副島隆彦です。 ここの下↓の方に、以下の投稿文がある。
私は、この que(キュー)君という人物の投稿文を、折りあるごとにこの4年間に読んできた。 私は、怒っている。私は、以後、「que (キュー)君級(クラス)の、グローバリストの手先の人間たち」というコトバを使うだろう。相当に頭はいいのだが、日本人としての根性が曲がっていて、腐った精神をしている人たちだ。
マイク君級(クラス)と言ってもいいだろう。 どうせ、曲がった根性は、死ぬまで直らない。 日本の買弁(ばいべん)階級の人間として、生きて行くがいい。 出来ることなら、私たちの学問道場には、まとわりつかないでほしい。 私たちには、君たちのような、小者を相手にしている暇は無いのです。それでも、同類の、同レベルの性悪人間たちが、徘徊するときは、「キュー・クラス」あるいは、「キュー級よりも少し上、とか下」という認定をしようと思う。
私から、自分の正体(人生の姿)を突かれて、解明されて、自分で自分がいやになって、それで、私、副島隆彦への憎しみに駆られてりるのだろうが、それは、私のせいではない。この国のおかれた現状がそうだからなのです。 自分自身の生き方、考え方そのものを点検なさったらいかがですか。 澎湃(ほうはい)として湧き上がる涙があったら、その時は、正直にそのように書いたらいい。
私は、いちいち君たちの相手は出来ないが、自分のさまよえる脳の懊悩を人のせいにしないで、自分自身で内訌しなさい。
副島隆彦記(転載貼り付け始め)
ふじむら [4574] 「属国日本史幕末編」についての感想 - 投稿者:quew 投稿日:2004/09/11(Sat) 12:12:52
quewと申します。本名は関口敦です。
今回は「属国日本史幕末編」についての感想を書きます。内容について
・結論から言えば買って損をした。
・「属国日本論」の最終章を読んでいる私にとって、この本を読む必要は無かった。
・主張を証拠となる資料の引用がほとんど無かった。漫画について
・小林よしのり氏の手法のパクリが多々見られる。しかも雑だ。
・特に、副島先生の像の描写は酷い。 先生が怒っているんだなあというお気持ちはわかるが、あまりにも安易に小林氏の手法をパクッているので読む気力を殺がれた。
++++++++++++++++++++++++++
この本と小林氏の「戦争論」を比べれば、この本の出来が良くわかると思う。この本を小林氏に見せたらどのように思うか興味深い。最後まで読んでくれるのだろうか。(転載貼り付け終わり)
副島隆彦記
下記の通り、経済財政諮問会議の専門調査会で日本の21世紀ビジョンを策定するようで、宮崎哲弥氏が参加しています。(貼り付けはじめ)
2004年09月15日(水)
人口減時代の成長戦略を 21世紀ビジョンで初会合政府は15日、日本が目指す将来像を描く「日本21世紀ビジョン」を策定する専門調査会(会長・香西泰内閣府経済社会総合研究所長)の初会合を開き、人口減少が進む中での日本の成長戦略を検討する方針で一致した。
会合では、竹中平蔵経財相が、大平正芳元首相の研究会が1980年に提唱した「環太平洋連帯構想」、「田園都市国家構想」などの長期ビジョンが、現在の政策の中に定着していると指摘。「(これらの構想と同様に)四半世紀を見据えた日本のビッグピクチャー(大きな見取り図)を描いてほしい」と要請した。
経済財政諮問会議の下に置く専門調査会は香西会長のほか、伊藤元重東大大学院教授、評論家の宮崎哲弥氏ら計11人で構成。傘下に(1)経済財政展望(2)競争力(3)生活・地域(4)グローバル化−−の4テーマごとに作業部会を設置する。
(貼り付け終わり。転載元は次のURL)
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/keizai/20040915/20040915a2090.html
(参考)●経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004(平成16 年6 月4 日閣議決定)
(貼り付けはじめ)
3.「民の改革」の推進
(1)将来の人口減少下での成長戦略の確立
・将来の人口減少や少子高齢化の下で、制約条件とみなされる変化を新たな成長に結びつけ、経済社会の更なる発展のための戦略(「日本経済21 世紀ビジョン」(仮称))を官民の英知を結集して経済財政諮問会議において平成16 年度中に取りまとめる。
(貼り付けおわり)
http://www.keizai-shimon.go.jp/cabinet/2004/0604kakugikettei.pdf●「日本経済21世紀ビジョン(仮称)」に向けて
経済財政諮問会議(平成16年6月22日)での有識者議員提出資料
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2004/0621/item3.pdf
●「日本経済21世紀ビジョン」での検討の方向性
経済財政諮問会議(平成16年7月29日)での竹中大臣提出ペーパー
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2004/0729/item2.pdf
●「日本21世紀ビジョン」について(内閣府)(PDF:12KB)
経済財政諮問会議(平成16年9月10日)での内閣府提出ペーパー
http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2004/0910/item10.pdf
以上
「見渡せば 花ももみじも 無かりけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ」そんな和歌ね〜よ(^-^;
秋の三夕がごちゃまぜになっている。
☆副島先生の『幕末マンガ』を買おうとしたら、側にこの本があった。結局僕はこの本だけを買ってしまった。ごめんなさい。『神々の軍隊』は本屋にはなかった。残念…。■死という絶対的不幸
私が五〇年を超える人生から学んだこと、それは幸福を過剰に求めると、ひとはかならず不幸になるということだ。幸福のほとんどは、社会的な基準に照らし、他人の評価に即して幸福であることなのだから、幸福をめざすことは、社会的評価をめざすことである。そして、この社会的評価というものがグラグラしているから、いつの間にかたえず周囲の眼を気にして、「俺(私)はいったい幸福なのか」と自問し苦しむ罠に陥ることになる。「幸福とは何か」という近代・現代の膨大な言説(幸福論)の産出は、自分は幸福なのか否かの判定に自信を失っているおびただしい数の犠牲者を産み出してきた。ほんとうに幸福な人はそう間わないであろう。真に不幸に喘いでいる人もそう問わないであろう。では、いったい淮が問うのか。自分の幸福に自信がない人である。自分が幸福であるかどうか他人に決めてもらいたい人である。自分が不幸であることをうすうす感じながら、幸福であるという幻想にしがみつきたい人である。つまり「真実」を見ようとしない人である。
では、どうすればいいのか。
一般的解答を出すことはできない。私が少年のころから全身全霊で学んできたこと、それは「所詮人生はどう転んでも不幸に決まっている」ということである。私は感受性の過敏な少年であり、時々刻々死ぬことにおぴえていた。私が死んだ後、まもなく地球は膨張する太陽に呑み込まれ、やがて太陽系も無くなる。そして、巨大な宇宙はその数十億年後に熱死状態になる。私は一○歳に満たないころから、この残酷無比な未来像に縛りつけられたように囚われており、ほとんど毎日「ああ、大変なことだ」と呟いていた。そして、「どうせ死んでしまう、どうせみんな無くなってしまうのだから、人生は何をしても虚しい」と思っていた。
この思いは、その後一瞬たりとも私の心から離れたことはない。その後の人生で血の滲むような努力が報われないこともあった。口笛気分でしたことが、多大に報われたこともあった。生きれば生きるほど虚しさは募っていく。
〜私は、これまでの人生で(いわゆる)幸福を求めなかった。絶対的不幸が存在するかぎり、それはにせものであることを知っていたからである。そして、ただ絶対的不幸だけをじっと見据えて生きてきた。まさに絶対的不幸の自覚が、あらゆる幸福幻想を吹き飛ばしてくれ、世間的な卑小な不幸を蹴散らしてくれ、幸不幸に囚われない生き方に導いてくれ、そして私に真に生きる力を与えてくれることを知っていたからである。
死という絶対的不幸が同時に私を救ってくれた。人生の妙味に触れる思いである。
■どんな仕事も虚しい
すべての仕事は重要ではない
仕事を厭々ながら続けている人は多いと思う。そういう人は一つだけ確実に真実を見ている。それは、所詮いかなる仕事も、それほど重要ではないということである。じつは、地上には命を懸けるに値するほどの仕事なんか、まったくないのである。そううすうす感じながらも、人は仕事にすがりつく。なぜなら、そうでもしなければ人生は退屈で退屈でたまらないのだから。私の眼が腐っているのか、私はいかなる仕事を見せつけられても、虚しさがこみあげてくる。寿司屋は毎日寿司ばかり握っていて楽しいのだろうか。消防士はいつも火を消してばかりいて厭にはならないのだろうか。バスの運転手も一日中運転ばかりして、アホらしくならないのだろうか。
国会中継を見てもそう思う。総理大臣も外務大臣も防衛庁長官も大変な激務だ。あんな役職につかなければ、罵倒もされず、お笑い種にもならないのに、なんでしがみついているのだろう。仲間の教授たちを見ても、作家たちを見ても、編集者たちを見ても、そう思う。半導体の研究であろうと、古代エジプトの研究であろうと、カント哲学の研究であろうと、およそこの世に研究に値するものはまるでない。新たな小説を書くことは、誰にとっても(本人にとってさえ)全然必要ではない。もう生涯かかっても読めないほど膨大な数の良書があるのだから。絵画も彫刻も音楽も、これ以上何も新たに創造しなくても、もううんざりするほど多数の傑作がわれわれに与えられているのだ。ピアニストも、指揮者も、野球選手も、サッカー選手も、相撲取りも、エベレスト探検察も……いなければいないでいっこうにかまわないのである。
まして、いかなる組織においても、とくにあなたが必要であるわけではない。あなたがいなければ、ほかの誰かがなしとげるであろう。あなたが属している組織が潰れれば、ほかの何かの組織が代わりに湧き出すであろう。
こうして、いかなるものであれ、あなたが営んでいる仕事は、命を懸けるには値しない。だが、少なからぬ人はそうは思っていないであろう。仕事をもっと崇高なもの、そこに生きがいを感じるものとみなしているであろう。それは、私の考えによると、完全な錯覚である。
□仕事の成功者をあまり称賛してはならない
たしかに、NHKテレビの『プロジェクトX』に登場してくるように、橋を架けること、トンネルを掘ること、油田を開発すること……こうしした仕事がまったく無価値であるわけではない。それに携わった者たちが無駄なことをしたわけではない。だが、あまり彼らを称賛してはならないように思う。
その理由は三つある。
一つは、同じように全身全霊を懸けて仕事をしながら、報われなかった多くの人々がいるからである。彼らは成功者より才能がなかったわけではない。企画力において、実行力において劣っていたわけではない。ただ偶然が作用して、成功しなかっただけなのだ。逆に言えば、成功者はかならずなにがしかの偶然に恵まれて成功しているのである。このことを、われわれは無視しがちである。そして、成功者を称賛したいがために成功の原因を単純に求めがちである。しかし、それはそう思い込みたいというわれわれの願望にすぎないのだ。
二つ目は、たとえ外的偶然が作用しないと仮定しても、成功した集団のリーダーや彼(女)に従う男(女)たちの才能はやはり偶然その人に与えられたものだからである。粉骨砕身の努力をすることも、冷静沈着に動くことも、人間的魅力も、各人に平等に与えられているものではない。このことは、個人的な仕事において決定的である。イチローや中田英寿や高橋尚子などは、疑いなく才能に恵まれているのだ。その才能によって、成功をかち得ているのである。
そして、成功者を過度に称賛すべきではない最も大きな理由は、たとえどんなに偉大な仕事をなそうとも、まもなくその人は死ぬからである。たとえ他人のために必死な思いで尽力しても、その他人たちもやがて死ぬからである。人類はやがて滅亡するからである。地球も太陽系もなくなるからである。
仕事が偉大であればあるほど、このことを忘れがちである。だが、命を懸けて対人地雷を撤去する仕事でも、アフリカの奥地に学校を造る仕事でも、エイズウィルスを撲滅する仕事でも、やがてすべてが滅亡してしまうことをごまかしなく見据えるとき、われわれは途方に暮れてしまう。
■組織に埋没してはならない
イチローや新庄の大リーグでの活躍を日本国民がこぞって「わがことのように」喜んでいる光景を観察して、違和感を覚えている。私はあまりうれしくないから。むしろこのセンセーショナルな興奮は、相次ぐ戦勝に国民が酔いしれている状態に似た危険な状態だと考えている。私は九州で生まれたが、郷土意識はほぽゼロなので、九州が貶められても、皆目怒りを感じない。小学校から大学までの母校にも何の愛着も覚えない。今の職場(大学)が評判を得ても、悪評を被っても、痛くも痒くもない。
こういう感情はまともとはみなされないであろう。人間味に乏しい厭な奴とみなされるであろう。だが、私はそのことを先刻承知で、このまともでない感情を日夜鍛えているのだ。なぜか。国家、学校、会社、宗教団体などありとあらゆる組織が個人を殺すものであることを骨の髄までようく知っているからである。
人々は、ともすれば組織にとって有害な個人、いや無益な個人を殺してでも、組織を守ることに必死になる。なぜなら、ほとんどの場合、個人の成功は組織の力によるからである。個人は組織の中でこそ、実力を発揮でき、他人に評価され、自分の存在を確認できるからである。人類がこれまでなしてきた偉業は、ほとんどすべて組織の力によるものである。組織を通じて、シーザーはローマを支配し、組織を通じて、家康は天下を治めた。仏陀の布教活動もルターの宗教改革も組織を通じてであった。
このように、組織は個人に恩恵を与え、個人を守ってくれる。だが、だからこそ、個人を殺すことも肝に銘じなければならない。人々は、天皇制を、共産主義を、自由を守るという美名のもとに、膨大な数の個人を殺戮してきたのである。
したがって、組織に入ること、それは組織から殺される覚悟をすることである。それを私が受け入れることでもあるのだ。ここから、ほとんどすべての人間悪が発生する。
こうした根源的な悪から身を離し、それがよく見える位置に自分を置こう。組織の中にいながら組織に埋没しない批判的眼力を養おう。いかに恩恵を被っている組織でもいつでも捨てる覚悟をしておこう。この点、ホッブス的抵抗権が私は好きである。組織(国家、会社、学校など)は私に利益をもたらすかぎりでしか、私にとって意味がない。それが、私に害を及ぼすとき、その暴力に対し私は徹底的に抵抗する権利を有する。
組織は個人を生かしも殺しもする。だから、その魔力をよく見きわめて、組織をうまく利用するようにしよう。組織に全人格を投入してはならない。組織から「半分」降りて、仕事は単なる生活の手段と割り切ることこそ、「よく生きること」である。生きがいは、組織を通じてではなく、むしろ組織から離れたところに求めるべきなのだ。いや、ことさら生きがいなど求めなくてもいい。
「生きること」そのことは、いかなる仕事より価値ある仕事なのであるから……。
■家族至上主義批判
私は、現代日本を覆っている「家族至上主義」が厭でたまらない。その鈍感さ、その粗暴さ、その配慮のなさがたまらない。みんな「家族っていいなあ、やっぱり家族だね」と肩をたたき合って確認し合う。それを世間もジャーナリズムも国も、やいやいと拍手喝采する。世論調査によれば、大多数の同胞にとって最も大切なのは家族であり、最も憩いを感ずる場所は家族であり、最も信頼できる空間は家族なのだ。もちろん、そういう人がいてもかまわない。だが、こういう健全な(?)マジョリティが、それを他人に対しても当然のごとく要求すると、そこに凄まじい暴力が発生する。
