<本レポートの要旨>
今日、我々は「国家や法の正当性は何に由来するのか?」と言った問題に関しては、もう余り深くは考えない。それが何に由来するのであれ、国家が厳然として存在し法が機能しているのは自明なことのように、少なくともうわべではそう見えるからである。清教徒革命後の王政復古期のイギリスで、晩年のトマス・ホッブズ(1588〜1679)は王党派からも議会派からも「危険人物」視され、政治的な攻撃を受けながら「主権者による法の正義」を構想し続けていた。当時において、これはアクチュアルな、そしてラジカルな思想家の課題であった。「哲学者と法学徒との対話」(執筆時期は1661年から1675年の間と推定されている)において、ホッブズはその合理主義的な法哲学/国家論を生き生きと展開している。本書の叙述は挑発的でありながら、とてもユーモラスでもあり楽しんで読めるものとなっている。そして「国家や法の正当性」について深く考えたい読者には、本書は最もスリリングな書物に感じられることだろう。
<書誌事項>トマス・ホッブズ「哲学者と法学徒との対話(副題)イングランドのコモン・ロ−をめぐる」田中浩・重森臣広・新井明・共訳、305ページ、岩波文庫、2002年4月、本体660円
<本書の要約>
「法」とは主権者(*)が国民に与えた命令であって、なにをおこない、なにをおこなってはならないかを宣言したものである。これにより、「法」は「正義」のなんたるかを明らかにする。つまり「法」がないところには「正義」もない。
(*)「主権者」とは誰を想定したものか?国王なのか、議会なのか。ホッブズは、時には「主権者は国王」と言い切り、時には国王を牽制する立法を肯定し、時には「議会における国王」と言った表現を用いて、どちらとも取れる書き方をしているように思える。「法」が明らかにする「正義」とは、具体的には「分配の正義」、つまり財産の分配とその安全のことである。その裏付けとなるものは主権者の持つ制裁力である。主権は分割したり共有したりできるものではない。もしも主権者が徴兵権と戦費の徴集権とを自由に行使できなければ、緊急かつ不測の事態から国民を守ることはできない。そうなれば「法の正義」は空文と化してしまうだろう。
司法権は主権者に属する。即ち「国王は最高の裁判官」である。「イギリスの法は謹厳実直かつ学識豊かな裁判官や法学者によって長い年月を経て純化され洗練されてきた」と法学者たちが主張するのはいささか我田引水に過ぎる。法を修正できるのは主権者のみであり、「衡平」とは法を修正するのではなく、誤判があった判決だけを訂正できるということだ。
宗教的「異端」裁判は一種の政治裁判である(古代ローマ時代からそうであった)。カトリック教会は「異端者の犯した誤りは罪にあたる」としたが、イギリス国教会では「教会も人びとの集まりにすぎないのだから誤ることもある」としている。「コモン=ウェルスやだれか個人や、あるいは実定法や自然法を侵害」しない限り、誤り自体を罪とすべきではない。イギリスでは異端者の火刑はエリザベス1世時代後期からジェームズ1世時代にかけて激増したが、これは制定法上の根拠がない一種の「行政処分」であった。
暴力で威嚇するのが刑罰の主目的なのではない。明白に制定された刑罰があらかじめ宣言されていれば、善良な国民は理性の教えるところに従って刑罰を避けることができる。つまり刑罰は「宣言された理性」なのである。刑罰の制定、刑罰の執行、刑罰の免除はすべて主権者に属する権限である。また、恩赦と大赦とは区別して考えるべきである。恩赦とは個別のケースに対する刑罰の免除である。刑を免じただけだから、犯罪そのものが赦された訳ではない。これに対し大赦とは、内乱等で一時的に「法の沈黙」が生じた場合、それ以前のすべての犯罪を「忘れよう、なかったことにしよう」と清算してしまう事態収拾策なのである。
所有の起源は家族制から発した。長い年月を経て、小家族の集団は国家へと発展し、家父長の専制権は国家の主権者へと受け継がれた。故に主権者はすべての土地の正当かつ唯一の所有者である。やがてイギリスでは、主権者への軍役奉仕と引き替えに土地を所有する封建制が発達してきたが、封土の所有権は絶対的なものではなく、主権者による収用を排除できない。選挙による州代表(knight)、自治都市代表(burgess)の選出は、法と同じくらい古い歴史を持つものと思われる。なぜならば、法の制定にあたりあらかじめ国民となんらかの合意を形成しておくのは主権者の利益にも叶うことだからである。尚、主権者には「自然的権能」と「政治的権能」の二側面がある。主権が一人の人にあるときは「自然的権能」と「政治的権能」の両方を持つが、合議体である主権者は「政治的権能」のみを有している。
<私見>
本書は訳文がこなれていてとても読みやすい。いわゆる「岩波式悪文」に対するゴウゴウたる非難の声に応えて、ということならばけっこうなことである。
本書に対する思想史的な評価はいささか私の手に余る。その主旨は上記<本書の要約>に記した通りなのだが、「この程度のことは大学の教養課程でイの一番に習いました」と言われてしまえばそれまでだという気もする。今日、我々は「国家や法の正当性は何に由来するのか?」と言った問題に関しては、もう余り深くは考えない。それが何に由来するのであれ、国家が厳然として存在し法が機能しているのは自明なことのように、少なくともうわべではそう見えるからである。こういう安易な法律観・国家観にホッブズは冷水を浴びせかけて来る。(引用、始め)
誠実や不誠実の根拠は、信義にかかわることであって、法律が顧慮するのは、もっぱら正義のこと、不正義のことなのだ。(引用者注:「法は正しいものを命じ、その反対を禁止するところの聖なる裁可である」という)ブラクトンの定義でひじょうにおかしいと思われる点は、一国の主権者が作定した制定法にも不正義がありうることを想定していることだ。もちろん、制定法も、人間が作ったものだから内容的にみて不衡平なものもありうるだろうが、不正義ということはありえないはずだ。(同書、44P)
(引用、終わり)
この突き詰めた洞察に私はたじろぐ。コモン・ロ−と制定法の相性が悪いのはイギリスのお国柄であるとは言え、こんなにも苛烈な「自我の目覚め」を通過した後で「近代法治国家」は立ち上がって来たのか。おまえだって「法治国家の住民」にはちがいなかろうと叱責されれば返す言葉がない。
「理性の法は不変かつ永遠なのだ」とホッブズは記す。これは「主権国家」のための新しい神学なのか?いや、そうではないようである。ホッブズはこのようにも記している。(引用、始め)
(引用者注:理性は、たえず身につけてもち歩き、欲するならば、それを読みとることができる、人間の本性の一部だという)君の論にもとづいて、もしも私が、ほんの一、二ヵ月もあれば、裁判官の職務くらいはこなせるようになるよと言っても、君は、私のことを、別に傲慢な奴だとは思うまいね。なぜなら、私にだって、他の人びとと同様に理性つまりコモン・ロ−がある、と言わせていただきたい。(同書、14P)
(引用、終わり)
本書を読んで感じたのは、ホッブズの時代には「主権国家」というものの輪郭や、その正当性がまだハッキリとは確立されていなかったらしいということである。当時は、国王、貴族、教会と言った諸勢力が覇権を巡って我がちの権力闘争を繰り広げており、「法」も「正義」も、なにかと言うと党派的なもの言いに回収されてしまい勝ちだったらしい。こういう時代にホッブズが敢えて「主権者の(理性にもとづく)法の正義」を構想してみせたのは、まだパワー・ゲームの圏外に置かれていた「国民」の生存権を擁護するためだったのだろうか?
(引用、始め)
私は、一介の庶民であり、どこにでもいるその他大勢のひとりだ。神は、こうした庶民の幸福を守るために、国王たちやその他の主権者たちを遣わされたのである。そして、神は、国民のために国王たちを作り給うたのであり、国王たちのために国民を作られたのではない。もし国王がいなければ、異なる言葉をしゃべり、われわれを軽蔑し、われわれを奴隷にしようとする、傲慢不遜な異国人の支配からわが身の安全を守ることはできず、また、内乱期における諸党派による、残虐行為を止めることはできないだろう。なぜなら、国王だけが、課税権や民兵―そして民兵こそがわれわれの身の安全を守ってくれるのだが―を召集する権限を有し、いつでも資金を調達でき、当面の防衛と人民の平和保持のために必要なだけの武器を兵士に与え、それに報酬を支払うことができるからだ。私だって君だって、いや人間ならだれだって、身の破滅に追い込まれてはたまらないからね。(同書、25―26P)
(引用、終わり)
なんだか「最後の中世人(=最初の近代人?)」マキアヴェッリの最終到達地点から、ホッブズはスタートしているという気がする。マキアヴェッリの場合は(ルネサンス末期のイタリア・フィレンツェで)生涯ずっと国際権力政治のただなかで翻弄されていたため「法の正義」といった悠長な議論をしているヒマはなかった。パワフルな主権者でありさえすれば、「チェーザレ・ボルジア(実は織田信長みたいな“一発屋”に過ぎなかった)でも良し」とせざるを得なかったマキアヴェッリが、つくづく哀れに思えて来る。
なお、本書は「対話篇」の形式を取っていることもあり、そこここに挑発的な表現が出てくる。また、ホッブズはなかなかのユーモリストでもあったようである。何度もニンマリしたり、またゲラゲラ笑ったりと実に楽しい読書経験になった。繰り返すが訳文は読みやすい。法哲学および英米法の素養がある人ならば、寝ながらでも読めるのではなかろうか。
<参考>
英米法の知識の「サビ落とし」には下記HPが最も役立った。一見したところキワモノ風だが、法制史と社会史の双方に目配りした良い仕事である。
「死刑執行人もまた死す」
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/index.shtml
(以上)
自由連合から立候補した、元横浜銀蠅の"嵐"(あらし?orらん?)という人が街頭演説をしているのを偶然見かけて、聞いていたのですが、こちらもけっこうオチャメな感じでした。「俺はツッパリの代表として国会に乗りこむぜぇ〜!!!」みたいなことを街宣カーの上から絶叫してました・・・。ツッパリの代表として国会に乗りこんで何がしたいのかは、ついに最後まで聞けずじまいでした。(笑)
*なおこうさんへ。>>こちらこそ、
早速の丁寧なレスありがとうございます。
こんな風に言って頂けると、こちらも恐縮してしまいます。
う〜ん、これではキリがないですね。(笑>>「文章の陰に笑顔が見える」
これは十分伝わっておりますので、ご安心下さい。
なおこうさんの各掲示板での縦横無尽の投稿は、いつも楽しませて頂いております。
特に【晒し首】での内容、
私には、まだまだ、あのような本の読み方は出来ておりませんので、唸らされます。
ぜひ、【アメ政】の[4867]あたりをバッサリ斬って頂きたい、と密かに思っております。(ニヤリ【近代医学・医療】の方も非常に濃厚な内容ですね。「こんなにあけすけに書いてしまって、皆さん、大丈夫なのかな…」と私などは思ってしまうほどです。この掲示板の今後のお話の展開が楽しみです。
私が、なおこうさんとやり取りできるのは、この【ふじむら】をおいて他にはありませんので、今後ともよろしくお願い致します。
こんにちは、なおこうです。自由連合といいますと、日本テレビの福沢アナが発した一言を思い出します。
荒勢、関西の漫才師(名前は失念)のめちゃくちゃな政見放送を聞いて、福沢アナが一言、「いやぁ、自由連合は本当に自由な連合なんですねぇ!」
芸能人を大量に立てたことも、徳田腹心の石井何某を比例区で当選させるための作戦。銀行からカネを引っ張ってきたのも、「金を貸さないとデフォルト起こすぞ!!」と<中南米諸国>並に銀行を脅したことによるもの、と小生は考えておりますが。
まぁ、個人的には<いい奴>と考えておりますが、それだけのことでしょう(と、小生は考えます。)
*府川雅明さんへ。はじめまして。Rss-Kと申します。
少しレスさせて頂きます。よろしくお願い致します。>>96Pに東大出身の元野球選手で、現在江戸川大学助教授の小林至 氏の
>>「アメリカを知れば知るほど日本が愛おしくなる」の記事に注目しました。この小林 至氏の著作
『僕はアメリカに幻滅した』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4884663454/ref=sr_aps_d_1_2/250-7283481-1592217が、なかなか面白かったです。『わしズム』において述べられていることをより詳しくしたような内容です。この本はB0OK-OFF等でも簡単に見付けられると思いますので、お時間が許す時にでもご覧になってみては如何でしょうか。ただ、この本の帯には、"久米ヒロシ氏も絶賛!"というようなコピーが載っていたような…
ちなみに。『わしズム』に載っていた、みうらじゅん氏の漫画が、私としては、けっこうおもしろかったですね。。
そういえば、この小林 至氏は平成13年4月の参議院選挙の時に、自由連合から立候補して落選してるんですよね。なんで自由連合なのだろう…。
自由連合で思い出しましたが、『この政党って実は「石原新党」になるべきものだったのではないのかな???』とあの当時、ちょっと思ったりもしたのですが、どうなのでしょう。あれだけの大量の候補者を立候補させるだけでも相当な金額が必要になるわけですし、代表者の徳田さんは、石原さんとは仲良しのようですし。
すいません。根拠の薄い、ただの思い付きですね…
■下村寅太郎は依然古くなっていない、と思いました。ポイントを任意抽出すると以下となります。
(1)日本の近代化は近代化の受容であった。
(2)日本の哲学の受容も近代化の受容の一環であったが、その受容のかたちが極めて日本的であった。
(3)それは、批判的な受容ではなく、共存化であり、国学、漢学、蘭学に対する一つの新しい学問であった。
(4)その受容の日本的なかたちを言語化(哲学)すべく努力したのが、西田哲学であった。
(5)西田の問題意識は、西洋人にない日本人の思考方法を言語化することだった。
(6)東洋に哲学はなかった。東洋哲学とは、西洋哲学の方法によって見られた東洋の思想であり、西洋哲学の受容によってはじめて自覚的になったものだった。■「日本の近代化における哲学について」
『現代日本思想体系』24 下村寅太郎・古田光編「哲学思想」 筑摩書房 1965年9月 初出
『下村寅太郎著作集』12「西田哲学と日本の思想」みすず書房 1990年7月 収録1.日本の哲学の始まりについて
今日いう「哲学」は、日本においては、明治の始め頃、西周、津田真道によって初めて西欧から受容された。この時始めて「哲学」という言葉も「フィロソフィ」の訳語として作られた。初めの間は「窮理学」、「理学」その他さまざまの訳語があったが「哲学」に定着した。「フィロソフィ」はギリシャ以来、原語のまま用いられているが、これを自国語に翻訳したのはおそらく日本人だけであろう(中国へはこの日本語が逆輸入された)。しかし原意を伝え得ているかはもとより疑問である。基本的な哲学用語も西周によって翻訳されたが、一般に漢学ないし仏教学が基礎になっている。このことは西洋哲学の受容と理解の制約をなすものであるが、さらに漢語による術語は今日に至るまで変らない。このことは我々の哲学的思惟の性格にさまざまの制約となっている。
「哲学」が最初いかなる関心と動機から受容されたかについては後に触れる。初めて受容された西欧哲学はコント、ミルの実証主義、功利主義であった。明六社の人々を中心にして研究されたが、明治十年東京大学が創立されて以来、大学を中心として推進されることになった。初めの中は外国人教師によって教えられたが、外山正一が最初の邦人の哲学教授となった。彼は進化論思想を伝え、実証主義に代ってこれが支配的思想となった。しかし彼は本来アメリカで化学を学んだ自然科学者である。明治三十年代になって初めて専門的に哲学を学んだ井上哲次郎が哲学教授になり、ドイツ哲学を伝えた。これ以前は外人教師をも含んで哲学者は一般にディレッタントであった。井上は三十年以上その地位を占め、事実上、日本の哲学界に大きな影響を与えた。しかし日本の哲学界が啓蒙的段階を脱して学問的性格をもつようになったのは彼以後のことである。大西祝がその先駆的役割を演じたが、惜しくも夭逝した。明治の末年に始めて独自な体系的哲学思想が樹立された。西田幾多郎の『善の研究』(明治四十四年出版)以来のことである。綿密な文献学的基礎をもった西洋哲学の歴史的研究もこの頃からである。
「哲学」が明治初年に西欧から受容されたという事実は、哲学もいわゆる「日本の近代化」の一要素あるいは一契機であったことを示唆している。少くとも近代化に随伴した事件であることは確かである。この日本の近代化との関連において考察することは日本の哲学の性格や問題や方向を理解するに役立つであろう。西欧の歴史における哲学の役割と日本におけるそれとは必ずしも同一ではない。日本人の哲学の理解の仕方もこれに関連をもっている。
日本の哲学が十九世紀後半の西洋哲学の受容から出発したことは、日本の哲学の性格とそれ以後の展開に対して重要な関係をもつ。のみならず日本の哲学は常に西洋の哲学の展開と緊密に紹びついている、というより常にこれが推進力となっており、これと独立な展開はほとんど見られない。一般に受容的態勢にある。このことは現代に至るまでほとんど変るところはない。しかしこれは必ずしも哲学に限らない。科学においても、道徳、芸術、文学、社会思潮、すべての領域においてこの性格をもっている。真に根源的自発的なものはほとんどない。これは日本の思想史一般の伝統的性格であって、もとより現代に限らない。それ故、もし日本の思想、特に今我々の問題とする哲学において、独自性・独創性があるとすれば、この受容的態勢の裡で、受容的態勢を通して、単に受容的でないものの形成に求めねばならない。何よりもその受容の仕方に注意されねばならぬ。いわゆる日本の近代化も同様である。
実際上、日本の哲学は西洋の哲学との関係なしには考えられない。西洋の哲学がいがなるものであり、それが日本においていかなる仕方で受容され、いかに理解されたか、それをいかなる仕方で展開したかがまず問題である。
