日本英語の謎を解く
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日本人の英語にまつわる問題点、改善点をテーマを限定せずに討議する掲示板です。

基本英単語・思想用語についての情報や解説のテキストを歓迎します。

皆さんからの書き込みをお待ちしています。なお書きこみの際は実名(姓名だけでもかまいません。また、有料ぼやきの会員のかたは会員番号でかまいません。)でお願いします。実名でないものはすべて削除します。

筑摩書房のページへ書名英文法の謎を解く著者副島隆彦
出版社筑摩書房シリーズ名ちくま新書
発行年月日1995年8月17日
ISBN4-480-05641-6
総頁数250頁価格660円(税別)
目次第1章 なぜ、日本人は英語がへたなのか
第2章 haveについて考える
第3章 I am happy.は「私は幸せです」ではない
第4章 基本的な動詞の使い方を知ろう
第5章 文型理論と品詞分類法は違う
第6章 Itとpeopleについて考える
第7章 日本人だけしか使わないヘンな英語
第8章 仮定法はなぜむずかしいか
第9章 英語文法理論の体系―英語の山と「節」について
第10章 文型理論と「第五文型の文」
第11章 比較の表現
付録 ‖荼淙厳燭諒犬良
付録◆ ̄冓庫〕儻譴燭辰燭海譴世韻良宗覆泙箸瓠
在庫状況サイト内にて頒布致しております


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jikkenn 投稿者:sudou 投稿日:2005/11/25(Fri) 21:45:01 No.1554 

jikkenn


実験 投稿者:須藤 投稿日:2005/11/30(Wed) 23:01:49 No.1555 

実験

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No.1501を読んで 投稿者:キハ82 投稿日:2005/11/12(Sat) 21:49:20 No.1551 

はじめまして

当方、一昨年夏から1年半英国地方都市に滞在し、大学に通った経験を持つものです。

「JETプログラムで文科省が一括採用するALTは、勤務態度、生活態度などに関する評判が悪く、うちの市では少なくともこの7年間、JETのALTは使っていません」
という部分に興味を持ちました。

というのは、大学内で、JETのポスターを見かけたからです。私は高校教員勤務をした経験がありますが(英語ではないです)、このような制度自体を知らず、感心しながら見ていた次第です。

たしか、大学主催の教育関連就職相談会の参加学校一覧の一つに、JETがあった記憶があります。

物見遊山的な態度で志願する英国人も多いのか、という気になりました。

以上、思い付きまで。

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ここに投稿するんですね(^^;)続聞きたいことです。 投稿者:榎本 投稿日:2005/10/26(Wed) 22:05:25 No.1537 

初めまして。17歳男性で現在県公立高校2年生です。ほとんどの投稿者の方が教員の方だと思うので、少し緊張しているのですが早速質問させていただきます。
現在僕は英語ディベートというものを行なっていて、学校代表という形で来月の中旬に岐阜県で行なわれる大会に参加する予定です。内容は、English classes should be taught only by native speakers of English at high school level in Japan. ということなんです。
それで、賛成派(以下、Aff)、教えられるべきだ!と考えた場合、その理由が英語能力(スピーキング、リスニング、ヒアリング)がUpするなどが出たのですが、確実にUpするというEvidenceが必要なんです。しかし調べても調べても見つからなかったので、最終手段として投稿してみました。どなたか研究したという方や、聞いたことがある方お願いします。
内容についてのAffや反対派(Neg)の意見(出来れば理由やEvidenceも)でもかまいませんので、返信お願いします。


返信 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/27(Thu) 02:51:21 No.1538 

わたしは教員ではなくただの会社員でなおかつディベートなぞやったことがありませんが、とりあえず答えてみます。

まず初めに、「English classes should be taught only by native speakers of English at high school level in Japan.」が駄目です。日本語で「教えられるべきだ!」と受身でいうからといってそのまま直訳すると変です。「Only native speaker should teach English in Japanese high (school).」ですね。

単純に考えて、日本人にはnative speakerの発音は出来ません。だから、リスニング(listening comprehension, 「ヒアリング」は間違い)のためにはnative speakerに習うしかありません。アップするも何も日本人教師には出来ないのです。同様に、話すとき(スピーキング)にも日本人教師はその発音を矯正することはできません。だから、native speakerに直してもらうしかないのです。以上が賛成派の意見。

反対派の意見としては、日本語とあまりにも言語構造の違う英語を日本人に教えるには文法を解析して教える必要がありますが、それを日本語で教えることの出来るnative speakerはいない(いたとしても珍しい)ことです。また上記の発音練習も高校生ではすでに遅いのではないかという説もあります。

以前この掲示板で議論したところ、理想の英語教育は以下になりました。
------------------------
小学生時に「(native speakerによる)英語の単語およびフレーズを声に出すトレーニング」を行い、中学生以上では「(日本人教師による)文法による文章読解および(native speakerによる)英会話」
------------------------

なので単純に「高校ではnative speakerが教えればいいんだ!」にはなりません。


ありがとうございます 投稿者:榎本 投稿日:2005/10/27(Thu) 17:07:13 No.1539 

返信ありがとうございます!
まず題名についてですが、僕らが勝手に決めたわけではないので文法の問題はわかりません。あと高校生だと思って、細かいミスは見逃してください(^^;)

確かにJTEの人には無理ですし、事実、僕の英語兇離ラスの先生の発音はすごく悪いです。学校内には発音の良い先生はいますが、いちいち直してくれませんしハッキリいってだめです。そういう面で、nativeが必要であり、英語だけの授業で行ったりすべきというのは経験上わかっているのですが、そのreasonをディベートで述べた場合、「理由がない!」と反論されてしまうんです。なのでAccording to 〜 という表現でお偉いさんの研究成果や新聞で述べられている事を証拠として示さなければならないんです。なんとかなりませんか?

でもとても参考になりました。ありがとうございます。


ベルリッツ・メソッド 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/27(Thu) 22:19:19 No.1540 

>お偉いさんの研究成果や新聞で述べられている事を証拠として示さなければならないんです。なんとかなりませんか?

とっても有名な英語のせんせいに、ベルリッツさんがいます。このひとはかのドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に英会話を教えたことでも知られています。以下にあるように、英語も全然できないフランス人がアメリカ人にフランス語を教えることに成功しました。この、「できるだけ生徒に復唱させ、簡単な質問に答えさせる」という「ベルリッツ・メソッド」をあみだしたひとです。
さらに詳しくはホームページを調べてみましょう。

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マクシミリアン・D・ベルリッツ
1878年、マクシミリアン・D・ベルリッツは、アメリカのロードアイランド州プロビデンスに外国語学校(ベルリッツ・インターナショナルの前身)を創立しました。教師や数学者の家系に生まれたM・D・ベルリッツは、1872年に故郷であるドイツのシュワルツワルト地方からアメリカに移住し、文法と翻訳を重視した伝統的な方法でギリシャ語やラテン語など、6カ国語の外国語教授を始めました。個人教授として成功を収めたM・D・ベルリッツは、ワーナー・ポリテクニック・カレッジのフランス語/ドイツ語教授として迎えられたが、実際にはカレッジとは名前ばかりで、オーナー、学部長、校長、教授をひとりで兼任するような状況でした。

ベルリッツ・メソッドの起源
ベルリッツはなかなかフランス語が上達しない生徒たちのために、フランス人教師を雇うことにしました。新聞の募集広告を見てやってきたフランス人、ニコラス・ジョリーは英語がほとんど話せませんでしたが、過労で寝込んでいたベルリッツはやむなくジョリーを採用したのでした。その際、ベルリッツはジョリーに、できるだけ生徒に復唱させ、簡単な質問に答えさせるようにと助言しました。数週間後、元気になったベルリッツはフランス語のクラスに行って驚きました。そこには教師の質問にエレガントな発音で答える生き生きとした生徒たちの姿があったのです。

ベルリッツ・メソッドは、それまでに存在したどんな語学教授法とも、また同時代のどの方法とも異なる、新しく独自のものでした。ベルリッツ・メソッドが人々に熱狂的に歓迎されたことに自信を得た若いベルリッツは、そこからさらに前進していきました。
http://www.berlitz.co.jp/company/company_d_berlitz.html
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アドバイス 投稿者:せきぐち よう 投稿日:2005/10/30(Sun) 00:28:15 No.1541 

榎本さん

こんにちは。せきぐちよう と言います。ディベートで証拠資料を探しているんですね。私も学生時代少しディベートをやっていたので、気持ちはよく分かります。それから、私はいま台湾で台湾人学生相手に日本語を教えており、かつちょうど台湾で日本語ディベートを推進している最中です。
さて、質問について少しアドバイスをします。

(1)まず、主張例について。

肯定側の主張例
・ 外国人だからこそ、学生は英語を話すモチベーションが上がり、学習効果が高まる(日本人は恥ずかしがり屋なので、日本人同士が英語でコミュニケーションをとることに非常に抵抗感がある。特に中高生はそう)
・ 現在、発音のひどい日本人英語教師によって、大量に発音のひどい学生がそだっていて、現実にコミュニケーションの障害になっている(現状に存在する深刻な問題だと主張できます)
・ 発音以外に、作文も、日本人教師ではチェックが難しい技能の一つ。現在、日本人教師はあまり作文指導をしていない。あるいは、やりたくてもできない。ネイティブなら、添削が可能で、たくさん書かせれば学生に相当の作文能力がつく。

否定側の主張例
・ネイティブスピーカーの教育効果は、日本人教師より低い。(例えばALT制度において、その問題点として研究されているかもしれません。調べてみてください。英語を教えているけど実は不良外国人だったりする、ということもあります)また、文法や長文読解等の能力が下がるという主張もできると思います(ネイティブスピーカーに英語だけで複雑な説明をされても、ついてこられない学生が大量に出るだけ等)。
・ネイティブスピーカーの教育効果は、日本人教師と同等である。(同等ならば、わざわざ高いお金を払って外国人を雇う必要はない。お金の無駄と主張できる。)
・ネイティブスピーカーが高校の英語の先生の職を全部奪ってしまうので、日本人英語教師が大量に失業する(笑)(まあ、議論するときは笑わずに現実問題として主張しましょう。)

(2)ネイティブ・スピーカーの方が現地教師より学習効果を上げられる? について
そうしたことを書いた論文は、私は一度も目にしたことがないですが、もしかしたらあるかもしれません。(そのものずばりの論文はないにしても、一部だけでもそれをサポートできるような文があれば利用できるはずです)。インターネットで調べるのでしたら、次のようなキーワードで調べるといいと思います。たくさんの論文や資料が読めるはずです。日本語だけでなく、できれば、英語の文献にも挑戦してみてください。

(日) 第二言語習得 (英)Second Language Acquisition (SLA)

私がお勧めするページは以下のページです。

広島大学の柳瀬洋介氏
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/
慶應大学の大津由紀夫氏
http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/

それから、資料としては、英語教育についてだけでなく、海外における日本語教育についての論文も多くあります。これも、「その言語を母語としない学習者に対して異なる言語を教える」という論理はまったく同じですので、利用できる資料があればもちろん使えます。「日本語教育」で検索してください。

ほんとうはもっといろいろ教えてあげたいのですが、ディベートをやること自体、教育的効果を狙っていますので、高校生のあなたには、やはり、ウンウンうなりながら自分たち自身の頭で一生懸命考えて欲しいのです。(もちろん、そういうことを認識した上で指導できる優秀な指導者も必要なのですが)ですから、ここまでがヒントとします。

 それから一つお願いがあります。せっかく「副島隆彦の学問道場」にいらっしゃったのですから、メインページに行って、副島隆彦の言論を見てください。私はあなたのような若い人に、ぜひ副島氏の言っている思想を知ってほしいのです。勉学、ディベートもいいですが、政治思想、哲学も語れるような立派な若者になってください。

※Y2Jさんへ。お久しぶりです。久しぶりに投稿いたしました。仕事が忙しいというのを口実にして全然投稿していませんが、少し時間が空いたときにはまた投稿したいと思います。よろしくお願いします。


ディベート 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/11/04(Fri) 00:27:01 No.1543 

せきぐちさんフォローありがとうございます。
日本では会社の会議などでも結論が大抵は決まっていて上意下達されるだけなので議論する必要がなくディベートはあまり役に立たない。ヨーロッパでは皆ワーワーと自分の考えを言いまくって収拾がつかなくなることがよくあったのでディベートは有効なのだろう。管理職の業務のひとつは部下を以下に説得するかで、これが見ていて結構大変そうでした。ただ年齢だけで昇級した日本の管理職にはあれはできない。私は「日本ではワーカークラスが優秀で管理職はアホであり、欧米ではその逆である」と以前に述べたことがある。

だからディベートの有効性はその社会構造によることになる。日本では榎本さんがいうように「お偉いさんの」研究成果を示せば議論はそこで終わる。権威主義だからどうしようもない。

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小学校英語必修化平成21年度から 投稿者:佐藤真弓 投稿日:2005/07/10(Sun) 19:16:05 No.1497 

