの高さが、そのまま日本と世界の(主に文系の)大学教育の差だ、というのが私の正直な感想である。

例えば@の「帝国主義の地政学」の代表的なところでは、ヒトラーの「我が闘争」や T・ルーズベルトの演説教書、Aの「冷戦の地政学」からはジョージ・ケナンが匿名で出した「ソビエトの行為の原因」やトルーマン大統領の「トルーマン・ドクトリン」、Bの「”新世界秩序”の地政学」からはフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」やハンチントンの「文明の衝突」など、19世紀から20世紀にわたって世界の歴史を動かした超豪華絢爛・有名論文の数々が、原文もしくは抜粋文のかたちでそのまま掲載されているのだ。

しかもちょっと大きめの書店に行けば一冊めの The Geopolitics Reader のほうは普通に手に入る代物である。値段はカナダドルで確か35ドル(3000円ちょっと)くらいだったと思う。近くの本屋でたまたま見つけた時はちょっとビックリした。

要するに、大学で使われるテキストなのに、立派に市場価値 market value があるのだ。

以下、次号に続く

2000/09/11(Mon) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く C おくやま
まず授業が始まって一番最初に行われたことは ”Geopolitics”(地政学)という言葉の デフェニション Definition (定義)の議論からである。

こちらの地理の授業では、この「用語の定義」に、もう本当に、やかましいくらいにこだわる。これは特に優秀な先生であればあるほどこの傾向が著しい、といえる。

やはり Geography 地理学も北米では Social Science (社会科学)の ”はしくれ” なので、科学的な厳密さを追求していくとまずその前提として、使用される言葉や用語の定義づけにたどり着く。ここがあやふやだとそれに続く議論・研究が足元から崩れてしまう、という恐れがあるからだろう。

これはやはり西洋文化のDNAに染み付いた伝統、といえるのかもしれない。古くはギリシャの哲学者ソクラテスが、有名な Apology (弁明)で処刑される前に徹底的に論じたことから始まるのだろう。

ところが日本人には、なぜ彼らがこんなにしつこくの定義づけにこだわるのか、が理解しづらい。日本人は昔から、人間の最後のところでの「以心伝心」を信じる傾向があるし、そもそも議論というのはムダで、空しいものだ、という考えが伝統的にある。

そういえば「神とは何か?」という問いを一生涯かけて考え抜いたトマス・アクイナスという中世のカソリックの偉いお坊さんがいたが、この人は「神学大全(スンマ・テオロジカ)」という、「神の存在」なるものを定義・証明する大著を、結局は完成させられずに死んでいる。

このオッサン、最後にはこの本で「神」を理論証明するのが虚しくなって、死ぬ直前には本も書かずに隠居して瞑想の毎日を送ったらしい。

ここまで徹底的にやってむなしくなってしまったのはまあ極端な「究極のケース」といえよう。しかし日本人の場合は部族特有の「まじない的直観」から、「しっかり定義づけして議論をする、というのは究極的に言えば虚しいのではないか」ということをうすうす感づいているせいかどうかは知らないが、まず議論をすること自体が危険行為、というようなところがある。

が、やはり定義にこだわりそれについて議論する、というのは西洋学問を厳密に追求する上では基本姿勢となるべきことである。日本で行われる学問の場合、そもそもまずこの定義づけそのものを軽視している場合が多いのではないか。

さて、一番最初に授業で論じられた定義、 Geopolitics =地政学 についてだが、この「地政学」という言葉はまだ実際にハッキリとした定義はなく、とりあえず広義的には

A general concern with geography and politics 地理と政治における広範囲にわたる考察(の学問)

となっているようだ。

以下、次号に続く

2000/09/10(Sun) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く B おくやま
まずクラスに入るとパっと目に付くのは人種構成である。

カナダはアメリカと同様、移民からなる多民族国家であり、私がいつも受けている地理のクラスだと人種構成は白人が5割、中国系もしくはインド系が3割、その他(日本人を含む)が2割、という感じだ。

これがアメリカだと黒人系・ヒスパニック系の割合がぐっと多くなるらしいのだが、カナダの西部という地理的環境からここの大学ではアジア・インド系が非常に多い。すぐ南のアメリカの町、シアトルに比べてもこの差は歴然である。

ここで興味深いのは人種構成の割合がクラスによってドラマチックに変化することである。例えばビジネスや経済系のコースを覗いてみるとアジア系の割合がぐっと増える。これはどうやらアジア系が Practical (実用的)なものを好むということと関係あるらしい。