いうまでもなく、「哲学」は「愛知」として古代ギリシャに始まる。実利性、道徳的行為、宗教的信仰と区別された「観想」「理論」の探究が特に「哲学」と称せられた。これが西欧の「学問」の理念の伝統となった。この「哲学」は科学と区別された、あるいは科学に対立する哲学ではない。哲学は同時に科学であり、科学は同時に哲学であった。むしろ科学であるところの哲学が古典的「哲学」であり、「哲学」の特色をなすものであった。哲学と対立する「科学」は近世の産物である。近世の科学も始め「新哲学」と呼ばれた。
ギリシャに始まるこの古典的「哲学」の根本的特色は、体系的な学問であることであった。すなわち究極的原理を確立し、それから一切の知識を導き出し、ないし統一し、よってもって一切の知識が一つの体系をなすことであった。上は神学(形而上学)から下は物理学(自然学)に到るまで同一の究極的原理によって統一され支配されている。それ故、哲学は何よりも第一原理の探究とそれによって一切の知識を組織する方法の探究を根本的課題とした。かかる「哲学」が西欧の古典的な「学問」の理念であった。「近代科学」の成立はかかる学問の古典的理念に対する革命であった。近代科学は確かに「科学革命」である。近代科学は哲学的な究極的原理を問題にせず、単に「今・此処」で事実を実験・実証する「経験科学」である。近代科学は形而上学を前提せず、要求も要請もしないことをそれの学問的特色とする。形而上学(metaphysics)を欠く単なる自然学(physics)である。しかし近代科学も形而上学のない「哲学」−観想・理論であることには変りはない。その限りでは依然として西欧的学問の伝統の地盤の上に立っている。
日本が明治初頭に受容した「哲学」はこの西欧の近代哲学であり、「科学革命」以後の哲学である。科学と分離した哲学である。それ故、哲学と科学とは別々に、別個のものとして、受容された。日本人はいずれに対してもきわめて積極的な関心をもった。いずれも新奇な学問であった。彼らの学問−国学、儒学、仏学のいずれとも異なる新鮮さが最も魅力的であった。これの受容は確かに「文明開化」の一要素であった。この受容の意味と仕方が根本的な問題である。明治初期は啓蒙時代と称せられるが、本来の意味での「啓蒙主義」(Aufklarung)とは性格を異にする。本来の啓蒙主義はカントが簡潔に規定したように「自己の悟性を使用する勇気をもつ」ことであったが、明治の啓蒙主義は「啓蒙主義」そのものの受容であって、必ずしも自己自身の悟性の使用ではなかった。むしろ「型」としての「悟性」の受容であった。このことは一般に日本における思想の受容の一つの特徴的性格である。生成過程を抜きにした思想、出来上った思想の受容を特色とする。したがってその思想の歴史性は必ずしも理解されていない。受容された思想はすべて理想化され観念化され、類型化されている。唯物論でさえはなはだ観念的に受容されている。これらの思想には一般に心理がなく論理のみがある。このことが日本における外来思想の受容を容易ならしめ、受容されたものと既存のものとの共立、共存を可能ならしめ、常にそれらの綜合・統一が企図され、対決を必ずしも必須としないという独自な受容の仕方の成立する理由でもある。この歴史的理解、歴史性の理解に対する積極的な関心の欠如が確かに日本の哲学の展開を制約している。しかしこれは一つには日本人の直観的な心性、同時に性急な気質によること大であり、他方では、伝統的に漢字の詩的簡潔さに慣れた思惟の仕方によることも大であろう。またその故にこそ対極的な西欧の合理的分析的論証的な哲学思想にきわめて新鮮な魅力を惑じたのであった。そもそも日本人にとって哲学とは何であったか、そしてそれが日本の近代化の一要素であったというならば、日本の近代化とはそもそも何であったか、がまず問題である。これは一般に日本人の思想の性格に関する根本問題でもある。
2.近代化について
日本人が初めて受容した「哲学」は、前述の如く、西欧の近代哲学であった。それの生成過程を抜きにした、あるいはそれの歴史性の認識を欠いた、突如たる受容であった。それは既に近代哲学である故に、哲学に関しては近代化は日本においては問題ではなかった(哲学の近代化の意味については問題があるが、ここでは立ち入らない)。むしろ哲学の受容そのものが、科学とともに、日本においては学問の近代化であった。しかしそれによって伝統的な全学問が、全面的に近代化されたわけではない。実質的には従来の国学、漢学、仏学、蘭学に対してさらに一つの新しい学問が加わったということにとどまる。この学問の新鮮さに目を見張り、それによって旧来の学問を見直す動機にはなったが、しかしこれによって旧来の全学問を再組織するまでの徹底には到らなかった。単に並置にとどまった。その意味では哲学は日本においては上述のような古典的性格も学問的位置ももたなかった。結局、体系としての哲学ではなかった。あるいはむしろ哲学の体系的性格は理解されなかった。後に体系的思想家が出現するようになっても本質的にはこの状況は変らない。日本では体系的哲学といえども単に「哲学の体糸」であって全学の体系ではない。それ故、西欧におけるように哲学が他の諸学に影響を及ぼす事態はほとんど生じなかった。このことは哲学が学問の体系としては理解されず、あるいは、理解されたとしても未だ日本の伝統の中に十分な根をおろしていないということであろう。しかし、これは、より根本的には、日本人の伝統的な受容の仕方によるというべきであろう。日本の近代化そのものがかかる仕方による受容であった。
日本の近代化は実際は日本の近代化でなく近代化の受容である、近代化の受容において成立した近代化である。このことが日本の近代化のさまざまの特殊性の理由である。その独自性はこの受容の仕方に関連すること大である。日本の近代化の発展は受容から包容への発展にほかならぬように見える。このことは哲学の場合においても同様である。
現代、問題にされている「近代化」は、直接には、今日の主としてアジア・アフリカのいわゆる後進国あるいは未開発国の近代化を動機とする政治的経済的な問題を動機としている。この問題のいわばモデル・ケースとして日本の近代化が改めて焦点となり、それの成功の背景や可能根拠が国際的に論究されている。現時のこの問題に関する限りでの「近代化」はあらかじめ限定された意味をもっている。ここでは「近代」とは近代欧米、あるいは少くともそれを範型とする近代である。したがってここでいう「近代化」とは近代欧米の社会構造ならびに社会思想を形成することであり、具体的には科学技術を地盤とする生産組織、民主主義的政治体制の形成である。これを基準として先進国・後進国の区別がなされている。しかしこの先進・後進はこの基準に基づく限りのものであってそれ以外のものではない。文化の高低の評価ではない。実際に西欧そのものにおいてもかかる近代が古代・中世に対して全面的に高位の文化であるとは必ずしも評価されてはいない。むしろ逆にこれを西欧文化の頽廃とすら解する思想家も決して少くない。今日では近代化は汎世界的な傾向になっているが、しかしこれはむしろ現実的必要としてであって、必ずしも文化理想としてではない。全面的な近代化を要求するのはいわゆる進歩主義者のオプティミズムによる。むしろ一般には近代化との調和・統一が問題とされている。近代化の創造者である西欧自身が近代化の結果に対して満足していない。むしろ近代化の先進国の故に世界に先んじて近代化の結果に苦悩しているとすらいえる。
今日いうところの近代化は、上述のように、実際には近代西欧化であり、「西洋化であるにかかわらずこれを近代化というのは美称にすぎない」(アーノルド・トインビー)。しかし近代化に限らず、「近代」の概念自身が−古代・中世・近代なる時代区分自身が、西洋史に由来するものであることを注意する必要がある。今日広くこの時代区分が一般的な歴史区分として用いられているのは実際には西洋史を範型とするアナロジーないし転用にほがならぬ。西洋史においては古代・中世・近世はそれぞれ明確な性格と内容をもっているが、しかし、例えば東洋史や日本史においては、必ずしも明確でなく、それぞれの限界線をどこに引くかについてはかなりの任意性があることは事実である。
特に近世に関してはそうである。日本史においてこの時代区分は西洋史に接する以前においては必ずしも意識されてはいなかった。このことは「近代」が西洋の歴史的事件であって、西洋に独自な歴史的性格をもつことを示唆する。換言すれば、西洋の近世は西洋の古代・中世を背景にし、それから展開された近世である、より具体的にはルネサンス・宗教改革を通って成立した近世である。ルネサンスや宗教改革はいうまでもなく西洋の歴史的事件であって、西洋以外の近世の成立においても、どこにおいても、類型的に存在するものとはいわれない。「ルネサンス」には特定の古代−古典的とされるギリシャ・ローマの特にヒューマニズムが前提され、それの復興再生を重要な契機とする歴史的事件であって、単なる文芸復興ではない。「宗教改革」も同様である。中世におけるキリスト教、特に教会の特定の歴史的過程を予想し、それの改革、しかもその改革はそれの源泉への還帰を意欲したものであり、しかもその結果は本来の志向と必ずしも合致しない結果をもたらした歴史的事件であって、単なる宗教改革ではない。いずれもヨーローパに固有の歴史的事件であって、いかなる歴史においても生起を必然とする如き一般性をもった類型ではない。日本の近代の成立にもルネサンスや宗教改革の存在を想定するのは充実した意味をもたない。
しかし「近代」が本来西欧の歴史的概念であるにかかわらず、これが世界的に普遍的に適用され、そして現に「近代化」が世界的傾向であるのは、これを普遍的な模範として要求されるというだけでなく、これがどこにおいても、歴史を無視して、移植可能であり実現可能である如き性質をもつことによる。しかし近代・近代化が移植可能であっても、西欧におけると同一のあるいは同程度にどこにおいても可能であるという保証はなく、その結果を予測することはできない。一般的には近代化の限界、あるいはむしろ近代化の特殊化があらかじめ想定される。
近代化のきわめて重要な契機でしかも比較的容易に移植可能なのは、科学技術である。これの結果は直接に「見えるもの」であり、何よりも現実的な「力」をもち、必要性・実用性に富むゆえに、抵抗しがたく魅惑的である。西欧におけるこれの創成は長い時間と辛苦を要したが、出来上った結果の受容はさま(?)で困難でなく、一般にどこにおいても可能であることを特色とする。しかしこれ以外の西欧近代の移植は容易でもなく、また必ずしも意欲されない。これは歴史的事実の示すところである。西欧的「近代化」に最も早く着手し、かつ最も顕著に成功したと称せられる日本の場合においても明白に認められる。より広い世界史的視野の事実としても同様である。トインビーの指摘するように、近世西欧は最初キリスト教を東洋にもたらしたがこれはどこにおいても抵抗を受け西欧化は失敗した。しかし再度、科学技術をもってした時には東洋は抵抗し得なかった。逆にこれをまず把握した日本が西欧に対抗し得た。
このことは、今日、特にいわゆる進歩的思想家が云々する日本の近代化の「未成熟」の問題に示唆を与える。それは単に過程としての未成熟であるか否かについてのより綿密な省察を要求する。西欧における近代化は西欧の歴史的事件として、宗教、道徳、政治、経済、哲学、芸術その他一切の間に内面的連関をもって成立したことはいうまでもない。しかし歴史的境位を異にするところで近代化が同一の連関性において実現する必然性はない。歴史を一様な機械的必然的な過程として仮定しない限りかかることを期待することはできない。いわゆる近代化の未成熟は西欧社会を基準にした批評にほかならぬ。果たして完全な成熟を期待し得るか否かが既に問題である。それを希求すべきか否かもまた問題である。既に近代化の「先進国」であり創始者である西欧自身が、むしろその先進性のゆえに、既に経験している躊躇、失望、苦悩が楽天的な近代化を警告するとすらいえるであろう。
3.日本の近代化について近代化は前述の如く、具体的内容的には、社会構成としては市民社会、政治理念としては民主主義、経済機構としては資本主義、社会思想としては自由主義、個人主義、知識理念としては経験主義(実証的実験的科学)等々を契機としている。これらは中世と対立的対照的なもので、近代の特色をなすことはいうまでもない。これらの諸契機は西洋においては相互媒介的に関連している。それは歴史的連関性であって必ずしも論理的必然的連関性とはいえない。特に思想史に関しては、いわゆる上部構造的契機と下部構造的契機とのいずれが優先的支配的であったかは必ずしも一義的、決定的ではない。むしろ上部構造と下部構造とを截然と区別し得るか否かも、問題である。下部構造の成立と生成自身が歴史的であってこれがいかにして実現するかを考えるべきである。さらに下部構造と上部構造との関係が制約、規定、対応のいずれであるか、またそれがいかにして可能であるか、いかになされるか、は未だ明瞭にされていない問題である。いまこれらの問題に立ち入る余裕はないが、日本の近代化の過程においてもこのことが注意されてよい。
日本の近代化は日本の歴史的社会に内在する原因のみからの自発的な展開であったか。たとえ、上述の近代化の諸契機に対応するものが日本史に内在するとしても、しかしそれだけで日本の近代化が実現したか。換言すれば自発的に日本の近代化が成立したか。しかし西欧の触発、西欧の受容が重要な契機になっていることは歴史的事実である。これなくしても日本の近代化が成立したか否かは単なる仮定的想像にすぎず重要な意味をもち得ない。このことは近代化の契機そのものをより厳密に注意するならば明白になるであろう。例えば市民社会。「市民」なる概念も事実も日本史には存在しない。市民の構成する「都市」も同様である。「町人」は「市民」ではない。門前町や城下町は西欧の自由都市とは根本的に異なる。博多や堺がほぼその性格をもっていたとしてもむしろ特例的であり一時的であり、何ら伝統として存続しない。厳密な意味での−古典的理念としての「ヒューマニズム」も存在しない。「人格」の概念も明治以後に作られた翻訳語にすぎない。明治の「民権」運動は必ずしも「人権」運動ではない。ここには系統と伝統を異にする人間意識がある。事実上、日本の近代化は西欧的近代の受容を重要な契機として成立したことは決定的な事実である。しかしこの「近代」は、西欧の古代・中世を抽象した近代、内面性歴史性を抽象した近代である。さらにその受容の仕方は必ずしも批判的対決的ではない。結局、日本の近代化は、それを可能ならしめる必要条件が日本の歴史的社会に内在していたとしても、十分な条件としてはさらに西欧的近代の受容がなければならなかった。
実際上日本の近代化の現実的過程ならびに形態がこれを示している。端的に言って日本の近代化は本質的に西欧的近代の受容である。その意味においては、日本の近代化は、日本の歴史がしばしば経験した外来文化の受容の何番目かの場合にほかならぬ。その過程においても結果においても−その結果はもちろん未だ終局的ではないとしても−過去の場合と本質的に異なるものはない。むしろ近代化においてすらその仕方は伝統的であったということができる。
日本の文化の歴史は外来文化の受容を媒介にした発展であることは周知の如くである。日本の文化の独自性はその受容の仕方にある。受容の仕方の独自性とは、受容によって既存のものが排除否定せられず、保存され、旧と新とが共存し、受容が包容になることである。儒教や仏教が受容されても固有の神道は存続し、共存する。しかも必ずしもこれらの間に階層的統一が求められない。「神仏」という奇妙な概念がこれを示唆する。かかる受容の仕方は西欧の思想家には独自性としてよりも、対決・批判のない受容として単なる折衷としてしか理解されない。しかしそれはあくまで西欧的思惟の立場からの理解にほかならぬ。この理解の根底には西欧的思惟の仕方、西欧的思惟の原理−「矛盾律」が前提されている。思惟することは区別し批判することであるとする西欧的思惟の仕方が予想されている。
かかる原理的思惟に立脚する限り確かに日本人の受容の仕方は折衷にほがならぬ。しかしかかる西欧的思惟の仕方は一つの思惟の仕方ではあっても唯一の思惟の仕方とすべき必要も理由もない。受容即包容とする思惟の仕方が可能である。しかしこれを敢えて思惟とするならばかかる思惟の原理は−かかる思惟の論理学はいかなるものであるかが問題である。いわゆる進歩的思想家は単純にこれを「神秘化」という。しかしこれは日本人には日常的な思惟にすぎない。
ここで日本の近代化の独自性の問題は日本の文化の独自性の問題に連なり、さらに日本人の思惟の仕方、日本的思惟の論理の問題として日本の哲学の問題に連なる。そしてこの問題こそ日本の哲学者の根本的課題にならねばならぬであろう。
もし日本の近代化も日本の文化史の伝統に洽っているとすれば、いわゆる近代化の未成熟の問題も直接これに関連する。日本においては近代化は必ずしも全面的に日本そのものの全面的な近代化でなく、近代化を受容しこれを一つの契機として包容するという性格をもっている。近代化という見地に立つ限りそれは未成熟、不徹底にほがならぬ。しかしこれを包容するという見地からは必ずしも単に過程的な未成熟とする必然性はない。もちろん、近代化を受容することによって既存のものが大きな影響を受け変容を受けたことは事実である。しかしそれによって変革的変化をうけなかったこともまた事実である。これらのことは、近代化が最も直接的に端的に影響を与える日常生活においても認められる。西欧的服装―いわゆる「洋服」は、日本のみならず汎世界的になっているが、日本人は和服をも捨てない。衣食住の二重生活をあえて辞しない。むしろ択一的に一元化することを窮屈として欲しない。
洋風化の傾向は一般的事実としても少くとも択一的に意欲されてはいないことは事実である。過去の歴史的経験からこの意欲の恒存性は十分に確率性をもつ。このような事例は卑近に失するが、しかしより高度の文化領域においてはより自覚的にこの性格が認められるであろう。この視点から日本の哲学の展開やその問題の独自性が理解される。
4.日本の哲学の展開とその独自性について