 平成21年度から、公立小学校で、英語が必修教科になるようです。現在の総合的な学習の時間から、週1〜2時間もらうという形で。ただ、文科省は大枠を示すにとどめ、細かなことは、各地教委で進めていくことになるようです。
 担任教師に研修を義務付けて英語を教えるようにさせるということはしないようです。(韓国がこの方法をとったとか……。日本の場合、こんなことしたら、過労死か自殺者が出ます。)また、小学校英語教師養成に力を入れるという方向もないようです。地域人材や民間英会話学校の講師を活用するという方向で行くようです。
 それにしても、「英語」に限ったことだけでなく、いろいろな問題が出てきたり、教育委員会の力量が大きく問われたり、初等義務教育の根幹を大きく揺らすことになるのではないかと思います。


返信 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/07/11(Mon) 17:03:46 No.1498 

投稿ありがとうございます。
私は早期英語教育には反対でしたが、最近のマッドマン氏との議論で、早期英語「音声」教育ならば、実施した方が良いのではないかと思うようになりました。ただ単語と簡単な挨拶を「ぱくぱく」と口真似するだけですから、むしろ「体育」に近いものとなるでしょう。

小学校教師に英語を教えさせるのは無茶ですし、また「音声」教育ができる日本人はほとんどいないでしょうから、具体的には native speaker を雇うしかありません。たしか公立中学にはすでに割り当てられているはずですからそれを活用すればよいと思うのですが、実際に現場でどうやっているのか分かりません。ご存知でしたらご教示ください。

最悪のケースは、RとLの区別もつかない日本人教師が滅茶苦茶を教えて現状よりもっと悪化させてしまうことでしょう。


小学校英語の現状 投稿者:佐藤真弓 投稿日:2005/07/16(Sat) 23:06:39 No.1501 

 返信ありがとうございます。
 私の勤務している市(地方都市、人口19万人)では、昨年度まで、4名のネイティブスピーカーALTを市の嘱託職員として雇っていました。その4人で、小学校27校、中学校12校、市立高校2校をまわっていました。小学校の場合は、そのALTを活用するのは、その学年や学級の希望にもよりますが、多くて年5回少なければ年1〜2回ほどでした。ALT活用回数とは別に、学級担任や専科教師(専科はそれほど多くないと思います)が行う英語学習、または、国際理解学習を総合学習の中に位置づけている学校もあるようです。(私の勤務校は、ALTのみ。)
 今年度からは、嘱託職員ALTを2名にし、あとは、民間の英会話学校からネイティブスピーカーを派遣してもらうという形になりました。きっと、市の予算削減のあおりでしょう。JETプログラムで文科省が一括採用するALTは、勤務態度、生活態度などに関する評判が悪く、うちの市では少なくともこの7年間、JETのALTは使っていません。
 私の限られた経験からではありますが、小学校でのALT活用の問題点をいくつかあげます。
 ^貳未両学校教諭で、小学校英語に賛成だという割合はそんなに高くありません。理由は、教師にも児童にも負担が増すだけというのが第一です。△燭辰診数時間のALT活用の時間でも、学級担任は英語の授業プランを立てられません。ALTに全てお任せという感じです。おまけに、ALTと学級担任とのコミュニケーション不能という問題もあります。ALTも小学校の担任も、日本語と英語の音声面・文法面での大きな違いを認識し、日本人にとって何が難しいのかをきちんと考えて教えなければならないと思いますが、それは、不可能です。て本の公立学校の1学級児童数が30名以上なので、言語学習が成立しがたい。私が今まで知り合ったALTの中には、自国で教師をやっていたという人が多くいましたが、40名近くの生徒を教えるということはなかったと言っています。
 小学校英語必修化を見通して、今、小学校英語指導者資格認定というものが、NPO主導で盛んに行われています。いくつかの英語関係の教材・雑誌などを出版している会社もそれを後押ししていて、英語指導教諭の派遣事業のビジネスチャンスを狙っているようです。
 なぜ、小学校で英語なのかという点で言えば、この掲示板でも論議になっているように、「英語の音声」をインプットしておくという考え方に私自身も大いに賛成します。人生において、英語でコミュニケートする必要が出てきた時、英語に特有な音声の聴取や発音がいくら練習してもできないという状況だけは招かないようにするというねらいで十分だと思います。
 ただ、教科になればなったで、標準シラバスやら、評価やらの問題が出てきて、結局、中学校英語と大した違いがないようなものになるのではないかという危惧もあります。文科省は大枠を示すにとどめるらしいので、地教委単位で具体的な方策や教授内容などを決めていくということになるようなので、英語教育に明るくしかも行政・制度面にも詳しい立案者が必要になってくると思います。こういう面にも民間が参入してくる可能性もあります。
 とにかく、今までも問題あり、これから必修教科になればなったで、さらに問題山積みです。


ビジネスチャンス 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/07/20(Wed) 01:33:51 No.1504 

現状の報告をありがとうございます。

>4名のネイティブスピーカーで小学校27校、中学校12校、市立高校2校をまわっていました。多くて年5回少なければ年1〜2回ほどでした。

私が中学生だった時(15年前)にも2,3回オーストラリア人だったかが来たことがあります。現在もまったく変わっていないことに驚きました。単発では全然教育の効果は出ませんよね。

>嘱託職員ALTを2名にし、あとは、民間の英会話学校からネイティブスピーカーを派遣してもらうという形になりました。きっと、市の予算削減のあおりでしょう。

さらに減らす訳ですね。文科省の「指導」とは裏腹に現場がまったく対応していないと。
官僚というのは命令すれば実現すると思っている。東アジア型官僚の限界です。

>JETプログラムで文科省が一括採用するALTは、勤務態度、生活態度などに関する評判が悪く、うちの市では少なくともこの7年間、JETのALTは使っていません。

言っちゃ悪いが、日本にいる英語教師とかでメシを食っている奴のほとんどは不良外国人です。本国で相手にされないようなのが流れて極東くんだりまで来てるんですよ。

>おまけに、ALTと学級担任とのコミュニケーション不能という問題もあります。

中学校の英語教師ですらALTとコミュニケーションできなかったって笑い話がありました。

>ALTも小学校の担任も、日本語と英語の音声面・文法面での大きな違いを認識し、日本人にとって何が難しいのかをきちんと考えて教えなければならない

これは大学で「英語教育」とかを偉そうに講義しているセンセイでも難しいでしょう。

>自国で教師をやっていたという人が多くいましたが、40名近くの生徒を教えるということはなかったと言っています。

ひとりひとり教育するという発想は公立校には無いでしょう。少数の熱心な先生が個人的に教えることはあっても。だから塾が繁盛している訳です。

>小学校英語必修化を見通して、今、小学校英語指導者資格認定というものが、NPO主導で盛んに行われています。いくつかの英語関係の教材・雑誌などを出版している会社もそれを後押ししていて、英語指導教諭の派遣事業のビジネスチャンスを狙っているようです。

これは興味深い。介護ビジネスも「介護保険制度」が法制化されてから急に活発になりました。政策の先を見越してビジネスにしようという輩はどこにでもいる。

>人生において、英語でコミュニケートする必要が出てきた時、英語に特有な音声の聴取や発音がいくら練習してもできないという状況だけは招かないようにする

その通り。ホントにいくら練習してもこればかりは出来ないんですよね。小学生の時にRとLの違いを認識していたら後で思い出せたかもしれないと後悔しきりです。

>教科になればなったで、標準シラバスやら、評価やらの問題が出てきて、結局、中学校英語と大した違いがないようなものになるのではないかという危惧もあります。

ですからここは従来の「英語」の教科というよりも「体育」にした方がいいというのが私の率直な感想です。

>今までも問題あり、これから必修教科になればなったで、さらに問題山積みです。

教育態勢が整っていないのに必修化したら、結局学校は民間とくに「塾」に丸投げすることになり、上で見たように関係業者のビジネスチャンスになるのでしょうね。


まず教育の問題として 投稿者:佐々木能幸 投稿日:2005/07/22(Fri) 14:27:34 No.1505 

 初めての投稿なので自己紹介をします。56才男性、現在無職です。公立私立の中学高校で理科(物理)教員をしてきました。4年半スイスの日本人高校生を対象とするインターナショナルスクールで勤務したあと、群馬県太田市の英語教育特区校へ昨年7月から副校長ということで赴任し、今年4月の開校に向け準備室に加わりました。しかし現在無職ということでお分かりのように、開校を前にして退職しました。理由はいくつかありますが、私自身が考えている教育理念や方法論と太田市のものとに大きな隔たりがあったからです。
 前置きが長くなり失礼します。ご存知の方もおられると思いますが、太田市の英語教育特区校「ぐんま国際アカデミー」(以下GKAと略)は、小中高の一貫校で、小学校から国語以外の教科を英語で指導する英語イマージョン教育という手法を展開した教育を謳っています。財政面や、準備室段階からの運営主導権のあり方などに関する多くの問題がありますが、ここではGKA の問題が主題ではないので、英語教育に関する話題に戻ることにします。

 吉田さんが「ビジネスチャンス」と捉えていらっしゃいますが、小学校への英語導入に限らず、昨年帰国して日本での英語の需要が予想以上に強く、またそれに対応して供給も激しい市場となっていることを痛感しています。日本では、どのような社会変化の兆しがあっても、現在はそこからなんらかの市場機会を見つけ出し、その値踏みをすることが常となっています。その大きな動きが、ここへ来ていやが上にも高まっている「英語需要」を見逃すはずはないでしょう。
 そこで私が危惧するのは、事柄が需要と供給の関係だけで捉えられ、教育までもが供給企業と利用者の関係として進められることです。そうなると教育は純然たる商品です。現在はそれは当然である、という考えの方も大勢いらっしゃるかもしれません。
 ところが、その行き方が進むと、企業が顧客の満足度を高めようとすることを、教育する側も求められることになります。現在の小学校への英語導入はその一つです。
 ここで私が「英語導入」と書いて「英語教育導入」とはしなかったのは、実際に文科省は小学校での総合的な学習の時間を英語に充てることを暗に一つの選択肢以上のものとして示唆しておきながら、教科としての英語導入を明示することはせず、そのため「英会話活動」(文科省の「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想)と呼ぶという用語上の詭弁とも思える方法をとっているからです。
 また、佐藤さんがご指摘のように、この件に限らず文科省の態度は大枠を示すだけです。指導要領のあり方そのものがそうであるといえます。具体的な事柄はいわば「丸投げ」で、それらはすべて教育委員会などへおろされ、それは最後に教育現場に降ってきます。そして吉田さんが最後に書いておられる通り、この「丸投げ」外注方式は、今や教育界でも当たり前のようになっています。どのような下請け工場に出しても、信頼し得る品質が得られる環境であれば、費用削減からは歓迎されることでしょう。しかし、これまでやったことがない新しい教育を創り出そうという時に、どうして「丸投げ」に頼ることができるでしょうか。まず作り手が自分たちの考えを十分煮詰めて、方法論や材料をあれこれと試行錯誤することが不可欠なはずですし、それ以前に作り手側に十分な経験と、それに加えて創意と意欲がなければなりません。そして創意とは経験があって初めて言えることで、そうでなければ単なる思いつきと変わる所がありません。
 現在、小学校への英語教育導入には賛否両論が真っ向からぶつかっています。同時通訳者として早くからその英語力で注目された鳥飼玖美子氏や、言語学が専門である慶応義塾大学の大津由紀雄氏らが、小学校からの英語教育に強く反対しています。私は自分自身が英語の教員ではないことから、英語教育特区校に赴任するにあたり、バイリンガル教育や早期英語教育に関する書籍をかなり読み漁りました。その上で、私自身が太田市の新しい試みに加わろうと思ったのは、むしろ私のスイスでの経験によります。日本で目にする多くの英語教育に関する本には書いてないことを、しかもそれらの本にあることよりも重要なことを私は目にし触れることができました。つまり、英語に限らず教育全般について、日本では目にしたことのなかったものを知ることができたのです。それは日本の学校にいたのでは、どれだけの年数を積んでも理解するのが困難なことでした。痛感したことは、教員も、その殆どは自分が教わったことを自分が教わったやり方でなぞろうとする以上のことはなかなかできない、ということです。そのいい例が、現在の指導要領で行われている総合的学習の時間で、教員たちの多くがそれをどう使うべきかとまどっているの現状です。
 私の基本的な考えは、英語教育を改めるには、英語に限らず日本の教育そのものを根本から改めなければならない、というものです。これについては、私が日本キャリアデザイン学会の第1回大会で発表した内容が学会の論文誌に掲載される予定です。ちなみに私は、太田市にいた時に、そこに6人いた英語ネイティブの教員たちに読ませようと思って全文を英訳したものがありますので、機会があればお見せしたいと思いますが、この主題はここでの議論からはみ出しますので、敢えて皆様に押し付けることは控え、英語教育に戻ります。