結婚して二一年になる。息子は今年の夏で一八歳。一生家族をもつこともないだろうと高を括っていたのに、めぐり合わせからウィーンで結婚してしまい、すぐに別れようとしたが(そういう魂胆で結婚したのだが)、ずるずる続いて現在に至っている。これは完全な「計算違い」。世間には、ゲーム感覚でそう言っているだけで、完全に妻子にべったりであり、彼らから見捨てられるとあたふた青ざめる男は多い。酒場で同僚相手に妻や子をこき下ろしながら、ほんとうは彼らを何よりも大切に思っていることを露出させている男は多い。私は、そのような腰くだけではない。もう少し冷静(冷酷)でタチの悪い利己主義者=自己愛者である。
何度か離婚しようとしたが、二人が「意気投合」するチャンスがなかった。そして、やっと結婚一五年目にして、お互いにこれ以上傷つけ合って一緒にいるのもくたぴれるので、妥協点を見いだし、四年前から私は東京に、妻子はウィーンに住むという生活スタイルを選んだ。
ニカ月に一度ずつ互いに往ったり来たりの国際別居生活だが、この形態がいまのところ私たち家族三人にはいちばん居心地がいいようだ。家族にとり囲まれているという圧迫感が極小になり、仕事の能率も上がり、妻子とずっと一緒にいるのは耐えがたいが、たまに会うだけなら、どうにか我慢ができる。
いろいろな家族の形態がある。わが家はそれを結婚後一五年にしてやっと見つけた。それは、経済的な基盤は共有し(私が維持し)、互いに希薄な人間関係を保ちながら、どうにか最低限の家族らしさを維持する、という変則的形態である。(以下略)
■貧しい中村家の常食は、米麦ではなく、甘藷(カンショ)だった。知人が訪れても、もてなすのは、もっぱら、甘藷だった。
その夕餉(ユウゲ)は、大笊(オオザル)に蒸した甘藷が山盛りにされ、それに味噌汁が副えられるだけだった。薩摩の軽輩の大半は、そういう粗食に堪えていた。いもざむらいと呼ばれ乍ら、その貧しさに堪えていた。
隣家の住吉家も、いもざむらいだった。その住吉家に、半次郎と同じ年齢の一人娘がいた。
お吉という娘は、いつも、半次郎を弟あつかいにしていた。勝気な、明るい娘だった。
某日−。
半次郎は、村祭に、近郷の村童を対手(アイテ)に相撲をとった。みな半次郎より三、四歳の年長だったにも拘らず、一人として、敵(カナ)う者がいなかった。
くやしがった隣部落の悪童たちは、次の日、半次郎をあざむいて、河原におびき出し、不意を襲って、四方からとびかかり、高小手にしばりあげて、流れへ放り込んだ。
秋の出水で、濁流となっていたので、半次郎は、したたかに水を呑んで、あやうく溺れ死にそうになったが、屈せず、死にもの狂いで、河原へ匍(ハ)いあがった。
匍いあがったとたん、気力が尽きて、ぶっ倒れた。
うすらさむい日だったので、濡れ鼠のまま倒れていると、悪寒が襲って来て、震えがとまらなくなった。瘧(オコリ)に罹(カカ)ったように、がたがた震えつづけるうちに、意識が遠のいた。
そこへ、お吉が駆けつけて来た。
お吉は、大急ぎで、半次郎のかたわらに、枯木をかき集めて、火を燃やしておいて、半次郎をまる裸にした。
そして、自分も、すばやく衣類を脱ぎすてて、一糸まとわぬ全裸になると、半次郎の上へ、ぴったりと俯伏せた。
頬から頬へ、胸から胸へ、腹から腹へ、腿から腿へ−女のあつい体温が、冷えきった少年の肌へ、つたわった。
半次郎は、意識がよみがえり、自分がどういう状態に置かれているか、さとると、驚愕、羞恥で、また、気絶のふりをしてしまった。
中村家の者たちが、駆けつけた時も、まだお吉は、しっかりと、半次郎を抱きしめたままだった。
昏れなずんだ河原の上に、焚火があかあかと照らし出され乍ら、少女と少年が、全裸で、しっかりとひとつになっている光景は、いっそ、美しい眺めであったのだな。
爾来(ジライ)、両家では、半次郎とお吉の将来を、暗黙のうちに、みとめた。■半次郎が、山中に立て籠もって、立木を撲(ウ)ちまくる剣技の独習をすることができたのも、実は、お吉がいたおかげであった。
お吉は、半次郎のために、ひそかに、上納米をごまかして、握飯をつくって、半次郎の許へはこんでやっていたのだ。半次郎は、独習を、他人に覗かれることを、極度にきらったが、お吉だけは例外だった。
そのお吉が、たった三日のわずらいで、忽然と逝ったのは、お互いに十六歳になった春だった。
半次郎は、お吉の枕辺で、一刻以上も、号泣した。
まわりの人々は、半次郎が、お吉のあとを追うのではあるまいか、と心配したくらいであった。
半次郎が、不意に哭き止めて、ふらりと立ち上ると、おもてへ出て行くのを眺めた父与右衛門は、思わず、「半次、どこへ参る?」と、訊ねた。
「山へ参ります」
「山へ?何しに?」
「剣を習いに――――」
半次郎は、山へ入ると、六日間、還って来なかった。半次郎は、六日間、泣き乍ら、立木を撲ちつづけたに相違ない。山から降りて来た半次郎は、別人のごとく、無口な、孤独を好む人問になっていた。
半次郎にとって、お吉は、女神であり、姉であり、恋人であり、この世の女性を代表する存在であった。そのお吉を、死神の手に奪われた半次郎が、絶望状態に陥ったのは当然だろう。もし、半次郎に、剣がなかったならば、お吉のあとを追っていたと思われる。
半次郎にとって、忘れることのできない思い出があった。
盛夏、半次郎は、例の河原で、ひとしきり素振りの稽古をしてから、流れへとび込み、竹槍で魚を突き剌すことに夢中になった。
ふと気がつくと、いつの間にか、お吉が現れて、焚火をおこし、握飯を焼いていた。
半次郎が、米の飯にありつけるのは、お吉との逢曳(アイビキ)の折だけだった。
半次郎は、獲った魚を携(サ)げて、あがって来ると、それを串刺しにして、焼き乍ら、なかばとぼけ顔で、お吉に訊いた。
「お吉さんは、どげんわけで、おいば、大切にするのかのう?」
お吉は、こわばったきつい表情になると、
「バカー」
と、にらんだ。
「教えてくれ申せ。お吉さんは、おいを、バカだとか阿呆だとか、ののしり乍ら、大切にしてくれるちゅうのが、どうも、おいには、よう判らん」
「阿呆!」
「それ、みい。すぐ、阿呆、と云いよる」
「わたしはね、半次郎さんに、日本一の男になってもらいとうて、つくしとるのじゃ」
「おいは、日本一の男なんぞには、なれ申さん」
「なれる! バカ!」
「兵法が少々ばかり強うなっても、日本一にはなれ申さん」
「なれるのじゃ! きっとなれるのじゃ!」
お吉は、じれったげに、云いはった。
「そうかな」
「そうじゃ。半次郎さんのような者は、この薩摩にも、一人も居りはせん」
「買いかぶりじゃ」
「買いかぶりじゃない!………わたしが、そう信じとるのじゃから、自分でもその自信を持ちなされ」
「うん。……お吉さんは、おいの、どこが好きなのじゃ?」
半次郎は、何気なく、訊ねた。
すると、お吉は、半次郎の方がとまどうくらい、顔をあからめた。
「知らん、阿呆!]
云いすてるや、さっと立って、遠くへ走った。
遠くへ走ってから、くるりと向きなおると、声一杯はりあげて、
「半次郎さんのなにもかも、わたしは好き!]
と叫んだ。
そして、姿を消してしまった。
その日のことを、思い出すたびに、半次郎は、胸が熱くなり、目蓋が潤んだ。■後年、半次郎は、多くの女性を愛した。世間からは、好色漢とそしられたこともある。
われ乍ら、あきれるほど、慕い寄って来る女性を、半次郎は抱いた。
半次郎が、そうしたのは、お吉を喪った時、生涯無妻、決して一人の女性を愛すまい、とおのれに誓ったからだった。
半次郎自身、すすんで、女性をくどいたことは一度もなかった。
女性の方が慕い寄って来るのを、こばまなかっただけである。
そして、その度に、半次郎は、はっきりと云った。おれは、お前を、十六歳の時に、喪った娘の身代りとして抱くのだ、と。
身代りはあくまで、身代りであり、お吉の再来とはならなかった。
いわぱ、半次郎の女性観は、お吉の想い出から、生涯一歩も前進しなかったわけだ。
おのが一生の伴侶として年老いるまでかたわらにいるものと信じ込んでいたお吉が、忽然として、この世から消え去ったことは、半次郎の脳裡に、女性とは、そのような儚(ハカナ)く、あわれなものという固定観念を植えつけてしまったあんばいだ。したがって、お吉の身代りとして抱いた女性は、次つぎと、おのが目の前から消えてくれなければならなかった。
その限りに於て、半次郎は、女性を、全身全霊で愛した。
■さて−。ここらあたりで、半次郎の面目たる剣の業について、述べておこう。
半次郎の告白によれば、斬った人間の数は、西南役を除いても、四十人を上まわった。
但し、対手の名は、殆ど不明のままでおわった。殺し専門の岡田以蔵や田中新兵衛とちがって、半次郎の場合、渠(カレ)自身刺客となって、特定の人間をつけ狙って、襲撃したわけではなかった。尤も、大久保利通と桂小五郎の態度を憤って、その生命を狙ったことは、一度ずつあったが、いずれも、対手の人格に服して、ひきさがっている。
半次郎の述懐に、桐野利秋となってから、夢寝(ムビ)のなかに怨霊が出現して、しばしば自分をなやまし、そのうなされかたの凄じさに、傍に寝ていた女性たちが、戦慄したというから、斬った頭数は相当なものだった、と推測される。
半次郎の迅業(ハヤワザ)は、薩摩では後世になるにつれて伝説めいて来たほど、抜群のものであった。
抜きはなって、対峙するや、汐合(シオアイ)がきわまるとともに、半次郎の口から、
「けけけけ……」
と、夜鳥の啼くにも似た狂声が、発しられた。
次いで、
「ちえすとおっ!」
その懸声とともに、敵を、脳天から真二つに、あるいは、袈裟がけに、斬り下げてしまっていた。
しかし、半次郎の得意とする迅業は、汐合きわまって一撃一閃裡(イッセンリ)に敵を倒すのではなく、抜きつけの居合断りであった。
半次郎は、主君久光の面前で、その抜きつけの迅業を披露したことがある。
一本の柳の木に相対すや、心機を一如(イチニョ)のものとする時間も置かず、鞘走(サヤバシ)らせざま、枝を両断した。
その枝は、宙に躍って、しばらくは、地に落ちなかった。半次郎がふるう白刃の舞いを受けて、その葉だけを、ひらひらと乱れ散らせたからである。
地に落ちた時、枝は、殆どまるはだかになっていた。
のみならず―――――
八方へ乱れ散った葉は、ことごとく両断されていたのである。佐々木小次郎が燕返しも顔負けするほどの手練(テダレ)であった。
薩摩のお家芸示現流の凄じさは、幕府方を、全く辟易させたものだった。京都取締の与力・同心も、示現流の前には、手も足も出なかった。
薩摩藩士は、新刀を得ると、必ず試斬りをやった。いわゆる辻斬りだが、袈裟がけの見事な一太刀ならば、みな薩摩藩士のしわざ、と目されたものだった。その示現流の中で、半次郎の迅業が、ひときわ抜きん出ていたのだ。
■明治六年十月二十四日、西郷隆盛は、参議兼近衛都督を免じられた。
この報は、近衛の将校らにとって、一大衝撃だった。一時に、百余名が辞職願いを提出した。
同時に、征韓派であった板垣退助、後藤象二朗、副島種臣、江藤新平らも、そろって、辞職した。
二十八日には、西郷はすでに、品川から汽船に乗って、東京をはなれた。
その日の夕刻、半次郎は、妾宅(ショウタク)に立ち寄った。
馬を、玄関へ乗りつけて、降りもせずに、おすまを呼んだ。
何事だろうと、おどろいて、出て来たおすまに、半次郎は、馬上から、
「おいは、これから、国許へ帰る。再び会えんかも知れぬ。………賤別に、これをやる」
と、云って、一振りの短刀を投げ与えた。
茫然となっているおすまへ、
「さらばだ。……からだをいとえ」
云いのこしざま、馬首をめぐらすや、疾駆して、たちまち見えなくなった。
明治十年二月十五日(旧暦正月元旦)の西郷挙兵のことは、誰でも知っているから、省略する。
ここでは、城山籠城(ロウジョウ)をかんたんに述べておく。
西郷軍が、ついに熊本城を抜けず、敗走をかさね、ようやく政府軍の囲みを破って血路をひらき、鹿児島へ還って、城山に拠ったのは、九月一日。
鹿児島を出陣して以来、百九十九日ぶりのことだった。その出陣に当っては、二万をかぞえた兵力も、いまは、新手の参加者を加えても、わずか四百に満たなかった。そのうち壮者は三百に足らず、武器も小銃が百五十余挺、砲若干にすぎなかった。
城山の各処に穴を掘って、惨めなもぐら生活になった。
政府軍は、ぞくぞくと鹿児島に押し寄せた。
山県参謀は、九月二十四日を期して、城山総攻撃を指令し、その前に、最後の降伏勧告状を送った。当然、西郷方は、これを蹴った。
二十二日の夜、城山に於ては、徹宵(テッショウ)の酒宴がはられた。空は晴れ、中秋の月が冴えわたり、人生最後の夜の条件はそろっていた。
明けて二十四日払暁(フツギョウ)、総攻撃の合図が、私学校のあたりで、銃声をもって、包囲軍に告げられた。
その夜明けは、霧が巻いていたが、岩崎谷の狭い谷間が、浮かびあがり、朝陽がさし込む頃、大砲の音が轟きはじめた。
洞窟を出た西郷は、洞門口に整列した桐野利秋(中村半次郎)、村田新八、別府晋介、逸見十郎太ら四十数名を視た。
西郷は、何も云わず、ただ、一同に頷いただけで、ゆるぎ出すように、前線へ向って、その巨体をはこびはじめた。別府、逸見がそのあとにつづいた。
半次郎は、その後姿を、じっと見送ったが、涙はこぼさなかった。
やがて、渠(カレ)もまた、死場所を求めて、しずかな足どりで歩き出した。西郷が、腹部と太股に貫通銃創を蒙って勤けなくなり、別府が振りあげた太刀の下へ、頭をさしのべた頃−。
半次郎は、ただ一人、最前線の孤塁に拠って、迫り寄る敵勢に、狙撃をつづけていた。
「それ、当ったぞ!」
「また、一人片づけた!」
半次郎は、一発撃つ毎に、叫びをあげていた。まるで、射的を愉しむようであった。
しかし、もはや、前面は、敵影で掩いつくされていた。
いつの間に肉薄したか、敵兵の一人が、堡塁上に躍りあがって、半次郎めがけて、銃剣を突きたてようとした。
「けけけ………ちえすとおっ!」
久しぷりに、半次郎の奇妙な懸声が、噴いた。
塁上の敵は、胴を両断されて、転落した。
その刹那(セツナ)、一弾が、半次郎の前頭部を貫いた。
半次郎は、塁の壁面へ、どうっと倚りかかった。
なかば無意識であったろう。半次郎は、愛刀定利を直立させた。
敵の血汐に濡れた冷たい刃面に、お吉の俤(オモカゲ)がうかんだ。
半次郎は微笑した。
やっと、お吉が待つところへ行ける悦びを、すなおに、その微笑にしたようであった。
享年三十八歳だった。
quewと申します。本名は関口敦です。今回は「属国日本史幕末編」についての感想を書きます。
内容について
・結論から言えば買って損をした。
・「属国日本論」の最終章を読んでいる私にとって、この本を読む必要は無かった。
・主張を証拠となる資料の引用がほとんど無かった。漫画について
・小林よしのり氏の手法のパクリが多々見られる。しかも雑だ。
・特に、副島先生の像の描写は酷い。 先生が怒っているんだなあというお気持ちはわかるが、あまりにも安易に小林氏の手法をパクッているので読む気力を殺がれた。
++++++++++++++++++++++++++
この本と小林氏の「戦争論」を比べれば、この本の出来が良くわかると思う。この本を小林氏に見せたらどのように思うか興味深い。最後まで読んでくれるのだろうか。
「しんぶん赤旗」から貼り付けます。(貼り付け開始)
2004年9月9日(木)「しんぶん赤旗」
リストラ効果にほくほく
利益増と人件費減ピタリ
法人企業統計でくっきり六日に発表された財務省の「法人企業統計調査」によると、大企業が「リストラ効果」で大もうけをあげ、しかも企業の利益拡大額は人件費の削減額とピタリ一致していることが分かりました。労働者を犠牲にした利益拡大の実態が浮き彫りになっています。
同調査によると、二〇〇四年四―六月期の全企業(金融・保険業を除く資本金一千万円以上の営利法人)の「経常利益」は、前年同期比34・3%増と高い伸びを示しました。ところが、企業の「人件費」(役員給与、従業員給与、福利費)は同0・2%のマイナスでした。
従業員給与が抑え込まれている中、会社が負担する厚生年金などの法定福利費や福利施設負担額などの「福利費」が同9・5%減少したことが直接の要因です。