日本人が明治の初頭に初めて西洋の哲学に出会った時、これに対して異常に新鮮な印象を感受した。そして強い関心をもってこれを積極的に受容した。問題意識をもってこれに臨むというよりむしろ知的好奇心にちかいものであった。日本人の知っていた学問−漢学や国学等とは遠った「学問」をこれにおいて認めた。彼らの接した哲学は、知識内容としては、必ずしも高遠でも深刻でもない。それは、コント・ミルの実証主義・功利主義であった。それにもかかわらずこれが新鮮な強烈な印象を与えたのは「学問」としての性格である。
最初の受容者西周はこの出会いの第一印象を「実に驚くべき公平正大の論にて、従来学んだ漢説とは頗る端を異にする」、「ヒロソヒーの学にて性命の理〈心理学〉を説くは程朱にもすぎ」と記している。しかしキリスト教に対しては「毛の生えたる仏法にて、卑陋の極取るべきこと無之」としている。東洋の儒学については後年、より反省的に、「孔孟の学派を連綿と相続し来りて、さらに変革することなきに反し」西洋の学者は「太古より連綿其共学を受るといへども、各々発明によりて前の学者の説を討ち滅しただ動かすべからざるのことのみを採るが故に、次第に新たなるに及」ぶとし、「漢儒の卓絶に至らざるは泥古にあり」とし、最後に西自身の学問的立場を「漢土の儒家、天竺の禅家などに拠らざるは論なく、……法〈フランス〉のA・コントが実理学(positivism)に淵源し、近日有名の大家J・s・ミルが帰納致知の方法(inductive method)に本いて始めん」(『西周哲学著作集』、二七頁)という。西より一世代後の井上円了も初めて哲学に接した時、「あたかもコロンブスが初めて大西洋上で新大陸を発見したごとき悦び」としている。初めて「哲学」に接した明治の人々の哲学に対する関心の所在と受容の動機をこれによって推察できる。それは必ずしも思想そのものの高遠深刻よりも思惟の仕方の新鮮さ、合理的分析的思惟の仕方の鋭利さにあったことは明らかである。
西と同時代の同一のグループに属する西村茂樹も、「哲学」が「知」を論じるに重く、「行」を論ずるに軽いこと、「洗心」の術のないことを指摘し、これを哲学の欠陥としているのであるが、しかしほかならぬかかる「哲学」に対して彼らは異常な関心を示したことは上述の哲学受容の動機を示唆する。それは思想的内容よりもそれの方法、それにおける思惟の仕方の新鮮鋭利に対する感銘である。仏教の宗教的冥想的な、また儒教の実践倫理的な教説とは異なった別個の理論性・合理性を「哲学」において感受した。この哲学の受容の当初における関心の性格は永く持続し、今日にまで及ぶとすらいえる。かつてこれは「純正哲学」と称せられたが、今日でも「純哲」の名で呼ばれている。日本の哲学者が現実的問題に対して比較的関心の度の低いのもこの性格の持続によるでもあろうか。
かように哲学は既成の西欧哲学の受容から始まったが、必ずしも批判的な受容ではない。国学、漢学、蘭学に対する一つの新しい学問であって、既存のものは否定せられず、共存し、ただ関心の焦点の所在を異にするのみであった。積極的な問題はむしろこの共存を基礎づけることであった。これもまた日本の思想家の伝統的性格である。本質的には「神仏習合」と同一の試みが企図されている。
井上哲次郎は哲学を専門的に学んだ最初の哲学教授であったが、しかし井上の西洋哲学そのものの理解の純粋さに関しては前代の西周に劣るともいえる。西周の西洋哲学の理解には漢学ないし仏学との混淆がないが、井上にはそれのはなはだしい混雑があるからである。実際には単にきわめて表面的な折衷にすぎない。しかし志向の上ではこれが単に後退で(き)ないことが認められてよい。
彼の積極的貢献としておそらく一般に承認さるべきものは、西洋哲学に対する「東洋哲学」の存在に注意を促し、これを強調したことである。この東洋哲学の存在の自覚は西洋哲学の受容が媒介になり、それが積極的な動機になっていることは記憶されねばならぬ。明治における仏教の再認識もまたこれによる。明治の仏教の再興は哲学としての関心からであって、宗教的信仰の復興ではない。しかしより重大なことはこの「東洋哲学」の概念自身、実際は西洋哲学からのアナロジーないし転用であることである。本来の厳密な意味における「哲学」は東洋には存在しなかったのであるから、東洋哲学なるものは西洋哲学の立揚からの比論的解釈にほかならぬ。実際に、東洋哲学は東洋哲学史以外のものではない。それの歴史的文献的研究以外のものは事実上存在しなかったし、現在も存在しない。
今日においても日本では「哲学」は実質的には西洋哲学である。これの明白な洞察なしに井上哲次郎およびその時代の人々はこの「東洋哲学」と西洋哲学との間に相似・類似を見出そうとし、「東西を打って一丸とする」ことを目指した。これにおいて果たされたものは単に安易な表面的な折衷でなければ単に不明確な概念の混淆以上のものではなかった。しかし彼らの志向そのものは単に西洋哲学の受容にとどまらず東西の哲学の綜合・統一にあったことは承認さるべきである。その意味において、またその意味においてのみ、西洋哲学の理解の純粋さに関しては井上は西に劣るにかかわらず、一つの段階を進めたということができるであろう。
しかし東西の思想を、必ずしも批判的ではなしに、それとは違った仕方で綜合・統一しょうとする企図は、決してこれをもって始めとするものではなく、むしろこれこそ上述の受容即包容とする日本人の独自な思惟の仕方の伝統ともいうべきものである。「神仏習合」の古い形から「和魂漢才」の観念、さらに新しくは佐久間象山の「東洋の道徳・西洋の芸術〈技術〉」、明治の「和魂洋才」の理念に連なる一貫した思想である。今日ではこの観念は安易折衷的な陳腐な思想としてまったく積極的な意義を認めないのが普通であるが、歴史的事実として日本の思想史を貫くライト・モティフである。外来思想の受容を媒介として展開した過程における伝統的ともいうべき顕著な性格的思想であって、それの積極的な意義を注意することが必要である。これは一般的には日本文化史、思想史、ひいては日本人の思惟の仕方の独自性の省察に導くであろう。
この「東西の思想を打って一丸とする」という明治の哲学者の理念が単に表面的な折衷から内面的原理的に深化され、自覚される過程が日本の哲学の発展にほかならぬ。この問題は日本の哲学が単なる受容の段階から包容の段階に至り、それの原理的反省、自覚に至るべきものである。同時に日本人の思惟の仕方の独自性の論理的基礎づけの問題に連なり、それにおいて初めて哲学が日本人の哲学となり、真に主体的な哲学となることである。
かかる思惟の独自性は、異質的排除的なものを同時に共存せしめることを可能ならしめる如き思惟の仕方である。それは思惟の本質的性格を批判・区別とし、矛盾律を根本原理とする思惟の仕方では不可能であり、その立場からは対決のない折衷としてしか理解され得ぬものである。
5.一つの到達点についてこの「東西を打って一丸とする」思惟の仕方の展開の歴史的過程の叙述を省略して一つの到達点として西田哲学を、ただしこの見地から見られた限りの西田哲学の一側面を、解釈する試みにとどめる。
西洋哲学の受容は最初、漢学ないし仏学的教養を地盤として行われた。受容時代の学者はすべて漢学を教養の基礎としている。西洋哲学の理解はこれを通路として可能となったが、同時にこれに制約されざるを得なかった。哲学的用語の翻訳がこれを示している。「悟性」、「理性」、その他今日用いられている用語は大半これらの人々特に西周に負う。日本における哲学の理解の純化と発展はまずこの漢学からの独立、解放にあった。これはある意味において受容の純化、徹底である。現代の学者はおおむね漢学的仏学的教養をもたず、その限りにおいて西洋哲学の理解は純化されている。今日では「悟性」や「理性」は漢字の字義を離れ、むしろ原語の記号的代置にちかい。
しかし西洋哲学の理解の純化とともにいわゆる「東洋哲学」の理解も純化されねばならぬ。単なる西洋哲学からの擬似的比論から解放し、それの純粋な独自性において理解される必要がある。この理解の純化は東西思想の統一のために必要不可避的な課題であって、これなしには表面的な折衷以上のものを期待することはできない。
先に東洋には「哲学」は存しないと言われた。しかしそれはもちろん、東洋に人間や世界に関する深い思索や認識がないという意味ではない。思想の深さ高さにおいては決して劣るものではない。それにもかかわらず「哲学」が成立せず存在しなかった理由は何によるか。それの重要な理由のーつとして思惟の性格、思惟の仕方の異なるによる。西洋において哲学を成立せしめた思惟の仕方は論証的思惟にある。これが対話的論議的思惟すなわち公共的共同的な思惟の仕方に出来することは明らかである。このことが精確な言語的表現と説得的思惟方法を意欲せしめた。あらゆるものを言語によって精確に表現し規定することは西欧的思惟の理念であり性格であった。
ギリシャ人はおよそ言語的に表現され得ぬものは存在でないとすら考えた。ここから精確な概念の規定―「定義」、思惟の斉合性、厳密性が要求される。科学や哲学はかかる思惟の仕方からの所産である。しかし東洋−日本、中国を中心とする−においては積極的にかかる意欲がない。「正義」を定義するためにプラトンは数百頁を費した(『ポリティア』)が、論語では「政者正也」で済まされる。ここでは精密・厳密な言語的表現は積極的に意欲されていない。精確性の理念とは別個の表現・方法が採られている。漢文では、時間的規定や論理的規定の役割をする助詞が意識的に除去される。
精確に表現し得ぬのではなく(現に口語では可能である)意欲しないのである。例えば「月落鳥啼霜満天」においては月落と鳥啼と霜満天との関連や結合は積極的に規定も指示もされていない。月落、鳥啼、満天には時間的規定が顕示されていない。表現の非精密性、非厳密性の点においてこれ以上のものはない。しかし精確性に関してのことであって、より豊富なもの、より深いものを表現し得ることに関しては自ずから別である。
言語的表現の精密性の理念の欠如には、同時に、言語に依存しない、あるいはさらに積極的に、言語・言説を排除し、否定する如き思惟の仕方が予想されている。それはもっぱら言語的に表現することを理念とする思惟とは、反極的な、別個の性格をもった思惟である。かかる思惟においては科学や哲学は成立しない、し得ない。しかしそれは意欲されなかったということであって、能力の有無ではない。一般に東洋の思惟の仕方は言語によらぬ思惟、言語を否定する思惟である。したがって論理的合理的分析的思惟とは別個のものであり、むしろそれを介入せしめない如き思惟である。
禅はこの性格を最も顕著に最も端的に具現している典型的なものということができるであろう。その意味では禅的思惟―もし強いて思惟というとして−は東洋的思惟方法の典型である。かかる思惟を地盤とする限り東洋に「哲学」が積極的に成立せず存在しない理由は明らかである。もちろん、言語を籍らないのではない、それは不可能である。しかし言語に依存し憑依しないのである。むしろ言語は言語を否定する言語の役割をもつ。
かかる性格は東洋的文化一般に共通な特色である。「巧言令色鮮矣仁」のモラル、色や形(遠近法)を否定する水墨画の芸術、直接的な「表情」を否定する演劇としての能、寡言を特色とする和歌・俳句、「老」を尚び「若」を未熟と同一視する人生観、等々はすべて性格を共有している。しかし素朴性・原始性とは別個のものである。
それ故、もし東洋哲学なるものがあるとすれば、その独自性は成文化された思想に求めるよりはむしろ言説的表現を排除し否定する底の思惟にこそ求むべきであろう。それ故、東西思想の統一、「東西を打って一丸とする」理念の実現は、明治時代の思想家の試みたような形あるいは仕方では期待され得ない。それが単に表面的な折衷に終らざるを得なかった理由である。しかしおよそ哲学が悟りや直観でない限り、概念的論理的表白を欠くことはできない。それ故もし、東洋哲学なるものが成立するとすれば、この不言のあるいは無言の思惟を言い表わすことであり、言い表わし得るものとすることであり、ロゴス化することである。論理を容れない、容れ得ないものに論理を容れることである。かかる難作業がまさに日本の哲学者に課せられた問題である。
東洋哲学はここで始めて「哲学」になる。それ以前のものは東洋哲学と称しても単に外面的な転繹、単なる仮托にすぎない。およそ哲学には西洋哲学や東洋哲学があるべくもない。西洋哲学はただ西洋において成立した哲学というのみであり、出生地を示すだけの意味しかない。いわゆる東洋哲学も単なる哲学となることによって初めて「哲学」となる。それ故、東西哲学の綜合なるものはいわゆる東洋哲学を「哲学」とすることにほかならぬ。無言の思想を言説化することであり、無論理を論理化することである。このことが真に「東西を打って一丸とする」東西哲学の綜合にほかならぬ。この見地から日本の哲学の現代における到達点を西田哲学において認め得るであろう。
これに到る西田哲学の展開をここで叙述することはできない。これは『西田幾多郎』篇で解説されるであろう。西田幾多郎の全生涯に亘る哲学的努力は単に一つの独創的な哲学体系を樹立したことではない。しばしば通俗的に西田哲学は神秘主義であるといわれる。たぶんその難解さに辟易したことの遁辞であろう。処女作『善の研究』は我々の経験の仕方−これは「純粋経験」として表白されている−の心理学である。これ以後の西田哲学の問題はもっぱらその論理学の形成に集中されている。西田哲学はしばしば禅思想を根底にしているといわれるが、これは特定のドグマティクとしての禅思想の意味ではなく、むしろ禅において端的に現われている我々自身の経験にほかならぬ。西田は決していわゆる東洋的な概念や思惟方法を前提してはいない。問題設定や出発点も、その概念も、思惟方法も、本来的には西洋哲学のそれである。もっぱらそれを極限にまで追究し徹底せしめてこれを突破し、それにおいて必然的に独自な概念や論理が形成されたのである。西欧的思惟を通して、西欧的思惟自身によって、西欧的思惟を突破せしめるのであり、それにおいて自ずから東洋的思惟が自覚されるのである。これを突破せしめるものがほかならぬより自由な東洋的思惟である。
その意味で西田哲学は西洋哲学からの解放であると同時に西洋哲学そのものの解放でもある。西洋哲学そのものの拡張である。もっぱら西洋哲学であった哲学がここに東洋哲学をも含む哲学−世界の哲学になることである。「絶対無」の哲学、あるいは「絶対矛盾の自己同一」の論理学がその成果である。
潜勢的にしか哲学でなかった東洋哲学は西田哲学において現勢的に哲学となった。西田哲学そのものはこれを西洋哲学を通して、これを媒介にして遂行した。東洋哲学を真に現勢的に哲学たらしめるにはこの過程を通らねばならなかった。ロゴスをもたなかった東洋哲学はこれによってロゴス化された。始めてここに「哲学」となった。それは同時に「東西思想を打って一丸とする」日本の哲学者の課題を、少くとも原理的に、果たしたことになる。この手続きあるいは過程を通ることなしには明治時代の哲学者の如き単に外面的な折衷にとどまらざるを得ない。
絶対無の哲学は古代ギリシャの「形相」の哲学、近代西欧の「無限」の哲学に対する第三の哲学であるだけでなく、さらにこれらを貫徹してこれらを包容せんとする「哲学」である。これを包容することは絶対無の原理において初めて可能である。この原理はこの目的のために新しく作為されたものというよりは、受容即包容の仕方で思惟してきた伝統的な考え方の原理的自覚にほかならない。常に受容を媒介にして発展してきた日本の思想史の根底に存しこれを貫く思惟の仕方の自覚的な形成である。それはいかに異質的な思想をも、それの優秀性を認める限り、積極的にこれを受容し、しかも既存のものを否定排除せず共存せしめるという独自な思惟の仕方である。論理的にいえば、これは個体的なものをそれの個体性において包容し得る如き普遍的原理の探究である。これが「限定して限定せず、限定せずして限定する絶対無の自己限定」の論理として定式化される。それ自身の固定した限定された原理をもつものにはかかることは不可能である。そこでは必然的に対決的批判的択一的思惟しか成立し得ない。かかる立場では受容即包容的な思惟の仕方は折衷としてしか理解され得ない。しかしそれは矛盾律を根本原理とする対決的択一的な思惟の仕方の制限に他ならぬ。これはもとより一つの重要な思惟の仕方である。哲学や科学をこれから産出した。しかしこれを唯一の思惟の仕方とする理由はない。受容を包容とするような我々自身の伝統的な思惟の仕方を可能ならしめている原理が絶対無の論理である。これは何ら神秘的なものでなくむしろ我々自身の日常的な思惟にほかならぬ。もとより単に素朴ではない。単に素朴ならば既に歴史的事実の示すように世界最高の諸思想を受容し理解し得たことは不可能であろう。
体系を形成した哲学者はもちろん西田幾多郎だけではない。次のジェネレーションには田邊元、高橋里美などがある。しかしいずれも西田幾多郎が動機となっている。それぞれ性格を異にする体系であるが、しかし共通の特色は西田と同じく西洋哲学を媒介にしながら、その意識的であると否とを問わず、志向は東西の包容にある。これは西田哲学を動機としたことにのみよるのでなく、一般に日本の思想家の共通の特色というべきであって共通の生活と体験に由来する。その究極的根底はやはり我々の東洋的な宗教意識である。哲学が究極的なものを目指す限り宗教的なものに到るのは当然である。科学的認識の如く形式的抽象的なものを問題にしている限りでは未だ必ずしもこれに到らずに済むが、人間存在や形而上学的問題に及ぶ時、必然的に根源的な自己体験たる宗教的経験に基づかざるを得ない。それによって自ずから日本人の原体験の性格を帯びざるを得ない。西田の体系には禅的性格が、高橋のそれには真宗的性格が顕著であり、田邊には仏教とキリスト教との綜合が意識的に思念されている。しかしいずれも特定のドグマティクとしての宗教を前提するのではなく、逆にこれらのドグマティクにおいて観念化される日本人のいわば原体験を基盤とするものにほかならぬ(この場合の宗教の概念はキリスト教を範型とする西欧的とは別個のものであることを注意する必要があるが、ここには立ち入らない)。