 教育は人です。教員が優れていればいるほど、よりよい教育の営みが行われる可能性が増します。これが、吉田さんが書いていらっしゃるように、quote, '本国で相手にされないようなのが流れて極東くんだりまで来てる', unquote、 のを雇っているのでは話になりません。
 しかし、どんなに優れた人を連れてきても、日本で見るひとクラスが40人近くの人数では、コミュニケーションを図ることが究極目的である言語教育はできません。ここらに、私が上で書いた「日本の教育そのものを変える」必要があるのです。スイスの学校では、ESLクラスは生徒数が10人前後です。そこでは、授業のたびに宿題が出され、教員たちは生徒の宿題を丁寧に添削します。英語ネイティブの教員を日本の学校に連れてくれば、音声についての指導は効果が期待できると思われるでしょうが、それも直接の対話練習ができてのことです。日本のようにひとクラスに40人もいては、頭を下げてじっとしていれば、50分ぐらいの授業中に教師と一度も目を合わさずに逃げおおせます。しかし、10人だったら、必ず数回は教師と直接のやり取りをしないではいられないでしょう。このような、直接の対話練習や添削指導を可能とするためには、少人数教育という条件は不可欠なのです。しかし、この点については、殆どの議論が触れられることなく、ネイティブがいい悪いの袋小路に陥っています。また、この話で注意していただきたいのは、会話指導だけに留まらず英語ネイティブ教員による文章表現の指導も同じぐらいに、あるいはそれ以上に必要だということです。この点については、日本ではこれまで殆ど議論されたのを聞いたことがありません。
 さらに、英語ネイティブ教員の、それも有能な人を教員として雇える幸運に恵まれたとして、その人たちにどう働いてもらうか、ということが重要です。これまで日本では多くの英語ネイティブ教員はALT、つまり補助教員の位置づけです。これは純然たる制度上の問題です。アシスタントに手伝ってもらう主役の教員は日本人ですが、この人たちの英語力については、佐藤さん吉田さんのお二人が書いています。現状を見れば、英語力が定かでない日本人教員が主導権を握る形になっているわけです。これと同じことは太田市でも見ることができ、英語教育特区校を企画し実権を握っている太田市市役所の準備室正規職員が誰も英語ができないことに、私は驚きました。それでいながら、日本語ができないアメリカ人を校長に据え、やがて考えの違う私を降格して、今度は英語が話せない人を新たに副校長としたわけです。そのような形で、英語教育が進められると思っているのは、太田市だけに留まらないでしょう。これでは、教育の中身も成果も正しい評価をすることは難しく、有能なネイティブ教員は、待遇の面からだけでなく、彼らの仕事のやりがいという重要な面からも、報われることが困難です。
 このように、音声ならば小学校からでもよいのでは、というような問題に留まらず、小学校への英語導入は日本の教育そのものに関わることであり、また真剣にそれを論じるならば、日本の教育を大きく変えるよい機会でもあるのです。


RE: まず教育の問題として 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/07/27(Wed) 14:24:39 No.1506 

投稿ありがとうございます。

「英語特区」については本HPの「在外日本人」掲示板([1300]〜[1311])でも触れたことがあります。

そもそも「特区」という考え方自体が規制緩和の具体化なので、それが教育分野に当てはめれば、民間業者への丸投げになるのも当然かと思います。私がこの「英語特区」に対して疑問に思うのはそれが中途半端なことで、やるなら経営陣も教師もすべて外国人にして、宇多田ヒカルも通ったアメリカン・スクールのようなものにしてしまえば何の問題もない。

佐々木さんは教育までもが市場の商品になっていると嘆かれていますが、私は教育は「サービス産業」だと思っているので、市場の導入には賛成です。それは普通高校の体たらくと塾の活躍を較べれば明らかだ。

市場の商品にはならないものとして、日本人としての愛国教育などがありますが、現状すでに日教組の圧力によってそうした教育も行われていません。だから私は純粋に教育は「サービス産業」と割り切った方がよいかと思います。今朝のニュースでもやっていましたが、大学はもう定員割れを起こしていて、「全入時代」だそうです。まるでバブル時代の大学生のように、高校生を愛知万博に無料招待したりと、恥知らずなことをやっていました。これも教育はそもそもサービス産業なのだと考えれば自然です。

副島隆彦の『英文法の謎を解く』も、サービス産業としての英語教育について、そのあまりの質の低さに対して批判している訳です。これが市場メカニズムの影響を受ければ、少しは良くなるだろうとは私も思う。

私はもっと極端に、すべてを自由化すればよいと思う。そうすれば、よく渡部昇一が例に出す「窓際のトットちゃん」のような学校もできるだろうし、あるいは吉本隆明が通ったという、在野の知識人が開いていた私塾などが復活するだろう。吉本はこの学校を「自分の黄金時代」であったと述懐している。こうした人格的な触れ合いも私塾でも、いや私塾の方が可能であろう。

自分を振り返ってみても、馬鹿な教育しか受けてこなかったと今更ながら思う。そして佐々木さんが述べられている通り、教師は自分が受けてきた教育を再生産する。現在の馬鹿な教育システムを一度壊すにはすべて自由化してしまった方がよい。


論点を絞って 投稿者:佐々木能幸 投稿日:2005/08/03(Wed) 20:48:51 No.1508 

 吉田さんのご返事ありがとうございます。特区についてすでに「在外日本人」掲示板で書かれているということを教えていただきましたので、その[1300]〜[1311](以下、1300番台の投稿は全て在外日本人掲示板、一方1500番台はこの日本英語の謎掲示板をさす)を読んでみました。私がまだスイスにいた時の応答で、私が実際に英語教育特区校へ赴任するより以前に、既にこのようなやり取りがされていたのですね。
 私の前回の投稿は、かなり広い事柄を含みました。またすでに吉田さんが[1507]として新しいテーマでこの掲示板に投稿なさっているように、英語そのものの解釈をいわば楽しむことが当掲示板の主旨であるかもしれません。それならば、あるいは私のように英語を超えて教育そのものをこの掲示板で論じるのはお門違いと言われることになります。ただ、これまでの流れから、私としてはどうしてもお伝えしておきたいことがあります。そこで、吉田さんが[1506]に書いてくださったことと、加えて過去の[1300]〜[1311]にあることについて、論点を絞って自分の考えをお伝えしたいと思います。もう少しだけ、教育についておつきあいください。

 「在外日本人」掲示板[1300]〜[1311]を読み、書かれた方々がどのように英語教育特区校を捉えていらっしゃったのか、さらに教育についてどのようにお考えか、ある程度がつかめました。
 [1310]でMVさんが書かれている「教室でみんなそろってやるっていう発想から教える側が自由にならない限り、教わるほうもそこから出れないでしょう。」ということは、前回の私の投稿[1505]に述べたことに完全につながります。
 また[1311]で吉田さんが「日本人の英語学習は私には集団ヒステリーの類いに映る」と書いていらっしゃる点も同感です。方法論を伴わず、感情的な面ばかりが先に出る議論を多く見ます。これらのように、似通う考えであることを見いだした部分もありますが、[1300]〜[1311]の中には私がそれらとは異なる考えを持っている部分もかなりあります。しかし1年以上も前のやり取りを蒸し返してそれに割り込もうという気はさらさらありませんので、後の議論につなげるために必要と思われる三点だけについて述べておきます。

1 規制撤廃について
 まず特区ゆえの規制撤廃です。二つの考え方が吉田さん森田さんから共通して出ています。
(1)役人の抵抗
 それはまず「いわゆる特区という地域の提案は、8割がた役人が拒否をしているという話を聞いています」([1301]森田)、「規制は役人の権限だから撤廃されたら当然反対する」([1302]吉田)とあるように、役人は規制撤廃に消極的若しくは反対であるというものです。
 私が太田市で見てきたものは、このような観測とは表面上いくぶん異なるものでした。何しろ、お役人たちが企画を進めて特区を作ろうというのですから。しかしそのために、お役人の手法というものをじきに見て取ることができました。学校法人格の取得というような、許認可権に関わることでは、彼らはそれを従来の県知事から市へ移行するために、「手続き」上の仕事をすることになります。このように、従来の規制により許認可の権限が強く限られている状況に対して、お役人たちが自分たちの存在意義を見いだすことは大いにあり得たわけです。そもそも日本では許認可権だけで食っている人間のなんと多いことでしょう。スイスでは自動車運転免許は一度取得すれば一生使えます。それが日本では書き換えのためお金と時間を使うことを求められます。その業務で食っている人を国民が自分たちの制度で養っているわけです。おっと、これは脇道。
 大事なことは、規制が何のためにあり、それは現在どうしたらよりよい状況になるか、ということです。そうでないと、表面上は規制撤廃に務めている(ように見える)お役人たちもいるわけで、その人たちは「いいお役人」ということになります。そこで、次の見方が必要です。
(2)自由化の意味
 これはとりもなおさず、在外日本人掲示板ではなく、今回の吉田さんの私へのご返事[1506]に書かれていることですが、「私はもっと極端に、すべてを自由化すればよいと思う。」とあります。実は私も似たようなことを言っており、郵政などを民営化するよりは、文科省による教育への行政指導を全廃してしまい、指導要領も検定教科書もなくすべきだ、ということを考えています。
 ところが、後でもう一度触れますが、吉田さんは「義務教育」ということを[1311]で非常に強く言っていらっしゃる。義務教育という考え方が一つの制度であり、それにより多くの規制が生じているわけです。そこへ「自由化」を持ち込んだ時には、地方の郵便局どころではなく、小中学校の多くがつぶれることでしょう。
 このように、自由化ということは軽々に論ずべきでないのは、なにも今郵政民営化が論議の俎上にあがっている真っ最中だからではありません。もっと大事なことがあるからです。それは、自由化と在来の規制の両方を巧みに使って、好きなことをすることもできるということです。ここでまた太田市の例を挙げることをお許しください。太田市の英語特区校では、その主導権を握っているお役人たちは、前述したように学校の許認可権は規制緩和を利用しながらも、教員の採用や教材の選定という肝心な教育の中身については、全く保守的な姿勢を貫きました。日本人教員はもとより、外国人教員の採用面接に対しても、市役所職員の英語ができないため通訳を介しての質問は、必ず教員免許のことでした。検定教科書を翻訳して使うことについては、[1300]で吉田さんが書かれていますが、ここではこれ以上触れません。この問題に関する私の基本的な態度は、上に書いたことから容易にご理解いただけることと思います。
 こうして、教育の方向性がまずあって、その上で求められるべき自由があるのです。まず自由を求めよ、ではやみくもな民営化論者と変わるところがありません。下手をすると、その裏がある、ということにさえなります。また、70年安保を経験した私は、その当時の活動家の学生たちが言っていた、「まず自分たちはアンチであるべきだ」という言葉を思い出します。自分たちの明確な方向性で動くのではなく、相手あってこそだった彼らの活動がどうなったかはご存知の通りです。ニーチェも言っているように、quote '「何からの自由?」そんなことにはツァラストラは何の関心もない。君の目がわたしに明らかに告げねばならぬことは、「何を目ざしての自由か」ということだ。(『ツァラツストラ』p.126 手塚富雄訳、中央公論社世界の名著)' unquote、という考え方を私は採ります。
 
2 教育の方向
 そこで方向性の話になります。吉田さんは「在外日本人」掲示板ではなく、今回のご返事でも「アメリカン・スクールのようなものにしてしまえば何の問題もない」と書かれています。しかしアメリカンスクールがいいのなら、これは宇多田ヒカルの例を出すまでもなく、現在の日本ではすでに選択肢の一つです。今や親の考え方により、アメリカンスクールだけでなく横浜中華学院も日本人入学希望者が激増し、産經新聞2005年1月11日東京朝刊によれば、quote ' 最近、日本人の入学希望者が相次いでいる。平成16年度は小学1年から6年までの小学部180人のうち華僑は約3割にとどまり、約半分が華僑と日本人のハーフ、さらに日本人が約2割を占めた。' unquote、ということです。もちろん都市部と地方との格差は大きいが、太田市英語教育特区校ですら親が都心部から引っ越してまで子どもを入れようとしています。つまり自由化などと言い出さなくても、「多様な選択肢」というものはこの日本には既にあるのです。
 であれば、何をどこへ求めるべきか。既存の学校をも含む、日本の教育そのもののあり方へ、に他なりません。日本にあるアメリカンスクール(横浜中華学院も同等ですが)と、公立私立を問わず日本の小中さらには高等学校との一番の違いは何でしょう。その中身を問題にする以前に、法的根拠が違うのです。それは、「一条校」というドグマです。前の私の投稿で触れた日本キャリアデザイン学会への論文でも、私はこの点を強調し「最適の方法は一条校の呪縛から逃れること」と書いていますが、太田市の英語教育特区校は結局この一条校のドグマから逃れられないばかりか、私から見れば卑屈なまでにそれに忠実であろうとしていました。それでいながら、群馬県とのやり取りに遺漏があったお役人たちは、県からの私学助成金を受けられない、という仕事をしています。これは、プロジェクトマネージメントという意識を持たない彼らの仕事の仕方の結果ですが、その話はまた脇道になります。
 Blairの言を引くまでもなく、教育は国としての一大事業です。郵政民営化とともに現在議論されていることに、教育費の国庫負担の問題がありますが、それについてそれほどに国民の関心は感じません。これも、吉田さんがおっしゃるように、民営化すればよくなる、という意識が強いからなのでしょうか。あるいは教育そのものについての関心の程度によるものでしょうか。
 自由化については、実は公立と私立では同じ土俵を与えられていないことも留意しなければいけません。学力低下が叫ばれ、完全週休二日制の見直しや行事の圧縮廃止が公立校では真剣に議論されています。しかし、それは公立校が文科省の強い行政指導下にあるからであり、私立校では土曜日に授業を行っているところはいくらでもあります。とうに前から、日本の教育行政は、自ら「自由化」を行い、押し進めてさえいるのです。その意味からいえば、私立校というものは既に十分「特区」であったわけです。各教室の児童生徒の定員については、有名進学校の例として開成学園をあげれば、中学21学級900名、高校24学級1200名(同校Websiteによる、http://www.kaiseigakuen.jp/kaiseihp/hoshin/hoshin.htm)となっています。公立で現在40人学級が完全実施されていることを考えれば、これはまたなんとしたことでしょう。しかし教育の「市場」では、この学校はトップクラスの評価を得ています。したがって、これは「市場」そのものの見方、ひいては教育の目ざす方向の問題であることに気づかれることと思います。