考えてみれば確かにアジア系の人々は白人たちに比べて北米の新天地で生活をスタートさせる際の状況が悪い。元を辿ればみんな移民の子なのだが、特にアジア系というのはつい最近祖国の状況悪化から逃げてきたというパターンが多く、それゆえ自分の子供に学問をさせる場合も、なるべく金を稼げるような実用的な方面にいかざるを得ないようである。

けっこう金持ちそうな中国系の友人に「お前なんでビジネス取ってんの?」と聞くと「親に言われたからだよ」というパターンが、やはり多い。儒教文化の影響もあるのだろうか。

しかしインド系の友人に聞いてもだいたい同じ答えが帰ってくる。結局はアジア系のマイノリティは、その祖国が悲惨であればあるほど(?)実用的な学科を選ぶ傾向がある、というのが一番無難な答えのようである。

というわけであまり実用的ではない地理関係のクラスには必然的に白人の割合が多くなる。しかしこの地理をとっている白人たちの中に、実はトップレベルの、ものすごく頭の切れる人間が多くいる。実は Geography(地理)も北米で発達した Sosial Science(社会科学)の一翼を担っているのだ。

話を元に戻す。クラスの規模であるが、普段の冬のクラスだと100人ぐらいの大人数のときもあるが、夏クラスはだいたい小規模で15人ほど。今回のこのクラスでは白人が半分の8人くらい、中国系3人、インド系1人、そして珍しいことに日本人が私を含め2人もいた。地理は日本人にとってあまり人気のあるコースとは言えない。

まず席につくと Course Outline(コースアウトライン)もしくは Syllabus(シラバス)という、細かい授業日程や、使用されるテキスト、それに点数評価の配分割合などが詳しく書かれている、コース全体の概要を記したプリントが配られる。

コースについての説明が終わった後いよいよ授業開始となる。

以下、次号に続く

2000/09/08(Fri) No.01

Geopolitics(地政学)の授業を覗く A おくやま
くわしい授業内容の説明に入る前に、まず北米の大学で Geopolitics(地政学)がどのような位置づけの学問になっているのか簡単に触れてみたい。

ご存知のとおり、地理学というのは非常に守備範囲の広い学問である。大ざっぱに分けると


ART (人文系)
Sociology(社会学)、History(歴史学)、Economy(経済学)、Regional Study (地域学)などと関連している分野

SCIENCE(科学・理系)
Atomospheric Science(気象科学)、 Physical Environment Study(物理環境学)、Statisitic(統計)などと関連している分野


のように理系・文系で大きく二つの幹に分かれており、その先が枝葉のようになって各それぞれの専門分野にわかれている。 今回私が取った地政学のコースは Art (人文系)の History(歴史学)に分類される。

各コースは普通 3−Credit(3単位)の割り当てで、一時間づつ、週に3コマの授業でおこなわれる。今回私がとったのは夏の特別集中講座であり、月曜から金曜まで週五日間、毎日午後3時間というものだった。

取るコースを決定し、学校のHPから Register(登録)して授業料の支払いをすませると、いよいよ授業の開始である。

以下、次号に続く

2000/09/07(Thr) No.01

Geopolitics(地政学) の授業を覗く @ おくやま
突然私事になるが、私はこの夏、留学先であるカナダの大学で、自分の専攻の Geography(地理学)の一分野である、 Geopolitics(地政学)という、あまり日本人には耳慣れない学問の入門コースを短期集中プログラムで受けた。

なぜ受けたのか、と問われれば、「私の好きな政治の話が、専攻の地理のコースの中でも強調されて出てきそうだから」という単純な動機からである。ところが実際に受けてみて私はぶっ飛んでしまった。それは単なる一般的な「地理」の概念に当てはまるような代物ではなかったからである。

この Geopolitics=地政学という学問は、実は今、いやしくも「国家戦略」を考える人々にとっては必須の学問である。西洋の列強が19世紀から現代に至るまで、いかに世界を区分・定義し、支配・統治して行こうとしているのか、を大枠で教えてくれるからだ。

それはさながら副島氏が「属国・日本論」のなかで「なぜ佐藤栄作首相がノーベル平和賞を受賞したのか?」という問いを、冷戦の地理的構造を大枠で捉えたところから解き明かしたのと同じことを、学問的に捉えること、といえるかも知れない。少し大袈裟にいえば、日本人の知らない西洋諸国の外交政策の「公然の秘密の動機」を地理的に分析するようなものである。