彼らはいずれも、伝統的な受容的包容性を共通の性格としている。日本の思想家の哲学的志向が自ずからこれに帰趨するのはこの原体験による。ここに出てくる日本的性格は意識的政治的ないわゆる日本哲学とはもとより別のものであって、およそ哲学者が誠実に自己体験に立脚する限り自ずから出てくる伝統的性格である。もちろん哲学者としてこれを直接的無媒介的にでなく反省的自覚的に基礎づけるのである。日本的であることを意識せず、もとより意図せずとも、しかも自ずから日本的なのである。およそいかなる民族的性格をももたないような哲学思想はかつて存在したことはない。同時に、哲学である限り単に特殊的民族的なものにとどまったものもない。我々が単に哲学と解しているものもまた強い西欧的性格をもっている。今日では西欧の宗教となっているキリスト教もいうまでもなく本来東方の宗教であった。これが西欧の宗教となる時同時に西欧化している。例えばそれの神学組織や教会制度の如きものは本来の福音書そのものからの内面的必然的な産物とは言い得ない。明らかにギリシャ哲学やローマ帝国を地盤にした形成である。新約聖書がギリシャ語で書かれた時既に西欧化がなされている。いかなる民族の文化の歴史においても受容のないものはない。ただその受容が対決的択一的であることが西欧的性格である。しかしそれは単に一つの受容の仕方であって唯一の仕方とする理由はない。日本の哲学は究極においては我々の共有する「こころ」の自覚的な思想化であり、我々の文化を形成しているものの体系的概念的自覚である。それに到らぬものは未だ我々の哲学ということはできない。
先に日本の近代化に関して言われたことは哲学に関しても同様に妥当する。日本の哲学は実質的には今日もなお多分に西洋哲学であるが、したがってその限り未だ受容的過渡的性格のものというほかないが、しかし日本の場合では、これが単に西洋哲学でなく同時に我々の哲学であり得るのである。過程的であって同時に到達的性格をもち得るのである。
カール・レヴィトの現代の日本の哲学者に対する批評はこれまで繰り返されてきた西洋人による批評と同型のものにすぎない。「日本人は二階ではプラトンからハイデッガーに到るいっさいの哲学を並べ、階下ではそれと無関係な考え方や感じ方をしている、ニ階と一階を結びつける梯子はどこにもない」。必ず「梯子」を必要とすること−Mediation こそ西欧的思惟の性格である。これのない時思惟することができない。むしろ梯子をかけることが思惟である。梯子をかけることは「関係」づけることであり、やがて相対化である。対決的批判的択一的思惟はこの立場においてのみ可能である。絶対的なものの思惟は原理的に困難である。そこには存在のみがあり、無は単に存在の欠如である。単なる非存在、単なる否定である。神の子が受肉してイエスとして−人間として存在したことを歴史的事件とする限りこれは一回限りの事件である。イエスの死後は「聖霊」が支配する(シェリング)。神を絶対無とし、無によって媒介される如きことは彼らには考えられない。しかし絶対無の思想においては存在する神はない。特定の−一度だけ生まれる神の如きものももとより存在しない。衆生が存在するのみである。単なる生も単なる死もない。もっぱら「生死」として考えられる。生死は生と死ではない。「神仏」の概念もここには可能である。神仏は神と仏ではない。一般にここには「梯子」はない。梯子を必要としない。むしろ無用である。ここではいかなる有も絶対的ではない。有を絶対的としないものが絶対無である。絶対無は有でもなく単なる無でもない、それ故に克く絶対無である。我々の「こころ」はこの絶対無の原型である。
>昨日、本屋に行ったら、小林よしのりの「わしズム」創刊号があった。ちょっとためらったが、買ってみた。>小林よしのりは、結構読者がいる。私の同僚も読んでいるし、10年くらい若い、20台の人たちも読んでいる。
>論者は、西部邁とか、長谷川美千子だった。この長谷川美千子は、9.11のあとに、たしか「正論」だと思うが、何度読んでもわからない(少なくとも私には)駄文を書いていた記憶がある。
>SNSIは、これとは比較にならないくらい質は高いし、もっともっと多くの人に読まれてほしいと考えました。
初めて投稿致します。
私も駅頭で買って読みました。コンティさんの意見とほぼ同じです。
96Pに東大出身の元野球選手で、現在江戸川大学助教授の小林至 氏の
「アメリカを知れば知るほど日本が愛おしくなる」の記事に注目しました。
書いてあることは、すでに副島系サイトの読者には共有理解事項ですから、改めてこの掲示板で取り上げることもないと思いますが、確認の意味で簡潔に主論点を書きますと、1、アメリカは日本以上の学歴社会である。
日本では大会社の社長から、サラリーマン、商店主、学生まで職種も収入
も全く異なる人々が混在しているのは決して珍しくないし、公立学校もそ
れに対応している。アメリカは収入と人種によって住む場所が明確に違っ
ている。金持ち白人が大学院生を占める。庶民は入れない。
2、アメリカ崇拝を仕立てあげたのは、イエロー・バナナたちである。
アメリカが理想社会だという幻想を作ったのは、アメリカの戦略である
ことはすでに知れ渡っている。それでもなお、このミスリードを続ける
御仁は、アメリカ帰りのエコノミスト、駐在員、特派員の知識層である。幻冬舎のこの雑誌は、副島系サイトで展開していることを薄く大衆的に引き延ばした内容を、小林よしのりを使って世間に広めている。
僕は、ある意味で深刻に受け止めざるをえません。四桁くらいのアクセス数の中で取り交わされている密度の濃いメッセージがメディアに読まれて、利用されているのではないかという疑義です。
これには二つの考え方があって、しょせん情報は伝播するものだから、どのような形であれ、多くの人間が享受すればよいのだという寛容な立場に立つのが一つ。もう一つは情報は商品であって、その価値がむやみに盗用されないようにしなければならないとするものです。
RSS−Kさん、こんにちは。
なおこうです。>言葉足らずでした。返す返すも失礼いたしました。
>ご無礼お許し下さい。いやぁ、小生が「飲み屋の会話」のつもりで書いた投稿に対して、こう、御丁寧に対応して頂くと、申し訳ないというか、正直、困ったなぁ、と恐縮しております。却って、RSS−Kさんにご迷惑をおかけしたのではないか、と反省しております。
「文章の陰に笑顔が見える」をモットーとして書いているつもりなのですが、まだまだ修行が足りませんなぁ。
そういえば、「PC掲示板」に質問をして、「コンピューターに無知な<哀れな中年男>をお助けくださいませ」とやったら、「人間、自分をそんなに卑下するものではありません」と、回答者の方に<マジメ>に諭されてしまいました。どう対応してよいか分からず、困惑しましたわ。(修行が足りん!)
某政党の掲示板(どこだか、もう、お分かりでしょう?(ニヤリ)で、「反禁煙闘争(!)」を展開していたところ、外資系薬品メーカーの社員を名乗る男から、「医学に関して無知」だとか「中途半端な医学知識で大衆を騙そうとしている」などと<罵詈雑言>を投げつけられたことがありました。
流石にムカッときたのですが、あくまでも冷静に論旨を展開して、ケチョンパンにしてやりましたがね。でもこの人も、最初は小生を挑発するつもりなどなかったのに、書いているうちに、つい、激してしまったのでしょうね。
顔が見えないネットでは、普段の二倍くらい、気をつけないといけないのですね。よ〜く、わかりました。
というわけで、RSS−Kさん。こちらこそ、失礼の段、平にご容赦を。
副島隆彦です。下の「1569」の「ダーティ・ハリー」投稿者コンティ君の文に関連して、私が気になっていたことを書きます。極めて、個人的なことです。
それは、今は、映画評論家のようになっている町山智浩氏のことです。
小川顕太郎氏が、鋭く、以下の文章で見抜いている通りです。町山智浩
には、クリント・イーストウッドの精神と思想を理解する事は出来ません。私の書いた映画評論本「アメリカの秘密」の中で、私は、大衆的なリバ
ータリアンの思想を体現して実践したクリント・イーストウッドにについて
はっきりと解説しました。町山君は、私、副島隆彦的な視点へに対して、長年、強固な反感と敵意を持っているのです。
以下の小川君の文章が、その本質を見事に、言い当てています。
(引用始め)・・・・私が問題にしたいのは、『ダーティーハリー 2』に関する評だ。『ダーティーハリー 2』は、法の編み目をかいくぐって温々としている悪人どもを、勝手に殺しまくる白バイ警察隊が登場する。
一見ハリーと似たような事を、もっと過激な形でやっているようにみえるが、ハリーはこの白バイ警察隊の前に立ちふさがり、彼等をやっつける。
これに対して、町山智浩はこう書く。「ハリーはもうアウトローではなく、普通の警察官になってしまった」と。…え?
(引用終わり)
副島隆彦です。私も、小川君と全く同感です。ダーティ・ハリー(クリント・
イーストウッド)は、決して、凶悪犯罪者を警官がどんどん撃ち殺せ、と言ったのではないのです。「法の適正手続き」 due process of law デュー・
プロセス・オブ・ラー を、司法警察職員(刑事と俗称される)は厳守しなければなりません。それは民主政治(デモクラシー)の元祖の国であるアメリカの建国の精神だからです。 「法律で厳しく制限された政府」=limitted
government リミッテド・がバーンメント はアメリカ国民の建国の決意です。第3代大統領トマス・ジェファーソンが体現した思想です。これが、
リバータリアニズムの創生期の思想でもあります。そして、時間が経(た)って、時代が変わって、今度は犯罪容疑者(とりわけ
凶悪犯罪者)の人権を擁護する言論と思想が、アメリカのエスタブリッシュ
(学問、教養の面での支配層)の中に蔓延するようになった。一般庶民 ピープル が、凶悪犯罪と、権利を盾にとっての横暴な主張から、全体としての実害を受けるようになって、それで、苦しみ始めた。この時に、クリント・イーストウッドは、「法の適正手続き」の問題の解釈面での変更を、要求したのである。本来の、建国の精神としての、正義 justice の実現としての「デュー・プロセス」というのは、そのようなものではなかったはずだ、と、まっとうな庶民感覚から、連邦最高裁判所の判事たちの「法解釈の権威」に対して刃向かってみせた。それが、「ダーティ・ハリー2」だ。「公然と、国民の前に、何が、判定を下されるべき正義の基準かを、その基準を明らかにせよ」という反撃の態度に出たのだ。
ここから後は、純法律学的な解説になるので省略します。日本人には、本当は、日本国憲法31条以下の「法の適正手続き」のところは、実感としては
何も分かっていない。その切実さが分からない。知識人層にも無理である。輸入制度の悲劇だ。町山智浩は、10年の昔、宝島社の編集部にいて、私、副島隆彦が苦労して
書いた原稿に、難癖をつけて、雑誌にのせることを拒絶するように編集長に
働きかけたりした人物だ。私の目の前では、私に向かって堂々と何も言わないくせに、陰に回っては、私の邪魔ばかりした編集者だ。彼は、その後、キネマ旬報社だったか、そこの編集部に押し入り、パイを向こうの人の顔に投げつけて、問題になり、退社した。どういう悪ふざけかは、詳しくは聞いていないが、とにかく、自分を、先鋭な人間だと思っているのだろう。彼は明らかに、日本的な政治分類によるところの温和な左翼リベラル派である。いまでもそうだろう。だから、彼は、クリント・イーストウッドに現れる、民衆型の素朴な保守思想としてのリバータリアニズムがきらいなのだ。
そしてそれを日本で体現する副島隆彦が嫌いなのだ。おそらく、その理由のひとつは、彼の祖母が在日韓国人であるそうだから、そのための性格的な偏向が彼にはあるのだろう。当時、私は、そのように宝島社内の編集者たちから聞いていた。私は、「どうして私の文章について、横から変な圧力をかけて、言論弾圧=表現統制をするのか」と抗議する暇も無く、忙しさの中で、10年の歳月が過ぎた。彼は、最近は、映画評論家にないっているようだから、そろそろ、きちんと問い詰めてやろうと思っている。当時の事も含めて。
副島隆彦拝
以前、副島先生も転載されていた、京都・河原町の「CafeOpal」のサイトを見ていたら、私にとっては驚くべき評論が載っていたので、転載します。しかし、この小川顕太郎さん、すっごい人ですねー。今度、京都に行ったら是非お会いしたいと思います。(つい先日、学会で京都に行きCafeOpalをたずねたのですが、店が開いていませんでした。)
ダーティーハリー
今月号の「映画秘宝」を読んでいたら、 町山智浩が『ダーティーハリー (とフレンチコネクション)』 について書いていた。町山智浩の文章はいつも面白く、実際今回の文章も面白かったのだが、どうしてもひとつだけモノ申しておきたい所があったので、書いておく。『ダーティーハリー』は、クリント・イーストウッド演ずるハリー・キャラハン(警察官)が、法に保護された凶悪犯を、自らの信念に従って処罰する、という話だ。無差別殺人を繰り返し、少女を誘拐してなぶりものにする凶悪犯スコルピオ。彼を追いつめたハリーは、「弁護士を呼べ!」と叫ぶスコルピオの足を拳銃で撃ち、そこを足で踏みつけながら(拷問をしながら)、誘拐された少女の居場所を聞き出す。しかし、すでに少女は殺された後だった…。
で、ここからが問題なのだが、この犯人は釈放されてしまう! なぜかというに、ミランダ権をハリーが無視したからだ。ミランダ権とは、犯人の人権を守る法律のことで、逮捕する前に、「お前には黙秘権がある、うんぬん」と伝えなければならない、というものだ。ハリーはこれを無視しただけでなく、拷問に近い行為を行ったので、拷問によって得られた自白は証拠として採用されない、という原則もあって、犯人は無罪となったのだ。そんなアホな! だって、自白によって殺された少女の遺体があがったのだし、スコルピオが犯人なのは明白じゃないか! と、私はこの映画を観た当初から、どうしても納得できないのであった。が、まあそれはとにかく、ハリーはマスコミからも悪徳警官として攻撃され、上司には怒られ、散々な目にあうのだが、スクールバスをジャックしたスコルピオを、最終的に射殺し、警察バッジを捨てて去っていく。というのが、映画史上に残る傑作『ダーティーハリー』の粗筋だ。
ここまではいい。私が問題にしたいのは、『ダーティーハリー 2』に関する評だ。『ダーティーハリー 2』は、法の編み目をかいくぐって温々としている悪人どもを、勝手に殺しまくる白バイ警察隊が登場する。一見ハリーと似たような事を、もっと過激な形でやっているようにみえるが、ハリーはこの白バイ警察隊の前に立ちふさがり、彼等をやっつける。これに対して、町山智浩はこう書く。ハリーはもうアウトローではなく、普通の警察官になってしまった、と。…え?
実は似たような事は前から色んな人に言われていて(例えば、アウトローのハリーが、法の番人として帰ってきた! とか)、私はそういった文章を読むたびに、違う! お前らはまったく『ダーティーハリー』を分かっていない! と叫んできたのであった。ハリーの態度・立場は、1 と 2 で、まったく変わっていない。一貫している。その立場を敢えて私の言葉で言うなら、「正義」ということだ。法律が過剰に加害者を保護する事によって、被害者が蔑ろにされ、「正義」が損なわれている。だからこそ、オレが「正義」を回復するのだ、というのが、ハリーの一貫した態度・立場だ。そしてそこが、ポーリーン・ケイルのような左派リベラルの知識人に「ファシズムの夢物語」と非難された所だろう。要するに、「あんたの『正義』は『独善』に過ぎないわよ!」という非難な訳だ。
それに対して、左派リベラルの頭の悪さに苛立っているリバータリアンのイーストウッドは、「それなら『正義』と『独善』の違いを示してやろうじゃないか」という事で作ったのが、『ダーティーハリー 2』なのではないか、というのが私の考えだ。白バイ警察隊は、ハリーの「正義」に対して、「独善」なのだ。なぜなら、ハリーは、常に自分の信念、そしてそれに基づいた行動を皆の前に晒している。その事によって、バカなマスコミに叩かれたり、左遷されたりと大変な目にあうが、そこから逃げはしない。自分の行為を公にし、評価を民衆・常識・歴史に任せる、という立場だ。が、白バイ警察隊の方は、こっそりと殺人を行い、表面上は普通の警察官をやっている。これは、例え極悪人を処罰し、みなが喝采を送るにしても、常に「独善」に陥る危険性がある。正しいものにせよ、間違ったものにせよ、他人の評価を拒むものは、常に「独善」に陥るのだ。
実はこの「独善性」は、左派リベラルのものに酷似している。左派リベラルは、「人権」や「平等」など、絶対的な「真理」を掲げて、様々な運動をする。この「真理」が分からない人達は「未だ啓蒙されていない」蒙昧な大衆であり、この「真理」を拒否する人達は「保守反動のファシスト」なのだ。基本的に他人の評価を受け付けない。これに対して、民衆の素朴な声、なんで犯罪者が保護されて被害者が蔑ろにされてるの? など、を代表するのがリバータリアン。カリフォルニア市長まで務めたイーストウッドの政治的立場はもちろん後者だ。私は、こういう民衆・常識・歴史に裏打ちされたものこそ、「正義」と呼ぶにふさわしいと思う。
だから、『ダーティーハリー 2』は、ポーリーン・ケイルら左派リベラルの批判に対する回答、且つ皮肉であった、というのが私の『ダーティーハリー 2』評だが、如何? 別にハリーは日和った訳じゃあないんだよ!
『ダーティーハリー』は、個人的映画ランキングでベスト 10 に入るぐらいの大好きな作品なので、思わず力んで書いてしまいましたー。
(小川顕太郎 )
昨日、本屋に行ったら、小林よしのりの「わしズム」創刊号があった。ちょっとためらったが、買ってみた。小林よしのりは、結構読者がいる。私の同僚も読んでいるし、10年くらい若い、20台の人たちも読んでいる。
論者は、西部邁とか、長谷川美千子だった。この長谷川美千子は、9.11のあとに、たしか「正論」だと思うが、何度読んでもわからない(少なくとも私には)駄文を書いていた記憶がある。
SNSIは、これとは比較にならないくらい質は高いし、もっともっと多くの人に読まれてほしいと考えました。
今晩は、Mr.ネルソン@法律掲示板管理人です。私め、つい先日、「法律掲示板(工事中)」の管理人に就任いたしました。みなさまには、万障お繰り合わせの上、投稿していただけたら幸いです。
「法律」や「裁判」や「司法」という言葉(ターム)が入っている内容なら、何でもオッケー、の掲示板です。いずれ、新装開店しますが、書き込みは現在も可能ですので、ドシドシご投稿して下さいませ。
最近の裁判(事件)の記事の貼り付け(コピー&ペースト)から、司法制度の問題点とその改革案まで、法律ネタなら、何でも投稿して下さい!