3 小中高一貫教育
 三番目はどうしても譲れない部分です。吉田さんは[1311]で小中高一貫教育を批判なさっています。しかし、おそらくこれは吉田さんご自身がご自分の書かれたものを改めてご覧になれば、論旨そのものが破綻していることに気づかれるはずです。そこでは義務教育について論じられ、義務教育ではない高校と区別すべきであるというのが主旨の第一です。ところがすでに1990年前後から、日本では雨後の筍のように中高一貫校というものがあちらこちらで作られ、現在は公立にもそのような形のものができていることはご存知の通りです。そもそも95%以上もの高校進学率を有する我が国で、現在高校を義務教育でないからという視点で論じる事自体が時代錯誤です。ここへきて義務教育とされている小中とそうでない高校とを峻別すべきであるというなら、それは十年以上前の中高一貫校の花盛りの時に言い出すべきです。しかも、今や中高一貫は私立のみか公立ですら、新設校の設置に対しては第一の選択肢とされているのです。さらに言えば、義務教育のあり方そのものに手を加えようとしているのが現在です。
 このように、義務教育であるかないか、の論点が成り立たないことは明白ですが、むしろ私はここにある「小中高一貫」をこそ「特区」で自由に扱おうという構想がありました。それゆえ、太田市の英語特区校が「英語教育特区」である以上に「小中高一貫」であることに私は大きな可能性を感じたのです。地方自治体やついには文科省までが、小中の9年間をこれまでの6・3の区切りにとらわれず行うという考えを示しています。それ以前に私は、太田市に対して12年間という長期に展開できる新しいしかも大規模な教育の可能性を提言しました。その提言を太田市がどう扱ったかは、ここでの問題ではありませんので、興味を感じる方がいらっしゃれば別の機会に触れることにします。
 教育を人間の成長発展に関わる営みである、と捉える限り、それが長期にわたって共通の理念の下で系統だった方法により展開されることは、より望ましいことです。だからこそ、欧米の私立学校は、それも歴史あるものこそ、初等中等教育をも備えた教育事業を展開し、親たちもそれらの中から自分の思想にあったものを選んで子どもたちを送っているのです。日本でも、伝統ある大学の中には、このようにしてその付属である小中高の学校を持っているところがあり、親は本来その教育理念を選んで子どもを送っているはずです。
 吉田さんのこの段落には、もう一つ私の看過できない部分があります。これも非常に簡単にしか書かれていないので、表面的な言葉の裏にほかの考えが吉田さんにはあるいはおありかとすら思うものです。それは「教育も 上→下 に押し付けるのが正しい」というところです。日本の学校では、このやり方ばかりを何十年も、しかも義務教育にとどまらず、高校大学を含む殆ど全ての教育機関で行ってきたから、日本の教育はこれほどまでにダメになってしまったのです。だいたい、押しつけばかりを9年間もやらされてきた生徒たちが、高校にはいったとたんに「高校以上は自分で勝手に選んでよい。学校に行きたくなければ行かなくてもよい。英語が学べ(ママ)たければ英語で授業をやっているところに行けばよい」([1506]吉田)などということができるわけがありません。何しろ、殆どの生徒が自分の選択により高校へ進学しているのではないのが現状なのですから。
 この三番目の点、実際には義務教育に関わる小中高一貫教育と、教育の基本的方法の二点を含みますが、これは私の絶対に譲れないところです。ただ、既に書きましたように、吉田さんのように広い見聞を持ち柔軟な思考のできる方であれば、私が書いたことを容易にご理解いただけるものと思います。

 このほか、森田さん吉田さんお二人とも書いている英語教育特区校計画の「胡散臭さ」については、あまりにも書くべきことがあり過ぎるので、しかるべき場があったら、としておきます。

 長くなってしまいましたが、ここまではまだ枕です。つまり、一度このような教育問題に触れたが最後、枝葉の議論だけで済ますわけにはいかない代物なのです。今回でも、論点を絞りに絞っていますから、そのために説明不足を来すこともあり、それが新たな議論の火種になりかねないことも承知しています。しかし、前回[1505]と今回の私の投稿をお読みいただければ、日本の初等教育における英語の導入に対して、その問題点とあるべき形について、私が提案していることが読み取れるはずです。これでも私は言葉を節約して、最低限の事柄に留めていますから、そこから皆さんに新たな疑問が生じることも承知しています。それらについては、いつでもどこでも受ける覚悟でいます。
 ここで、吉田さんのご返事[1506]の論旨は、私の理解に間違いがなければ、教育を自由な市場とすべきだ、ということです。その根拠は、教育はサービス産業であるべきだから、ということです。
 この吉田さんの考えに対する私の反論を述べます。これこそが本論です。

 そもそも教育を市場化することは、昨今に始まったことではなく私が生徒であった時にも教育は立派に産業化していました。産業とは有形であれ無形であれなんらかの商品を提供して代価をうることですから、需要があって成り立ちます。提供する側は新製品を開発して新たな需要を創り出すことができますが、その成否は使用者側の選択によります。市場で勝利を得た製品が必ずしも最も優れた製品とは限らないことが生じる所以です。
 教育の世界にこの図柄を移して見ましょう。となると、現在市場を支配する価値観はまぎれもなく受験への対応力です。多くの人たちがそれを「学力」と呼んでいます。今かまびすしい「ゆとり教育批判」も、それが受験に役立たないからであり、小学校への英語導入も、それが会話志向であるため、中学以後の「受験英語」への整合性が見いだしにくいことが問題とされています。世はなべて、教育とは受験のためのもの、となっている、これが現在教育を市場と見た時の価値観です。
 この形で「市場」を開放すれば、当然「市場の導入には賛成です。それは普通高校の体たらくと塾の活躍を較べれば明らかだ。」([1506]吉田)という結論になるでしょう。しかしそこでは、もともと普通高校と塾とでは全く異なることがなされている、ということを見落としています。そのことを説明するために、横浜の私立校に勤務していた頃に、一人の生徒が私に言った言葉を引用します。彼は教師になることを希望していましたが、学校ではなく予備校の教師になりたいと言いました。その理由は、普通の学校ではなかなか先生の言うことを聴いてもらえないけど、予備校なら生徒たちは真剣に授業を受けてくれるから、というものです。これ以上を多く語る必要はないと思いますが、異なる目的を持った集団を相手にした場合は、異なる結果あるいは成果が得られることは当然です。私が都立高校に勤務していた頃、定時制の先生から聞いた話では、暴力事件を起こした生徒が退学を言い渡された時、彼は「親が土下座して行ってくれと頼んだから入ったんで自分が入りたくてきたんじゃない」と嘯いていたそうです。確かに、このような生徒を相手にするよりは、最初からいつも熱心に聞いてくれる生徒に教えたくなるのは、あの時の私の教え子だけではないでしょう。このような状態を全部ひっくるめて、どこがより努力している、という判断も、軽々にすべきものではありません。

 こういったことを全てふまえた上でないと、本当の議論には入れないことがご理解いただけたことと思います。その上で、市場という見方に潜む危険性を改めてお話しします。

 現在日本で見られる多くの思考法は、なんらかの変化に対してそれによる経済効果をまず見積もる、というものです。だから、団塊の世代が退職すると何兆円のお金が市場に流れる、という考え方で、それらのお金がその人たちのためには、どのようでなければならないのか、という方へは思考が広がりません。現在は低金利であり、年金も頼りにならない、その中でしからば有効な商品は何か、ということには地道をあげながらも、そのような高齢者にとって厳しい社会基盤の病弊を変えようという方向へは全然目が向かない。これは病んだ社会です。出生率の予測よりは高年齢者の増加の方がよほど予測可能でありながら、見えているはずの未来に対して有効な手を打てない。しかし弱い立場の者に群がり利益は吸い取ろうとするのでは、アメリカの禿鷹ファンドと変わるところがありません。それ以前に、自由な市場であるのだから、禿鷹ファンドのやり方も肯定せざるを得ないことになります。
 このように、市場一本やりの見方は、一般社会でも大きな危険性を備えていますが、そこまでは論じようとは思いません。しかし、こと教育については、この考えは誤りです。こういう考え方見方もある、というものですらありません。
 上に書いたように、教育を市場と捉えれば、そこに展開される力学は全て受験に支配されるものです。このような受験競争下にある事態を、全て所与のものとして受け取るところから物事が始まっているのです。となれば、受験のあり方そのものに批判の起こりようがありません。受験に疑問を唱えても、現実には「商売にならない」のですから。それどころか、そんな行為は市場を破壊するものと見なされるでしょう。だから市場では、受験のために若者が多くの時間と労力を費やすことや、その中身の考察までは立ち入りません。これを当然のこととして何十年も繰り返し、私が[1505]で書いたように、そのような教育を受けたかつての若者たちが現在の教育に従事しているのです。
 今になって、本当に英語ができない、ということにやっと多くの日本人が気づき、そこで日本の学校における英語教育に目が向くようになりました。さよう、日本の英語教育は失敗なのです。ここ数十年では95%にも及ぶ日本人が少なくともまるまる6年間は英語を学習し、中にはその後も学び続けている人がいるはずなのに、現状を見れば、それはものにならない学習であったことは間違いありません。
 ここで、当掲示板の主旨から外れることを恐れながらも敢えて書けば、日本の教育は英語においてだけ失敗したのではない、というのが私の仮説です。
 ”他の全部の教科でも、日本の教育は英語と同様に失敗である。なぜなら、英語と同じぐらい、彼らの学んだものはその後に残っておらず、結局役に立っていないからだ。”
 これが決して突飛な考えでないことは、日本の現実が雄弁に物語っています。高校までに必死に学んだことは、殆ど全部受験のためです。受験が終われば学んだことは用無しとなります。それらは忘れ去られ、後には世界で最も学ばない大学生の天国が生じる、これが日本です。
 そのために、日本の若者の多くは、海外の同年齢のものたちと伍して議論することはできません。これはディベートを学習項目に加えれば、など言うレベルの話ではないのです。受験世界史に現代史が出ることはまずありません。だからどんな学校でも、有名進学校ほどそんなことはしません。翻って考えれば、私のような年代でも第二次大戦がどうして起こったかなど学んだことがありません。そんな教育を受けた国民の間で、国旗や国歌についてのまともな議論ができるわけがないでしょう。海外から教科書について指摘されて、自分たちが本当に自分の考えに根ざした判断をすることができる人がどれだけいるでしょうか。このようにして、常にうやむやの中で、自己判断ができない国民となったのは、あるいはこれも国策かもしれません。であるのなら、このような方向を進め、余計な批判力など持たず決まった正しい答を誰よりも速く示せるものが一番、という形で全体が覆われている「教育市場」こそ、為政者の最も望むところです。これを見ると、Blairが言ったように、教育こそは全てに優先されることであることが理解できます。英国では何を目ざしているのでしょう。
 私はサービス、あるいはよりよい仕事のための努力は高く評価します。しかし、それらは正しい目的とそのための正しい目標設定があってのことです。現在「教育市場」と呼ばれているところへ参入している「企業」の多くがどのような目的を持ち、どのような方向への努力をしているかを冷静に見て行けば、吉田さんなら必ずこの点に気づかれるものと思います。少なくとも私が高校生の頃は、先に引用したニーチェを読んだりしました。しかし今の若者たちの教養と知識には目を覆うものがあります。断片的な知識は容易に忘れ去られ、人生の伴とする教養は備えていない、そうした受験の後の「余生」を若者の多くに、いやそれだけではなく、同じような受験のためのだけの学習をしてきた日本人に感じてしまいます。
 このままでは、日本は経済的どころではなく、魂までどこかの属国になりかねず、あるいは既になろうとしています。この、現在も強烈に日本を蝕んでいる教育の現状に多くの人々が気づかねばなりません。
 吉田さんや佐藤さんのような方々に、現在の問題の本質に気づいていただければ、いまはまだ多くの困難があっても、少しずつでも人々の意識を変えて行くことができるでしょう。これから日本が向かうべき正しい方向を探り出して行くことが、これからの若者たちのために、ひいては国全体、世界全体のために本当に有益なことだと思うのです。