利益の6割大企業占める
三カ月間という短期だけでなく、大企業のリストラを応援する小泉内閣が発足した二〇〇一年からみると、問題点がさらにはっきりします。
〇四年四―六月期の「人件費」は、三年前の同期と比べると実額で二兆四千百億円減少しています。その一方、「経常利益」の増額は「人件費」の削減額とほぼ同額で二兆四千七百億円増えています。リストラ・人減らしで人件費を削減し、利益を絞り出していることを示しています。
「経常利益」のうちの54%を、企業数では26%しかない資本金十億円以上の大企業が占めています。
日本の「勝ち組」企業の代表であるトヨタ自動車。四―六月期の国内自動車販売台数は前年同期に比べ五千台減少しました。
ところが人件費などのコスト削減で利益を四百億円押し上げ、前年同期より28・8%増の二千八百六十六億円の純利益をあげています。
同社の従業員は約二十六万四千人です。〇三年度の一年間で、臨時従業員(期間従業員、パート、派遣社員)を一万人増やし、人件費を削減しています。
日本経済の基盤こわす
大企業が進める正社員の削減と不安定雇用への置き換えというリストラ策は、コスト削減による「競争力」強化が口実です。しかし、目先のもうけ本位の企業行動は、労働者の「使い捨て」をすすめ、日本経済の基盤そのものを弱くするものです。企業が「元気」になっても、国民生活は冷え込んだままという日本経済のゆがみの一端がここにあります。経済産業省ですら「リストラで人材投資を削減した方が企業利益は拡大する」というのは、「神話」であり、「真実」は「教育訓練費を増加させた企業の方が、結果として、利益や雇用を増加させている」(「若年者を中心とした産業人材育成について」=来年度政府予算の概算要求説明資料)と指摘しているところです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-09/08_01.html
(貼り付け終了)
本記事の感想
RC:損益分岐点のグラフです。
http://homepage1.nifty.com/mim/to1.html>
RC:損益分岐点とは、利益も損失もない状態(トントン)の事です。一般的な損益分岐点の求め方は、以下の公式で表します。
┌─損益分岐点の算出公式《重要》─────┐
│ │
│ 固定費 │
│ [損益分岐点]= ───────── │
│ 変動費 │
│ 1− ───── │
│ 売上高 │
└────────────────────┘
次は、西順一郎氏の戦略会計式です。
┌─損益分岐点の算出公式《重要》─────┐
│ │
│ [F(固定費)]= MQ(粗利益) │
│ │
└────────────────────┘つまり、損益分岐点で大切なのは、固定費が回収できて、初めて利益が生じる事です。
ここで会計学のマジックを紹介します。それは固変分解の話です。固は固定費、変は変動費を示しています。ある費用が発生したら、固定費と変動費に分けるのです。では正社員は固定費または変動費? 派遣社員は固定費または変動費? 答えは、正社員は固定費(*人件費)、派遣社員は変動費(*雑費)の扱いになります。この会計上の扱いが、正社員を減らし、派遣社員を増やす要因の一つだと考えています。 *勘定項目は任意です。
戦略会計の提唱者である西順一郎氏は、固定費を5つに分けています。人件費、経費、金利、戦略費、減価償却費の5つです。西氏は、基本的に減らして良い固定費は経費だけであり、逆に固定費が増えても、利益が生じる場合があると述べています。
結論です。「リストラ効果」による「利益の極大化」は短期的なものであり、企業の真の目的である「顧客の創造(ピーター・F・ドラッカー)」が先細りになっていくのでしょう。
参照:
損益分岐点の考え方と算出法
http://www.jnews.com/kigyoka/2001/kigyo0107.html
西研究所
http://www.nishiken.jp/その他:
派遣ドライバー活用の留意点 〜 賃金を変動費とする方法を探る 〜
http://www.srup21.co.jp/room/src_0_18.html
損益分岐点の管理
http://www.ccsjp.com/kaikei/kaikei205-5.htm
書評
『神々の軍隊−三島由紀夫と国際金融資本の闇』(浜田政彦 著)
三五館
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883202119/qid=1094762871/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-6180826-7472319
ああ、この本を読まなければよかった。この本には、途轍もない「真実」が書かれている。第1次大戦終結後から第2次大戦の勃発までの日本史の動きを「国際金融資本」という補助線を引っ張って読み解いている。この補助線なしには、日本が突入したシナ事変と大東亜戦争(太平洋戦争)の泥沼はいかなる世界史的意味を持っていたのか理解できないだろう。政治家の動きだけを見ていては絶対に分からない。
当時(第1次大戦後)の日本には大略、3つの勢力がいた。一つ目は「皇道派=新興財閥連合」、「統制派=大財閥(ロックフェラー、ロスチャイルド系)連合」、「日本原理主義者(大本教、日蓮教、浄土宗、国柱会など)」である。
「2.26事件」は、日本原理主義者と皇道派=新興財閥連によって起こされた、反財閥、反国際金融資本のクーデタだったのである。この大きな視点が、これまでの日本史解説書では全く欠けている。
皇道派の幹部たちも、本当に国体明徴による天皇の神権国家を作ろうという考えの人々は僅かで多くは、大財閥との利権争いの一環として、政治闘争を仕掛けただけであった。
ところが、大本教、日蓮教などの宗教的熱情から、天皇中心の国体の明徴を実現しようとした「ラディカル」な、ある意味では純粋な、日本原理主義者たちは、あくまで純粋に自らの志に従って散った。筆者はここに三島由紀夫の自決と重なり合うものを見ているのだが、現代の日本人の視点から見れば、このあまりにも純粋な日本原理主義者の姿は、イスラム原理主義のアルカイーダやタリバンとも重なっていく。
原理主義はそれが「狂気」であるが故に、現実妥当性を持たず、金と権力を握った者たちによって覆滅せしめられるのだ。原理主義者の、武器は狂気だけであり、戦略を欠いていた。これが、日本があの戦争に負けた最大の原因であろう。
私は彼らの崇高な理念には共感はするが、これは危険なアイデアリズムであり、リアリズムの観点からすれば、唾棄すべき「国際金融資本」につながりながら、日本の独立をなんとか維持しようとした政治家たちの立場を取る。
この本は、一方に2.26事件に連座した若い日本原理主義者たちに視点を置き、彼らの姿に徹頭徹尾共感した形で筆を進めている。その一方で、数々の文献を渉猟した筆者は、ロックフェラー、モルガン、ロスチャイルド、サッスーン財閥などの国際金融資本の中国政策と、元々「国際金融資本」(判りやすく言えば、ユダヤ金融資本)のひも付きであり、その限りに置いて自主性を許されていた、日本の三井・三菱などの大財閥たちが、欲を見せて、「彼らの虎の尾を踏む」さまを存分に描き出している。
昔も今も日本が国際金融資本の強い影響下にあるということは変わらない。昔は英国の属国として、今はアメリカの属国として。
この本の時代背景は妙に現在に重なっている。三井・三菱は「死の商人」でもあった。今、アメリカの要求で、武器輸出三原則の見直し、憲法9条の「改正」が行われようとしている。歴史はくりかえすのか。
本文の内容もさることながら、巻末に乗せられた文献録と人名辞典の資料性を一段と高めている。天皇家は初めから、日本原理主義者の抱くような理想を体現していなかった、というあまりに悲惨な現実を、海外の文献まで調べながら立証している。天皇家のキリスト教改宗運動を進めた、クウェーカー・コネクションについては最近、園田義明氏が詳しく調べているが、本書でも園田氏の観点からとは全く正反対の立場から検討が加えられている。
株式日記と経済展望 http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu78.htm 2004年9月8日 水曜日◆チェチェン問題の源と裏側3 ロシア政治経済ジャーナル No.283
前号のつづきです。 ここまでは、ロシアとチェチェンの関係を見てきました。 その関係は、「チェチェンはロシアから独立したい!」「ロシアは許さない」と、 二言ですんでしまう内容。 ところがね、国際関係と言うのはそう単純なものではないのです。 なぜか? 必ず他の大国の利害がからんでくるから。
▼プーチン演説の謎
9月4日18時。 私達は、ビールを飲みながら、プーチンさんのテレビ演説を見ていました。内容はもちろん、テロのことと、これからどうするかということ。 演説の中で、「???????」と思われる箇所があった。後でロシア人の友人に聞いても「???????」だったとのこと。 その部分とは?
プーチンさん 「(私たちは)弱さを見せた。弱い者は打たれる。ある人達は私たちから 肥沃な部分を奪おうとしている。他のある人達は、彼らを助けている。」 この部分だけ見ると、肥沃な部分を奪おうとしているのがチェチェンの 独立派で、それを助けているのが国際テロ集団(例えばアルカイダ)な のかな〜と思えますね。
ところが、その続きを聞くと、 「ロシアは、最大の核大国の一つであり、彼らにとって未だ脅威であると考えているので助けている。だから、この脅威を取り除かなければ ならないと。」言うまでもなく、チェチェン独立派が目指すのはロシアからの独立であ り、国際テロ組織が独立派を助けるのは、ロシアが核保有国だからではありません。 さらに演説は続きます。 「そしてテロは、当然これらの目的を達成するための道具にすぎない」
ここまでを要約すると、
1、ロシアは核保有国で脅威だと考えている人(あるいは国)がある。
2、で、その人(あるいは国)は、脅威を取り除く、つまりロシアを弱体化させなければならないと考えている。
3、テロは、ロシアを弱体化するための道具である。 となります。誰が「ロシアは核をもっているから脅威だ!」と考えているのでしょうか? で、誰がテロを道具にしてロシアを弱体化させようとしているのでしょうか?演説を聞いたたくさんのロシア人に聞いてみましたが、「プーチンはアルカイダやチェチェン独立派のことを言っている」と答えた人は一人もいませんで した。
ここで断定的なことを書くのはやめておきましょう。 しかし、「チェチェン問題」というのは「カフカス問題」の一部にしかすぎないと 認識した方がよいのです。 ではカフカス問題とは何か?
▼カフカスの米ロ対立1
カフカス問題の本質は、ロシアと米国の「石油をめぐる争い」と言ってもよいでしょう。 それは、イラク問題が、米国とロ・仏・中の「石油をめぐる争い」だったのと同じ。 (イラクに関しては、石油オンリーじゃないですが。。。)
説明します。 カスピ海に面する、カフカスの旧ソ連国アゼルバイジャン。 原油の埋蔵量は推定2000億バレルと言われています。(推定だから、ホン トのことは誰も知らない) 同国は現在、原油を首都バクーからロシアのノボロシースクまでパイプライ ンで流し、世界市場に供給している。
一方、カスピ海の膨大な原油を確保したい米国は、アゼルバイジャンから隣 国グルジアを通過し、トルコに抜けるパイプライン建設プロジェクトを推進中。これが完成すると、年間5000万トンが、ロシアを経由せずに、世界市場に送 り出されることになる。
パイプライン問題は、カフカスで起こっている、全ての紛争の元凶なのです。建設を阻止したいロシアは、グルジアからの独立を目指すアプハジア・南オ セチア・アジャリア共和国を支援しています。
一方でグルジアは、チェチェンの武装勢力を保護している。 原油のあるアゼルバイジャンはどうかと言うと、故ゲイダル・アリーエフ前大統領は、プーチンにとってKGBの大先輩で、両国関係は良好でした。
▼カフカスの米ロ対立2
カフカスの米ロ対立は現在、米国有利で進んでいます。 昨年から現在まで、ロシアにとって不利な出来事が次々と起こっているのです。 まず、2003年9月。 パイプライン建設が開始。完工は今年度末の予定。
次に、プーチンさんと仲良しだったゲイダル・アリーエフ大統領が死亡。 昨年10月の大統領選で、息子のイリハム・アリーエフが当選します。 42歳のイリハムは、親米派。 さらに、グルジアでも政権が交代しました。 グルジアの大統領は、日本でも有名な元ソ連外相のシュワルナゼ。
同大統領は昨年11月、野党からの退陣要求に屈し辞任。 米国が野党勢力を支援していたため、シュワルナゼは「米国に裏切られた 」と公言しているのです。 今年1月の選挙で勝利した、36歳の新大統領サアカシビリは、コロンビア大 学とジョージ・ワシントン大学を卒業したバリバリの親米派。
米国の圧倒的な力を背景に、サアカシビリは5月6日、親ロシア・アジャリア 共和国のアバシゼ最高会議議長を退陣に追い込みます。同大統領は現在、同じく親ロの南オセチア共和国支配を目指して行動を起 こしています。
その後はアブハジア。 5月9日、チェチェン共和国のカディロフ大統領が、爆弾テロにより死亡しました。 カディロフは、元イスラム教聖職者で、独立派のリーダーだったのですが、99 年に親ロ派に転向。 2000年夏、プーチン大統領に任命され行政府長官に、昨年秋、選挙で圧勝し大統領に就任したのです。
ここまでの構図を整理してみましょう。
1、米国とロシアは、カスピ海の原油をめぐって争いを続けている
2、米国は、原油のあるアゼルバイジャン・パイプラインの通るグルジアに親米政権を打ち立てることに成功している
3、米国に支持されているグルジアは、チェチェンの武装勢力を保護している
4、ロシアは、グルジア国内の独立勢力を支援しているもちろん私は、「米国が今回のテロにからんでいる」と言っているのではありま せん。 証拠もないのに、そんな過激で無責任なことを書くのは間違っているでしょう。 ただ、チェチェン問題というのは、「ロシア対チェチェン独立派の対立」と言う 一言では片付けられない。 もっとグローバルな問題なのだということを知っておいたほうが良いということ なのです。
▼テロで得した人
最後に今回のテロで最も得をした人は誰か書いておきましょう。 何度も強調しておきますが、私は、米国と今回のテロ事件が関係あるといっているのではありません。 ただ「事実として誰が得をしたのか?」という話です。
一見何の関係もないように思えるのですが。 これは、ブッシュが一番得をしたのです。なぜか? ブッシュは、「国際テロ」との戦いを力強く宣言している。 もちろん、「大量破壊兵器がなく、フセインとアルカイダが関係ないのにイラクを攻めた」ことに論理性が与えられるわけではありません。
ところが、国際テロの動きが活発になると米国民は、「あ〜、ブッシュの言って たことは正しいわ」と考え支持率が上がるのです。 「証拠はあるの?」 あります。 ここ数ヶ月間、ブッシュとケリーの支持率はほとんど同じだった。 ところが、ニュースウィークの最新調査によると、ブッシュの支持率は52%、ケリ ーは41%で11%も差をつけている。 ブッシュの支持率は、8月から13ポイントも上がっているのです。
【テロが増えるとブッシュの支持率が上がる】
どうやら、ブッシュの再選は確実になってきた感じですね。 そして、戦争は続いていく。「なんでそうなるの?」 これは、バックナンバーで何度も触れていますので、参考になさってください。
「今、ブッシュが違法にイラクを攻撃したこと、利益を独占したことを理由に、世界が平和に向かって連携しつつあります。 ところが、これに対する反作用として、戦争を求める動きが強まるのです。
具体的には、世界中でテロがますます増加していく。 そして、国際世論を「ほらね!国際テロは怖いでしょ?ブッシュは正しかった でしょ?」と誘導する動きが強まってくる。 今回のメルマガの題は、「兆し」ですが、「平和な世界に大前進!」とか、「世界平和一歩手前!」ではないのは、上のような理由によるのです。 まだまだ長い戦いが続くのですね。」