従来の、法律学の理論・学説の議論や、法律実務家(法曹三者。弁護士・検察官・裁判官を指す)の日常業務の体験談・苦労話に付け加えて、隣接業務である、たとえば、税理士や弁理士、行政書士や公認会計士、などの話題でも結構です。
法律立案、といえば、官僚やいま話題の政策秘書も面白いですね。宅建(不動産登記)や労働基準監督官(労働Gメン)、刑務所や刑務官(看守)の話題も歓迎します。何と言っても、末端、現場があってこそですから。
この掲示板はいわば、「法律なんでも文章箱」、「法律業界情報メモ」のようなものも目指しております。
みなさまのご要望、ご批判など、何でも結構です。最後に重ねて、みなさまのお気軽なご投稿を宜しくお願い申し上げます。
ネルソン拝
今晩は、ネルソンです。ここが、かの有名な「ふじむら」ですかあ(笑)。・・・それはさておき、御感想ありがとうございます。
> とりあえず、市場原理に重点を置きながら、法科大学院等で行われる法学教育のレベルアップも同時に図ってゆくということしかなさそうですね。
いやあ、実は私も総論や抽象論的には、これしか遣りようがない、と考えているんですよ。ただし、各論、具体論になると、エヌさんのような優秀な方からビシバシ御指導御鞭撻(笑)が飛んでくる次第なのですよ。
なにせ、「奨学金・奨学ローン」(=税金による補助、具体的には、政府と大学による債務保証を銀行に行ったりする)と「教育(受験)」(=日本の宿痾。司法改革は、実は司法試験制度改革という声もあるのです)問題が絡みますからね。
だからこそ、小室先生に師事した、副島先生の兄弟子にあたる、橋爪氏の政策論文から、アイデアを引用したのですが。やはり、4000字では論じきれませんでしたね。
さて、平凡社の本は、今日たまたま、立ち読みしてしまいました。奇遇ですね。なにやら、因縁めいたものを感じるのは、私だけでしょうか?いや、私の妄想でしょう(笑)。
これを読んだ感想ですが、一言で言うと「気分が重くなった」です。橋爪氏ではありませんが、入学試験は書類選考に一本化しないと、結局、司法試験の二の舞(=受験戦争、というより「資本試験」!)になります。
これだと、大学別の法科大学院入試対策講座が予備校で開かれることになりますから、予備校で金を払い、大学院でさらに200万円も払うハメになります。
困ったことです(泣)。
司法制度改革推進本部の今後の議論の展開に期待するより他、ありません。他力本願ですが、私には権力が無いのでどうしようもありません・・・。
なお、私め、つい先日、「法律掲示板(工事中)」の管理人に就任いたしました。みなさまも、万障お繰り合わせの上、投稿していただけたら幸いです。
「法律」や「裁判」や「司法」という言葉(ターム)が入っている内容なら、何でもオッケー、の掲示板です。いずれ、新装開店しますが、書き込みは可能
ですので、ドシドシご投稿して下さいませ。最近の裁判(事件)の記事の貼り付け(コピー&ペースト)から、司法制度の問題点とその改革案まで、法律ネタなら、何でも投稿して下さい!
隣接業務である、税理士や弁理士、行政書士や公認会計士、などの話題でも結構です。法律立案、といえば、官僚やいま話題の政策秘書も面白いですね。
などなど、この掲示板はいわば、「法律なんでも文章箱」、「法律業界情報メモ」のようなものを目指しております。
みなさまのご要望、ご批判など、何でも結構です。お気軽にご投稿のほどを、最後に重ねて、宜しくお願い申し上げます。
庄司さん、後半が宣伝になってしまって、ごめんなさい。
>徳間書店
>超帝国主義国家
>マイケル・ハドソン著 広津倫子訳
>アメリカはいかにして世界経済を牛耳ろうとしてきたか。アメリカ政府の圧力で翻訳が止められていた幻の書。20年の歳月を経て待望の翻訳。
>2000円 5月下旬Yamoku 様
情報ありがとうございます。
この本が出版されるのを待っていました。
総合掲示板に載せたものです。
[1956] 尋ね本 投稿者:KS 投稿日:2002/02/06(Wed) 20:28:01
KS:『超帝国主義:アメリカ帝国の経済戦略』と言う本は出版されたのでしょうか?
ご存知の方ご教示をお願い致します。Our World ビル・トッテンからのレターから転載
(転載開始)
マイケル・ハドソン博士は1972年に『Super Imperialism: The Economic Strategy of American Empire』を執筆しました。この本は、金本位制に代わる「財務省証券」(米国債)本位制を確立することによって(それは1971年に確立された)、米国がどのように他の諸国を搾取しようとしているかを諸外国に説明するために書かれたものでした。しかし出版された本のほとんどを買い占めたのは米国の政府機関で、それを職員の教育用マニュアルとして使用したのでした。また米国国防庁は、金に代わり財務省証券で貿易赤字の資金調達を行うことによって、どうすれば米国が他の諸国から「ただ乗り」を享受できるかを説明させるために、ハドソン氏を雇ったと言います。 日本の出版社もこの本の版権を買い取り、日本語に翻訳しました。しかし、米国側は、この本が日本の読者を動揺させ、日米関係の緊張につながるとして出版社に圧力をかけ出版を中止させたのです。そのために日本語版の出版には至っておらず、その結果、日本はその後も、以下に説明されるように、米国の金融侵略の犠牲者となり、今日に至ったのです。
(ビル・トッテン)
(転載終了)題名:No.64 米国はいかにして日本を滅ぼしたか(前編)
米国はいかにして日本を滅ぼしたか --1985年プラザ合意の教訓とその影響
マイケル・ハドソンhttp://www.billtotten.com/japanese/ow1/00064.html
題名:No.65 米国はいかにして日本を滅ぼしたか(後編)
すいません。今日もまた音楽談義をさせて頂きます。*おくやまさんへ。
>>秘密のプロジェクト(ニヤリ
もしやっ?!あの秘密のプロジェクトですか?(ニヤリ
密かに、本気で期待しております。>>来日ライブ
一昨年の夏に野外フェスで来日しておりますが、単独は今回が初めてでした。まさに待望の来日ライブでしたので、チケットをゲットできた時は嬉しかったですねぇ。
>>スゴイ才能
Vo.は本当に凄かったです。さすがFNMのマイク・パットンをリスペクトしているだけのことはあります。日本のロック誌のインタビューなどでも、今回のアルバムに関して、『俺達は、そこいらの流行ものバンドみたいなことをやる気はない。もっと深化した音楽をクリエイトしたかったんだよ』みたいな事を言ってました。まさに、Red Hot Chili Peppersの歩みを彷彿とさせるところです。ちなみに、一つ前のアルバム『Make yourself』も必聴です。もし、まだお聴きになっていないのでしたら、こちらも是非!
incubusが、当初、KORN関連で紹介されていたのは、今となっては???って感じですね。
>>ラジオやMTVでかかっている
"グランジ第二世代のバンド"とか、"ポスト・グランジ世代のバンド"とか言われているようですね、こちらの音楽誌等では。どうしても"グランジ"というキーワードを使って紹介したいようです。
そういえば、incubusとLinkin Parkが一緒に語られることが多いのですが、ライブに関してはincubusの方が断然カッコ良かったです。Linkin Parkのライブも悪くはなかったですが、アルバムで聴いていた方が良いかも…という感じでした。
あ。近いうちにNICKELBACKが一日だけ来日してライブするんですよ、確か。
連日、音楽の話ばかりで、すいません。
この手の話になると、キリなくなってしまって…
*なおこうさんへ。わかりにくい言い方で失礼致しました。お詫び致します。(__)
正確に言い直すと、【情報・資料】に入れてある、という意味でした。言葉足らずでした。返す返すも失礼いたしました。
ご無礼お許し下さい。>>(ニヤリなんて、
私としては、(ニヤリ=(^^)/くらいの意味で多用してるのですが…(笑)
>*なおこうさんへ。
>「合衆国日本州」は、あっちへ入ってますので。念のため。(ニヤリ??□△○×*???
う〜ん、わからん!俺のIQでは、理解できん。
(ニヤリなんて、<アメ政>風に笑われて、なんかくやしいなぁ。
よ〜し、こっちは、ひとつ。ははははは。と<藤森かよこ>で行くとするか?!
東京大学出版会
クレオールのかたち カリブ地域文化研究
演奏泰生、木村秀雄編
国民国家と文化の神話を解体する戦略としてのクレオール。その衝撃を正面から受け止め、私たちはどのような他者の研究を構想できるか。
4400円 5/15--------------------------------
クレオールの視点から見た環カリブ広域移民研究
http://www.cpas.c.u-tokyo.ac.jp/research/carib.html
--------------------------------
ちょっと気になった関連記事を【購読会員用 苦情・意見交流板】の方へ入れておきましたので、ご興味ある方は、ご一読してみて下さい。*なおこうさんへ。
「合衆国日本州」は、あっちへ入ってますので。念のため。(ニヤリ
またまた音楽談義でもうしわけないです。▼Rss-Kさんへ
素晴らしい返信ありがとうございます。
>試験の方は無事終了されたのでしょうか?
なんとか終わりました。現在は秘密のプロジェクトに携わっております(ニヤリ
>実は、先日、incubusが来日してライブを行いまして、それに行って参りました
な、な、なにー!
>何と言ってもVo.が上手い。上手過ぎでした。アカペラまで披露してくれて鳥肌ものでした
うーむ、来日ライブをやっていたんですか。カナダではやっとライブツアーが始まったばかりです。
>アフリカの民族楽器まで登場したりで、大満足の一夜でした
そういえば私が借りて聞いたアルバムの最後の曲がとってもアジアっぽくて良かったですねぇ。最後はカエルの泣き声でアルバムが締めくくられるし(笑)それにしてもアルバムの曲全体が長調なのか短調なのかハッキリしない曲ばかりで構成されているのにカッコイイ曲ばかり、というのはスゴイ才能ですな。
>『朝日新聞』にライブ・レポートが載っていたのには、びっくりしました。
この記事を読ませていただきました。ちょっと気になったところが↓の部分です。
>録音に際しては南カリフォルニアの海岸にある豪邸に4カ月半住み込んだ。幼時を思い出して遊び、夢のような日々を送ったらしい。
これなんですが、まさに"I wish you were here"の歌詞がそのまんまでしたね。なんでこんな歌詞なんだろうと思ったらこういう背景があったんですか。納得。
>最初は、初期Red Hot Chili Peppersみたいな感じだったんですけどねぇ。
たしかに声は似てますねぇ。
>♪blurryにすっかりやられて、即買いしてしまいました。
私はこっちのラジオやMTVでかかっているのを見て「スゲー曲を書くなぁ」とビックリしてきになっておりました。しかしボーカルの彼はなぜあんなシカメっ面して歌うんでしょうかねぇ。
>フレット・ダーストは、自分のバンドの方はともかく、鑑定眼は相変わらず冴えてますよね。
なるほど、リンプ・ビスケットの彼が探してきたバンドだったんですか。知らなかったなぁ。
>こちらの雑誌等では、よくNIRVANAとかが引き合いに出されているようです。
うううむ、そんな比較がでておりますか。
>最近は、NICKELBACKとかもけっこうスキですね
がははは、うちの地元のバンドですな。たしかに彼らはスゴイですが、次のアルバムで今のものよりも上のものを作れるかと考えるとちょっと厳しそうな感じですね。一発屋じゃないことをただひたすら願うばかりですが・・・。長々と勝手な音楽談義、申し訳ありません。
徳間書店
超帝国主義国家
マイケル・ハドソン著 広津倫子訳
アメリカはいかにして世界経済を牛耳ろうとしてきたか。アメリカ政府の圧力で翻訳が止められていた幻の書。20年の歳月を経て待望の翻訳。
2000円 5月下旬
徳間書店
世界を不幸にしたグローバリズムの正体
ジョゼフ・スティグリッツ著
2001年ノーベル経済学賞受賞のコロンビア大学教授の衝撃の書き下ろし。世界同時発売。著者来日で話題。
1800円 5月下旬
平凡社新書の新刊、山田剛・著『法科大学院 日本型ロースクールとは何か』によりますと、東京大学法学部は、法科大学院の設置に合わせて、法学部定員を六百名から四百名に削減するそうです。少数精鋭にするわけね(あの東大ですら・・・)。うん、こりゃたしかに医学部化だわな。
>いやぁ、最近の庄司さんの<電撃戦(?)>、見事ですなぁ。いいえ、別に電撃戦を仕掛けるつもりはなかったのですが、結果的にそうなっただけでして(・・・笑)。
>「武見太郎が考えたこと」シリーズも、今日で連載9回目を迎えました。
私ごときの感想文でいいのなら、なおこうさんがそう仰って下さるのですから、書かせていただきますけど、あんまり期待しないで下さいね。「近代医学・医療掲示板」を紹介するような形で書くようにします。
ただ、もう少し時間をください。仕事が結構きつくて、ゴールデンウィーク前後は帰るのが10時コースなんですよ。まあ、私は中谷央介さんみたいにひどくはなくて、日曜祭日は休めるからいいんですけどね。
石井さんの論文に関しても、
「極貧国で難民のためにボランティア活動をしてきた人たちや、農業指導者や医師としてアフリカなどで働いてきた経験を持つ貴重な人材を、自然資源管理政策を施行するにあたっての人材として活用していく、ということも考えたらいいと思います。」・・なんて書いてますけど、環境管理政策において役立つのは「農業指導者」だけですよね(笑)。ボケた文章書くなって!石井さん申し訳ないです。たぶん「????・・・な〜に?」と思われたことでしょう。
まあ、こんな私でよかったら、お待ちくださいませ。なおこう様。
▼おくやまさんへ。おぉぉぉ!?おくやまさんではありませんかっ!!!(感涙
と。泣いている場合ではないですね…。試験の方は無事終了されたのでしょうか?
数少ない私の得意分野の話をふって頂いたので、張り切ってレス致します。incubus良いですよねェ〜。実は、先日、incubusが来日してライブを行いまして、それに行って参りました。演奏のうまさはもちろんですが、何と言ってもVo.が上手い。上手過ぎでした。アカペラまで披露してくれて鳥肌ものでした。 "I wish you were here"では、思わず泣きそうになってしまったくらいです。
アフリカの民族楽器まで登場したりで、大満足の一夜でした。
ちなみに。『朝日新聞』にライブ・レポートが載っていたのには、びっくりしました。★インキュバス快調 ターンテーブルの音巧みに
http://www.asahi.com/culture/music/K2002032701385.htmlIncubusはアルバム毎に進化を続けておりますが、『Morning View』は間違いなく大傑作です。最初は、初期Red Hot Chili Peppersみたいな感じだったんですけどねぇ。
Puddle of Muddも良いですねぇ。私は♪blurryにすっかりやられて、即買いしてしまいました。フレット・ダーストは、自分のバンドの方はともかく、鑑定眼は相変わらず冴えてますよね。STAINDもカッコ良いですし。
Puddle of Muddはこちらの雑誌等では、よくNIRVANAとかが引き合いに出されているようです。最近は、NICKELBACKとかもけっこうスキですね。
またしても長々と駄文を書き連ねてしまいました…。
ご興味のない方には、申し訳ありませんでした。m(_ _)m
突然音楽の話ですみません。今日 incubus の CD借りて聞きました。 "I wish you were here"は超カッコイイ曲で気に入りました。
私の最近のオススメは Puddle of Mudd というバンドです。ではまた。
庄司さん、こんにちは。
なおこうです。いやぁ、最近の庄司さんの<電撃戦(?)>、見事ですなぁ。
「ついで」と言ってはなんですが、「近代医学・医療掲示板」も、ひとつ、かまって下さいな。
「武見太郎が考えたこと」シリーズも、今日で連載9回目を迎えました。脂が乗り切っています。武見太郎、日本医師会、厚生省などに関する今までのステレオタイプな見方を、ぶち破られること請け合いです。(ホント?)