教育の目的 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/08/05(Fri) 18:16:00 No.1509 

熱意あるご意見をありがとうございます。当掲示板の表題である「日本英語」とは日本人の使うピジン英語のことですが、このような英語しか出来ない学生を量産する日本の英語教育制度そして教育制度全般について議論することも本掲示板の役割のひとつなので、存分に議論しましょう。

佐々木さんの言われる、「日本の教育は英語においてだけ失敗したのではない」に同意します。具体的には社会科学 social science の導入に失敗したのが日本の教育で、副島隆彦も「小室直樹を東大の学長にして世界で通用する社会科学者を育成せよ」と述べています。

教育のそもそもの目的はエリートの育成で、これはイギリスでのオックスブリッジでは顕著です。国家として、国を引っ張っていく指導者を作り出すのが最高教育機関である大学の役割です。歴史的に見ても分かるように、教育機関にははじめ大学しかなかった。小学校中学校は国民国家 nation state が形成されたあとに出来たもので、その目的は小室直樹が喝破したように愛国心を醸成する「民族教育」にあります。

ゆえに、初等教育と高等教育は理念上明確に区別すべきという主張が先ずあります。これと現状がどうなっているかとは峻別する必要があります。このことは高等教育を念頭においた、中高一貫教育があることを別に否定するものではありません。

日本は教育の輸入にも失敗している。とりあえず形だけは欧米の真似をしたがなぜその制度があるのかを理解していない。だから「受験」という、大学に入ることが一番の目的だと勘違いした。これはもちろん多くが指摘するように中国の官僚試験である「科挙」そのままである。前近代社会が近代社会の真似をして失敗したいい見本である。

さて以上の体たらくをを改良するにはどうすれば良いかというと、これもすでに良く言われているが、大学で成績が良くない学生はどんどん退学させて、「卒業」を最も重要な事項にすることだ。その反面として、受験の枠をゆるくすればいい。入学者10に対して卒業者1の割合にでもすれば卒業者の価値は高まるに違いない。

佐々木さんは「市場」を敵視しているが、大学の理念を押さえたうえで、それを補助するような機関(塾や予備校や教材作成会社)は市場の原理にまかせて質の向上をはかるようになれば何の問題もない。教育における「市場」はそれ自体では目的にならない。問題は上で見たように目標の設定を誤っていることにある。

大学側も経営だから、そんなに学生をクビにしたら授業料収入が減ってしまう。でもあまりに安易に卒業者を出し過ぎると値崩れを起こす。だからそうした大学は評価を落とす。これが「市場」である。

初等教育については、現状のままでもよいと私は考える。日本の上→下への詰め込み教育は世界的に見ても優秀である。文字も読めない馬鹿が少ないのは日本の初等教育の成果である。

各論はいろいろありますが、教育問題についての基本は以上だと思う。


小学生 投稿者:マッドマン 投稿日:2005/08/17(Wed) 06:52:31 No.1512 

日本語学校で第二言語習得理論の授業を取得しました。Patkowski(1980)とJonhnson and Newport(1989)という研究者が米国への移民家族を調査さいた結果、「移民時に15歳以下だった者には高いレベルの言語習得が起こり、思春期(11歳以降)だった者は様々なレベルに到達。」という結果が出ました。

この結果から考えれば日本の中学一年(12歳)からの学習は決して遅いともいえないようです。Snowという学者の79年が年齢以外でマッチした子供と青年の習得を研究したところ、「青年期の方が第二言語(オランダ語)をすばやく困難なく習得した。言語使用と言語知識(発音・聞き分け・翻訳・読解)のほとんどにおいて大人の方が優れている」という結果もあります。

しかし脳の研究からはバイリンガルになるデッドラインは12歳という学説が昔から有力で、「生まれてからの10年が臨界期と呼ばれ、他のどの時期よりも脳が言語を吸収する時期」というわけです。生まれついてからは両方の脳にあった言語能力が思春期(11歳以降)になると左脳に移動して論理的思考一辺倒となるわけです。

Steinbergという学者の説では「10歳から12歳くらいから、あご、唇、舌などを支配する筋肉を使ってコントロールする力が衰え始める」という恐ろしい仮説があります。

これはまさに吉田さんの「スポーツなら小学生でもOK」と全く一致する理論ですね。

先日の議論ではappleとかradioとかの単語を遊び感覚で真似る程度、ということで意見がまとまった我々ですが、また僕の方はちょっと欲がでてきました。フレーズまで幼児の力だったらいけるのではないか、と。

このSteinbergのいくつかある仮説の中で「非常に幼い子供はrote memory ability(棒暗記能力)が特に優れている」というのがあります。

うちの学校でも、1時間目の授業で思春期や大人たちの生徒が「どうぞよろしくお願いします」というあいさつ文を(英語のHow do you doだよ、と英語も交えて教えてあげたのに)翌週の授業ではほとんどの生徒が「よろしく」だけをうる覚えしているのに対し、英国人の幼児の7歳のクラスでは全員がすらすらと完璧な発音とイントネーションで「どうぞよろしくおねがいします」と憶えて言えるのである。

英国人の幼児が言えるのだから、日本人の幼児が英語音でHow do you doというのも簡単なはず。
こう考えると小学校のうちに、スポーツとして、LやRの音、音楽として、挨拶表現を口の筋肉に
憶えさせてしまって、意味論・文法論を中学一年生からやるというのが理想的なのかもしれない。
単語遊びとかで筋肉をやわらかくしておいて、「老化現象が始まる」中学一年生から左脳で言語としての英語を勉強したらどうか。自意識がない、「幼児には恥じらいがない」というのも、発音を有利にやる大きな利点となっています。

小林克也さんは親の強制で小学校時代にネイティヴから発音・発声だけ個人レッスンで習ったので、中学一年生の英語の授業の最初からネイティヴと全く同じに喋れたそうです。彼の場合は幼児の頃から進駐軍放送を聞いており、中学3年までの教科書をそらおぼえしたそうですが、発音・発声の体ができていたので日本の学校英語教育でいけたのでしょう。海外滞在がなくてもネイティヴ同様にしゃべれる日本人はやはり超例外です。

また私の上智大学時代の友人で、東京生まれの生粋の日本人の女性だが、親の方針で小学校から調布のアメリカンスクールに通っていて、日本で育ちながら、高校卒業まで完全にバイリンガルになった通訳の女性がいる。日本にいながら海外帰国子女と同じ環境です。日本の家庭で育ち、学校は
幼稚園から大学まで英語の生活。

この2人を見るにつけ、やはり発音・発声だけは中学一年からでは遅すぎた、とコンプレックスを持っているわたしです。


総括 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/08/18(Thu) 15:52:16 No.1513 

貴重な知見をありがとうございます。
ここで提案する英語教育は以下になりますか。

小学校: 英語の単語およびフレーズを声に出すトレーニング
中学校以上: 文法による文章読解および英会話

英語の勉強方法をめぐって、「文法が重要」派と「そうでもない」派が対立してますが、これは両方正しくて、ただ適用時期が異なるだけなんですね。
教育全般も同じで、「上→下に押し付ける」派と「各自の個性を伸ばそう」派がある。これも上と同じで、それぞれ正しいが適用時期が異なるのだろう。とりあえず以下のように規定できよう。

小学校・中学校: とにかく暗記中心で詰め込む
高校以上: 放任して自分で考えさせるようにさせる

もちろん個人差はあるから全ての生徒に合わないだろうが、生徒ひとりひとりに合わせるのも無理だから大雑把に分ければ以下のようになるだろう。もちろん中高一貫でエリート教育に進む子弟は小学校で丸暗記教育を卒業してもよい(できるものなら)。

はじめに戻って佐藤真弓さんの状況に照らせば、ALTの活用としては、小学校生徒の発音トレーナーおよび中学・高校の英会話を担当させ、日本人教師は文法や読解をびしっと叩き込む。「棲み分け」が出来ていればよい訳だ。


Untitled 投稿者:BMW 投稿日:2005/09/17(Sat) 04:40:03 No.1518 

週に二時間「1、2、3、せーの、ハロー」とか
「1、2、3、せーの、グッバイ」とかやっても
成果がのぞめるとはおもえません。言葉は親の選択なので、
親に対してどれだけ幼児期教育がほどこせるかを
示せないと意味がないでしょう。具体的にいうなら
アメリカンスクールに通わせないでバイリンガルに
育てる方法をアジェンダ付けてしっかり討議させあうこと。
韓国なんかではまだ知的判断のつかない小児の口内に
整形手術を施してまでイングリッシュスピーカーとしての
用意をする馬鹿な親までいますよね。(チンケなアジア顔を整形して
臭い漬物をやめさすのが先だっつうのに)。こういう事態を
さけるためにも、現在のように英語会話を「特権」にするなどと
いうような欧州などではありえないようなばかさかげんに終止符を
うつためにも、バイリンガルに育てるという計画を各家庭の親に対して
もっと開けたものにして、公的なオプションを増やすべきですね。
私立の英会話教室に通って完全バイリンガルになるなんてこともないのに
それを公費を使って小学校でやるなんて無謀なことは絶対反対です。

ジェットが完全に無駄で税金の浪費だったので、
さらに馬鹿な外国人に就労の機会を増やすなんてこともやめて
いただきたいですね。自国の言葉をガキ相手に話すだけで
生活が保証される、などという夢話を現実化させてはいけません。
ハリウッド映画の夢話にでてくるパリの米人でさえ本職を別にもち、
ボランティアでやっているんです。

だいたい、英語教育には少年齢化、発音のバイリンガル化を目指すより
重用なこと1)日本語で話せる内容をいかに翻訳するか、2)英米語特有の
表現、論理をいかに吸収するか、という問題が全く解決されていません。
決まりごとをゲーム感覚で覚えっこしたり、小学日本語のような読み下しが
英文だというだけの理由で平気で東大の入試問題になってたりするわけです。

海外で文化人、芸術家、社会運動家として高名な小野洋子さんにしても物心のつ
く前から米国に在住したり、日本でもイギリス人の住み込み家庭教師につきっき
りで指導されながら、イングリッシュはネイテブではないんです。
アメリカでは日常会話の言い回しだけが流暢であっても、ウンコのような
内容の馬鹿話しかできないようなら成人として尊敬されることはありません。
尊敬されない輩がバイリンガルとかいってはしゃいだところで、そんなもんは恥
でしかありませんよ。ここの掲示板にもイギリスに在住とかいいながら
いまだにエルとアールがどうこう、なんていってるアホがいるじゃないですか。
こういう恥ずかしい日本主義こそがあらためられるべき主点ですね。


Untitled 投稿者:マッドマン 投稿日:2005/09/17(Sat) 06:45:27 No.1519 

「英文法の謎を解く」で副島さんがふれられているように人生の段階の年齢に応じた話題というの
があるはずだ。日本の高校3年生と米国の高校3年生の考えていることややっていることにはそれほど大差がない。日本の高校生が自分の言いたいことの半分を第二言語である英語で米国の高校生と
論議ができる、ということをコースデザインの最終目標にわたしはしたいと思う。
「ビバリーヒルズ青春白書」が字幕無しで5割は理解できれば、高校卒業後に英語圏の国に旅行に行っても会話に困ることはないだろう。これでアジア圏の他国と同一のラインに立てる。

このためには中学1年からかなりの早いスピードの英語が聞き取れ発声できる(副島さんの同著での指摘は正しいです、発音でなくて発声が実は正しいです)訓練を積んでいないとかなりハードルが
高い設定である。

音声を指導できる日本人が皆無であるから小学生の時間を開拓しても、JET教師の暇つぶしか(真面目な教師もいるので、あしからず)自分で発声できない日本人教師がテープ教材を使って音声を使うことになるのだろうが、無いよりましだ。ここは課題が残る。佐々木氏の挙げた教室の人数の問題
がでてくると最悪ではある。教室人数の問題はコースデザインの基本である。理想は10人、多くても20人が限度。

文法というのはまさに副島さんの本の内容そのものを中高6年で本来やること(簡単な単語の用法を
じっくりと考えたりする)なのだが、これは教材もないし、教えられらる教師はほとんど日本人でいないので非現実的かもしれない。
しかし例えばここ英国の英会話学校とかでアジアの学生などの母国語者向けに作成された教科書は昔からいいものがたくさんある。それらをそのまま使えばいいのではないか。日本語はのっていないが、初級向けのテキストぐらいはちょっと勉強して現在教壇に立っている教師には使いこなしてほしい。