(RPEジャーナルNO248=2004年4月2日号「兆し5」より)
クリントン入院で来日中止でしょうか朝日新聞のサイトから転載します
(転載はじめ)
「クリントントーク in 上智 〜前米大統領と語る大学生の集い〜」参加者募集
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クリントン前アメリカ大統領を上智大学に迎えて、9月12日、「クリントントーク in 上智 〜20代がつなぐ未来のかけ橋〜」と題した大学生の対話集会を開催します。「いまの若い人は……」。そんな声が世間のあちこちで聞こえる今日、果たして本当に今の若い人は「……」なのでしょうか。私たち20代は、近い将来、私たちを取り巻く世の中に対して何ができ、どう変われるのか。
そんな疑問のもとに、前大統領が20代の時に考えた将来と、私たち20代が今考えるべき将来の二つを柱に、熱く語り合います。 (08/23)
■日時:平成16年9月12日(日) 開場15時30分、開演16時〜18時30分
■会場:上智大学10号館(東京都千代田区紀尾井町7−1)
■主催:朝日新聞社
■企画運営:クリントン・プロジェクト学生実行委員会
■後援:上智大学・上智大学アメリカ・カナダ研究所
■申込方法:webアンケートでの事前申し込み
申し込みは大学生に限定させていただきます。
申し込み多数の場合は抽選とさせていただきます。
当選者には、事務局より詳細をメールにてご連絡いたします。
■応募締切:8月31日(火)
■問い合わせ:朝日新聞総合研究本部大学事務局:daigaku-info@asahi.com(転載おわり)
ガスパイプライン構想が軌道に乗ろうと言うときに
わざわざプーチンに冷や水を浴びせるようなことをした。感情どころかいやーな計算を感じますが。
<感想1> 映画「華氏911」をようやく観ました。この映画の悪名高い「プロパガンダ臭」については、私にはあまり気になりませんでした。と言うのも私、プロパガンダ映画にはそれなりの免疫がありますもので。あの懐かしい冷戦時代に、「ナントカ解放」だの「カントカ連帯」といった映画は散々観てきましたもので。さて「華氏911」は、話の運びが強引なところをジャーナリスト連中にはひどく忌み嫌われているようですが、プロパガンダを主眼とした「華氏911」のような映画に「価値中立性」を要求するのは専門バカ的なケッペキ症(もしくは政治オンチにあり勝ちな、慢性「中立」病)というものでしょう。この映画のことをそう難しく考えることはないと思います。アジ演説というものは一種の話芸です。飽くまでも「芸能」なのですから、「話の内容」をではなく、「話」自体を楽しむべきなのです。だから、アジテーター(マイケル・ムーア)の言うことなど話半分に聴いておけば良いのです。そもそもプロパガンダ映画は、報道記事や啓蒙的な意義を持った論説文とは、果たすべき役割が全くちがうのですから。
私が思うに、プロパガンダの本質とは、志を同じくする者同士が寄り集まってみんなで気勢を上げるのに是非とも必要な、「掛け声」または「応援歌」みたいなものなのではないでしょうか。つまり、「仲間うちで盛り上がる」のがプロパガンダの主たる目的で、(見かけとはウラハラに)部外者に対してはもともと「閉じた」構造を持っているのです。だから、映画「華氏911」に対して「ブッシュへの(タメにする)悪口」以上のものを求めるのは、そうする方が間違っていると思います。
政治映画とは、そもそもそういうものなのですから。マイケル・ムーアの前作「BOWLING FOR COLUMBINE」は完成度の高い娯楽作品でしたが、一面では「計算ずくでヒールを演じている掲示板あらし」みたいなアクの強さも感じられたため、私はあまり好きになれませんでした。これに対して「華氏911」では、ムーアは「ブッシュの再選だけはなんとしてでも阻止しなければならない」という政治的メッセージを、誰の目にも分かるように、正々堂々と打ち出しています。
やはり、言いたいことはハッキリと、口に出して言った方が良い。これ見よがしな当てこすりよりも、その方が遥かに潔く感じられる、と私は思いました。もちろん、旗幟を鮮明にすれば敵もできます。また、なにがしかの責任を問われることもあるでしょう。けれども、旗幟を鮮明にしてこそ、真の友人もまた得られるのではないでしょうか。
「朋あり、遠方より来たる。また楽しからずや。」(『論語』学而第一)だから、小泉純一郎に「政治的に偏った映画」だと評されても良いじゃないか。スクリーンに映るムーアの姿が、ピエロかドン・キホーテみたいに見えたとしても良いじゃないか、と私には思われたのです。かつてジョージ・オーウェルが喝破した通り、「自由とは、人の聞きたがらないことを言う権利」のことなのですから。
「華氏911」は、とても「潔い」政治映画だと私は思います。<感想2> 映画「華氏911」の後半は、主にイラクの米軍兵士とその家族へのインタビューで構成されている。それを観ながら考えたのだが、米国がこのままズルズルと戦争の淵へと沈んで行った場合、いずれは徴兵制を復活しないと、国全体が立ち行かなくなってしまうのではなかろうか。現行の志願兵制の下では、構造的に、下層大衆ばかりが戦争でワリを食ってしまうからである。
誰だって命は惜しい。「生命だけはみな平等だ」という、よく耳にする「一般常識」は(ちょっと考えてみれば誰でもその矛盾に気がつく、という程度の)ただの錯覚に過ぎないのだが、実はこの「一般常識」(または、お約束)こそが、国民大衆の「遵法精神の父/秩序意識の母」なのではなかろうかと私は考えている。「生命の価値は、その人間の置かれた立場や状況しだいで、どうにでも変化し得る。場合によっては地球より重たくなることもあるし、場合によっては鳥の羽根より軽くなることもある」という、ミもフタもない真実が誰の目にも明らかになってしまうと、国民大衆の法や秩序に対する敬意は、どこか根本的な部分でネジが緩んでしまうからである。
世界中どこの国でも炭鉱夫の労働組合が戦闘的になり勝ちなのは、「立場や状況しだいで、生命の価値(死ぬ危険)はどうにでも変化し得る」ということが、そこでは誰の目にも明らかだからである。
「事故と閉山さえなければ、炭鉱は天国のような職場だ」と聞かされてはいたが、実際その場に身を置いてみると、「ここでワリを食う立場に置かれたら、死ぬ目に遭うかもしれない」という日常感覚は、また格別のものであった。これは待遇の良し悪しとは、また別の問題だと私には感じられた。もちろん、「本人の自由意志に基づいて、危険は承知の上で実入りの良い職業を選択した以上は、それもまたやむを得ないことなのではないか」という至極真っ当なご意見も、「半分だけは正しい」と認めざるを得ないのだが。閑話休題。アメリカの息子たちのうち「(危険を承知で)志願した者たち」ばかりが、今後もイラクで空しく出血を続けた場合、さしもの米国でも(約100年ぶりに)「階級闘争」が起きかねないのではなかろうか。私にはそんな風に思われた。「戦争の危機が内乱に転化する」のを防ぐためには、上院議員の息子といえども然るべき者には然るべく兵役の義務を課すことで、アメリカ国民の精神的一体性を回復・維持する必要があろう。「国民の精神的一体性」とは早い話が、「生命だけはみな平等だ」という「一般常識」が国民大衆の間にちゃんと保持されていること、愛国心または忠誠心が国民大衆の間で「公平に負担されて」いること、犠牲的精神を発揮するための機会が「誰に対しても均等に保障されて」いることだからである。もしも私が合衆国大統領なら、きっとそうするだろう。
<感想3> それにしても、ジョージ・W・ブッシュという人はつくづくイナカ臭いキャラだと思った。見た目だけで人を判断するつもりはないけれど、見れば見るほどイナカ臭いオッサンである。いかにも「共和党WASP」ッ、と言った顔立ちをしたジョージ・H・W(父ブッシュ)の息子が、どうしてこうなってしまうのだろうか。これも「生命の神秘」というものか。
そう言えば20年ほど前に、従兄がこんな話をしてくれたことがある。
従兄いわく、「この間、ウチの会社にフランシス・フォード・コッポラが来たよ」。
今日の老いさらばえたコッポラではない。20年前のコッポラは「ゴッドファーザー」や「地獄の黙示録」を撮った、いわば「知の巨人」であった。
「そ、それで一体どんなお方だったンですか、コッポラは」と、私が恐る恐る尋ねると、従兄いわく、「いやあ、ただのイナカ臭いオッサンだったなァ」。
うーん、もしかしてもしかすると、アメリカ人って、本当は・・・・。(以上)
停滞する北方領土返還運動を盛り上げるために、小泉総理は北方四島を海上から視察する計画だそうだ。
「北方領土返還なくして平和条約締結なし」とのたまわっているという。
ロシアが領土返還に応じる可能性が少しでもあるのだろうか。
冷戦時代のオホーツク海はソ連原潜の聖域だった。世界地図を眺めればすぐにわかることだが、カムチャッカ半島と千島列島は城壁のようにオホーツク海を守っている。北方四島の返還はその城壁に巨大な穴を開けることを意味しており、ソ連にとって絶対に受け入れられない要求だったのである。現在のロシアにとってオホーツク海の軍事的な位置づけがソ連時代と基本的に変わっていないとすれば、やはり北方四島返還はあり得ないということになる。返還は100年、200年かけて実現すべき課題なのである。交渉というものは相手が譲歩する可能性が少しでもある場合にのみ意味を持つ。来年2月に来日予定のプーチン大統領との話し合いは小泉首相の呼びかけによるものであり、ロシア側が交渉を切望しているわけではない。日本側の方針転換がない限り、何の成果もなく終わるだけでなく、関係悪化にいたることさえ予想される。
ところで、北方領土返還要求は我々日本人にとってどのような意義があるのだろうか。返還による経済的メリットは小さい。漁場が少し広がることと、新たな観光地が生まれることぐらいだろう。したがって、主として日本人の感情の問題といっていいだろう。
一方、ロシアとの友好を推進することによる経済的、外交的メリットは大きい。
ロシアは石油、天然ガス、鉱物資源、木材など豊富な天然資源を持つ。将来、温暖化が進めばツンドラは穀倉地帯に変身するかもしれない。やがて中国との天然資源や食料の奪い合いの時代がやってくるだろうから、ロシアとの友好関係の確立は日本にとって死活的に重要なのである。
また、中国は経済発展に伴って政治的・軍事的な影響力を強めつつあり、今後日本を含む周辺国との摩擦が激増することが予想される。中国の発展に警戒感を強めるロシアとの友好関係は、中国に対抗する上での極めて有効な外交カードになると考えられる。
さらに、核超大国であるロシアが安定した民主的国家であることは、日本の安全にとって極めて重要である。友好関係の確立により、日本がロシアの経済的安定化に寄与することが可能になるだろう。庶民が感情に流されるならともかく、総理大臣までもが感情のままに行動する日本の外交に危うさを感じずにはいられない。我々の理性は「領土問題を切り離して平和条約を締結すること」こそが正しい選択であることを認識している。
現役最高齢の指揮者といえば、故・朝比奈隆が代名詞みたいなものだったが、講談社の河合隼雄・文化庁長官との対談本に登場している、中川牧三(なかがわ・まきぞう)氏は現在101歳の最高齢の指揮者というふれこみで出てきました。
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2125498この人の証言はどこまで核心をついているか判らないのですが、満州国の文化政策について知るには良い資料でしょう。満州国の文化政策の資料としては、岩野裕一氏の「王道楽土の交響楽」(音楽之友社)があり、こちらの方が詳しいです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276211247/qid=1094119046/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-5473045-8195459
http://www.music.co.jp/classicnews/c-news/0213-0219.html#iwano
中川氏によると、故・朝比奈隆氏が上海交響楽団の主席指揮者に抜擢されたのは、戦後松下電器の副社長になった人の後押しだったということです。中川氏は、語学力を買われたか、運転技術を買われたかで、蒙古に招集されて大東亜戦争期を過ごします。かなりの裏側の歴史を知っている人のようですが、上の本ではあまり核心に触れたことは語っていませんでした。リコウランとも仲が良かったようです。思想的には、左翼リベラル派です。しかし、情報将校(関東軍の報道部)の経歴もあり、色々なことは知っていそうです。
満州国には白系ロシア人の芸術家が迫害を逃れて逃げてきたのですが、この中にはかなりのユダヤ人が居ただろうと推測されます。白系とユダヤは対立したと言うことにはなっていますが。ユダヤと白系の融和を計った、軍人・樋口季一郎氏は、ちなみに、バッハ評論の音楽評論家の樋口隆一氏は縁戚関係にあるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022572973/3w-asin-books-22/250-5473045-8195459
石原完爾のユダヤ人誘致論と虚実入り交じって密接に関わっているでしょう。
最近、よく新聞で出てくる「民間議員」という言葉。
この民間議員というのはほぼすべて、本間正明・阪大教授のことを指すのだと見て良いでしょう。なぜなら、経済財政諮問会議という団体は、なんだか凄く幅広い層からの陣容で運営されているように感じてしまいますが、実はメンバーというのは非常に少なくいのです。
(貼り付け開始)
* 小泉純一郎 議長 内閣総理大臣
* 細田博之 内閣官房長官
* 竹中平蔵 経済財政政策担当大臣
* 麻生太郎 総務大臣
* 谷垣禎一 財務大臣
* 中川昭一 経済産業大臣
* 福井俊彦 日本銀行総裁
* 牛尾治朗 ウシオ電機(株)代表取締役会長
* 奥田碩 トヨタ自動車(株)取締役会長
* 本間正明 大阪大学大学院経済学研究科教授
* 吉川洋 東京大学大学院経済学研究科教授http://www.keizai-shimon.go.jp/about/member/index.html
(貼り付け終わり)たったこれだけの陣容で郵政民営化の青写真を作っているようなのです。もっと数十人の規模の民間議員がいるのと思っていましたが、なんだかこれはただの竹中の茶坊主集団とでもいった方が良さそうな感じです。
本間正明阪大教授は竹中が阪大時代の同僚ですし、この人はたぶんアメリカ流の経済政策を勉強しすぎて頭がおかしくなった人なのでしょう。
東大の吉川洋という教授はケインジアンということなのですが、郵政民営化は「当初から分社化して」というような発言をしております。
竹中と一緒にいて感化されたのか、自由な発言ができなくなっているどちらかでしょう。牛尾さんや奥田さんの発言が聞こえてこないようにも思います。郵政民営化の議論では、もっぱらこの本間・吉川の発言が新聞で取り上げられます。日銀総裁や奥田碩氏もメンバーのはずなのですが、全然出てきません。それから、諮問会議のサイトでは、竹中が会議レポートと称して、内容を報告しているのですが、民間議員の発言者が誰なのか全然判らないようになっています。
それから、諮問会議は、所謂三位一体改革にも関わっておりまして、ここでも本間教授が発言をたくさんしているようです。
本間教授と財務省がグルになって、地方への地方交付税交付金の供与額を激減させて、地方経済に打撃を与えようとしているようです。
茶坊主にすぎない、竹中のひも付きのエコノミストが国の経済を左右する決定をこのような僅かな人数で決めていくというのはいかがなものでしょうか。こういうのを政治主導というのでしょうかね?