庄司さん。
論文について、書き込んでいただき、ありがとうございます。ホント、書き込んでもらうことが、一番の励みになるんですよね。庄司さんに関心を持ってもらった自衛隊の件ですが、論文の中では、あまりにそっけなく書いてしまったので、もう少し、書き込もうと思っています。ちょっと時間がかかるのでしょうが、待ってて下さい。
さて、引き続いてSNSIの懸賞論文第3回目の論文について、また私こと庄司がコメントをしたいと思います。KSさんの『日本の自立のための一考察』についてです(『今日のぼやき(無料版)』の「286」:4/19 より)。張り切って書いていきますので、どうぞお付き合いくださいませ(あー♪、嫁はんがチビスケどもを連れて実家に帰ってくれたら筆が進むわ〜♪っと。でも別に夫婦喧嘩してるわけじゃないですからね、念のため)。
まず、KSさんが自らの論文において要約された箇所をもう一度ここで紹介します。
(引用開始)
1;日本国憲法は英訳ではない。マッカーサーが日本人を改造するために作らせたものである。
2;わが国はアメリカに軍事および経済面で依存することできない。自立の道を歩むべきである。
3;わが国は米国の政治秩序に盲従してはいけない。わが国の利益のために動くべきである。
(引用終了)
もう、これ以上なにを私が付け加えて言うことがありましょう。まさにその通りであり、以上3点のKSさんの要約を、国民的コンセンサスとして、日本のシチズン&ピーポーに認知させてゆくことこそがSNSIの使命ではないですか。
だからこそ私は片岡鉄哉著『日本永久占領』に衝撃を受けたのです。ブレジンスキーの『世界はこう動く“The Grand Chessboard”』を研究しているのです。岡田英弘から歴史を学び、小室直樹から社会学を学んでいるのです。
そして、その上で私たちは副島隆彦という不世出の天才を日本の世に知らしめなければならんのです。あんまり力(りき)んでも仕方ないのですが、KSさんの論文を読んでたら血が騒ぎました(笑)。いや申し訳ない。
それで、「KSさん、そうですよね。はい、おしまい」・・・だったらあまりにも愛想がなさすぎますので、林達夫の名著『共産主義的人間』(中公文庫)より「新しき幕開き」の一節を紹介し、私のKS論文に対する感想に代えたいと思います。
KSさん、これからもよろしくお願いします。
(引用開始)
あの八月十五日の晩、私はドーデの『月曜物語』のなかにある「最後の授業」を読んでそこでまた今度は嗚咽したことを想い起す。戦前、戦中、私はある大学でアメリカ合衆国史を講じていて、当時としては公平至極に歪曲しないアメリカのすがたのせん明に努めたものだが、その日以来私はぴったりアメリカについて語ることをやめてしまった。もはや私如きものの出る幕ではなくなったからである。日本のアメリカ化は必至なものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう −− そういうこれからの日本に私は何の興味も期待も持つことはできなかった。私は良かれ悪しかれ昔気質の明治の子である。西洋に追いつき、追い越すということが、志ある我々「洋学派」の気概であった。「洋服乞食」に成り下がることは、私の矜持が許さない。「黙秘」も文筆家の一つの語り方というものであろう。事アメリカに関する限り、私は頑強に黙秘戦術をとろうと思った。コンフォルミスムには、由来私は無縁な人間であったのだ。その時から早くも五年、私の杞憂は不幸にして悉(ことごと)く次から次へと的中した。その五年間最も驚くべきことの一つは、日本の問題が Occupied Japan 問題であるという一番明瞭な、一番肝心な点を伏せた政治や文化に対する言動が圧倒的に風靡していたことである。この Occupied 抜きのJapan 論義ほど間の抜けた、ふざけたものはない。「奴隷の言葉」を使っていたと称する連中までが、そういう論義の仲間入りをしていたのだからあきれる。
(中略)
「マッカーサーの日本」−− この簡単な政治地図に目を据えて政治を談ずるもの、少なくともその地図を胸中に秘めて政治を風刺するものがほとんど数えるほどしかなかったところに、この国の政治論義の度し難い低調さと不真面目さとがあった。戦争の真実を見得なかった連中は、やはり戦後の真実をも見得られなかったわけである。戦争後の精神的雰囲気の、あのうそのような軽さこそ、人民の指導的立場にある知識階級の政治的失格を雄弁に物語るものである。
(引用終わり。初出『群像』1950年8月号)
Mr.ネルソンさんの『司法〈法曹養成〉政策 ;「日本版ロースクール(法科大学院)構想の真相は法曹教育プロセスの医学部化である」』について、私、庄司がほんの少しだけ感想を述べます(『今日のぼやき(無料版)』の「284」:4/15 より)。私は、伊藤真氏がLECの専任講師をしていた頃に、そこで半年間だけ彼の入門講座を受講したことがあるんですよ(はずかしい過去だ)。
で、「おれにはこんな難しくてわけのわからんことを2年以上も勉強し続けるのは無理だ」と考え司法試験を一回も受験せずにそのまま普通の社会人になりました(そんな、日本の法曹界について切実に考えたことのない私が、なにか大したことを言えるわきゃないよな)。
その、私が大学2回生のLEC聴講生時代に、副島先生が山口宏弁護士と共著で出版した『法律学の正体』(JICC出版[現・宝島社])に出会い、私は衝撃を受けるのですが、こんなことは別にどうでもいいですよね(笑)。エヌさんと高度な論争を交わし、副島先生の立派なレスがある中、いまさらなにをMr.ネルソン論文について感想を述べることがあろうか、とも思うのですが、やってみます。
有料版ぼやきに掲載されている去年の京都の懇親会ですが、そこにおいて副島先生はこんなことを話してくれました(ほんとにこの京都の懇親会に参加できたこと、そして先生の肉声を直接に聴けたのはありがたい貴重な体験でした)。
「たとえば庄司君ね、君は法学部卒なんだろ。
でもね、日本の大学で法学部出ましたって言ったって、実際はなにも君たちはきちんと法学や法律学について教わっていないんだよ。
それは君たちが無能だ、とかそういうことじゃなくて、教える法学部の教授たちがなにも知らないからなんだ。日本の大学なんてどこの学部学科でもそうなんだけどさ(あ、もっとも理系についてはわからないよ、文系に関しての話だから)。
庄司君たちが、大学の講義なんか受けてもね、教授たちってのはさ、偉そうに壇上から、テキストを開かせて、そのまま書かれてる内容をダラダラしゃべっていくだけだっただろ(一同笑い)。
「法学とは何か」「法律学とはなにか」そんな言葉の定義すらきちんとできないんだよ。そういうね、基礎的な言葉の定義もきっちりできないのにさ、馬鹿な教授たちは罪刑法定主義について論じたり、債権債務関係について説明してるんだ。
教えてる本人たちがわけのわからないまま言葉を組み立てて、法律上の概念を説明してるんだ。教わってる方にわかるわけがないじゃないか。
ほんっとにレベルが低いからね、日本のインテリは。」2004年に開学が決定した法科大学院(日本版ロースクール)についてですが、まず私は、日本の法学教育を担う先生方のレベルについて心配してしまいます。
小室直樹先生もある著書においてこんな話を紹介していました(出典ど忘れ)。法曹人口を増やしたらどうだ、裁判官の増員をはかるべきだ、との意見に川島武宜教授が怒り、「だめだ。ただでさえ日本の裁判官は法学の学問レベルが低いのだ。それなのにこれ以上低くしてどうするんだ。日本の法曹界は滅茶苦茶になる」と言ったと。司法制度改革委員審議会意見書によると、2010年頃には 新司法試験の合格者を3,000名程度にし(現在は約1,000名程度)、2018年頃には法曹人口を五万人(現在は二万人程度)、法曹一人あたりの国民数を2,400名にすることが政府の目標とされています(現在、法曹一人あたりの国民数は6,300名、ちなみにアメリカは290名、イギリスは710名、ドイツは740名、フランスは1,640名です。)。
私はこんなに弁護士や法曹人口を増やしてどないするねん、と考えてしまいます。
宮沢賢治の詩なのですが、「 北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い」(『雨ニモマケズ』より現代表記に改め一部抜粋)という裁判や訴訟に対するアレルギーが強く、民事訴訟もほとんど和解で決着がつく日本の文化風土でそんなに弁護士が必要なのでしょうか?
海外のビジネス活動に携わっているような、渉外弁護士などはそりゃ需要がたっぷりあるだろうし必要だろうけど、日本国内において弁護士が今の2倍以上要るものなのかどうか、私には疑問です。ただ、Mr.ネルソンさん(今気づいたけどMr.ネルソンさん、ってゆうのもおかしな言い方だよな)が論文のなかでおっしゃっていましたように、
「弁護士を増やしたら弁護士の質が低下するというのは嘘だ。市場原理がはたらくのだからダメなやつが淘汰されてうまくいくんだ。それに弁護士の活躍の場は訴訟だけに限らない」
というのも正論のような気がします。いや、正論でしょう。だから、司法試験合格者枠の設定をなくせという主張はもっとものようにも私は思います。う〜ん。どない考えたらええのやろか???
とりあえず、市場原理に重点を置きながら、法科大学院等で行われる法学教育のレベルアップも同時に図ってゆくということしかなさそうですね。
あー、いつもながらほんまにこんな投稿でええのやろか?皆様からの批判や助言をお待ちしております。
■Re:[1538] totalitarianismの件(投稿者:よしかわ邦弘さん)にはあまり参考にはならないかもしれませんが…。■コンサイス20世紀思想事典より
1997年10月30日 第2版発行
編者:木田 元・丸山圭三郎・栗原 彬・野家啓一
株式会社 三省堂 ¥4,800−【全体主義】[英]totalitarianism
〈全体主義〉という言葉は,イタリア・ファシズムのリーダー,ムッソリーニが〈全体国家〉の樹立を目標としたのに対して,これを批判する意味合いで,1920年代末につくられたものである。そこには,国民に対して〈全体の利益〉のための滅私的忠誠を要求する国家体制への告発がこめられている。この言葉で最初告発の対象とされたのは,独・伊のファシズム*であったが,39年の独・ソ不可侵条約以降,ナチス・ドイツとスターリン治下のソヴィエトとが〈全体主義国家〉として同一視されるようになり,ついで第二次大戦後は,50年代の冷戦期の状況のなかで,もっぱら共産主義諸国か〈全体主義〉とされるにいたった。
〈全体主義〉支配の特徴づけとしては,50年代後半以来,C.J.フリードリヒによる6つの指標(単一のイデオロギー,単一の支配政党,秘密警察,国家による情報の独占,武器の独占,中央統制経済)が有名だが,今日では,一方で,実証的歴史研究の前進を背景にして,この標識の形式性,支配の一枚岩的性格の過大な強調,個人独裁の軽視などが批判されると同時に,他方では,70年代半ば以降,J.リンスなどにより,〈全体主義〉体制とは区別され,〈限定された自由〉〈限定された多元主義〉の存在や,イデオロギーによる上からの動員というよりは民衆の一定の精神構造を前提として成立する〈権威主義〉体制の概念が提起されることによって,この言葉は,従来よりは,そして今日の通俗的な用法よりは,もっと限定した形で使用されるようになってきている。
ちなみに,『全体主義の起源』(1951)で知られるアーレントら,この理論の第一世代に属する人びともまた,イタリアのファシズム体制においては〈全体主義〉体制の成立を認めず,ナチス第三帝国の1937・38年以降の後半期と,ソヴィエトのスターリン体制期に限定していた。さらにそのうえ,今日では,先進社会に顕在化した管理社会的状況と〈全体主義〉体制との異同も新たな検討課題となってきている。
(山口 定)【ファシズム】[英]fascism
狭義における〈ファシズム〉とは,1922年から43年までイタリアを支配したムッソリーニの思想・運動・体制をさすが,他方では,第一次大戦から第二次大戦の間の時期にさまざまな国々に登場した類似の運動とイデオ口ギーに共通のものとしての〈ファシズム〉現象を見いだし,さらにドイツのナチス第三帝国,スペインのフランコ体制,日本の二・二六事件もしくは大政翼賛会成立以降の体制を〈ファシズム体制〉とみる立場も有力である。後者の立場の場合には,〈ファシズム〉とは,立憲主義と議会政治の否認,一党独裁体制の確立を志向し,自由主義*,共産主義*,国際主義の排撃と全体主義*,急進的ナショナリズム,軍国主義*を高唱し,独裁者への個人崇拝と指導者原理にもとづく社会の再編成を断行しようとし,その結果として,極右政党ないし軍部・官僚中の急進右派分子による政治的独裁の樹立にいたる思想と運動,そしてその所産としての体制を意味するものであったといえる。しかしながら,今日では,実証的歴史研究の前進のうえに,何が〈ファシズム〉であるかについてはさらに限定的に解釈しようとする傾向,さらには一般概念としての〈ファシズム〉を否定する研究動向がかなり有力である。こうした状況においては,何よりもまず問題を思想,運動,体制の3つのレベルに分けて考えることが必要であろう。
まず思想レベルでは,前述のような思想的諸特徴がさまざまの〈ファシズム〉に共通であることは否定できないにしても,そこでとりわけ問題になるのは,単なる〈保守反動〉と〈ファシズム〉との区別である。その点では,ファシズムの思想は,基底にある保守的感情と激しい現状変革の欲求との結合のうえに展開されており,その意味でつねに伝統と革新との二面性を示していることに注目される必要がある。そして,ファシズム特有の思想内容としては,マルクス主義者や社会主義者と社会の〈特権階級〉に対する両面攻撃,〈共同体の敵〉の排除,ナショナリズム*と〈社会主義*〉の結合による新体制樹立の提唱,社会ダーウィン主義(〈ジャングルの法則〉の肯定と〈強者の権利〉思想)にもとづいたエリート主義,〈民族の生存圏〉思想を押し出すことによって広範な民衆の支持を期待できる形に組み替えられた〈帝国主義*〉思想,の4つがあげられよう。また運動面では,それが、一般には商店主,職人,農民やホワイトカラーなど,要するに新旧の中間諸階層を中心にして社会各層のマージナルな分子の体制への不満や現状打破のエネルギーを広範に結集して登場する点,〈指導者原理〉を組織原理とし,暴力の行使を運動の中心にすえ,制服を着用した部隊による示威行進など多かれ少なかれ軍隊的な運動形態をとり入れているところも特有である。その結果,ファシズムの運動は,単なる〈保守反動〉とは異なり,強烈な疑似革命的様相を示すことにもなる。
こうした諸特徴をもったファシズムのイデオロギーと運動が,1930年代の世界恐慌を背景とする危機のなかで,日・独・伊に限られず,アングロ・サクソン諸国も含めて広範に発生していたことが今日では確認されている。
それに対して,こうした思想や運動が勝利して新しい支配体制を確立しえた国は,日・独・伊の後発帝国主義国家ならびにその支配下に入った国々(オーストリア,クロアチア,ノルウェー,ハンガリー,アルバ二ア,スロヴァキア,ルーマニア)を中心にしており,また,そうした国々においても,ファシズム体制は,独・伊を含めて,本来のファシズム運動と既存の支配勢力のなかの親ファシズム分子との複雑な同盟によって成立したのが実情である。また,ファシズム体制の定着とともにファシズム内部の急進分子が排除され(ドイツのシュトラッサー兄弟や突撃隊参謀長レーム,日本の北一輝など),テクノクラートの優位と技術的・軍事的近代化の貫徹がみられるようになるのも共通である。
最後に,ファシズム現象についてはその世界史的位置づけが重要である。第一次大戦後の大混乱のなかで真っ先にムッソリーニ政権(1922.10.)の誕生をみたイタリアはファシズムが世界史の舞台へと登場した突破口であり,1929年の世界恐慌がもたらした経済的破局のなかで成長し,政権掌握(1935.1.,ヒトラー内閣の誕生)後わずか半年で一挙に全体主義的独裁を樹立したドイツ・ナチズムはファシズムの極限形態である。陸軍統制派を牽引力として40年以後大政翼賛会という形で一党体制を確立し,独・伊のファシズム国家と財界支配のための同盟(日・独・伊三国同盟)関係を結ぶにいたった日本は,ファシズムの2つの前例の存在によってはじめて単なる軍国主義からファシズムヘの転換を経験することになったのだといえる。
また,第二次大戦後の先進資本主義諸国においては,1930年代の全体主義体制とは異なり,価値観の多様性や複数政党制など社会のリベラルな構造が維持されたまま支配的価値観による事実上の統合が民衆の欲求の表現形態レベルで実現されるという現象が見受けられる。こうした事態を〈管理社会*〉と呼び,さらに〈管理ファシズム〉と呼ぶ立場もあるが,後者の表現は,〈管理社会〉状況が極端に進行し,国家による危機管理が何らかの非常時的事態の発生のなかで市民の自由な行動を完全に圧殺した状況をさすものとして用いられる場合においてのみ説得力をもちうるであろう。〈古典的ファシズム〉とのアナロジーが成り立ちうるのは,むしろ,開発途上国*のさまざまのタイプの独裁体制が極端な形をとり,しかも一定の社会的発展を背景にして,いわゆる〈プチ帝国主義〉的様相を呈した場合であろう。
(山口 定)[totalitarianism] from “The Norton Dictionary of Modern Thought” (機械翻訳を参考に添付します)
A theoretical view of NAZISM, FASCISM and former Soviet COMMUNISM which sees them as examples of a political system dominated by a single party and IDEOLOGY in which all political, economic and social activities are absorbed and subsumed and all dissidence suppressed by police TERRORISM.
全ての政治的で、経済で社会的な活動が吸収されて、包含される、そして、全ての相違が警察テロリズムによって抑制した一つのパーティーとイデオロギーによってナチズム、ファシズムと彼らを政治的なシステムの用例とみなす前ソビエト共産主義の理論的な見方は、支配した。
Total monopoly of the ordinary flow of information and public argument is essential to such a system.
情報と公開の議論の普通の流れの全独占は、そのようなシステムにとって必須である。
This view was much current in the 1930s-50s period among dissident MARXIST intellectual commentators on the Gleichschaltung (Naz-ification) of parties, TRADE UNIONS, univer-sities, professional associations, etc., in Nazi Germany and on the degree of central con-trol exercised by the STALINIST dictatorship in the USSR.
ナチドイツでは、そして、ソ連でスターリンの独裁によって運動する中心制御の程度の上で、この見方は、パーティー、労働組合、大学、プロの関連、その他のGleichschaltung(Naz-ification)の上で、意見が違うマルクス主義の知的な解説者の内の一つ1930年代-50年代期間に非常に通用していた。
It owes much to organic theories of the state.
それは、有機的な理論への多くの状態に対して義務がある。
Later writers have tended to emphasize the degree to which rivalries for the leadership, factionalism, and the development, in industry, applied sci-ence or the armed forces, of separate centres of POWER and influence and of hierarchies parallel to the Party but essential to the state preserve an element of PLURALISM and mod-ify the earlier monolithic image of the totali-tarian state.
後の作家は、リーダーシップ、派閥主義と、産業、応用科学またはパワーと影響の別々のセンターの、そして、状態への要点以外のパーティーと平行の階層の軍隊において、開発をめぐる競争が多元論の要素を保存する程度を強調して、全体主義の状態の以前の一体となったイメージを修正する傾向があった。
For further reading: S. Tormey, Making Sense of Tyranny: Interpretationsof Totalitarianism (1995). D.C.W.