一番現実的なのは高校卒業後の日本の高校生の英語能力としてTOEIC(ややビジネス寄りか)やTOEIC
を採用してしまい、その点数がそのまま大学や専門学校の進学の資格としてしまうことだ。
これで英語母語話者がチェックもしなかった共通一次入試、文部省作成のおかしな教科書などは
すべて廃刊になる。こうすると巷の英会話学校と同じ授業になってしまうので、民間の学校は
必死にサービスをあげることになる。
まさに、民業を圧迫する郵政民営化と同じである。

これは完全にアメリカのSATやJMATと同じ制度になるということである。属国日本なのだったら開き
直って「日本でしか通用しないピジン英語を量産する」英語教育界を破壊してしまい、米国の教育
機関の下に置いてしまえばいい。

そうすると上のBMWさんのように「日本語で話せる内容をいかに翻訳するか」などという土着主義が
でてくるのである。いや土人主義ですね。上のアメリカ政府に一言も文句がいえないから、下の
日本国民に威張っている役人みたいな根性ですね。

日本の文化などはきちんと他の授業で教えればいいではないか。内容のないバイリンガルは確かに恥である。しかし、発声が悪い日本人は欧米人から馬鹿」だと思われている。
これが現実である。内容が素晴らしくても発声が悪いのだから、彼ら欧米人は聞く耳をもたない。

ピジンでいいと主張する人ほど、英語ができない。通じていない。それは出来ない劣等感の裏返し
しでしかない。

副島さんの主張は全くもって正しいと同著をちょうど読み終えて思いました。


日本の教育全体が変わらなければ… 投稿者:佐藤まゆみ 投稿日:2005/09/23(Fri) 22:31:19 No.1521 

 佐々木さんのご指摘どおり、小学校英語必修化を契機に、1クラス児童生徒数の減、小学校での教科専科制、教員定数増などの問題が解決されなければ、英語どころか、公教育全体の質低下を招くことは間違いありません。少人数指導や、能力別指導という手立てがゼッタイに必要です。私は、23年間小学校教師として働いてきましたが、子ども達の潜在的な学ぶ力とか、知的好奇心が、年々希薄になってきているということを痛感しています。20年前の子ども達よりも、今の子ども達のほうが、圧倒的に手がかかる。だからこそ、クラスの人数を少なくして、きめ細かに指導しなければ、効果は上がらないのです。クラスの人数を少なくできないのであれば、せめて、体育や音楽などの専科教師を雇って、少なくとも学級担任に一日1時間の空き時間を保証して、主要教科の指導をきめこまかくできるような時間的保障をしてほしいと、切に望みます。それも無理なら、せめて、給食やそうじの指導だけでも、誰かが担ってくれるとか。一日中子ども達の指導に当たり、3時から会議だの研修だので、テストの丸付け時間もろくにないような毎日で、「『英語』が導入される」と聞けば、拒否反応を起こすのも無理はありません。(私は、小学校英語推進派ですが、こういう気持ちは、十分理解できます。)
 また、『同じ内容を、同じような教授方法で、同じ時間数をかけて教えることが公平・平等だ』という考え方が、日本人の中には根強くあるように思います。それに加えて、学習指導要領で、教える内容を事細かに規定して、『○年生は〜〜〜〜ができなければならない』とすると、能力の高い子を進んだ内容に挑戦させることも、習得に時間のかかる子にゆっくり時間をかけて教えることも、両方共にやりにくい。1クラスが30人を超えると、なおさら個別指導は物理的に難しくなる。結局、こうやって公教育に細かい規制をかけたり、制度改革が必要なところを放っておいたりして、身動きをとりにくくしておいて、塾産業が儲かるようにしているのかと思うほどです。
 英語を母国語として獲得し話す人が、必ずしも、日本人英語学習者に対して効果的な英語教授ができるとは言えないので、ALTはあくまで補助的な教師としての立場をとるべきです。日本人英語学習者の困難は、英語を学んで苦労した経験がある日本人教師でなければ理解できないでしょう。日本語と英語との言語的距離や、日本語の特質に由来する英語学習上の困難などを読み解いて、それを指導に生かせば、かなりの効果を期待できるのではないかと考えます。
 また、私が海外で垣間見た、若い日本人留学生についてですが、アジア各国の学生と比べても、薄っぺらいような中身の無いような印象を受けました。姿勢というか立ち居振る舞いというか、そういうものがきちんとしてない、品が無いような印象も受けました。そして、発声です。声に響きや芯がないという感じでしたね。小学校英語を考える上で、発声の指導も大切にしなければならないということを改めて考えました。


Untitled 投稿者:BMW 投稿日:2005/09/24(Sat) 05:24:24 No.1522 

BMWです。西独の車とは関係ありません(笑
上の「エルとアールがどうこういってるアホ」ことマッドマンさんへの
返信です。どうも遅れてもうしわけありません。

「アメリカの米語」と「日本の文部省のつくった米語」が
かけ離れたものである、という指摘がありました。
この問題を根本的に解決するためには、英語の義務教育化を
とっぱらわなくてはいけないです。あなたもおぼろげながら
意識できているのかもしれないが、日本の英語教員は英語が
できないので、アメリカ米語だろうがイギリス英語であろうが
よくしりません。なぜかというと彼らの母国語は日本語で日本語は
英語とあまりに異なるからです。中には英語新聞や衛星番組、
もしくは英語圏への留学などで実践的な力をつけている日本人の
大卒もいるかもしれないがその中でも優等な部類は英語教員などには
ならないので、残りカスが全く英語のわからない大卒ともども
中高などに就職にくるのです。英語が義務教育でなくなり、
やりたい人間が選択するようになればそういうカスを大量に採用する
必然もなくなり、クオリティーの向上がめざせます。それと同時に
外国語の選択制が実現すれば国内にかならずいる朝鮮語やシナ語など
のエキスパートをもっと活用できるようになり、日本が国際大国へと
進化するための礎を若者教育の現場に築くことが可能になるのです。
話を戻すと英語のできない人材が英語を教えるとなると、それ用に
デザインされた英語教育が必要になるのも現実社会では仕方のない
ことです。私が前回書いた意見というのはその現状からいかに
最善をつくすか、という現実的な提案なんですね。
つまり、一般常識として英語教育を残すのであるなら、
バイリンガルとかネイテブとかソコノケウィッキーさんとか
いう夢話は趣味にとっておいて、日本語でもっている言語力を
最大に利用した世界共通語=米語の活用をめざそう、というものです。

》発声が悪い日本人は欧米人から馬鹿」だと思われている。
これが現実である。内容が素晴らしくても発声が悪いのだから、彼ら欧米人は聞
く耳をもたない。

日本が国際連盟を脱退した裏には英語の発声が下手で馬鹿にされたからだ、
という説もありますね。私の説ですが(笑)。大江健三郎みたいに古語で書かれた
欧語の原本を何冊も丸諳記してしまうようなスーパー知能の持ち主でさえ、発音、
発声がめちゃめちゃなので、米国の普通のグローサリーで買物に支障をきたす、
なんてこともあるかもしれない。ある程度の発声矯正ができることにこしたこと
はないですが、アールとエルなんて誰でも一時間あれば
簡単に治る問題を100年もかかえているようなアホが果して全英語圏在住者を相手
に素晴らしい内容の熱弁をして受け入れられちゃうなんてことが
期待できるのでしょうか。「発声の悪い奴は馬鹿」だと決めつけるような
「層」に理解してほしくてやっきになることは恥ではないんでちょうか。
非母国語のわれわれだからこそ米語に加えることのできるフレーバーというもの
はないんでしょうか。一度、考えてみなさい。


Untitled 投稿者:マッドマン 投稿日:2005/09/25(Sun) 06:49:42 No.1523 

エルとアールが未だに聞き分けられず英国人に馬鹿にされているマッドマンです。

>中には英語新聞や衛星番組、もしくは英語圏への留学などで実践的な力をつけている日本人の
大卒もいるかもしれないがその中でも優等な部類は英語教員などにはならない。
その通りです。私も教員にならずに実社会で英語を使う道を選択し、以降米国の会社で20年間
仕事をしてきました。上司も同僚も米国人ですからビジネス経験は豊富だと思っています。
それでも未だに英国人にLとRを指摘されたり、馬鹿な日本人に「あほ」とか指摘されています。

>日本が国際大国へと進化するための礎を若者教育の現場に築くことが可能になるのです。
進化せず退化するでしょう。英語が国際語であって中国人や韓国人でさえも日本人よりずっと英語をうまく話しています。TOEICの国別レベルでは日本はアジアで最低。英語ができないから中国語や
韓国語が急にうまくなって、世界は日本人を尊敬しだすとでもいうのですか?

>話を戻すと英語のできない人材が英語を教えるとなると、それ用にデザインされた英語教育が必要になるのも現実社会では仕方のないことです。
ですから文部省や日本の英語業界が使った日本でのみ通用する変な英語よりは米国の教育委員会が
作ったものや、英国で外国人向けに使っているテキストを使えばいい。教師は今の英語のできない
日本人が辞書を片手に教えればいいんではないの?私の方が現実的な提案をしていますが。
大学受験科目から英語をはずすことには賛成です(副島先生も本の中で賛成している)が
義務教育からはずすことには反対です。

>アールとエルなんて誰でも一時間あれば簡単に治る
あなたはできるんですか?それでは出来ない私を一時間で直してください。他にできない人はここの
管理人の吉田さん(RはできるがLができないそうです)、副島隆彦先生(今だに聞き分けは苦労すると本に書いています)ですからぜひどうやったらできるのか私たちに教えてください。

>恥ではないんでちょうか。
恥ではないんでちゅう。通じない土人の英語を喋るほうがよっぽど恥ずかしい。小泉首相の
下手くそな英語は日本人としてやはり恥ずかしいです。アジアの政治家くらい英語をしゃべって
もらわないと。恥でもなんでもいいから「相手に理解されたい」し「相手を理解したい」です。

BMWさん。二度と投稿しないでください。副島先生の3冊の英文法の本をあなたは他の人とちがって全く読んでいません。投稿の資格がないです。

あなたは私を「あほ」といったことの重要性がわかっていますか?LとRが血がでるほど練習せねば
ならないと説いているのは副島先生です。イギリスに在住中に先生に口の中に手をつっこまれた話は「続」の音声の項目で語られていますね。
あなたによるとLとRの重要性を強調するわれわれ3人は「あほ」なんですね。

本の中でもはっきりと副島先生は「日本人から英語は習っていけない」と何度も強調されています。


米語に加えることのできるフレーバーなんてものはあるわけがないでしょう。この本の最初のページをもう一度読んでごらんなさい。シンガポールでもマレーシアでも香港でもみなアジア人独特の英語のしゃべり方だが、それはちゃんと英語母国語と同じ土台にたっています。

フレーバーというのは英語ができた上でのことです。英語にさえなっていない日本人の英語に
どうしてフレーバーがあるのですか。料理をちゃんと作れるようになってからフレーバーのこと
を考えてください。

そっちこそ恥をしれ。副島先生の意見に反論できるようになってからここに戻ってきてね。


Untitled 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/09/25(Sun) 16:52:16 No.1525 

「英米語特有の表現、論理をいかに吸収するか、という問題」が一番重要だと思っているのは「日本の英語屋さん」に多くみられる傾向だ。具体的にはイディオムの暗記で、「英語ではこういう言い方をするんだよ」という例をたくさん知っている。他のことは何も知らないが、そういうことだけは詳しい。日本の受験英語に変に適応してしまった人たちだ。

そうしたひとが言い出すのは、「発音が悪くても内容があることを話せば、英米人に認めてもらえる」などである。英米人のなかでも「知的階級の」という留保がつくことが多いのも彼らの特徴のひとつである。

これが間違いであることは、例えば「Jinglish」とか「Engrish」とか言われる日本フレーバーな英語を一番馬鹿にするのが他でもない知的階級だったりすることを見ても分かる。実際に会って話している場では馬鹿にはしないのは礼儀のためで、胸の内でもどうせ馬鹿にしている。英米人が書いている日本に関するサイトとかThe Economistなどの日本関係の記事などを読めばそうしたことは自明で説明の必要もない。

裏で馬鹿にするよりも、その場ではっきり直してくれる「発声の悪い奴は馬鹿だと決めつけるような層」の方がよっぽど正直だし、指摘された方もありがたい。そして、それは対等の立場であると認められるということでもある。私の場合はそれが欧米の高校を卒業して普通の会社で働いているような人たちであった。

そうしたことも分からない「日本の英語屋さん」たちであるから、彼らの言う「内容がある」ことも相当にあやしい。BMW氏は「日本が国際連盟を脱退した裏には英語の発声が下手で馬鹿にされたからだ」などと述べている。連盟脱退時の全権代表は松岡洋祐で、彼は苦学して米国オレゴン大学を卒業している。当時の同級生は「洋右はずばぬけて鋭い頭脳の持ち主で、外国人であるにもかかわらず、アメリカ法にかけてはクラス第一の秀才だった」(『松岡洋右とその時代』TBSブリタニカ)と述べている。

当時なぜ日本政府が連盟を脱退しなければならなくなったか、それについてまったくの無知のまま「(笑)」などとふざけているのが「日本国内でのみ英語ができると思われている人たち」の教養の程度であろう。困ったもんでちゅねー。

※ちなみに私はLはできるがRができない。マッドマンさんと逆なんです。


Untitled 投稿者:BMW 投稿日:2005/10/17(Mon) 06:02:12 No.1530 

どうもです。
返事が遅くなってすいません。
しかし謝るのは遅くなったことに対してだけですよ。
マッドマンさんは返事はいらない、と強弁しておられますが
そんな逃げ腰で論争をするって格好悪いですよ。
あなたはトンデモ所長を代弁しているつもりなのかもしれませんが、
ショチョオは「相手が誰であろうが堂々と正論をつらぬけ」と
普段からいっておられるから、ショチョオから見ても恥ずかしいのは
対論がまともに受けられないあなたなんだよ。わかりましたか。

》進化せず退化するでしょう。英語ができないから中国語や
韓国語が急にうまくなって、世界は日本人を尊敬しだすとでも
いうのですか?