☆日本仏教は儒教である。そう言い切ってしまうと、すっきりするよな…これが、この本を読んでの小生の感想であった。おもしろい一冊であった。関係しそうなホームページも参照してください。葬祭研究所;http://www.sousaiken.com/ssk/world/
家族葬、海洋葬ネット;http://www.kazokuso.net/soshi/09.html
『沈黙の宗教―儒教』の書評;http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/opinion/kaji_jukyo.htm■はじめに――葬式と儒教と
儒教とは何か――葬式を例にとってみよう。葬式の中に、儒教が落している影を見ることができるからである。
日本で葬式と言えば、まず仏式であろう。葬式があると聞けば、日本人の大半は、まずは仏式と思って数珠を持って参列する。私は真言宗信者としてすでに受戒しており、仏式葬儀を心得ている。ところが、参列してみると、参列者のほとんどが仏式葬儀において最も大切なことが分っていない。すなわち、参列者のほとんどの人が拝みかたをまちがっているのである。
葬儀場、たとえば寺院の本堂としよう。死者は僧侶でなくて、一般人としよう。そのとき、参列者のほとんど百パーセントの人は、葬儀場に安置されている死者の柩や写真や白木の位牌を拝んでいる。特に写真に向かって拝んでいる。これはおかしい。
[尚]儒教では、死者がベッドにあるとき、それを「屍」と言い、棺に納めた死者を「柩」と言うのだが、現代日本語では、棺すなわち柩として使われているので、それに従っておく。
仏教徒であるならば、その寺院の本堂中央に安置されている本尊をこそ拝むべきである。死者の柩は真正面でなく、かたわらに置いてもいい。なぜなら、仏教では、仏を、ひいては法(最高の教え)をこそ崇め拝むのがいちばん大切なことであるからである。そして、崇め拝み奉った本尊の広大な恵みや余光を得て、導師(僧侶)に導かれて来世の幸福が得られることを、あるいは成仏することを死者に期待するのであるから。
もちろん、仏式葬儀は寺院で行なわれるとは限らない。むしろ自宅に会場をしつらえて葬儀を行なうことが多い。その場合でも、仏式ならば、その会場に本尊を必ず安置する。その本尊は、暫時、仏壇の奥に座します本尊を遷して安置してよいのだが、多くの場合、別の臨時の本尊を安置する。どういう本尊かと言うと、その宗派を代表する名号を記すことによって本尊を象徴化した掛軸である。たとえば真言宗系なら「南無大師遍照金剛」、浄土宗・真宗系なら「南無阿弥陀仏」、禅宗系なら「南無釈迦牟尼仏」、日蓮宗系なら「南無妙法蓮華経」といった、その宗派の象徴となっている重要なことば、名号を一行に記した掛軸を掛け、それを本尊とする。この掛軸の前に柩を置くのがふつうとなっている。だから、崇め拝むべき対象は、あくまでも本尊としてのこの掛軸である。その掛軸への拝礼が終ってから、柩に対して思いをいたすべきである。これが仏式葬儀における最も大切な点である。これに比べれば、その他のこと、たとえば数珠をどう待つかとか、焼香のとき香を何回つまむとか、遺族にどう会釈するかとか、などといったことは論ずるに足らない小事である。
しかし、仏式葬儀参列者のほとんどの人は、故人の写真を仰ぎ、柩に向かって礼拝し、故人を想い、泣き、何回も香をつまんでは焼香し、重々しく遺族に挨拶しているだけであって、本尊に対してはまったく素知らぬ顔で退場する。葬儀業者もいたずらにゴテゴテと祭壇を盛りあげ、本尊の掛軸を見えなくしてしまい、故人の写真や白木の位牌をデンと大きく前面に据えて、あたかもそれが葬儀の中心であるかのようにしつらえてしまっている。多くの葬儀業者は仏式葬儀とは何かということがよく分っていない。だから会場入口に仏教とは何の関係もない水車などを置いて回したりしている。あるとき私が亡友の葬儀委員をしたとき、水車のようなそんなものは不要だから除けろと業者に言ったところ、とんでもない答えが返ってきた。「除けられません。セット料金になっていますから」。
では、人々はなぜ柩を拝むのか。これは実は、仏教ではなくて儒教のマナーである。厳密に言えぼ、儒式葬儀の一段階なのである。と言えば、読者諸氏は驚かれることであろう。しばらくそのままで、もう少し仏式葬儀の進行の様子を見てみよう。
葬儀が始まり、本尊に対する導師の読経が終ると、導師はさっさと退場する。そのあと、遺族たちによって柩に別れ花が入れられる。ついで遺族たちが柩を持ち(挽き)出棺となる。この儀式のとき、不自然さを感じないであろうか。と言うのは、本尊に読経し死者を導いた導師が、出棺前に柩をそのままにして、さっさと先に退場してしまい、なぜ出棺に立ち会わないのか、という点である。
その理由は簡単である。仏教では、死者の肉体は、もはや単なる物体にすぎないからである。死者は成仏したのである。あるいは、成仏しない場合、その霊魂は生の時間から、([中陰]と言う)別の時間にはいったのである。すると、残る肉体には、もはや、仏数的意味はない。
しかし、儒教は違う。儒教では、その肉体は、死とともに脱けでた霊魂が再びもどってきて、憑りつく可能性を持つものとされる。だから、死後、遺体をそのまま地中に葬り、墓を作る。それがお骨を重視する根本感覚となるのである。そうした儒教的立場からすれば、死者の肉体は、悲しく泣くべき対象であり、家族(遺族)がきちんと管理すべき対象なのである。出棺のとき、仏数的には僧侶は関係がなく、儒教的には家族が関係し、その柩を運ぶのは、当然なのである。
儒教では、死者になると、それを悼(イタ)んでいろいろな儀式を行なう。始めにまず北窓の下にベッドを設けてそこに遺体を安置する。これは儒教の規定である。このあと順を追って実にこまごまとした規定の下に儀式を進行する。そして出棺となり墓地に葬る。死から葬るまでのその間、遺体を家に安置しておくが、このことを殯(もがり・かりもがり)という。死後すぐに遺体を葬るわけではない。今日の葬式において、お通夜をしたり告別式がすむまで柩を安置しているのは、(遺体を葬る、あるいは焼くまで、医学上・法律上の時間制限があるが、それは別として)儒教における殯の残影なのである。もちろん、日本における古来からの習俗とも融合してはいるが。
以上のように、儒教では、死から殯の儀式を経て、遺体を地中に葬り、さらにその後の儀式が続くが、そういう一連の儀式全体を〈喪〉と言う。遺体を埋める〈葬〉は《喪礼》の一段階にすぎないのである。だから儒教的に言えば、「葬式」ではなくて「喪式(喪礼)」が、「冠婚葬祭」ではなくて「冠昏(婚のこと)喪祭」が正しい。しかし、現代日本語では、「葬式」ということばで表わすようになってしまっているので、以下、本書においても「葬式・葬儀」ということばを使うことにする。
さて、儒教的には、死者の肉体は焼くべきではない。かつては遺体をそのまま土葬することが多かったが、それは儒式である。仏教は火葬にする。死者の肉体には仏教的意味か認められないからである。まして、焼いたあとの骨を拝むなどということは、仏教的にはおかしい。お骨を納めたお墓は、ほんらいは仏教と関係がないはずである。ただし、シャカが亡くなってのち、その骨を納めた塔が建てられ、崇拝されているのは、例外である。追慕の極まった形にすぎない。
このように、仏式葬儀の中に、儒式葬儀の儀礼が取りこまれているのである。いや、あえて言えば、インドにおけるほんらいの仏教に、はたして今のような葬儀の儀礼があったのかどうか疑問なのである。たとえば、明代の中国人儒者、丘しゅんは、こう言っている。仏教は、中国伝統の喪礼や祭祀のしかたを盗んで葬儀や法要の諸儀礼を作っている、と(『文公家礼儀節』序)。ただし、誤解なきようにあえて記すが、日本仏教はもちろんすぐれた宗教として存在する。私は仏教信者でありつつ、儒教的感覚の中で生きている。
一方、「儒教に葬儀儀礼があるのか」と問う人がいる。愚問である。儒教こそ葬儀を重視し、みごとに体系化しているのである。葬儀儀礼をぬきにして、儒教は存在しえないと言って過言ではない。儒教こそ葬儀を本分としている。そして、この葬儀を通して、儒教は宗教へと一直線につながっているのである。にもかかわらず、儒教は死を語らない、と誤解され、ただ単に倫理道徳を教える四角四面のイメージとして理解されている。それは大いなる誤りである。儒教こそ実は死と深く結びついた宗教なのである。そのことを、本書はこれから述べてゆく。
さて、葬式で拝礼、出棺ときたのであるから、もう少し葬儀の進行を追ってみよう。葬儀の帰路、会葬者に対して遺族側は答礼として御挨拶をする。そのとき、「清め塩」(塩を小さな紙袋に入れたもの)というものがよく渡される。これはいったい何なのか。
葬儀が終って帰宅して家に入る前、この清め塩を身体にふりかけるためである。なぜなら、葬儀に参列し、死者と関わり、死の穢れがついたであろうから、それを除くための「清め塩」というわけである。
死者の穢れ−これは儒教でも仏教でもない。日本古来の死生観であり、神道につながっている。日本人は死者を穢れたものと考えてきた。その点は中国人(儒教)やインド人(仏教)と異なる。しかし、古来の習慣の伝統は絶えない。日本古来の死生観は、仏式葬儀の中にもとりこまれ、ちゃんと生きている。また、儒式葬儀と日本人の死生観と重層するところがいくつかある。それは後に触れることにしよう。
いずれにしても、現在ごくふつうに行なわれている仏式葬儀の中に、実は儒教や神道の考えが色濃く流れているのである。しかし、人々はふつうそれを意識しないままでいる。いや、実は知らないままである、というのが正確であろう。
そして一方、儒教と言えば、一般には、ただ単に倫理道徳としてしか理解されず、しかも古い封建的なものという、否定のおまけまでついているのが現状である。さらに言えば、世に仏教やキリスト教の概論書は山ほどあるものの、儒教概論書は数えるくらいしかない。しかも、仮にあったとしても、私の眼から見ると、現代人の要求に対して応えうるようなものではない。それどころか、儒教を不十分に、あるいは誤って理解しており、むしろ逆効果のようなものさえある。
儒教とは何か――それを根本から問い直してその歴史を追ってゆき、最後に、儒教が現代にどのように関わっているかということを述べるのが本書の目的である。
■現代における儒教儒教とは何か――その歴史を本書は、(1)発生期の原儒時代、(2)儒教理論の基礎づけをした儒教成立時代、(3)その基礎理論を発展させた経学時代に分けて述べてきた。要するに、儒教は礼教性(表層)と宗教性(深層)とから成り立っており、大きく言えば、(1)は、礼教性と宗教性との混淆時代、(2)は、両者の二重構造の成立時代、(3)は、両者の分裂とその進行との時代である。その礼教性は公的・社会的(ただし、家族外が中心)・知的性格を有し、知識人(読書人)・官僚(士大夫)を中心にして深化した。一方、宗教性は私的・社会的(ただし家族内が中心)・情的性格を有し、一般庶民を中心に受け継がれてきた。ただし、礼教性と宗教性とは、家族論において重なりつつ、つながっている。この点が重要である。
このように展開してきた儒教が、それでは近・現代においてどのような形で存在しているのであろうか、連続しているのか、消滅してしまったのか、といった問題が最後に残っている。その点についてこの章において述べてゆきたい。
さて、儒教の批判者たち――歴史的に言えば、老荘思想に始まり現代の文化大革命期における批林批孔運動(文化大革命期に機会主義的に政権を握った人物として位置づけられた林彪への批判。ならびに、反革命的とされた林彪が孔子崇拝をしていたというので、併せて孔子をも批判する運動)に至るまで、中国人たちの批判の大半は、儒教批判と言っても、実質は礼教性への批判であって、宗教性への批判ではなかった。だから、いくら批判しても、それは儒教に対する根本批判、根底からの批判とはならなかった。
しかし、形式的には、見かけにおいては、礼教性批判は功を奏する。なぜなら、礼教の大半は制度や慣行として現われていたから、それらは時代の進展とともに内容が遅れ、ずれてくる。そのずれにおいてさまざまな矛盾や非現実的なことが当然出てくる。だから、その点を突くことはたやすく、人々の共感も得やすい。その意味では魯迅ら中国近代の知識人たちの急進的な儒教批判は見かけは当っていた。なぜなら、彼らの儒教批判とは、実は儒教の礼教性批判であったからである。礼教的構造の清王朝と近代国家のありかたとを比べると、そのずれはまことに大きく、中国近代の知識人たちは国教としての儒教を批判せざるをえなかった。それはそれで正しかったが、宗教性の方を見落していたので、何度も述べるように実は効果はなかったのである。
しかし、さすがに世の宗教者は儒教の宗教性という根本に向かって批判した。仏教がそうであり、キリスト教がそうである。すなわち祖先崇拝や招魂儀礼への批判である。しかし、後の中国仏教、そしてその中国仏教を経てきた日本仏教は、祖先崇拝を結局は自分の側に取りこんで融合してゆき、東北アジア人に受け入れられる独特の仏教を作っていった。それはインドで生れた仏教とは異なるものである。つまり、仏教は儒教の宗教性をついに批判しきることができなかったのである。もっともキリスト教は、祖霊信仰を含め、招魂儀礼そのものに対して依然として今もその批判を続けている。たとえば、戦争で散華した英霊の憑りつく忠魂碑に対する慰霊祭を行なうことに向かっての攻撃がそれである。
さて、国民に主権があるとする民主主義に基づく現代国家となった今日においては、中国の科挙官僚や日本の武家行政家用に煮つめられていて、その意識を引きずってきた礼教性的儒教は、その一般性や組織においてほぼ完全に崩壊し解体した。たとえば、日本の場合、現在では、天皇への《忠義》という礼教的規範はほとんど完全に消滅してしまっている。また、経済的には資本主義が主流であり、商工業の発達した現代にあっては農本主義の儒教はその発言力を弱めている。すなわち、前近代のかつての諸制度と結びついていた儒教の礼教性の影響力を、表面に直接的な形で見ることは困難である。
だから「儒教文化の精神構造には、変革を通じて経済発展を促すような力はないと思います。たまたま、何らかの要因で、その国が経済発展の枠の中にはまると、儒教の教えは、その国の経済成長を促進する役割を果たすわけです」(金子敬生・安元泰共編『東アジアの経済発展』二二〇ページの仁平耕一氏の発言・渓水社・一九九〇年)というような発言が出てくる。
しかし、このような発言は、儒教を粗大に捉えた典型である。儒教の礼教性は一般性や組織性としては確かに崩壊したけれども、変形したり、部分的に残存したり、あるいは人々の意識の底に沈んでいる。右の発言中「儒教文化の精神構造」とあるが、その内容はいったい何なのか。たとえば、朱子学的論理性(順序を追って段階を踏んでものごとを因果律的に理解し解決する方法)、人工、人為的世界の重視(人間や環境を知的な社会性あるものとする)、有能な行政官僚の指導の重視、階層の流動性の観念(その典型が科挙という試験の合格者の階層上昇。現代日本では学歴や各種試験合格がそれに相当している)といったものなどが、「儒教文化の精神構造」を組み立てている。そこには「経済発展を促す力はない」と言うのであろうか。
仮に、そうした点を問わないとしても、もっと重大な誤りがある。それは現代の研究者(とりわけ中国学の)が依然として儒教の宗教性を相変らずまったく見ていない点てある。
儒教の宗教性は、現代においてしぶとく生き残っている。すなわち、孝である。祖先崇拝・親への敬愛・子孫の存在という三者を一つにした生命論としての孝、死の恐怖・不安からの解脱に至る宗数的孝である。
その孝は、日本では仏教が吸収してしまってはいる。しかし、家庭における仏壇は、実は仏教ほんらいのものではなく、儒教における廟・祠堂あるいは祖先堂(祖先の神主を祭る場所。みたまや)のミニチュアである。仏壇の最奥上段に座します本尊を拝み、読経すること、これは仏教である。しかし、本尊から一段下がった中段に並べられている祖先の位牌は、空中に浮かぶ祖先の霊を憑りつかせる神聖な存在である。そこに祖霊を招き(思いを致し)慰霊をする。それは儒教である。仏を崇める経文を読みつつ、一方、香を焚き、まごころ(誠)をこめて祖霊に祈るのは儒教の招魂儀礼である。毎朝、私は仏壇の前で、崇仏(仏教)と慰霊(儒教)とを行なっている。この二つを混合しながら、古来、日本人は仏壇を自分の家の精神的依りどころとしてきた。儒・仏を混合している中国人・朝鮮人もそうである。私は真言宗信者として仏教を、原感覚として儒教を、論理矛盾を知った上で、ともに大切にしている。
日本人はお彼岸やお盆には祖先の墓参りをする。仏教においては、墓を建てることはもとより、墓参りなどあり得ないのに、日本人はそれを行なう。すなわち、墓参りはほんらい儒教であり、その日をお彼岸やお盆の日に選ぶのは日本仏教である。儒教において墓参りし、墓の掃除をするのは、清明節(春分の日からあとの十五日間)のときであって、彼岸や盆とは関係がない。中国人は今もそうしている。
しかし、そのような儒教と仏教との混合は、なにも日本人だけではない。中国人の場合は、儒教・仏教に加えてさらに道教までが混合している。多神教の東北アジア人は、神仏をいろいろとお祭りして平気である。なぜなら、本地垂跡(ホンジスイジャク)という考えによって多神相互の矛盾はきれいに消えてしまうのであるから。
このように、れわれ日本人の家庭の場合、(廟・祠堂でもある)仏壇を中心に祖先崇拝によって精神的にまとまっている。ホテル家族(家をただ寝泊りに使うだけで精神的つながりの乏しい家族形態。小此木啓吾氏の説)となる大きな理由の一つは、おそらく仏壇や墓に対して関心がなかったり、法事や墓参りをしない家庭であろう。今日、そういう家庭が増えてきていることは事実である。しかし、大部分の家庭では依然として一族によって法事を行ない祖先の祭祀を怠っていない。この事情は台湾・韓国においても同じである。たとえば、在日朝鮮人家庭において、命日などに祖先の霊を祭る儀式の〈祭祀〉(チェサ。これは完全に儒式の儀礼)が、今もきちんと行なわれている。すなわち、儒教における宗教性が家庭において、ちゃんと生きている。ここのところが最も肝腎である。ここにこそ、儒教文化圏が存在する根拠があるからである。
家族における精神的つながりを、各家庭において持っていること、それは家庭という空間を安定させるとともに、過去(祖先)から未来(子孫)にかけての時間という儒教風の永遠を求める意識を養っている。そこから、現実の己れの生死を越えて広い世界を見る眼も生れてくる。
もし儒教風の永遠をこの世に求めるとすれば、社会や地球に対して、後は野となれ山となれ、というような無責任なこと、たとえば環境破壊などはできないではないか。また、義務に力を入れず、ただただ個人の権利の主張を突出させるだけという行きかたもそぐわない。常にいま自分とともにある家族という共同体と運命を共にするというのが、儒教文化圏の人々の心情なのである。すべては、ここから始まる。
共同体には、もちろん愚劣さも多くある。しかし、この世に完璧なものなどはない。儒教文化圏の人々には、キリスト教的な唯一神の恩寵を求めるという他力的な発想はない。仏数的な輪廻転生という発想もまた稀薄である。この現在、この現実を家族とともにどう生きてゆくのか、ということを懸命に考え行動する生活者が、儒教文化圏の人々である。それを支えているのが、宗教的孝、生命綸としての孝であることは言うまでもない。
東北アジア、すなわち儒教文化圏における経済や工業の発展についてその理由を研究する際、あるいは広く儒教文化圏の諸問題を検討する際、衰退しつつある〈儒教の礼教性〉を見るのではなくて、人々の間でしぶとく生きている、そして今後もしぶとく生き残ってゆくであろう〈儒教の宗教性〉をこそ指標として見るべきである。礼教性のような上部の規範(道徳)は社会や歴史の変化と連動して変りもし消えてもゆく。しかし、根底の宗教性は、東北アジア人の原感覚に基づいているのであるから、これは絶対に変らない。ましてイデオロギーごときが動かせるものではない。
この〈儒教の宗教性〉は、一部、家族理綸中の礼教性を残しつつ(家族が接点であるから当然であるが)、儒教文化圏、東北アジアの人々の心の中に生きている。心の深層の中に生きている。それを私は〈儒教の内面化〉の時代と捉えている。これが現代における儒教である。われわれ儒教文化圏の人間は、このような時代に生きている。
東北アジア人としてはヽその原感覚の、祖先崇拝を核とする宗教性に基づいてその上郡に現代における倫理(環境破壊をしないなど)や家族論(精神的な柱など)を樹ててゆくべきであろう。それが最も人に共感を与えると考える。その際、おそらくいわゆる進歩的人士が、相変らず儒教の礼教性(これまでのそれは、もうすでに崩壊しているのに)を持ち出してきては、古い封建的なこのようなものの復活反対などと声高に叫ぶことであろう。しかし、それは《無学にして無知な知識人》の見当はずれの批判であり、時代錯誤の硬直したイデオロギーの宣伝にすぎず、原感覚をしっかと持っている庶民の共感を呼び起さない。
本書が、儒教倫理そのものやその働きや意味などについて書くべきことが多くありながら、つとめて少なくし、あえて特に〈倫理〉の問題を項目として立てて論じなかったのは、まず何よりも、儒教を通じて〈東北アジア人の原感覚による宗教性〉を理解してほしかったためである。
宮内氏とナベツネについて、私が知っていることを投稿します。関西テレビが放送している、『ぶっちゃけ!生タマゴン』 という番組に、
『ゲノスポ☆パンチ』というコーナーがあります。
(引用始め)■ゲノスポ☆パンチ
スポーツ界、特に野球界で起こっているニュースをプロ野球解説者きっての論客、
金村義明が軽快かつ鋭く切り込んだタッチでお送りするコーナー。試合中のスポーツ選手、
首脳陣達のウラの心理まで読み込んで織りなす解説は必見です!http://www.ktv.co.jp/b/tamagon/
(引用終わり)
このコーナーで、金村義明氏がこんなことを言っていました。1.ナベツネは、宮内氏がオーナーになろうとしたときに、
オリックスのような金融サービスを行っているような会社は、
ふさわしくないと反対した。2.そのために、2人の仲は険悪になり、
巨人はオリックスとオープン戦を組まないという措置に出た。
オープン戦といえども、巨人と試合をすれば大きな収入になるので、オリックスとすればこれは痛い。
1.についてだが、大阪ドームに武富士が広告を出した時にも反対していたから、
ナベツネは、金融業なんて卑しいものだ、とでも考えているようだ。
(引用始め)宮内氏は、おそらくナベツネの失脚の一連のスキャンダルを背後で操っているのではないか。
宮内氏自身はナベツネに気に入られている子分のようなフリをしながら、
機会が来ればナベツネに襲いかかって、日本の野球利権を奪い取ろうとしているだろう。ぼやき「584」
(引用終わり)
宮内氏は、スキャンダルでナベツネへの復讐を果たし、野球利権を奪うつもりだろう。
『バイブルに見るビジネスの黄金律』から一部貼り付けます。(貼り付け開始)
青木秀雄(MKグループ代表取締役副会長)
ヨシュア記1:9 主が共におられる
For I, the Lord your God, am with you wherever you go.五十嵐有爾((株)白洋舎顧問)
詩篇51:17 神の受け入れるいけにえは砕けた魂です。
My sacrifice is a humble spirit, O God.池田守男((株)資生堂代表取締役社長)
好きな言葉:奉仕と献身
備考:マルコによる福音書10:44 人のさきにたちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい
and if one of you wants to be first, you must be served.