■森嶋は、彼の著書である『ワルラスの経済学』を、同僚(?)のジャッフェ教授に「時代精神を無視している」と批判されたらしいのである。森嶋は否定しているが、私は「そういえば、そうかもしれない」と思ってしまう。しかし、森嶋の本はそれなりにいいと思う。最近の読書で、学者の理論は、すでに準備されていたのだ…ということに、改めて驚いているところだ。日本の我々は、それらの思想を輸入しているため、最初からほぼ完成された姿を見せつけられてしまう…。だから、わかるわけがないのだ。イギリスで、あるいはドイツで、その時代の知識社会の問題意識がわかるように、なかなかていねいに紹介されていない。これがまさに「コトバの壁」だ。
時代精神について、一語言うとすれば「個体発生は系統発生をくりかえす」(機械的唯物論の世界観)ということになる。
■さて、この『ワルラスの経済学』は、小室直樹もよく引用している本である。細かい経済学の説明はとても読んでいられないので、飛ばして、斜め読みしただけだが、この本のキーポイントは「セイの法則」である。最終章でうまくまとめている。
「セイの法則」とは、「供給(貯蓄)はそれ自身に対する需要(投資)をつくる」であるが、この法則が成立すると仮定してずっと経済理論はつくられていたというのだ。(この点については、シュンペーターも同じだった)しかし実はこの法則は成立しない法則だったのだ!この点を理論的に解決したのがケインズだった…。こういう理解は、この本で初めて教えられたものだ。日本で資本論を読めた学者は、高田保馬、大塚久雄、森嶋道夫ぐらいだ…と大塚久雄が言ったという(小室)
■『思想としての近代経済学』森嶋道夫[著](岩波新書) 2.ワルラス(1)「価値自由」の提唱 より抜粋
初期の近代経済学界に、ワルラス(一八三四〜一九一〇)をもったことは非常な幸いだった。第一に彼は失敗したとはいえ、理科系のエコール・ポリテクニクを志望したことのある科学好きの青年だった。第ニに、父譲りの、風変わりだが強烈な、正義感−したがって社会改革熱と欲−を持っていた。第三に、彼の父は中・高校の教師や視学官だったが、同時に一応の経済学者でもあった。しかし父は学界ではほとんど無名に近かったので、息子のワルラスは、いわゆる「二世学者」でなく、一、二年失業しても暮らしていける資産は彼にはなかった。
なぜ、このようなワルラスが近代経済学を始めたことが、幸いであったかというと、それは 次のような理由による。私は昔、ジャッフェ教授とワルラスおよび私の『ワルラスの経済学』(西村和雄訳、東洋経済新報社、一九八三年)をめぐって論争したが、その時彼は、「時代精神」を無視してワルラスを論じるのは間違いだ、と私を批判した。被によれば当時の時代精神は社会主義だったから、ワルラスは社会主義を基礎づけるような理論をつくったとのことである。たしかにそういう面はある。そのことは私も自著で認めている。しかし、物事はそのように直線的に簡単ではない。なるほど彼の社会改革欲(上述の第二の特性)はジャッフェに有利な材料であるが、同時に彼が自然科学好き(第一の特性)であったことや、被が貧乏であったこと(第三の特性)も、彼の経済学に影響したことを忘れてはならない。
マルクスより一六歳若いワルラスが、マルクスと同じく社会主義に取りつかれたのは決して偶然でなく、時代精神のなせる業であるのかもしれない。しかし時代精神とは一色ではない。しかもフランスの時代精神はドイツのそれとは異なる。マルクスがヘーゲル哲学に深く影響されていたのとは違い、ワルラスはダランベール、ラグランジュ、ラプラス等の天文学や力学での業績を深く尊敬していた。だからこそ彼はエコール・ポリテクニクを受験したのであり、入学に失敗し、経済学を始めた時には、このような自然科学に比肩するような仕事を、経済学の領域で成し遂げることを、彼の第一の特性のゆえに熱望していた。
にもかかわらず、ジャッフェのいうようにワルラスは社会主義を信奉し、彼のこの信条を経済学の理論によって正当化しようとしていたことも確かであった。しかし彼の社会主義は、当時流行の社会主義と、中味が非常に異なっていた。彼にとっては、マルクスのように、労働者を資本家の搾取から解放することは、それほど重要でなかった。彼の社会主義は産業の国有化でなく、土地の国有化であった。被は、土地の私有にはどのような正当性もないと考えたのである。土地は、神が人類に与えたものであるから、彼にとっては土地は、人民が共有すべきものであった。現在私有されている土地は、国家によって買い取られるか没収され、国有化後は土地の利用者は、国家に利用料を支払うべきだと彼は考えた。
もしこの案が実現すれば、国家は年々、大きい収入を得るから、国民から税金を取る必要がなくなる。土地の私的所有者と非所有者の間の資産配分上の不公平がなくなるだけでなく、国家財政は安泰になる。しかも土地価格は経済発展と共にますます騰貴するから、土地私有に基づく不公平は、放置しておくと、ますます激化する。彼は「経済発展と共に土地価格は今後激騰するであろう」ことを、経済理論的に証明することによって、彼の「土地私有は悪だ」という信念を科学的に正当化しようとしたのである。
現在の日本人のなかには、このような土地社会主義を是とする人は、少なくないであろう。しかし彼がこのことを主張したのは、一三〇年も前であり、地価は現在ほど重要問題でなかった。その上、土地国有化には、現在ですら種々の困難がある。まず第一に、全面的な国有化は不可能であるから、最大限X坪までの私有を認めねばならない。そうするとX以下の土地しか所有していない人は、国有化に賛成だが、X以上の土地を所有している人は、原則として国有化に反対を唱えるであろう。賛成者を多くするためにはXを大きくしなければならず、Xを大きくすれば、国有化の意義は少ない。
しかも、土地は均一でなく、その質は連続的に変化するだけでなく、同じ面積の土地でも集約的に使うことによって、何倍、何十倍もの効率で使うことができる。このような場合、全国の土地価格や、土地利用権の価格を、国家が公正に決定することは、絶望的である。政府は、国有化後は、毎年の土地利用価格の決定に関連して、無数の苦情や不服に対応しなければならないし、土地価格の査定に関連して情実をさしはさんだという罪に問われる役人の数は、驚嘆すべき数に上るであろう。その上、大地主は君主や社会の有力者である。流血革命や敗戦後の占領軍による強制を前提にしない限り、平和的、民主的に土地国有化を実現することは非常に難しいと思われる。
働かなければ生きてゆけないワルラスは、ローザンヌ・アカデミーの教授になる前は、経済雑誌社や出版社に勤めたり、鉄道会社や小さな銀行で働いたりしていたが、この時代に書いた論文は、雑誌に投稿しても多くは没にされてしまった。彼自身が無名であるのと、彼自身の社会理想「土地国有化」が編集者の反感を買ったからである。
彼自身には充分な恒産がなかった(第三の特性)から、生きてゆくためには、やっとのことでかち取ったローザンヌの地位の保全が必要であり、そのためには、彼は妥協しなければならなかった。こうして彼は「科学」と「社会主義」を切り離し、一八七四年出版の『純粋経済学要論』(以下『要論』と略称)では、経済学は純粋理論(純粋経済学)と応用経済学と社会経済学に三分割されるべきだと宣言した。純粋経済学は、経済の動きを分析する自然科学(彼はそういう表現をしている)であり、応用経済学は純粋経済学を利用して政策的分析を為し、社会経済学は、純粋経済学を使って、道徳的に正当と見られる経済社会について論じる。純粋理論は全く自熱科学と同様に、「観察し、記述し、説明する」だけであるから、そこではその経済学者の価値観は何らの役割も演じない。これに反し社会経済学では、その学者の価値観、何を社会正義と考えるかが、中心問題である。
このような科学的分析と価値観を分離して考えるという思考様式は、約三〇年後に、マックス・ウエーバーによって、ドイツ歴史学派経済学への批判として提示されたが、同じ考え方が、価値感情の強烈なワルラスによって、自分の経済学の保全策として主張されたのである。ワルラスは、価値判断論争に先鞭をつけた人であるが、それが近代経済学の主流派の中で、大論争にならなかったのは、主流派の学者の多くが、「理論と政策と道徳」への三分法に大きい異論を持たなかったからであろう。ワルラス自身はこの三つの分野で大著を書く気でいたが、果たせなかった。恐らく純粋理論の完成に手間取ったからであろう。応用経済学や社会経済学については、それまでに書いた論文を集めて、『応用経済学研究』および『社会経済学研究』を出版するにとどまった。これらは内容的には優れたものではなく、『要論』の水準には到底達していないという理由で、後の人はこれらを無視した。
ワルラスの応用経済学(政策学)は、どのようにしたら、各産業の生産活動がより効率的になるかを考察する学問である。このような研究は、純粋理論を前提にして行なわれるから、純粋理論→応用経済学という影響関係は明らかである。それと同時に、応用経済学の成果は各産業用のものだから、各産業がその成果を取り入れることにより、現実の産業の生産効率は向上するであろう。そうすると、純粋理論もまた進歩した生産部門を前提にして、理論的分析をやり直さねばならない。すなわち応用経済学→純粋理論という逆の関係もまた存在するのである。
すなわちワルラスの三部門のうち、最初の二部門の間には相互依存関係があるから、純粋理論は決して超歴史的、固定的ではなく、経済の発展段階に応じて変化する。彼は当時のフランス経済の状況にかんがみて、経済活動の自由が保証された完全競争経済のモデルを純粋理論の原型にとった。しかしこのことは、彼が何も、自由放任を礼讃したのでも、是認したのでもない。現実の経済を分析してゆく上で、このような理論モデルが、一番適切であると考えたからである。彼が理想とする経済は、土地が国有化された経済であり、そのような経済は、いかに彼が理念的に支持していようとも、純粋経済学の領域で考慮されることはなかった。それは全く、社会経済学に委託されたのである。
しかしワルラスは、土地国有化の思想を、極めて初期の段階、すなわち彼がまだ『要論』を書く遥か以前に、すでに固めていた。理論よりも道徳感情が先にあったのである。しかし彼にとって幸いなことに、『要論』は次のような結論をもたらした。すなわち、
「発展しつつある社会では、(1)労働の価格すなわち実質賃金は著しく変化せず、(2)土地用役の価格すなわち地代は著しく高騰し、(3)利子率はかなり目立って下落する」
この結論はリカードの結論、およびリカードの著しい影響下にあるマルクスの結論と非常によく似ている。マルクスにあっては(1)は(1’)「実質賃金は低下する」となっており、彼はそれから労働者の貧困化を結論し、同時に(3)から利子率すなわち資本の利潤率の低落による産業の行き詰まりを結論したから、産業の国有化ないし社会主義化は彼にとっては必然であった。同様に極めてリカード的な「価格変動法則」を結論として得たワルラスは、リカードの著しい影響下−少なくともビジョンにおいて−にあるといわねばならない。ワルラスは(2)を強調し、だから土地国有化をすべきだと主張したのである。
このように考えれば、発展しつつある社会における価格変動法則こそが、科学的社会主義を基礎づけたのである。(1)を(1’)で置き換えれば、それからマルクスの科学的産業社会主義、(2)からワルラスの科学的土地社会主義が導き出される。すなわち「純粋経済学」が「社会経済学」の基礎となり、前者によって、後者の道徳的・価値判断的主張が裏付けられたのである。
このような純粋経済学→社会経済学の関係と全く逆の関係、すなわち社会経済学→純粋経済学の関係もまた存在し、それゆえ両者は相互依存関係にある。というのは、純粋理論を前提にして、道徳的に理想的な社会の研究が社会経済学によって行なわれ、それによって現実の経済が改革されたとすれば(改悪されたとしてもかまわない)、改革後の社会の理論化が行なわれるからである。そしてこのような新社会理論に基づいて、新しい社会の道徳的欠陥が暴かれ、その結果さらに新しい理想社会の探究が行なわれるであろう。こういう相互関係を挺子として、経済は進化してゆく。このようにいったん分化された理論、応用、社会の三経済学は再び統合され、社会進化を引き起こすに至るのである。
しかしワルラス自身は、少なくとも『要論』では、このような進化論への発想はなかった。ワルラスにそういう意図があったと言う人もいるが、彼に意図があったとしても、彼の応用、社会両経済学は内容的に貧弱であったから、それらを用いて進化理論をつくることには余り意味はない。
経済進化論を意図し、その仕事を進めつつあったのは、ワルラスでなくパレートであった。後者はそういう計画で、大著『一般社会学概論』を準備したのである。後述するウエーバーの『プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の「精神」』も、不完全ながら一つの進化論的研究とみなしうるであろう。これらと比較するならばワルラスの応用、社会経済学は貧困であり、彼は純粋理論でのみ成功したと判定されるべきである。三つの分野で共に成功するには三つの才能を持っていなければならない。ワルラスは理科の才能を持っていた−エコール・ポリテクニクの入学に失敗したとはいえ−が、社会経済学に特に必要な文科の才能は−彼は文科系科目に非常な興味を示したとはいえ−平凡であったというべきである。それゆえ、後世の学者のほとんど全員が『要論』のみを評価し、他を無視したのである。
にもかかわらず、次のことを記憶することは大切である。三つの経済学を総合した経済学者になるのでなく、そのうちの一つ、純粋理論に専門化する学者になる場合でも、三つの素養と三つへの興味を兼ね備える−ワルラスがそうであったように−ことが必要である。このことは何よりも、理論における彼の成功がよく示しているし、『人物評伝』でのケインズの言葉も同じことを述べている。
ワルラスの経済学方法論は、ウエーバーの社会学方法論(後述)に酷似している。既に述べたように、科学的分析と価値判断的思考は、ワルラスにより、ウエーバーと同様、はっきりと分離されているし、その上ワルラスが使う概念はすべて、ウエーバーの意味での「理想型」概念である。たとえばワルラスが仮定する市場は、「競争の点から見て完全な組織を持っている市場」である。現実の世界では、こういう市場は株式取引所、商品取引所、穀物取引所、魚市場等に限られる。それゆえ、現実の市場での競争は多かれ少なかれ不完全である上に、組織されていない。しかし不完全性を無視して完全な状態において競争を考察することにより、その本質が明らかになる。それは「純粋力学が摩擦のない機械を仮定するのと同じである」。
それゆえワルラスはいう。「私の…理論は…現実の現象の抽象的表現であり、合理的説明である。」「これらの理論はいずれも抽象的であるが…組織的な綜合をすれば、現実の説明となりうるであろう」「我々は万有引力の原理で天体現象の世界についてなされている記述を認めている。同様に自由競争の原理で経済現象の世界についてなされている説明を何故に認めようとしないのか。」これらの言葉はワルラスの理論が、ジヤッフェのいうように「一つの実現可能な公正な経済を交換倫理の観点から理論的に書き表わしたもの」でなく、完全な状態における経済の動きを、倫理とは無関係に分析したものであることを示している。
純粋理論は現実を観察し、それに適合するような理論的モデルをつくるが、その際モデルの構成要素をなす諸概念は、現実の実物そのものでなく、実物の一面ないし数面を定式化したものである。それは他の面を無視した理想型の抽象的概念である。経済理論が想定する資本家、労働者、地主、企業者も、彼らが出会う市場や企業も、すべて理想型である。それゆえ理論的に組み立てられた経済システムも、もちろん理想型である。経済学者は現実を観察することによって、どのような理想型モデルが適切かを知るのだが、不適切と判定すれば、理想型に修正を加え、モデルを変えなければならない。いったんモデルが確定すれば、あとは合理的推論でモデルの運動の仕組みを探索する。これが経済分析だが、このような分析が可能なのは、モデルが理想型であるからである。ワルラスが「発展しつつある社会の価格変動法則」を導出しえたのも、理想型を使って分析をしたからであり、「理想型」概念化以前の記述的学問からは、どんな法則も引き出しえない。
こう考えれば、理想型概念の意識的使用と、価値判断と科学的推論の分離は社会科学の基本である。この点では、経済学は社会学より三〇年早く、ウェーバー化したといえる。理科的学問の落ちこぼれが、素朴であるといえ社会改革の情熱に燃えて経済学を始めたために−そして自分の理論だけでも理解してもらいたいと、自分の価値観を理論から分離、追放したために−後世の近代経済学者は自分たちの学問を科学化するのにどれだけ先んじることができたことか。
◆げっとおお昨日、古本屋にて『政治を哲学する本』を、げっとした。
めっちゃうれしいって。コマメに通っていた甲斐があった。
◆福見ちゃんええなあ。この前、田村さんの連勝を阻止した高校生です。
(「週刊朝日 2002.5.3-10」p174より引用)
普通の柔道選手は、一つの技を教わってから使いこなすようになるまで1年ぐらいかかるそうだ。ところが、福見友子選手(16)は一週間でものにしてしまうという。
「彼女は“努力の天才”なんですよ」
福見選手が所属する土浦日大高校柔道部の落合正利監督はそう話す。部の練習が終わっても一人で居残って練習を続ける。そんな努力をつくりあげたというのだ。
<中略>
かつて福見選手は、田村選手について、
「尊敬しているけれど、目標じゃありません。目標にしたら、勝ったときに全部が終わってしまうから」
と語っていた。
(引用おわり)う〜〜ん。あっさり言うなあ。
(引用つづき)
「そんなに緊張はしませんでした。田村選手には勝ったけど、次の試合は負けてしまったし。まだまだ甘いです」
(引用おわり)ええなあ。私は好きだなあ。
◆沢口靖子おとついの晩、沢口靖子のCM([1524]で、よしかわさんが紹介している)を、初めて見た。
衝撃。。。
「守りが堅いから、カレシはまだ、いませ〜ん」って、どこがやね〜〜ん。
あの人は、私と同じく、堺の出身なんですよねえ。高校時代から、駅員の間で美人と評判だったらしいです。どうでもいいけど。
> あれほどあからさまに利権がからんだ「高校野球大会」のくせに、みんなでよってたかってきれいな国民的青春ドラマに仕立て上げる手口も、私は気にくわない。
> 男の汗はくっさいんじゃ、どあほが!!高校野球は、私もあまり好きではありません。でも、日本人は、春・夏になると、高校野球を観ますよね。私の周りにも、わざわざ甲子園まで観にいく人がいます。こういう人たちに、高校野球の裏でどれだけ、カネが廻っているとか、女が蠢いているか、とかそんな話をしてやると、みんな「聴かざる」を決め込みます。高校野球も巨大組織ですから、腐敗しているに決まっています。青春、涙、汗・・・そんな爽やかなはずがありません。
> 私の社会人になってからの友人で、名門柔道部出身の男がいるのですが、こんなことを言ってました。
「いや、庄司さん。ぼくらね、ずっと柔道部は全国大会にでてたんですよ。それなのに一回だけ同じ学校の野球部が甲子園に行くことになったらね、OBから寄付金は(野球部のために)かなり集まるし、他校の女子生徒たちはキャーキャー騒いでチアガールを希望するし、ひどいもんですよ。野球にだけこんなにスポットライトがあたって。同じように柔道だって褒めてほしかったです(笑いながら)」「(高校)野球だけを特別扱いするな」と主張する人たちがいても、どうせ、また夏になったら、高校野球が話題をさらいます。野球とサッカー以外のスポーツは、マイナーでしかありません。四年に一度だけ、「世間」の注目を集めます。メダルを取れなかったら「チッ」と舌打ちされ、メダルを取ったら3日だけ英雄。本当に、日本選手にメダルを取ってほしいのであれば、日の丸を見たいのであれば(この時ばかりは、反日派も「日の丸」にいちゃもんんはつけない)、普段から、マイナースポーツにも注目してあげてほしいです。なるべく見にいってあげてほしい。せめて、経済的な支援くらいしてあげてほしい。
こんなんじゃあ、国家の全面的支援を享けた国(中国とか)に勝てない。「国の威信のためにオリンピックをやっているんじゃあない」
そういう人こそ、メダル数にこだわっているんじゃないかなああ。> とりあえず、せいの介さん、ご苦労様でした(こんな感想でいいのかなー、なんかまた自分勝手にわめいただけのような気がする・・・)。
いや、そんなことないです。とても参考になりました。
> またの力作投稿を期待しております。
次回は、6月から、『「属国日本史論」研究』を書きます。今度は、「土人、土人」とは、書かないようにします(なるべく)。自称バーキアンとして、穏健に。。しかし、地雷を踏んでしまうかもしれません。
どうも、コメントをありがとうございました。
石井利明さんの『自然資源管理についての政策』を読んで。「日本英語の謎を解く」掲示板に「アリーに学ぶ」というおもしろくてタメになる連載を投稿、掲載されている石井利明さんのSNSI懸賞論文について、私、庄司がちょっとだけ感想を書きます(『今日のぼやき(無料版)』の「281」:4/9 より)。
まず、私が石井論文を読んで一番印象に残ったのは、自然資源管理政策を行うに当たっては、自衛隊に協力を仰ぐべきだ、と提言されていたところです。
自然(資源)管理は災害管理にもつながるからだ、という指摘はまさにその通りですから。鎖国と呼ばれる対外政策と採ってきた江戸時代の日本は、環境問題について非常に積極的に取り組んでいたそうです。
自然開発を抑制し、特に森林に対しては非常に厳しい規制を敷いていました。森の木を一本切ると首が飛ぶという厳罰があったぐらいなのだと、なにかの本で読んだことがあります。
江戸や大坂などは(人口比からすれば)当時のロンドンにも匹敵するような世界的大都市でありましたが、ゴミ処理や下水処理などの行政管理はとても優れていたそうなのです。昔の私たちの祖先ができていたことで、私たちにできないことはありませんよね。
自然資源管理を、北海道をモデル地域として実験的に進めていけば、日本の実状にあった法整備もそれなりにできてくるだろう、と石井さんは論文の末尾をくくられていました。 それで、私はそれに追記する形で提言したいのですが、極貧国で難民のためにボランティア活動をしてきた人たちや、農業指導者や医師としてアフリカなどで働いてきた経験を持つ貴重な人材を、自然資源管理政策を施行するにあたっての人材として活用していく、ということも考えたらいいと思います。
また、生態系についての研究は、ヒトゲノムの解明などよりも力を入れるべきではないか、と私なんかは個人的に感じていますから、生態系についての理系の研究者を集めて、自衛隊特別班として設置するのも面白いんじゃないかと考えます(あさはかな素人アイデアかな・・・)。こんな感想でよろしいですかね、石井さん?