いや、日本は文化的にも地理的にも文化史のうえでも、シナや
朝鮮とは密接な関係にあるので、もっと公的なオプションとして
それらの言語を学ぶ機会があってしかるべきですよ。脱亜入欧の
時分はそんなことはいってられなかったのですが、それぞれの国が
世界標準での中大国になっている現在では、おくればせながら
アンニョン、チョンチョンとやる意味が出てきました。朝鮮語や
シナ語を話す日本在住者は、欧語を話す連中とくらべても比較になら
ないほど日本語とのバイリンガル率が高いので、教育の現場でも
即戦力になるはずです。日本は国内に文化的なディバーシティを
持たずにきた島国であり、そこが国際大国として機能する際の決定的な
欠格になってきました。国際連盟だって脱退しちゃったじゃない
ですか(笑)。だから、国際的になるという意味では確実な進化なんですよ。

》ですから文部省や日本の英語業界が使った日本でのみ通用する変な英語よりは
米国の教育委員会が作ったものや、英国で外国人向けに使っているテキストを使
えばいい。教師は今の英語のできない日本人が辞書を片手に教えればいいんでは
ないの?

それでいいんじゃないですか。文部省制作のリーダーだって米人権威の
監修くらいうけてるでしょうからそんなに問題はないと思うけど。
リーダー読んでるだけで米語が完璧になるくらいなら教員はいらないわけでさ(中
学生からイギリス製のテキストを使っている東大寺学園で英会話のプロがでてき
たなんてきいたことない)、結局は英作文を添削できる教育者がいるか、日本語に
はない表現や論理、その使用を解説できる人間が教壇にたってるのか、at かwithか、
なんてことじゃなくて、ちゃんと意味が通るのか、これでいいのかってことをき
ちんと教えれるのかってことなんだよね。教員の質が悪い場合(9割9分以上の中高
はそう)は、もうNHKラジオ講座をマメにきいてニューズウィークの米版をシコシ
コ訳して学習するしかないわけよ。

》あなたはできるんですか?それでは出来ない私を一時間で直してください。他
にできない人はここの管理人の吉田さん(RはできるがLができないそうです)、
副島隆彦先生(今だに聞き分けは苦労すると本に書いています)ですからぜひど
うやったらできるのか私たちに教えてください。

私のいいたいことは、エルとかアールとかいうくだらない問題、
つまり思考伝達、頭脳回路、科学理論、経済解析、ナンマイダー、
人間の知力、思考力をとわれることとは何ら関係のない、
英米語圏人の器質上の都合、コンフォートにとらわれて、あたかも
それが人格や知性を妥当な根拠のもと疑いうるような性質のエラーで
あるかのように思いこんでビクビクしている島国根性が
ばかばかしくて見てられない、ということだよ。これも
先にいった文化的ディバーシティの欠如からくる、つまり差異や違和
をあたりまえのものとして扱うことのできない日本人特有の
ダサい先入観だ。白人様のいうとおりそのままにできないと駄目、
白人様のやり方を真似ることのみに価値がありのだというなら
悪いことはいわない、お前らの猿顔を整形するのが先決だ。
というのは言い過ぎかもしれませんが、エルとアールくらい完全に違う
音について聞き分けや話しわけができないというのは、少し変ですよ。
英和辞書の付録についているようなイラストレーションを参考に
してLyricとでもいってみましょう。血がでるほど練習しなくてはいけない
のはそんなつまらないことではなく、語彙や表現の増幅にあるのでは
ないかとは思いますが。

》この本の最初のページをもう一度読んでごらんなさい。シンガポールでもマレー
シアでも香港でもみなアジア人独特の英語のしゃべり方だが、それはちゃんと英
語母国語と同じ土台にたっています。

シンガポールと香港は英語圏じゃなかね!(笑)
ショチョオの本は読んでないですが、それほど私の書いていることに
反してはないんじゃないでしょうか。それにショチョオが常に正しいと
思うなよ、彼もいろいろな方面で書きものしていて忙しいんだから改正を
くりかえして突き詰めるだけの余裕はないはずだから。

吉田さん、はじめまして。ちょっと時間がないので
また今度レスします。ごきげんよー、ガオオオオオ


投稿は実名で 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/17(Mon) 13:57:21 No.1531 

そういえばうっかり忘れていたが、投稿の際は実名(会員の方は会員番号)を記入ください。これまでの投稿は削除しませんが、次回からは厳密に適用します。

『英文法の謎を解く』は本掲示板の共通了解事項なので読んでから投稿ください。同書のポイントとしては、政治的な視点から「英語」を見ているという点があります。BMW氏はこの視点が無いので論点がズレているようです。

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out-Koizumi Koizumi 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/08/23(Tue) 14:20:21 No.1515 

FT記事で面白い表現があったので、日本政界情報掲示板より転載。
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Japanese opposition pledges cut in spending
By David Ibison in Tokyo
Published: August 11 2005 22:21 | Last updated: August 11 2005 22:21

A pledge to reduce government spending by Y15,000bn (£75bn) in three years, a 50 per cent reduction in public works spending and a 20 per cent salary cut for all public servants will be at the heart of the Democratic Party of Japan's manifesto for next month's election.

Hideki Wakabayashi, the DPJ's deputy finance spokesman, said the plans underlined the party's commitment to breaking apart the “iron triangle” between business, politicians and bureaucrats that has been a characteristic of Liberal Democratic party rule.

The DPJ, Japan's main opposition party, is hoping to snatch power in the September 11 election called by Junichiro Koizumi, prime minister, by capitalising on the split that has opened in the LDP over post office privatisation.

It faces an uphill struggle as opinion polls suggest support for the DPJ is running at 15 per cent, while 29 per cent support Mr Koizumi. There are, however, many undecided voters.

Mr Koizumi is widely regarded as a reformist prime minister, but the DPJ is hoping to seize the initiative on reform with its new manifesto, which will be officially announced on August 30. The DPJ's reformist credentials were undermined by its decision to oppose the privatisation of the post office, saying Mr Koizumi's bill did not go far enough. Its own plans propose a faster privatisation schedule.

Paul Sheard, economist at Lehman Brothers, argued that the DPJ's policies were unlikely to prompt a surge of support for the party as they are broadly similar to Mr Koizumi's plans. He also warned against a policy of fiscal contraction at this point in Japan's recovery.

“My concern is that these might be the right policies at the wrong time. Japan has yet to get out of deflation. They seem to be trying to out-Koizumi Koizumi,” he said.

Mr Wakabayashi said in spite of the planned cuts there would be no increases in corporate or income tax for the first three years of a DPJ's administration a pledge that will reassure the business community. “Cutting expenditure is the highest priority, then we will think about tax. A good economy will create tax revenues,” he said.

Any funds released by spending cuts would be used to pay for the DPJ's social welfare programme, including a child allowance of Y16,000 a child per month to boost the country's flagging birth rate, a move that will cost about Y3,000bn.

The current allowance for a four-person family earning less than Y4m a year is Y5,000 per month for the first and second child and Y10,000 for the third.

But Mr Wakabayashi said the manifesto would suggest a 3 per cent increase in consumption tax to raise about Y8,000bn to finance its pension system reforms.

Any increase in consumption tax would be likely to prove controversial. In 1997 the tax was lifted from 3 per cent to its current 5 per cent, a move widely cited as having contributed to the country's faltering economic recovery grinding to a halt.

http://news.ft.com/cms/s/4ec078ae-0aac-11da-aa9b-00000e2511c8.html
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Q:これどういう意味ですかね?

>They seem to be trying to out-Koizumi Koizumi

A:「out-名詞(人名)」は、「〜をしのぐ」の意。

シェイクスピアがHamletのなかで「out-Herod Herod」(暴虐な点でヘロデ王にまさる、暴虐をきわめる)と使ったことからだそうだ(リーダーズ英和参照)。他にも「out-Zola Zola」(リアリスティックな点でゾラ以上だ)なんて使い方がある。

なので、「それら(民主党の諸政策)は、急進的民営化市場主義の点で、コイズミの政策以上のものを目指しているように見える」くらいかな。


聞きたいこと 投稿者:榎本 投稿日:2005/10/26(Wed) 22:02:25 No.1535 

初めまして。17歳男性で現在県公立高校2年生です。ほとんどの投稿者の方が教員の方だと思うので、少し緊張しているのですが早速質問させていただきます。
現在僕は英語ディベートというものを行なっていて、学校代表という形で来月の中旬に岐阜県で行なわれる大会に参加する予定です。内容は、English classes should be taught only by native speakers of English at high school level in Japan. ということなんです。
それで、賛成派(以下、Aff)、教えられるべきだ!と考えた場合、その理由が英語能力(スピーキング、リスニング、ヒアリング)がUpするなどが出たのですが、確実にUpするというEvidenceが必要なんです。しかし調べても調べても見つからなかったので、最終手段として投稿してみました。どなたか研究したという方や、聞いたことがある方お願いします。
内容についてのAffや反対派(Neg)の意見(出来れば理由やEvidenceも)でもかまいませんので、返信お願いします。


Untitled 投稿者:榎本 投稿日:2005/10/26(Wed) 22:04:11 No.1536 

間違えました。すいません。。

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MI6がインターネットで求人 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/17(Mon) 13:58:33 No.1532 

「007」でおなじみ英国諜報部がホームページを開設したそうだ。私は「ゼロゼロセブン」と読んでいるが映画好きは「ダブルオーセブン」と読んでいる。イギリスではむしろ「ジェームズ・ポンド」と言ったほうが通りがよい。オランダ人に訊いたら「ゼロゼロセブン」のオランダ語版である「ヌルヌルゼーフェン」と読んでました。

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「007」モデルの英情報機関HP、アクセス殺到

 【ロンドン=飯塚恵子】世界のスパイ組織の“元祖”、英対外情報部(MI6)が13日、インターネットの公式ホームページを開設したところ、24時間で約1310万回のアクセスが殺到した。
 ホームページには、組織の役割や沿革のほか、活動内容の説明や採用募集もある。
 スパイの仕事については、「多様で刺激的。人間関係をうまく結べることが不可欠。頻繁に外国出張あり」などと説明している。現役スパイの紹介まであるが、もちろん顔写真やフルネームの記載はない。
 MI6はスパイ映画「007」シリーズのモデルにもなったが、約10年前まで、英政府は存在すら認めていなかった。同組織を管轄する英外務省によると、ホームページを開設した目的は、MI6の役割をPRし、対テロ最前線で求められる多様な人材を集めることだ。昨年、イラク大量破壊兵器をめぐる情報収集の不手際で厳しい批判を浴びたことも背景にある。
 アラビア、中国、ロシア語など計5か国の外国語版も設けている。アドレスは、www.mi6.gov.uk。
(読売新聞) - 10月15日22時21分更新
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同HPのQ&Aが面白いのでひとつ紹介。スタッフたちはいつの日かボンドのように活躍したい、映画とのギャップをちょっと縮めたいと思っているらしい。

Q: How realistic is the depiction of SIS in the James Bond films?

A: James Bond, as Ian Fleming originally conceived him was based on reality. But any author needs to inject a level of glamour and excitement beyond reality in order to sell. By the time the filmmakers focused on Bond the gap between truth and fiction had already widened. Nevertheless, staff who join SIS can look forward to a career that will have moments when the gap narrows just a little and the certainty of a stimulating and rewarding career which, like Bond's, will be in the service of their country.