「サーバント・リーダーシップ」 参考:『新・リーダーシップ教本』ケン・ブランチャード著 生産性出版岩原侑(株)近江兄弟社代表取締役社長
マタイによる福音書9:17 新しいぶどう酒は新しい皮袋に
New wine is poured into fresh wineskins.
好きな本:『論語』上田利昭((株)チュチュアンナ代表取締役社長)
創世記3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に返る。
You will have to work hard and sweat to make the soil produce anything, until you go back to the soil from which you were formed.
箴言29:18 幻の無い民は滅びる。
A nation without God’s guidance is a nation without order.梅津善一(公認会計士 梅津公認会計士事務所)
コリント人への手紙2 12:9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
But his answer was: “My grace is all you need, for my power is greatest when you are weak.” I am most happy, then, to be proud of my weaknesses, in order to feel the protection of Christ’s power over me.金山良雄((株)ムラサキスポーツ代表取締役会長)
ヨハネの福音書12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
25 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
24 I am telling you the truth: a grain of wheat remains no more than a single grain unless it is dropped into the ground and dies. If it does die, then it produces many grains.
25 Those who love their own life will lose it; those who hate their own life in this world will keep it for life eternal.
マタイの福音書25:40 そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
At that time two men will be working in a field; one will be taken away, the other will be left behind.
好きな本:聖書の箴言はビジネスマンの必読書才門正男(第3セクター飯綱リゾート開発株式会社代表取締役)
テサロニケ人への手紙1 5:16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
16 Be joyful always,
17 pray at all time,
18 be thankful in all circumstances. This is what God wants from you in your life in union with Christ Jesus.佐藤綾子(日本大学芸術学部教授/社団法人パフォーマンス教育協会理事長)
ローマ人への手紙5:3 そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生みだすと知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。
3 We also boast of our troubles, because we know that trouble produces endurance,
4 endurance brings God’s approval, and his approval creates hope.
5 This hope does not disappoint us.眞田茂人((株)レアリゼ代表取締役社長)
マタイの福音書7:12 自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい
12 Do for others what you want them to do for you.島田恒(島田事務所代表/京都文教大学人間学部教授)
ヨハネによる福音書8:32 真理はあなたを自由にする。
32 The truth will set you free.杣(そま)浩二((株)サンビルダー代表取締役)
ローマ人への手紙5:3 そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生みだすと知っているからです。
5 この希望は失望に終わることがありません。
3 We also boast of our troubles, because we know that trouble produces endurance,
4 endurance brings God’s approval, and his approval creates hope.
5 This hope does not disappoint us.田上和男((株)中納言代表取締役社長)
歴代誌上28:20 こうしてダビデはその子ソロモンに言った。「勇気をもって雄々しく実行せよ。恐れてはならない。おじけてはならない。わたしの神、神なる主はあなたと共にいて、決してあなたを離れず、捨て置かず、主の神殿に奉仕する職務をことごとく果たさせてくださるからである。
20 King David said to his son. Solomon, “Be confident and determined. Start the work and don’t let anything stop you. The Lord God, whom I serve, will be with you. He will not abandon you, but he will stay with you until you finish the work to be done on his Temple.冨田賢(大阪市立大学大学院専任講師)
伝道者の書(コヘレトの言葉)3:1 すべてのことには時がある
A time for everything 1 Everything that happens in this world happens at the time God chooses.
ローマ人への手紙12:6 8 私たちは異なった賜物を持っている。喜んでそれをしなさい
6 So we are to use our different gifts in accordance with the grace that God has given us. If our gift is to speak God’s has given us.
8 should do it cheerfully.富永順三((財)大阪市都市型産業振興センターソフト産業プラザ イメディオ所長
ローマ人への手紙12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
15 Be happy with those who are happy, weep with those who weep.増山瑞比古((株)フジスタッフ代表取締役会長)
使徒の働き(使徒言行録)20:35 受けるよりも与えるほうが幸いである
35 There is more happiness in giving than in receiving.三谷康人(カネボウ薬品株式会社元会長 イエス・キリスト教会 家の光 伝道師)
詩篇23:1 賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
3 魂を生き返らせてくださる。 主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。 あなたがわたしと共にいてくださる。 あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。 わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。 主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。
The Lord Our Shepherd
1 The Lord is my shepherd; I have everything I need.
2 He lets me rest in fields of green grass and leads me to quiet pools of fresh water.
3 He gives me new strength. He guides me in the right paths, as he has promised.
4 Even if I go through the deepest darkness, I will not be afraid, Lord, for you are with me. Your shepherd's rod and staff protect me.
5 You prepare a banquet for me, where all my enemies can see me; you welcome me as an honored guest and fill my cup to the brim.
6 I know that your goodness and love will be with me all my life; and your house will be my home as long as I live.持田明広(弁護士 エステール北浜法律事務所)
詩篇37:5 あなたの道を主にゆだねよ。 主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる。
5 Give yourself to the Lord; trust in him, and he will help you.山本光世((株)城南電器工業所取締役)
ヨハネの福音書15:5 主はぶどうの木、私はその枝です。
5 I am the vine, and you are the branches.湯川紘未((医)社団湯川胃腸病院理事長)
ヨブ記1:21 私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう
21 I was born with nothing, and I will die with nothing.(貼り付け終了)
バイブルに見るビジネスの黄金律 : HOME
http://csd-news.gospeljapan.com/business/index.htm
石黒先生が激怒しそうな内容です。
国家安全保障という観点を入れないので、NTT解体論がまかり通る。
しかし、NTTの皆さんにはもう少し顧客対応をしっかりして貰いたいというのも、また事実です。ここ重要。光ファイバーの工事ひとつで4つか5つの下請孫請けを介在させ、それぞれが客の受注内容を把握していないという商法はいかがなものでしょう。この本はその庶民の不満を上手く、NTT解体の方向に持っていこうという作戦でしょう。著者の町田徹という「あぶない刑事」の登場人物と同姓同名の人は元日経記者のようです。日経内部のバリバリの国際派ということでしょう。(貼り付け開始)
巨大独占 NTTの宿罪
町田 徹 (著)
出版社/著者からの内容紹介
民営化後約二十年、依然として電電公社時代の体質が色濃いNTT。だが、ITが国の生命線となっている現在、通信分野での非効率や遅滞は、経済・産業の衰退に直結していることを忘れてはならない。 独占に固執し、独占を武器に日本トップクラスの売上げ・収益を誇るまでになったNTTは、いまや日本経済を脅かす怪物となった──。
NTT栄えて、国滅ぶ!日本を蝕む巨大独占の実態とその弊害をレポート。気鋭の経済ジャーナリスト町田徹が、通信分野に関する10年以上に及ぶ取材活動の集大成として書き上げた、本格大型経済ノンフィクション。出版社からのコメント
光ファイバー網を武器に通信分野の独占強化を目論むNTTの野望と、その裏に隠された人間ドラマ、さらに通信政策を政争の具とする政官界の魑魅魍魎の攻防。かつてないスケールで展開する迫真のドキュメント!!http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104698016/qid=1093672511/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-6180826-7472319
(貼り付け終わり)
「ロシア政治経済ジャーナル」から貼り付けます。(貼り付け開始)
No.275 2004/8/10号
★ユダヤパワーの源泉1
「はじめまして。(中略)最近いろいろな所で、聖書のヨハネの黙示録のとおりに時代は進んでいるとか、ユダヤの陰謀論がどうのとか言う話を目にするようになってきました。この件に関する北野様のご意見をお聞かせいただけないでしょうか?(後略)」(中野さん)
う〜む。
この件については、「陰謀論に対する正しい見方」シリーズ(2003年10月1〜3日、195〜197号)で書いていますので、そちらをごらんください。
陰謀論は、知識不足から出ているものと考えています。しかし、ユダヤパワーが強大であることも真実。今回は、その源を探ってみることにしましょう。
▼ロシアにおけるユダヤの盛衰
私はロシアが専門ですので、この国でのユダヤの活動を解説することで、陰謀論の真相を明らかにしてみます。
ユダヤの陰謀論を冷静に考えると、2つの局面があります。
1、ユダヤ人は、世界を操れるほど金持ちである
2、ユダヤ人は、皆で一体化して陰謀を企てている(例えば、ユダヤによる世界
支配)さてロシアではどうか?
1をロシアに限定して言えば、「ユダヤ人はロシアを操れるほど金持ちである」。これは、本当です。正確に言うと、「プーチンさんが大統領になるまで、彼らはロシアを操っていた」
2については、もっと細かく見てみることにしましょう。
@1992〜96年(=巨富を築く)
ソ連崩壊後、才能のあるユダヤ人達は、これまで国営だった石油や金融を抑え、巨富を築きあげました。
@1996年(=一体化してエリツィンをサポート)
96年には、大統領選挙がありました。ソ連を崩壊させ、ハイパーインフレを起こし、チェチェン戦争を始めた酔っ払い大統領エリツィンの支持率は5%。共産党のジュガノフが「絶対勝つ」というのが、大方の見方だったのです。共産党と言えば、「私有財産は許さず、全ては国の所有である」がドグマ。そうなると、せっかく巨富を築いたユダヤの新興財閥は財産を没収されてしまう。これは困る。ということで、彼らは一体化してエリツィンを支持することに決めたのです。具体的には、彼らが所有しているマスコミを使って国民を洗脳。見事、エリツィンを再選させたのでした。
【ユダヤの新興財閥は96年、一致団結してエリツィンを再選させた】
これは陰謀?@1996年〜99年(=分裂と対立)
エリツィン当選後、ユダヤの新興財閥は、親エリツィンと反エリツィンに分裂します。
親エリツィンは
・ベレゾフスキー(主な基盤は、石油大手シブネフチ・航空最大手アエロフロート・テレビ局ORT等々)
・チュバイス(電力供給独占体・統一エネルギーシステム社長。副首相・大統領府長官を務めたこともある)
・アブラモービッチ(シブネフチ。昨年英国の名門サッカーチーム・チェルシーを小遣いで買収。英国1の金持ちとしても知られる)反エリツィンは
・グシンスキー(ロシアのメディア王。民放最大手NTVを所有) 99年の下院選挙では、結局親エリツィン派の「統一」が勝利します。
【96〜99年、ユダヤの新興財閥は、分裂し対立していた】@2000年〜(プーチンさんによりバラバラになる)
2000年の選挙で、KGBをバックに持つプーチンさんが大統領になり、ユダヤ財閥の環境は一変します。プーチンさんは、エリツィン時代の主要新興財閥ベレゾフスキー、グシンスキーを、脱税・横領等の罪で告訴。彼らは、国外に脱出し、ロシアに戻れなくなりました。その後、同じくユダヤの新興財閥ホドロコフスキー(石油大手ユコス社長)を逮捕。現在のユダヤ新興財閥の行動を見ると、一体感も一貫性もなく、皆さんバラバラに行動しています。・ベレゾフスキー=英国に住み、反プーチン活動を続けている
・ホドロコフスキー=檻の中
・アブラモービッチ=資金をロシアから英国に移し、脱出の準備を進めている
・フリードマン(アルファグループ・石油大手TNK)=英BPとTNK-BPという合弁会社を設立。プーチンさんに嫌われないよう気を配りながら、ビジネスに励む。以上、彼らの行動を見ると、引っ付いたり分裂したり。
「ユダヤは一体化して陰謀を企てている」というのは間違いで、「利害が一致するときは一体化して行動するが、利害が反するときは戦う」というのが正解であることがわかります。
つまり 【ユダヤの大金持ちも、普通の人と同じように、自己の利益を追求している。ただ、金持ちなので目立つ】と言うのが、真相なのです。
▼これは確かにそうですが。
現在の我々には、気になることがあります。
「ユダヤ(イスラエル)は、ブッシュをプッシュして、中東大戦争を引き起こそうとしている???????」これは確かにその通りでしょう。
ブッシュの背後に、石油業界・軍産複合体・キリスト教右派・イスラエルがいることは、もう常識。でもね、イスラエルは、ユダヤを憎むイスラム国家に囲まれているのですよ。一国で戦うよりは、米国を巻き込んで戦争した方がいいにきまっています。
例えば、北朝鮮と日本の関係がいよいよやばくなって来たとします。日本政府だって、米国に「助けてください!」と働きかけるでしょう? あるいは、中国と台湾の関係がいよいよやばくなって来たとします。すると台湾は、米国に「助けてください!」と働きかけるでしょう。自国を守るために、世界最強国家米国でロビー活動をする。これは、陰謀ではなく、「外交」の一環なのではないでしょうか?