私はこの授業内容を、個人的な知識として独占するのはもったいないと思った。やはり知識はどんどん公開して共有されるべきものである。しかもこの「ぼやきのセミナー」を覗きに来ているような高い見識のある、いわゆる「ぼやき系知識人たち」と共に、となるとなおさらである。

私はこの Geopolitics(地政学)という、日本にはなじみのない学問を、この「ぼやきのセミナー」の場を借りてシリーズ連載で紹介しようと思っている。学問の概略などの他に、北米の大学での授業の進められ方や、使用されているテキストなどについても取り上げて論じていきたい。

いかに彼ら欧米人が日本の国内言論知識からは考えられないような大きな枠組みで国際関係を捉えていたのか、また、それについて大学でどのように教育しているのか、という、本当の意味での国際的観点を持つ為の助けとなれば幸いである。

日本の知識人は情報統制状態から今すぐ脱却すべきである(副島氏のマネ)。

以下、次号に続く

2000/09/06(Wed) No.01

日本部族民新聞 荒木章文
違和感を感じた。
電車に乗っていて、非常に違和感を感じた。
普段ならば、あまり気にしないのであるが、非常に気になった。
電車に揺られながらの帰宅途中での事である。

小学生くらいの子供達がはしゃいでいた。
その内の一人が
「オーマイゴット」
と言ったのである。
普通に聞き逃せばそれまでなのである。
しかし気になったのである。

まず彼ら・彼女らは見るからに、日本の標準的な小学生である。
そして会話についても日本語で行われている。
それなのに、日常会話として「オーマイゴット」という言葉が自然に発せられたのである。

日本人は一般的に啓典宗教を信仰している人は極まれである。
唯一絶対神を信仰しているわけではない。
故山本七平氏もいうように、脱宗教化が非常にすすんでいる社会なのである。
また英語を母国語としているわけでもない。

そして何よりもこの
「オーマイゴット」
という言葉は、頭で考えられて発せられた言葉ではない。
冗談まじりに、出た言葉としても、感情から発せられた言葉である。
つまり、このことが重要なのである。
戦後55年の間に、日本人の子供が英語で、しかも別に唯一絶対神を信仰していない子供が「オーマイゴット」と感情で言うようになったのである。
この意味は、大きい。
誰が「鬼畜米英」と55年前まで行っていた、民族が一般の日本語を話すように「オーマイゴット」と言うようになると想像できただろうか?
 三島由紀夫が言ったように、日本民族という存在は消えてしまうのだろうか?
結局、日本民族としては存在できないのだろうか?
 アメリカ合衆国の51番目の州としてしか存続できないのだろうか?
戦後の日本は、様々な僥倖はあったにしても基本的な戦略といしては次のように歩んできた。
 冷戦構造のもと、アメリカの傘の元で生存してきた。
 また、貿易立国として、資源の無い日本は戦前から続く、繊維・軽工業から重化学工業へシフトしていった。
 日本という国家には、天然資源が存在しない。
 故に、原材料を輸入してそれを加工して、輸出する。
 すごく単純化すれば、そういう構造で生存してきた。
 それができたのも、勤勉な労働力が存在したからである。
 それは、故山本七平氏が分析して、それを小室直樹氏が学問的に表現し直した「日本資本主義の精神」の存在があったからである。

 戦略思考には、重点化、差別化、整合性という3点がポイントになる。
この観点から戦後日本をみてみる。

 重点化:自分のもてる資源を最大限に活用するために、選択と集中をおこなうのである。
 戦後、高度経済成長期について言えば重化学工業に、日本の資源は重点的に投下された。

 差別化:他とは異なる競争優位な要因。その典型は「軽小短薄」の工業製品の輸出である。これは他の国と比較しても競争上優位な点であった。

 整合性:日本株式会社と80年代揶揄されたように、重化学工業に重点的に投資されそれをバックアップする体制として、護送船団方式の間接金融が形成された。

以上の観点は、High Politics(軍事的側面)については一切考慮されていない。
Low Politics(経済的側面)からだけ考えられている。
 このことが今、決定的に重要なのである。
 High Politics(軍事的側面)を考えた時、まず現状の分析から出発しなければならない。
 そして失敗研究をしなければならない、敗因の分析である。
 これについては、改めて論じていくこととする。

2000/09/05(Tue) No.01

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