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「セレブ」英語 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/05(Wed) 14:56:22 No.1529 

「セレブ」という言葉がやたら目につく。もちろん「celebrity, celeb」のことで、発音表記通りに書けば「サレブラティ」になるが、もう変えられないだろう。当然それにつられて意味も日本的に変わっていく。雑誌には「セレブ婚」「セレブな出会い」「セレブ感覚」とわけが分からない状態になっている。「セレブ婚」とは「玉の輿」のことであるらしい。こうして日本でしか通用しない不思議な英語もどきが発生する。カタカナの「サービス」が「discount」や「special offer」の意味まで持ってしまったのと同じ現象である。

「セレブ」はもちろん「有名人」の意味であるが、特に芸があるわけでも無く、テレビで私生活を切り売りしている有名人が特に「セレブ」と呼ばれるようである。アメリカではパリス・ヒルトン Paris Hilton という、ヒルトンホテルグループの令嬢がいまや「セレブ」として人気があるらしい。下記はロイター通信による、どうでもいいゴシップである。英語の記事とその日本語記事を転載する。

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パリス・ヒルトンさんが婚約解消

[ワシントン 2日 ロイター] セレブリティで女優のパリス・ヒルトンさん(24)が、ギリシャ海運王の相続人パリス・ラトシス(別名パリス・カシドコスタス)さん(26)との婚約を解消したことが分かった。
 パリスさんは2日、広報担当者を通じて、「結婚する覚悟ができていなかったと思います。結婚を急ぎすぎたため愛する者同士が破局するのをこれまで見てきました。私はそのような過ちを犯したくないのです」との声明を発表した。
 声明は、「私はまだ若く、簡単にやめてしまうことのできない意欲的なキャリアを持っています。今の地位にたどり着くまで懸命に努力してきました。パリス(=ラトシスさん)はとても素晴らしい男性で、私たちは今回の件について堂々と、そして思慮深い対応をするつもりです」と続いた。
 その上で、「私はパリスを愛しています。彼は最高の友人であり、それはこれからもずっと変わりません。私に対してそれまで他の男性がしてくれなかったような接し方をしてくれました。私たちは今でもビジネスパートナーであり、映画を共同制作する計画もあります」と円満な別離を強調した。
 パリスさんは、ラトシスさんと5月に婚約を発表。先月発行の米誌「バニティー・フェア」では、これからは落ち着いた生活を送り、子供も欲しいと話すなど結婚への期待を寄せていた。
 ロサンゼルスとギリシャで結婚式が計画されていたが、日程は決まっていなかった。
(ロイター) - 10月3日20時49分更新

Paris Hilton breaks engagement: spokesman
Sun Oct 2, 2005 12:20 PM ET

WASHINGTON (Reuters) - Paris Hilton is breaking off her five-month-old engagement with tycoon fiancé Paris Latsis because "I feel I'm just not ready for marriage," the actress and hotel heiress said on Sunday through a spokesman.

"I have seen the breakups between people who love each other and rush into getting married too quickly and I do not want to make that mistake," Hilton said in a statement provided by Los Angeles-based spokesman Elliot Mintz.

Hilton, 24, announced the engagement with 26-year-old Paris Latsis, also known as Paris Kasidokostas and heir to a billion-dollar fortune based on Greek shipping and oil, in May.

"I'm still young and have a very active career that I'm not prepared to give up. I've worked very hard to get to where I am. Paris is a great guy and we will handle this with dignity and respect.

"I love Paris. He is my best friend and it will be that way forever. This man treated me as no man ever has. We will also be business partners and have movies in the works," the statement said.

Hilton said last month in an interview in Vanity Fair that she was looking forward to settling down and was thinking about having a baby. She rejected his first engagement ring because the diamond was yellow, so another 24-carat emerald-cut diamond ring estimated to cost $2 million had been ordered.

The couple had planned two weddings -- one in Los Angeles where she lives and another in Greece -- but had set no date.

Hilton, a model who has acted in movies and on television, won unwanted fame after former boyfriend Rick Salomon released a sex tape made when she was 19. The tape, which appeared on the Internet in 2003, later landed in stores with the title, "1 Night in Paris."
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無駄に高いダイヤをめぐるエピソードや、セックスビデオが流出したことなどが触れられていないのはどうしたわけか。日本における情報統制の一端ではある。翻訳としては、以下の2つが苦労のあとが偲ばれる。

 簡単にやめてしまうことのできない意欲的なキャリア
 a very active career that I'm not prepared to give up

 思慮深い対応をするつもりです
 will handle this with dignity and respect

パリス・ヒルトンはすこし前にも、ハンバーガーのテレビCMがいやらしいとして、自粛を求める声があがって騒動になったことがある。その時のCMの内容は、パリス・ヒルトンが水着で車を洗っているというものであった。車を水着の美女が洗うシーンはアメリカでは「お約束」である。どうせ車が男性のシンボルなのだろう。キルステン・ダンスト主演の映画「チアーズ Bring it on」にもそうしたシーンがある。

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ウェブスター辞書が改訂 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/10/05(Wed) 14:01:32 No.1528 

ウェブスター辞書が改訂されたそうです。「ネオコン」の説明も変わったそうです。
「zaibatsu」はようやく認められたらしい。「tycoon」や「tsunami」はもうすっかり根付いている。「keiretsu」や「kaizen」などはどうなったのだろう。

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米辞書に新語登場、日本の言葉「zaibatsu」も

 【ニューヨーク=大塚隆一】米国のベストセラー英語辞書「メリアム・ウェブスターズ・カレッジエイト」が今年の改訂で約100の新しい単語や語義を採用した。目立つのは医療やIT(情報技術)の分野の新語だ。

 新入り組は「入院患者の治療を専門とする医師」を意味する「ホスピタリスト(hospitalist)」や「インターネットで情報を見つけたり、集めたり、管理したりする人」を示す「サイブラリアン(cybrarian)」など。後者は「図書館の司書」を指す「ライブラリアン(librarian)」にならった言葉だ。

 結婚と同様の権利を与えられた同性カップルの法的地位を示す「シビルユニオン(civil union)」も採用された。

 意味が変わったのは「ネオコンサーバティブ」。これまでは「リベラル派から保守主義支持に転じた人」と説明していたが、「軍事的措置を含む手段を通じ、他国の民主化と米国の国益追求を断固として進めるべきだと唱える保守主義者」が主要な語義になった。

 日本の言葉では「zaibatsu(財閥)」が採用された。今さらという感じだが、メリアム・ウェブスター社の広報担当者は「古くからある言葉でも、主流の英語で使われるようになった段階で採用する」と話している。
(読売新聞) - 10月4日22時45分更新

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韓国発:階層間の英語格差、ますます拡大 投稿者:会員番号1259 投稿日:2005/10/03(Mon) 22:45:04 No.1527 

わが国は大丈夫でしょうか?

「東亜日報:日本語版」から貼り付けます。

(貼り付け開始)

階層間の英語格差、ますます拡大

OCTOBER 03, 2005 03:16

「海外の英語研修なんて、夢見ることもできないんです。この町には英語の塾が1ヵ所もありません。子供たちのことを考えれると、胸が痛みます」

京畿道坡州市交河邑(キョンギド・パジュシ・ギョハウプ)のシンハク小学校の李光魯(イ・クァンロ)教諭は、「一クラスで1〜2人ぐらいが学習紙で英語の勉強をしているだけだ」と話した。

一方、ソウル瑞草区蚕院洞(ソチョグ・ジャムウォンドン)のHマンション団地は入り口ごとに「家庭訪問英語、ネイティブとの一対一の対話、海外留学の効果」と騒々しく書かれたプラカードが掲げてある。

最近、ソウル江南(カンナム)一帯で急激に流行っている「チューター(tutor)」式の英語学習の広告だ。ネイティブが家庭を訪問して一対一で英語を教える。普通、1時間で3〜5万ウォン、最高では時間当たり20万ウォンまでになる。

英語教育でも「お金持ちはますますお金持ちになって、貧乏な人はますます貧しくなる」現象に伴う両極化現象が目立っている。いわゆる「イングリッシュ・ディバイド(English Divide、英語の格差)」が、韓国社会の階層分裂をさらに深めていると懸念する声が出始めている。子供に対する英語教育の投資を通じて、社会的な身分と富が受け継がれ、貧しい階層の疎外はさらに深刻になっているという指摘だ。

最近、教育人的資源部(教育部)の国政監査資料によると、今年、夏休みを利用して30日以上海外で語学研修をした小中高生は計7481人。このうち、ソウル地域の生徒が2640人で全体の35.3%を占めた。特に江南区(カンナムグ)と瑞草区の生徒は796人で、光州(クァンジュ)と全南(チョンナム)・全北(チョンブク)を合わせた372人の2倍を越えた。

ベストセラー『10年後の韓国』の著者である孔柄紂淵灰鵝Ε咼腑鵐曄貿郢里蓮◆岷儻譴蝋餡閥チ萠呂板招襪掘⊆匆颪瞭睇的に身分を世襲して不平等な構造を固着化している。韓国の英語教育は全面的に個人の責任として放置されている」と指摘した。

昨年、韓国国民が英語と関連して使ったお金は天文学的な水準だ。韓国銀行の最近の推算によると、米国やカナダなど英語圏国家に集中した海外留学・研修費が約7兆3800億ウォン(同伴家族の生活費などを含めて)で、TOEIC、TOEFLの試験代として支出された費用が684億ウォンだった。子供専門の英語塾など私教育市場も4〜5兆ウォン台に達するというのが業界の推算だ。

今年に入っても8月の1ヵ月間の留学・研修費が月間史上最大規模の4億1000万ドル(約4264億ウォン)を記録した。

ソウル市教育庁の崔春玉(チェ・チュンオク)奨学士は、「イングリッシュ・ディバイドを減らすため、教育環境の劣っている地域からネイティブ講師を優先的に配置しているが、対象学校数を拡大するためには、莫大な予算がさらに必要なので、困難な点が多い」と述べた。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005100398558

(貼り付け終了)

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EU、この散文的なるもの 投稿者:吉田(Y2J) 投稿日:2005/09/26(Mon) 01:20:40 No.1526 

The Economist誌のCharlemagneコラムより。同誌は発刊以来、匿名記事の方針を採っている。だからコラムといえども匿名である。ヨーロッパについてのコラムはこの謎のシャルルマーニュCharlemagne氏である。もちろん8世紀のフランク王国の王様からとった名前である。ドイツ語ではカール大帝 Karl der Grosse と呼ぶ。

そのシャルルマーニュ氏はひそかに交替していて、9月8日号からは新シャルルマーニュ氏が担当することになった。前シャルルマーニュ氏の最後のコラムでは「EUとは美しい夢だったんだなあ It was, in some ways, a beautiful dream」(Jul 28th)と、感慨らしきものを書いていた。5年間住んだブリュッセル Brussels を離れる感慨とともに、フランスとオランダの国民投票によって否決されたEU憲法のことである。

新シャルルマーニュ氏は打って変わって、「Crisis, what crisis?」と全然意に介さない。別にEUが崩壊する訳じゃないし、何の問題もないんじゃないの?と論じている。EUの壮大なビジョンは「プロウゼイック prosaic」であると。prosaic は散文、プロウズ prose の形容詞形で、「散文体」の意味である。そこからさらに「だらだらしたもの」で、退屈、平凡の意味になる。

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... The trouble with this prescription is that it is prosaic—and prose quickens few European hearts. In “Le Bourgeois Gentilhomme”, Molière's Monsieur Jourdain was excited to discover that he had been speaking prose all his life—but he is, characteristically, a figure of derision. Instead, Europeans thrill to visionary talk of “solidarity”, of “a European social space” and to grand, imprecise goals. “We're not here just to make a single market, that doesn't interest me,” said a former European Commission president, Jacques Delors, “but to make a political union.”

The impulse (if not the final ambition) persists. But the rejection of the constitution has weakened it. The past few weeks have shown the EU can work perfectly well without the vision thing. Can its leaders accept that a certain unaccustomed modesty might be not just advisable, but desirable?

http://www.economist.com/printedition/displayStory.cfm?Story_ID=S%27%28X%20%2BPQ%3F%24%21%20%20R%0A
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文中にモリエールの『町人貴族 Le Bourgeois Gentilhomme』が言及されている。『町人貴族』(鈴木力衛訳、岩波文庫)は、貴族にあこがれる裕福な商人のドタバタ喜劇だ。伯爵婦人に手紙を書こうとして、教師係の哲学の先生に文面を依頼する。散文がいいか韻文がいいか訊かれて、「散文も韻文もまっぴら」と答えるほどまぬけである。

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ジュールダン氏 「じゃ、ふだん話しているのは、ありゃ何で?」
哲学の先生 「散文です」
ジュールダン氏 「へえっ!わしが「ニコールや、スリッパを持っておいで、ナイト・キャップを取っておくれ」と云うと、これが散文なんですかい?」
哲学の先生 「そうです」
ジュールダン氏 「こいつは呆れた!わしは四十年も散文をしゃべってきて、ちっとも気がつかなかったとは」
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