【イスラエルが、米国を取り込むのは陰謀ではなく、外交である】
(つづく)
No.276 2004/8/12号
★ユダヤパワーの源泉2
(前号まで)
ユダヤの大富豪は確かに、ものすごく金持ちだが、一体化して陰謀をめぐらせているわけではない。
利害が一致するときは、一体化し、反するときは分裂する。つまり、普通の人と同じ。しかし、金持ちなので目立つ。前号では上記のような内容を明らかにしてきました。
ユダヤの陰謀論は、1、彼らは世界を操れるほど金持ちである 2、一体化して陰謀を企てているでしたが、2はそうではないと。しかし、1はロシアの例を見ても確かにその通り。結局、ユダヤ人が誤解される理由は、1400万人しかいない彼らが、「圧倒的に金持ちである」ことが原因なのではないでしょうか。(フォーブス誌によると、世界400人の大富豪のうち60人がユダヤ人)
ここからは、ユダヤ人がなんで金持ちになれるのかを考えてみましょう。
▼人生を決定するファクター
ロシア政治経済ジャーナルなのに、つかぬことをお聞きします。 「皆さん個人個人の人生は、何が決めているのでしょうか?」これは、皆さんが一日中考えていることが決めているのです。もっと正確に言うと、皆さんが心の奥底で、本当に考えていることが決めている。
もし、Aさんが心の底から、「俺は女にもてる!」と考えていれば、見た目どんなにぶっさいくでももてる。(皆さんの周りにも、そういう男女がいるでしょう?)
あるいは、Bさんが心の底から、「俺は運がいい。どんどん出世する★の元に生まれたみたいだ」と考えていれば、実際に良いことがどんどん起こり出世街道を登っていく。(皆さんの周りにも、そういう人がいるでしょう?)
逆に、Cさんが、「どうやら俺は不幸の★の元に生まれたみたいだ」などと心の底で信じていれば、彼は一生不幸につきまとわれることになる。(皆さんの周りにも、そういう人がいませんか?)
このように、人間の人生は、その人が心の奥底で本当に考えていること、信じていることが決めているのですが、何がその考えを規定しているのでしょうか?
これは、潜在意識の中身が決めているのです。
「きた〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「うさんくせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」(怒)と思った人。
こういう人は潜在意識を、インチキ宗教のたぐいと勘違いしているのでしょう。ところがね、成功している人は、例外なくこの内容を知っているのです。例えば、ナポレオン・ヒルも、ジョセフ・マーフィーも、中村天風先生も、皆さんこの話をしています。若手起業家のカリスマと言えば、神田昌典さんですが、彼はベストセラー「非常識な成功法則」の中で、こんな風に書いています。
「そして、この方法-潜在意識にプログラミングするという方法は、成功法則の本を読んでみればわかるように、すでに何世紀も前から使われている方法なんだ。成功者同士の間では、当たり前のこと。」(←本当っす。北野)
「でもね、潜在意識っていうと、一般的には「変なものにかぶれてるんじゃないか」と思われるでしょう?(中略)だから成功している人は、おおっぴらに言わない。こっそり実行しているわけ。」
「私の経験で言えば、年収2000万円を超える人は、ほぼ全員、潜在意識を意図的に活用している。おおっぴらに言わないだけ。そして、その傾向は、年収が増えるにしたがって、高くなる。」
というわけで、皆さんも私も、信じる信じないにかかわらず潜在意識にインプットされた通りに人生を生きているのです。
潜在意識っていうと、いいことばっかりじゃないんです。
悪いことが入っていれば、悪いことが起こるし、いい事が入っていれば、いい事が起こる。
成功哲学の重要な課題は、潜在意識にいい事をいかにインプットするか?ということ。
▼気付き
「全然ユダヤパワーの源泉と関係ないじゃないか〜〜!!!」(怒)まあ、もう少しまってください。脱線しているように見えても、後でこの話の意味が見えてきますから。私も、初めてこの話を聞いた時、「そうなんかいな〜?」くらいにしか考えなかったのです。しかし、フォックスモルダーのように真摯に真理を追い求める私(嘘)は、その日から、観察を始めたのです。
例1=友人の女性(Aさん)
彼女は、「男なんてみんなロクでなしですね!」と口癖のように言っていたのです。私はその時、こう思った。(あ〜、この人は、潜在意識に「男はみんなロクでなし!」という風にインプットされてるな〜) その後、彼女は何人かの男性と付き合ったのですが、話を聞いてみると、みんなひどい男ばかり。でもね、実際世界には、いい男・いい女があふれているわけでしょ? 結局、彼女の潜在意識がロクでなしの男をひきつけていたのでしょう。例2=ある友人(B君)
彼は、エコロジーファナットなのです。環境を守ることは私も素晴らしいと思います。しかし彼は、一歩進んで、「資本主義が地球を破壊している。お金は諸悪の根源だ!」と公言している。まあ、それが事実かどうかを論じるのは止めておきましょう。そんな彼も、食っていかなければ生きていけませんよね。そこで就職するのですが。世界第2の経済大国日本で、「給料が異常に低く、給料の遅滞が当たり前」という会社入ってしまったのです。その後、何ども転職したのですが、不思議と同じような会社に入っちゃうんですよね。これって???長くなるから、もっとシンプルに書きますね。
例3、C君は、ある時彼女が欲しくなり、「おなごが欲しいですな〜」と口癖のように言うようになった。(潜在意識にインプット)→半年で8人の美人に口説かれた。
例4、仕事の少ない会社で退屈していたD君は、「もっと忙しく働きたい」と口癖のように言っていた。→転職したら、土日なしで夜の11時まで働かせてくれる会社だった。
例5、ロシア人女性Eさんは、「男性は例外なく浮気するもの」と言っていた。→つきあった男性はことごとく浮気した。
例6、F君は常々、「気楽に働いて、儲かる仕事がしたい」と言っていた。→一度就職した会社でプログラマーの教育を受け、その後親戚の会社に転職。田舎に引っ越して気楽に暮らしている。
例7、G君は常々、「会社を作って、大儲けしますよ」と言っていた。→ホントに会社を作って大儲けしている。
例8、Hさんは、高校生の頃から、「日本人の男は退屈」。「欧州の大金持ちと結婚するわ!」と言っていた。→ホントにイギリス人の大富豪と結婚した。
等々。
例を挙げればキリがありません。皆さんも、身近な人の言葉に耳を傾けてみましょう。例えば、その人のお金に対する考え、異性に対する考え、仕事に関する考え。皆さん例外なく、言葉(潜在意識の表れ)の通りの人生を送っていますから。次号も、一見ユダヤとは関係ない話が続きますが、本当は関係あるのです。
(つづく) ↓まだまだ続くよ。(^▽^)
No.277 2004/8/17号
★ユダヤパワーの源泉3
(前号まで)
皆さん、潜在意識にインプットされた通りの人生を歩んでいます。
▼潜在意識の中身は子供時代に決まる
前号では、潜在意識が人生を決めているという話をしました。
このことに気が付いた人は、アフォメーションとかイメージングとかをして、潜在意識をいい方向に変えていきます。
ところが気が付かない人は、子供の頃に植え付けられた潜在意識をそのまま引きずって、死ぬまで生きていくことになるのです。
そう。
潜在意識の中身は、子供時代に作られるのです。
米国の著名な精神分析医、催眠療法士ジョンキャンパスは、その著書の中でこう書いています。
「あなたの人生は、生まれた瞬間からプログラミングが始まっています。この世に生を受けたその瞬間にメンタルクロックが時を刻み始め、人生を形つくっていくパターンを潜在意識に記録するのです。」
「幼い頃は、頭に入ってくる考え方、言葉、指示などを、何の疑問も抱かずに受け入れます。成長過程で、両親、兄弟姉妹、友達を常に観察し、その価値観や行動をお手本として、大人になっていくわけです。」
「こうして潜在意識が創り上げたものが、私たちの人生を決定づけてしまうのです。」(ジョンキャンパス なぜ頑張っている人ほどうまくいかないのか?)
中国は江沢民の時代、徹底的に反日教育を行った。子供達は、日本を憎んで育ち、日本からサッカーチームが来ると、ブーイングをして礼儀をわきまえない。
日本マクドナルドの藤田田さんは、米食=最高!という老人達を無視して、子供にハンバーガーの味を植え付けることに努力した。小さい頃にハンバーガーの味を覚えた子供達は、大きくなってもハンバーガーを食べつづけている。ロシアの中年は、子供時代徹底した反米教育を受けた。だから、冷戦後も米国嫌いが直らない。
▼成功者は、子供時代にいい刷り込みをされている
世界でも日本でも、人種に関らず、成功者は子供時代にいい刷り込みを受けていることが多いのです。例1、松下幸之助さんの場合
「父は口癖のように、「出世しなければならん。昔から偉くなっている人は、皆小さい時から、他人の家に奉公したり、苦労して立派になっているのだから、決してつらく思わず辛抱せよ」(松下幸之助〜私の行き方、考え方)と語っていました。
松下さんのお母さんが、小学校を卒業していない幸之助さんを哀れに思い、夜間学校で勉強させようとしたときも、お父さんは、
「俺は反対じゃ。奉公を続けてやがて商売をもって身を立てよ」と反対したのでした。例2、神田昌典さんの場合
若手起業家のカリスマ神田さんは、お金に関する罪悪感が潜在意識に入っていると成功しないと言う話をしています。一方神田さん自身は。
「私はお金が大好きだ。子供時代から、お金は私の友達だった。私の実家は商売をやっているので、幼稚園生のときから、店の売上を集計する父親の仕事を手伝っていた(というより邪魔していた)。(中略)その幼児体験がいままで残っているから、お金を見るたびに嬉しくてしょうがない。」(神田昌典〜非常識な成功法則)例3、ロックフェラー家の場合
ロスチャイルドと並ぶ大富豪と言われるロックフェラー。こんなに金持ちの家でも、成功するための幼児教育が施されているのです。
「ジョン・D・ロックフェラーJr.は、5人の息子に小遣いを与えることを決めたとき、出し惜しみをしようとしたわけではない。息子の一人ネルソンは「私たちは週25セントをもらい、そのほかのお金は自分たちで稼がなければなりませんでした」と話している。」
「そのお金を稼ぐのに、彼は野菜やウサギを育てたりした。・・・・・「私たちは常に働いて稼ぎました」ともネルソンは言う。」(ロバートアレン〜実践億万長者入門)
そして、ロックフェラー家の子供達は、収入の10%を寄付し、10%を貯蓄し、残りの全てを家計簿につけ、1ペニーにいたるまで何に使ったのかを説明できなければいけなかったと言うのです。例4、ロバートキヨサキさんの場合
ベストセラー「金持ち父さん貧乏父さん」の著者ロバートキヨサキさん。
彼が小学生の頃から金持ち父さんに、「金持ちになる方法」についての教育を受けていたことはあまりにも有名。例5、イチローの場合
イチローは小学校4年生の時の作文で、プロ野球選手になることを宣言しています。もちろんチチローの影響が大。このように成功する人というのは、子供時代、潜在意識にいいインプットをされたことが多いのです。
潜在意識に悪いインプットがされている一般人が成功するためには、アファメーションをするとかイメトレをするとかして、潜在意識を入替えないといけないんですね。
いつになったら、ユダヤの話になるんだ〜〜〜!!!
(つづく)
No.278 2004/8/19号★ユダヤパワーの源泉4
(前号まで)
個人個人の人生は潜在意識の中身によって決まります。そして、その中身は子供時代に決まってしまう。子供時代にいい刷り込みを受けた人は、苦労なく成功し、悪い刷り込みを受けた人は、意識的に潜在意識の中身を変えていく必要があります。
▼宗教の影響
なぜユダヤは、「世界を支配しようとしてるんちゃうか?」と疑われるほど成功者が多いのでしょうか? 日本でも世界でも成功している人、成功していない人がいますが、この世の成功とは何でしょうか?
ユダヤ人は、確かにあらゆる分野で偉大な人物を輩出しています。宗教で言えば、イエス・キリスト。キリストが大嫌いで共産主義思想を作った、カール・マルクス。潜在意識を発見したことになっている、心理学者のフロイト。物理学の天才アインシュタイン等々。
しかし、神様や学者が「陰謀の首謀者」とは思われていませんね。陰謀論の根拠となっているのは、結局ユダヤ人が非常に金持ち(例、ロスチャイルド、ジョージ・ソロス、(インテルの)アンドリュー・グローブ、(デルの)マイケル・デル、ロイター、(デビアスの)オッペンハイマー、(シェル石油の)サミュエル等々)だからでしょう。ユダヤ人は世界に1,400万人しかいない。これは全人口のわずか0.23%。
ところが、世界の大富豪トップ400人のうちの60人がユダヤ人。 15%。(!)結局、この世における支配力は、お金によって決まっちゃうわけですから。(いい悪いは別問題)前号で、潜在意識の中身は子供時代に決まるという話をしました。確かに、日本でも成功者と普通の人は違うわけですが、国全体の傾向と言うものもありますね。それは何によって決まるのか? 日本以外の国では、宗教(あるいはイデオロギー)で決まることが多いのです。なぜかって言うと、他の国では、宗教的価値観によって子供を教育するのです。
▼キリスト教・仏教・共産主義・儒教のお金観
ユダヤの強さを知るためには、他の宗教との比較も大事です。(ただ、どんな宗教も分派がどんどん出てきて、ごちゃごちゃしていますから、発生時のオリジナル価値観を書いておきます。)
@オリジナルキリスト教はお金持ちを否定する
キリスト教国家は、欧州・独立国家共同体・南北米・アジア・アフリカと世界中にあるわけですが、これらの国では、小さい頃から新約聖書を読まされます。(潜在意識にインプット)さて、イエスは、お金持ちについてなんと語っているのか?
「それから、イエスは弟子たちに言われた。「よく聞きなさい。富んでいるものが天国にはいるのはむずかしいものである。
またあなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、
↓
らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
−(新約聖書マタイによる福音書19章23・24節)こんなこと言われちゃあね〜〜〜〜。
要は、「金持ちは確実に地獄に落ちる!」って話しでしょ?(だって、らくだは針の穴とおれないもん)
キリスト教原理主義者は、「この世で苦労して(貧乏して)天国に入るか、この世でリッチに暮らして地獄に落ちるか?という究極の選択を迫られる。そりゃあ、「80年間貧乏で暮らしても、永遠の世界(あの世)で幸せに暮らせたらいいわ」って話になりますよね。お金について、こういう風にインプットされているまじめなキリスト教徒が、ビジネスでユダヤ人に敗れるのはあたりまえでしょう。
◎オリジナル仏教はお金儲けを否定する
お釈迦様は、両親も妻も子供も捨てて出家しました。で、仏教の中心教義の一つは、「欲は苦しみの元だから、欲を捨てなさい」と言うもの。お釈迦様を見習う仏教原理主義者にとっては、出家することが最高。オリジナル仏教というのは、女を求めるのは色欲、お金を求めるのは物欲。だから、仏教原理主義者は、金儲けもだめ、女もだめ。これじゃあ、お金持ちになって(物欲)、権力の座について(権力欲)、この世の中に影響を及ぼす人物が出てくるはずがないでしょう。◎オリジナル共産主義はお金持ちを否定する
かつて世界を席巻した共産主義教の教祖マルクスは、「私有財産こそが悪の根源」と言っています。また、「資本家(金持ち)は労働者を搾取して私腹を肥やしている悪人だから、打倒しなければならない」とも。共産主義は、お金やお金持ちを否定するのですから、共産国家の経済が停滞するのも当たり前。◎オリジナル儒教は、お金もうけを認める
共産主義経済じゃなくなった中国。中国は共産国家になる前は、儒教の国だったのです。儒教の開祖孔子は、キリスト教・仏教・共産主義教と違い、お金もうけを否定していないんですよね。「子曰く、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり」(論語)
ですから、共産国家の外にいる華僑や、共産主義経済が滅びた中国で、人々がお金を求めて成功していくのは当たり前なのです。日本でも、明治のスーパー経営者渋沢栄一が、論語を毎日読んでいたのは有名な話。
ここまでは、世界の国々で、お金に関してどのような刷り込みが行われているのかを見てきました。お金に関しては概して否定的。次回から、ようやくユダヤの話に入っていきます。
(つづく)
No.279 2004/8/23号
★ユダヤパワーの源泉5
(前号まで)
人生は潜在意識の中身で決まります。そして、中身は子供時代に決定される。潜在意識の中身は、その国の宗教や文化から大きな影響を受けるのですが、世界宗教のほとんどが、お金やお金持ちについてネガティブに教えています。ですから、世界中のほとんどの人の潜在意識には、「お金儲けすること」に対する罪悪感があるのです。
▼ユダヤの歴史1(ユダヤ対アラブ対立の源)
いよいよ本格的にユダヤの話に入っていきます。日本人はユダヤの歴史とか、なんで迫害されているのかとか良くわからないでしょう?