またよろしかったら、なんでもいいので「ふじむら」に投稿して下さいませ。
お待ちしております。
日本のあらゆる共同体には、欧米のように“society”(社会)なるものが存在しない。だから“society”(社会)を構成する“individual”(個人)なるものもまた存在しないのである。現実の日本人のほとんどが、社会を構成する個人としてよりも、“世間”のなかにいいるひとりの人間として行動しているのである。
私たち日本人の多くは、“世間”に安住し、またそれに縛られながら生きているのである。阿部謹也氏は、『西洋中世の愛と人格(「世間論」序説)』『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』『日本社会で生きるということ』等の著作において、日本人の基底にある意識を「世間論」として取り上げ、問題を提起してきました。
せいの介さんの「プロ野球を通した日本社会論」は、阿部氏のこれら「世間論」の業績をもとに、日本の野球界の悪弊をえぐり出し、どうすればいいのかその打開策を述べた意欲作です。
わたしは、野球界においてなにが嫌いといって、高校野球の高野連という組織ほど嫌いなものはありません。ほんとにこいつらが大嫌いなのです。
大阪の高校野球界の名門に北陽高校というところがあります。ここの卒業生にはプロ野球選手も多く、プロレスの前田日明氏もここの出身です。それで、忘れもしない、かつてこういう事件がありました。
北陽高校の野球部の部員数名が、近くの商店街で万引きをして、警察に補導されるという事件があったのです。普通なら、万引きした連中を停学処分なり、実罰を下すなどして更正を促し、それで終わるだけの話です。
ところが、高野連はなにをしたか。
万引きした生徒たちが北陽高校の野球部だったという理由だけで、北陽高校の甲子園出場のための地区予選大会出場、これを禁止したのです。これはなんなんだ?あまりに非道い話じゃないですか。万引きなどせずにいままで甲子園に行くために真面目に練習してきた野球部員はどうなるわけ?それに万引きした連中も確かに悪いけど、この処置はあまりに酷すぎる。他の野球部員だけでなく北陽高校の先生や生徒から必要以上に後ろ指をさされるようにしむけ、万引きした連中の更正の余地をなくさせているようにしか私は思えない。
なんで、個人責任じゃなくて、江戸時代の五人組制度みたいなことするねんな。おかしいやん。
それに、なぜ、甲子園に出てくる高校球児たちがハゲなのかもよくわからない。高校の時に私は坊主頭にしている野球部員のクラスメートに聞いたことがあるのですが、
「うーん、坊主にせんでも甲子園に行けるらしいんやけどな、名門はみんな坊主やろ。そやからうちも坊主にしてるんや。まあ、先輩もみんな坊主やしなあ。ええんとちゃう。それにこの頭の方が練習して汗かいてもめんどくさくないねん」
と、いうことでした。ふーん。あれほどあからさまに利権がからんだ「高校野球大会」のくせに、みんなでよってたかってきれいな国民的青春ドラマに仕立て上げる手口も、私は気にくわない。
男の汗はくっさいんじゃ、どあほが!!それに部員内部の暴力事件で話題を呼んだPL学園についてですが、こんなもんが大阪代表高であるわけがない。全国各地から選りすぐりの野球エリートどもをかき集め、勉強など全くさせずに野球キチガイになるべく練習漬けにし、強化特訓を施して、なにが「夢」じゃ「青春」じゃ!!ちゃんちゃらおかしいわい。地元大阪の代表だから親近感がわくなあ、応援しよう、などという気がつゆにも起こらない。
私の社会人になってからの友人で、名門柔道部出身の男がいるのですが、こんなことを言ってました。
「いや、庄司さん。ぼくらね、ずっと柔道部は全国大会にでてたんですよ。それなのに一回だけ同じ学校の野球部が甲子園に行くことになったらね、OBから寄付金は(野球部のために)かなり集まるし、他校の女子生徒たちはキャーキャー騒いでチアガールを希望するし、ひどいもんですよ。野球にだけこんなにスポットライトがあたって。同じように柔道だって褒めてほしかったです(笑いながら)」応援団の女の子たちをクローズアップし、応援する方にもドラマがあるんや、という演出もわざとらしく思う。サッカーのサポーターといわれる連中もそうだ。そんなもん、現場の選手が一番偉いにきまっとるやんけ!!もっと、選手らにスポットを当てたれよ。外部の連中なんかどうでもええやないか。
せいの介さんがおっしゃるように、野茂もイチローも新庄も、自然にさっとメジャーリーグに行ったり日本の球団に帰ってきたりできるような、風通しのいい野球界であってほしいと私は思います。ナベツネや堤なにがしのようなオーナーがドンと構えて居座ってるような日本の野球界はやっぱりおかしいと思う。だって、アメリカだろうが日本だろうが、同じルールのもとで競い合うゲームをするだけの話でしょ。
名選手、名プレーヤーをきちっと評価し、大切に見守り、うまく育て上げていくことごできないのなら、日本のプロ野球界なんか全部まとめてぶっつぶれてもいいのではないか、と部外者の私なんかは考えてしまうのです。
とはいっても、日本の社会全体がすごい「おっさん社会」ですからね。「世間」なるものが抱える悪弊というかウミみたいなものが、いま一気に噴出してきて、日本の社会全体に混乱をもたらしています。グローバリズムの波が、「世間」に安住する日本の社会に変革を要求しているのです。
今後、私たちが「個人」として生きてゆく際に、どうして「世間」なるものと折り合いをつけていけばいいのか、それはせいの介さんが紹介した野茂やイチローや新庄の採った姿勢が、大きな参考になるはずですね。
とりあえず、せいの介さん、ご苦労様でした(こんな感想でいいのかなー、なんかまた自分勝手にわめいただけのような気がする・・・)。
またの力作投稿を期待しております。
【PCとネット操作の教え合い掲示板】No.17
のソリトンさんの投稿をこちらに勝手に転載させて頂きます。ソリトンさん、ご無礼お許し下さい。
(貼り付け開始)
タイトル:ヤフーオークションと盗品
盗品がネットオークションを使って売りさばかれている。
これは実際に被害に遭った人が同じ目に遭う人が無くなるように願いを込めて書いた記録です。
→http://member.nifty.ne.jp/cristal/yahoo1.htmlネタはこちらのサイト(スラッシュドット・ジャパン)から拾いました
→http://slashdot.jp/(貼り付け終了)
けっこうな量なので、全て読むのに少々時間がかかりますが、
ちょっと恐ろしいお話です。やっぱり、Yahoo!って会社は…
県警ハイテク犯罪対策室なんて言っても、その効果のほどは…
わたしは、吉本興業の「中川家」という兄弟漫才師のファンである。首都圏・東京では「感じるジャッカル」という深夜番組をフジテレビでやっているそうですな。
地方・関西では視聴できません。
別の番組で「感じるジャッカル」という番組を宣伝しているのを、わたしは地方・関西で見た。気鋭の漫才師、中川家が色んなコントに挑戦していて、むちゃ面白かった。ああいうのは見れないんだ、地方・関西では。
なんで関西のお笑い芸人の新しいコントを、関西で見れへんねん。
これくらいしか、勝てるとこなんてあらへんのに。。
ぬぁ、ぬぁ、ぬぁ、ぬぁ〜〜んと、庄司さんが、私の「プロ野球を通した日本社会論」を宣伝してくださってるでは、あーりませんか。そんでもって、新人のセミナーへのアクセス数が急増してるし。。今まで「00080」もいったことなかったっすよねえ。びっくり。これも、庄司さんによる紹介・宣伝の賜物です。どうもありがとうございます(ぺこ)。野茂、イチローと、なぜ、みんなメジャーに流出していくのか、打開策はあるのか。そんなことに興味のある方は、読んでみてください。こんな長いもん、読んでる暇あるかい! そんなあなたのために、私が厳選。
プロ野球を通した日本社会論 9 〜野茂とイチローが出ていった本当の理由〜
プロ野球を通した日本社会論 10 〜「ジャイアンツ・長嶋茂雄」論〜
プロ野球を通した日本社会論 13 〜とうとう最終回・どさくさに紛れて「副島隆彦モンスター論」〜この3つが「シェフのおすすめ」です。これだけ読んで、感想・反論等を書いていただいても、ノープロブレムです。
「お前だって土人なんだから、あんまり、土人、土人、言うな」
って、そんな感じでもいいんで。でも、一番ありがたいのは、反論ですな。特に、私の「メジャー流出論」を粉砕するぐらいの反論があると、こちらとしてもうれしいです。
無料版の『今日のぼやき』に掲載されているSNSIの各自の懸賞論文に、それぞれコメントを付けること。私はこれを自分に課すことにしました。もちろん褒めるだけでなく、反論や批判も場合によってはやっていこうと。だって、すごく時間がかかってるんですよ、これ。資料集めだけでも大変なんですから。私も懸賞論文書こうとして、結局、挫折したからわかるんですけどね。自分が書こうとテーマにしてる領域の現場の人間の声も聞かないといけないし、論理整合性も考えなければならない。思うように筆もなかなか進まないし。だから、懸賞論文を書けたひとは大したもんですよ、ほんと。みんな私と同じように仕事なり学業なりを抱えながら、書いたわけなんですから。
だから、書いた人はきっと何でもいいから、感想なりなんなりを書いてほしいに決まってるんです。「ふじむら」にどうでもいいことばっかり書いてるくせに、庄司さんって、同じ副島門下生なのに友達甲斐ないよなぁ、なんて思われるのもイヤだから、とんちんかんなことでもいいから、懸賞論文については、それぞれに、この「ふじむら」でコメントしよう、と私は決心したのです。
だから、「おれはほめるぞ!ほめてほめてほめまくるぞー!!」となったわけなんですよね。反論、批判をするかもしれないくせに(笑)。(ネルソンさんのに関しては内容に関してなにもコメントできていないしね。賞賛よりも罵倒の方がはるかに簡単ですな。)
ところが、『新人のセミナー』ではぬあんと、せいの介さんが連載しておられる「プロ野球を通した日本社会論」、その感動の最終回が掲載されているではあーりませんか!!
いかん。これは早急に「庄司がほめるぞ!」の番外編として、せいの介さんを加えなければならない。そして一人でも多くの来訪者にこの力作を読んでもらわねばならない。
野球などまったく観るくせのない(高校野球なんか大嫌い)、野球選手の名前もあまり知らない、そんな私が実に面白く読んだのですから、せいの介さん、あなたはえらいっ!!ちょっと、前口上が長くなりすぎましたね(笑)。「プロ野球を通した日本社会論」の感想(コメント)は次回の投稿にさせていただきます。
皆さん、でもほんとに、せいの介さんの「プロ野球を通した日本社会論」は読んでみて下さいよ。それで、ここは「ふじむら」ですから、気軽に、その読後の感想を書いて下さい。お待ちしております。
どなたかご教授ください。ハンナ・アレントと言えば著書「全体主義の起原」(みすず書房)(英語題:The Origins of totalitarianism)が有名ですが、この、totalitarianism と言う言葉の創始者はハンナ・アレントでよろしいでしょうか? どなたかご存知でしたら、お教えください。
この『全体主義の起原』という本が出版されたのは,西暦1951年なので、アメリカで反共の嵐吹きすさぶ時期と重なります。ハンナ・アレントが「全体主義国家」と規定しているのは、ナチス・ドイツとボルシェビキ・ソ連の2カ国のみを指しています(イタリアは除外されている)。
結局、アメリカ敵対国への懲罰的なレッテル貼りじゃないの、totalitarianismという術語の歴史的な役割は、、、と私は考えます。一方で、「『全体主義』という言葉の起原」は、第二次戦争中に、戦勝国と戦敗国との間を、戦勝国側が「democracy VS totalitarianism」と規定したことによるとも推定します。(ふと思うのだが、「民主制」と「全体主義」ってほんとに対立する意味になるのかな?)。(この事実も真偽不明です。違っていたらどなたか、ご指摘ください。)。
第二次世界大戦中、ソ連がtotalitarianism の側に含まれていないのは、単に当時のソ連がアメリカの味方だったからですよね? 戦時中の「LIFE」誌の表紙をパラパラとみると、ソ連軍兵士の顔写真が2〜3回取り上げられていましたし。 ソ連の中身が、第2次大戦中もその後も大きくは変わっていない以上、 totalitarianismという言葉は、アメリカに敵とみなされたかどうかだけで、使用されたりされなかったり、ということになります。
「全体主義」ということばを無自覚に使用した時点で、すでに誰かの手の上に乗せられていると思います。 Democracyが輝き出したのは、ほんと、わがルーズベルト大統領率いるアメリカが勝利した第2次世界大戦後だと思います。それまでの西暦1930年代は、大恐慌をどうやって克服するかをめぐっての「百家争鳴」の時代だったというのが冷静な見方じゃないでしょうか。
(引用開始)
■[1529] メモ28『プラトンの呪縛』佐々木毅[著]講談社学術文庫<途中省略>
佐々木がここで用いた武器は、ハンナ・アレントの理論であり、人間活動の3つの分類、「労働」「仕事」「行為」です。
(引用終わり)これに関する文庫本を現在、わたくしは読んでいるところです。難しいので、結構時間がかかり、まだ半分くらいしか進んでおりません。
ハンナ・アレント「人間の条件」(ちくま学芸文庫)
英語題では「The Human Condition」by Hannah Arendt 、Published by the University of Chicago Press,1958
とあります。目次:
第一章 人間の条件、 第二章 公的領域と私的領域 、第三章 労働 、第四章 仕事 、第五章 活動、 第六章<活動的生活>と近代文庫の裏表紙にある阿部齊氏(政治学者)の解説によれば以下の通りです。
(途中から引用開始)
<労働>の優位のもと、<仕事><活動>が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした「人間の条件」の変貌は、遠くギリシアのポリスに源を発する「公的領域」の喪失と、国民国家の規模にまで肥大化した「私的領域」の支配をもたらすだろう。本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようとした、アレントの主著のひとつである。
(引用終わり)なんで、難しいのだろう、訳語は結構工夫されているようで、不満はないのだが、
「worthとvalue」
「distinctivenessとotherness」
これらの英語が互いに違う意味づけで対比して本の中で説明してあり、まあ、つらい。。
いきなり、アメリカ人のぺらぺら英語で「R」と「L」との発音の区別がつかず四苦八苦する日本人と同じではないか。
Worthとvalueとの違いは、副島隆彦氏が説くところの「倫理判断と価値判断との違い」のようなものか、となんとなくイメージがつくが、
「distinctivenessとotherness」なんて、どこがどう違うのかまったくわからない。
今、第四章「仕事」まで進んだが、まだ分量としては半分程度。第六章では、コペルニクスだのアルキメデスだのデカルトだのが手招きしているので、なんとか匍匐前進してみますが。