ちょっとユダヤの歴史を書いておきましょう。元々、紀元前1800年ごろに、アブラハムという男がいたのです。彼にはサライと言う妻がいたのですが、子供ができなかった。そこで、寛容なサライは夫に、「自分のつかえめハガルと子供を産んでください」(!)と言った。昔は寛容でしたね。(笑)で、ハガルはイシマエルという子を産んだ。
ところが、その後サライにも子供が生まれちゃったんですよ。そうすると、女性というのは恐ろしいものです。サライは、アブラハムに頼んで、ハガルとイシマエルを追い出してしまったのです。アブラハムの腹違いの2人の子。彼らの子孫はどうなったのか? イシマエルの子孫はアラブ人になった。彼の子孫から、イスラム教の開祖マホメッドが出ています。で、イサクの子孫はユダヤ人になった。歴史ってのはすごいものです。昔のサライ(イサク)とハガル(イシマエル)のケンカが、今は大規模になって、ユダヤ(イスラエル)対アラブのケンカになっているのです。▼ユダヤの歴史2(ユダヤ対キリスト教対立の源)
イサクの子孫には、モーセが出て、ユダヤ教の基を作ります。(十戒・律法)また、イサクの子孫は国を作るのですが、紀元前10世紀くらいにダビデとソロモンという偉大な王様が出ています。
ところがソロモンの死後、国はイスラエルとユダに分裂。イスラエルは、紀元前722年にアッシリアに、ユダはバビロニアに滅ぼされてしまった。(紀元前586年)。その後もユダヤ民族は、新バビロニアだとかペルシアだとか他民族に支配されて、苦難が続いていきます。「あ〜〜〜〜〜、神様助けてくれ〜〜〜〜〜!」(叫)
というわけで、民族は自分達を救済してくれる「救世主(メシア)」を待ち望むようになった。で、今から2000年より少し前に、イエス・キリストが生まれたのです。(この時、ユダヤ民族はローマの支配下にあった)ところが、大部分のユダヤ人はイエスをメシアと信じられず、イエスは殺されてしまいます。イエスを信じないユダヤ人は、「メシアはまだこんか〜?」と今でも思っている。
一方イエスを信じたユダヤ人は、迫害を受けながらも伝道を続け、最終的に世界中にキリスト教国家を打ち立てるまでになっていった。キリスト教徒は、普通ユダヤ人が嫌いなのです。なんでかって言うと、ユダヤ人は神様(イエス=神様)を殺した人たちだから。まあ、細かい教義の話をすると長くなるので、この辺にしておきましょう。以上まとめると、
1、アブラハムの息子イサクとイシマエル。
イサクの子孫がユダヤ人になり、イシマエルの子孫がアラブ人になった。で、今もケンカしている。2、ユダヤ人はユダヤ教を信じていたが、そこにイエスが現われた。
ここで、「イエスを信じるユダヤ人」(後のキリスト教徒)、「イエスを信じないユダヤ人」(ユダヤ教徒)に分裂。で、今もケンカを続けている。(まあ、ブッシュはキリスト教徒で、ユダヤ教徒とも仲良しですが。)▼現在のユダヤ人の定義
一つの誤解をといておきましょう。ユダヤ人と言うと、今でも「ユダヤ人と言う人種があるんだな〜」と思っていませんか? これは大きな間違い。オリジナルのユダヤ人は、アッシリア・バビロニア・ペルシャ・ローマなんかに支配される間に、世界中に散らばって、わけがわかんなくなっているのです。(日本にもユダヤ人が来ているとか)現代のユダヤ人というのは、厳密に言うと「ユダヤ教徒」のこと。どんな民族でもイエスを信じるのはクリスチャン。日本人でもイギリス人でも、仏教を信じるのは仏教徒。これと同じ。だから、顔も千差万別。アラブ人みたいな顔をしたユダヤ人もいれば、スピルバーグみたいに、バリバリ白人のユダヤ人もいる。ロシア人みたいな顔をしたユダヤ人もいるのです。皆さんも、その気になればユダヤ人になることができるのですよ。「ユダヤ人はユダヤ人種に属しているというのも、誤りだ。人種学からいって、ユダヤ人という人種は存在していない。ユダヤ教を信じるものが、ユダヤ人となる。」(ラビ・マービン・トケイヤー〜ユダヤ5000年の教え)
さて、現代のユダヤ人とはユダヤ教徒のことである。で、ユダヤ教徒は子供の潜在意識に何をインプットするのか?(つづく)
No.280 2004/8/25号
★ユダヤパワーの源泉6
(前号まで)
現代のユダヤ人とは、厳密に言うと、ユダヤ教を信じる人のことです。
▼ユダヤ教は、お金のことをじっくり教える世界唯一の宗教である ユダヤ人が子供の頃から勉強する本は2つ。すなわち、(旧約)聖書とタルムード。聖書には、アダムとイブから、イエスが生まれる何百年か前までの歴史が書かれている。いわば、ユダヤ人の歴史教科書ですな。もう一つの聖典が「タルムード」。「偉大な研究」と言う意味。これをユダヤ人は、毎日勉強する。「3日、タルムードに触れない者はユダヤ人ではない」(ユダヤの格言)
さて、キリスト教・仏教・共産主義教は、お金やお金持ちに対して否定的でした。ユダヤ教はどうか? これらの宗教とは正反対。例を挙げてみましょう。
「金銭は無慈悲な主人だが、有能な召使にもなる」
「金銭は機会を提供する」
「ふくれた財布がすばらしいとは言えない。しかし、からの財布は悪いのだ」
「からなのに世界でもっとも重いものは何か? からの財布である」
「聖書は光を投げかけ、金は暖かさを投げかける」
「世界には三つの重大事がある。金、金、金」
「金はどんな汚れでも落とす石鹸だ」
「金貨が鳴れば、悪口が静まる」
「重い財布を重く思う者はいない」
「金銭は呪いでも悪でもない。人間を祝福するものだ」
「財産をたくさんもっていると、心配ごともそれに応じて増える。しかし、財産が全くないほうが、心配ごとは多い」
「良い収入ほど良い薬はない」
「知識をもちすぎると人は老けるが、お金を持ちすぎると人は若返る」
「人生に必要なものは、衣食住と、金」「自分のもっている金を稼ぐことができるだろうか?できる。使わないことだ」
「商人になったらこの言葉を覚えなさい。「私はあなたを完全に信頼しています。だから現金で払ってください」
これらは、お金に関するユダヤの格言だったり、タルムードからの引用だったりするのですが、一見しただけで、キリスト教や仏教と全然違うことがわかるでしょう。(キリスト教の神父さんが、「世界には三つの重大事がある。金、金、金」などと公言した日にゃあ、教会から追い出されるに違いありません。しかし、ユダヤの聖職者(ラビ)は、当たり前にこういうことを言うのです)一部の人を除いて、我々日本人や世界中の人は、全然お金のことを教わりません。そして、ほとんどの人は、大人になって社会に出てから考えはじめる。(あるいは、社会に出てからも考えない)
ところがユダヤ人の子供達は、日本人の子供達がドラえもんや、サザエさんや、ちびまるこちゃんや、くれよんしんちゃんや、アンパンマンに興じてるときから、着々と金持ちになるための教えを潜在意識にインプットされているのです。勝てない(涙)小学校から野球をしているイチローに、社会人になってから野球を始めたお兄さんが勝てますか?
そう。
【ユダヤパワーの源泉は、「タルムードによる潜在意識への刷り込み」が原因なのです】ユダヤ人とはつまり、
【成功哲学によって潜在意識を変えなくても、自動的に金持ちになってしまう唯一の民族(?)である】
★おまけ(=お金以外のユダヤの格言)
ここまで、ユダヤ人とお金に関する話を中心に進めてきました。というのは、お金の量=支配力ですから、「ユダヤ陰謀論」の背景には、「ユダヤ人は世界を牛耳れるほど金持ちだ!」という前提があるからです。
RPEでは、「ユダヤ人が金持ちになる原因」を追求してきました。ただ、今回のシリーズを読んで「ユダヤは金の話ばかりする」という誤解を与えてしまったかもしれません。「おまけ」ではその誤解を解くために、お金以外の格言を挙げてみることにします。「毎日、今日があなたの最後の日だと思え。毎日、今日があなたの最初の日だと思え」
↑
(武士道みたいっすね)RPE「奇跡を願っても良い。しかし奇跡に頼ってはならない」
↑
(天は自らを助けるものを助けるみたいっすね)RPE「人は金銭を時間よりも大切にするが、そのために失われた時間は金銭では買えない」
↑
(時は金なりみたいですね)RPE「カリフラワーに住む虫は、カリフラワーが全世界だと思っている」
↑
(井の中の蛙みたいですね)RPE「矢を作る者は、矢によって死ぬことが多い」
↑
(カルマの法則みたいですね)RPE「見知らぬ人に親切にするのは、天使に親切にするようなものである」
「最高の知恵は、親切と謙虚」
「口よりも、耳を高い地位につけよ」
「理想的な男性とは、男の強さと、女のやさしさを兼ね備えているものである」
「隣人は大切であるから愛さなければならない」
「魚は水がなくなると死ぬが、人は礼儀なくなると死ぬ」
(おわり)↓編集後記へ
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★編集後記
私自身ロシアでたくさんのユダヤ人と知り合いました。中には、「ソ連化されたユダヤ人」もいました。メンタリティーがソ連化(金持ち=悪)されたユダヤ人は、ソ連崩壊後非常に貧しい生活を送っています。(厳密に言えば、ユダヤ教徒であることをやめた時点でユダヤ人ではないのだが、彼らは両親がユダヤ教徒でユダヤ人だった)
ところが、きちんと(ユダヤ人としての)教育を受けたユダヤ人もいます。彼らは、知り合った当時学生だったとしても、卒業後は会社を作ったり、会社に入っても、すさまじいスピードで出世したりしています。やはり、成功は教育(潜在意識への刷り込み)が最重要で、遺伝子はその次ということなのでしょう。「世界の諸民族の先天的な能力は、差がないものである。(中略)だから、ユダヤ人が生まれつき優れているということはない」
「ユダヤ人の子どもだって、狼少年のように狼の間で育てられれば、歯をむいて吠えたり、四足で歩くようになるだろう」
「ユダヤ人の文化や伝統は、仕事の面でも、私生活の面でも、もっとも成功率が高い人間を生むソフトウェアであるといえよう」(ラビ・マービン・トケイヤー)
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★筆者のプロフィール
北野幸伯(きたの よしのり)
1970年、長野県松本市に生まれる。
田中康夫長野県知事と同じ松本深志高校卒。
1996年、日本人として初めて、ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学(MGIMO)(*1)を卒業。政治学修士。
1996年、卒業と同時にカルムイキヤ自治共和国(*2)大統領顧問に就任。
1999年4月、メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」を創刊。
「わかりやすい!」「笑える!」「予測があたる!」と話題沸騰。読者は、国際金融機関・政府諸省庁・ロシアに進出しているほとんどの企業から主婦・女子高生まで。ロシア関係のメルマガで配信数日本一を独走中。
2001年9月より、世界一予測があたる国際金融アナリスト増田俊男氏が編集主幹を務める月刊誌「力の意志」(サンラ出版)でグローパルアイ・ロシアを連載。
2001年12月、日ロのスーパーエリートパートナーと共にHP「ロシア情報ステーション」を開設。
開設直後「あちゃら」「日経ネットナビ」等に紹介される。「ロシア関係で日本一!」と評価され、各界から絶大な支持を得ている。
2003年9月、長年プーチン大統領のブレーンを務め、ロシアを奇跡の復活に導いた男Z氏・ディープロシアを知り尽くす唯一の日本人山内氏と共に、日本人が安心してロシアに投資できる環境を整えるべく、投資コンサル会社 IMT(International Most Trading.,Ltd.)を設立。*大学卒業後、失敗したこともたくさんあり、一文なしになり家賃を滞納したこともありますが、それを語りだすとキリがないので、カットしてあります。
筆者へのお便り・ビジネスの相談・原稿の執筆依頼等は
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(*1)MGIMOは、ソ連時代「卒業生の半分は外交官に、半分はKGBに」と言われた超エリート大学。現在も、ロシア外交官の大半は同大学出身者が占める。
(*2)カルムイキヤは、カスピ海北西岸に位置する仏教国。1993年、31歳の若さで同共和国初代大統領に選出されたイリュムジーノフ氏は、就任時既にロシアで5本の指に入る大富豪だった。現在は国際チェス連盟(FIDE)会長も務めるスーパー大統領。MGIMO出身で大の日本好き。
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(貼り付け終了)
RC:「頭が良くなるモーツァルト」というCDを聴いています(笑)。
http://www.rakuten.co.jp/ctclub/598797/599597/
1259:全く私的な投稿です。スミマセン。
問:XMLとXSLTだけで、CSVファイルからXMLファイルを作成できるか?
答え:Visual Basic(以下 VB) の MSHTML.HTML Documentオブジェクトが仕様上、VBScriptでは使用できないので作成できない。逆に言えば、VBを使用すれば作成できるようだ。または、VBにはClipboardオブジェクトがあるが、VBScriptにはないので、VBでは作成できる。
参考サイト:http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se303229.html作成:XMLとXSLTで限界まで作成しました。CSVファイルを object要素を使ってデータバインドしました。
「Soejima_Book.csv」を転載します。
(転載開始)
タイトル,著者,出版社,出版年月,コメント
英語で思想を読む,副島隆彦,筑摩書房,1990.3,
法律学の正体,副島隆彦、山口宏,JICC出版局,1991.1,
現代の預言者小室直樹の学問と思想,橋爪大三郎、副島隆彦,弓立社,1992.1,
アメリカン・ドリームの終焉,ハンター・S.トンプソン[他],講談社,1993.8,
政治を哲学する本,副島隆彦,総合法令,1994.6,
法律学の正体,副島隆彦、山口宏,洋泉社,1995.9,
英文法の謎を解く,副島隆彦,筑摩書房,1995.8,ちくま新書
現代アメリカ政治思想の大研究,副島隆彦,筑摩書房,1995.9,
天に代わりて不義を討つ斬り捨て御免!,副島隆彦,洋泉社,1996.6,(転載終了)
「Henkan2.xml」を転載します。
(転載開始)
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</parent>(転載終了)
「henkan2.xsl」を転載します。
(転載開始)
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</td></tr>
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(転載終了)
「変換.html」を転載します。
(転載開始)
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<META http-equiv="Content-Script-Type" content="text/Vbscript">
<META HTTP-EQUIV="Content-Type" CONTENT="text/html;charset=Shift_JIS">
<title>CSV→XMLファイル変換</title>
<script type="text/vbscript">
Option Explicit
Dim xmldoc, stylesheet
Dim styleSource, htmlSource, no
Dim fso, MyFile, shell
Sub window_onload()
<!-- XMLファイル インストロール -->
Set xmldoc = CreateObject("Microsoft.XMLDom")
xmldoc.async = false
xmldoc.load("Henkan2.xml")
<!-- XSLファイル インストロール -->
Set stylesheet = CreateObject("Microsoft.XMLDom")
stylesheet.async = false
stylesheet.load("Henkan2.xsl")
<!-- 変換ファイル 作成 -->
htmlSource = xmldoc.transformNode(stylesheet)
tableArea.innerHTML = htmlSource<!-- 新XMLファイル 作成 -->
<!-- Set fso = CreateObject("Scripting.FileSystemObject") -->
<!-- Set MyFile = fso.CreateTextFile("C:\Documents and Settings\*******\デスクトップ\testfile.xml", True) --><!-- oShortcut.HotKey = "Ctrl+Alt+P" -->
Set Shell = CreateObject("WScript.Shell")
Shell.Run """%SystemRoot%\system32\notepad.exe"""
<!-- MyFile.WriteLine(htmlSource) -->
<!-- MyFile.Close -->
end sub
</script>
</head>
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</body>
</html>(転載終了)