![]() | 書名 | 『斬り捨て御免!』 | 著者 | 副島隆彦 |
| 出版社 | 洋泉社 | シリーズ名 | なし |
| 発行年月日 | 1996年6月25日 | ISBN | 4-89691-213-6 |
| 総頁数 | 222頁 | 価格 | 1359円(税別) |
| 目次 | まえがき 1 斬り捨て御免 2 言いたい放題 3 折々の倒錯 あとがき | ||
| 在庫状況 | サイト内にて頒布致しております | ||
| [5151] 5150の追記 - 投稿者:会員番号2003 投稿日:2005/11/15(Tue) 00:00:57 |
5149 読む前に投稿したので悪しからず。
| [5150] 「人格が破綻している」等々の言辞は単なる悪口としか思えない - 投稿者:会員番号2003 投稿日:2005/11/14(Mon) 23:56:34 |
バードさんは「公共事業は必要だ」という主張をしておられるバードさんの意見に反対であれば、その反対の理由を述べるべきで、この場合なら「公共事業は不必要である」主張を書くのが普通の議論だと思いますが。
それに対して、長(2502)さんは
“公共事業を前面否定も前面肯定もしていません。”
“私は公共事業を前面否定も前面肯定もしていません。私がそれについて日夜、真摯に考えて、世間に発表することもありません。”と言う。公共事業に対する考えが纏まっていないのであれば、「私は公共事業に全面的には肯定できない」程度に主張するに止めるべきだと思うのです。
公共事業のどこが良くないのかということを書けばいいと思うのです。
「人格が破綻している」等々の言辞は単なる悪口としか思えない。人格が破綻していると判断した根拠も示さずに、人を愚弄するだけの言辞は、ここの掲示板の趣旨に反していると思います。
私にはバードさんのどこが「人格が破綻している」のかよくわからない。
(公共事業は必要だと思います。)
折角だから、「547」の奥田勝典氏の「正義論」を貼り付けて下されば、また違った議論の場ができるだろうに。
| [5149] 広報「675」を読め! - 投稿者:長(2502) 投稿日:2005/11/14(Mon) 23:52:13 |
もう、これで打ち止めです。御迷惑をお掛けしました。広報「675」より
(引用開始)
大事なことは、「本当は、何が正義で何が悪なのかは判らない」ということである。どちらが正義で、どちらが悪かは、一概には決まらない、のである。正義の味方を名乗る者ほど、本当は、悪の化身であることが、私たちの現実の日常の中にもたくさんあるのだ。 「自分は、立派な人間で、正義の立場だ」と勝手に信じ込み、思い込んでいる人間たちほど、実は、悪の手先であることが多い。
はっとして後ろを振り返ったら、そこに自分の友人の振りをした、悪魔が立っていた、という経験を、私は、これまでの人生で何度か体験した。私は、自分の味方の振りをしてすり寄ってくる、「ダークサイド」(暗黒面)の人間たちと、これまでに何十人と出会ってきた。
あらかじめ自分が正しくて、相手が間違っている、というその前提そのもを疑う必要が常にあるのだ。
こうして悪の銀河帝国(現実の世界)は、理想主義の、善であるはずの銀河共和国連邦から生まれたのである。日本人が幼稚園から小学校にかけて観てきた、仮面ライダーやウルトラマンのようなテレビドラマでもそうである。初めから善と悪が決めつけてあって、善悪が分かっている子供活劇のレベルで生きて、そのまま大人(おとな)になってしまっている人間がこの世には、たくさんいる。この手のアホたちは、「自分はいい人だ」と勝手に信じ込んでいる。自分がただの善良なアホなのだということにさえ気づかないで死んで行く。
(引用終了)
あと、「539」を読んでください。とても貴重な「正義論」です。とくに将来のある若い人たちは読んで下さい。手後れにならないうちに。
| [5148] RE: 「5147」 - 投稿者:長(2502) 投稿日:2005/11/14(Mon) 00:32:13 |
私は公共事業を前面否定も前面肯定もしていません。私がそれについて日夜、真摯に考えて、世間に発表することもありません。ここで「547」の奥田勝典氏の「正義論」を読めと言っても、バードさんのような人たちは、こういう論文を読むことができません。そういう頭の構造ではないのです。「ぼやき」で「スターウォーズ」に関して、何が本当の正義か、と問いかけていますが、こういうことを考えられないのです、こういう頭のタイプの人たちは。
そう言うと「倍返し」が来るので、もう寝ます。
| [5147] RE:[5144] 私もバードさんに一言いいたい、 - 投稿者:バード 投稿日:2005/11/12(Sat) 21:42:59 |
長(2502)さんへ。
「(引用開始)」がないから、勘違いされたとか。
今回はそれをすると書きにくく煩雑になりそうだったので、そうしませんでした。
でも、多くを森田氏の本に依っていますが、自分の意見として書いたものです。
私の考えに対する、率直な反感および疑問、批判として、ありがたく受け止めています。長(2502)さんは、「公共事業」を全く不必要だと、全面否定の考えをされているようですね。
私も最近までそういう考えがありました。
でも考えてみれば本当は、「公共事業」は良く運用すれば国民に役立ち、悪く運用すれば国民の害になるということではないしょうか。
「公共事業」を良く運用して国民に役立つことをしないのは、もったいないと思うのです。とくに国民経済が血を噴いている今の日本では、良い運用になるように工夫努力して、行うべきではないかという考えが、今の私の考えです。
「公共事業」を全面的に否定して、それを必要なだけ行わないのは、もったいないなあと思っているのです。以下、長(2502)さんの意見に対する、私の回答です。
>歴史が示す、というのはアメリカのニューディール政策のこと? 実は、アメリカは公共事業ではなくて、戦争政策によって景気を回復させた、というのが学問道場の暴きだと思うのだけど。アメリカでは戦争は公共事業である、というのは別の話ですが。森田さんの本を読んでいないのですが、森田さんが主張しているのですか?それに、公共事業をやれ、増税するな、ではこの掲示板では通らないでしょう。
ここでは平和産業のことで、一九三〇代のアメリカのこと(ニューディール政策およびその前後)、一九三〇年代日本のこと(金本位制への復帰と金本位制への離脱)、一九九七年の橋本内閣のことなどです。(森田実『公共事業必要論』P36−39、P205−207)リチャード・クー氏の本『デフレとバランスシート不況の経済学』や、菊池英博文京学院大学教授のレポート「日本経済の現状とデフレ問題」から引用または紹介がされています。
ところで、森田実氏は少なくとも昨年の六月までに、政局について次のような見方をしています。
「<道路建設に対する批判としてよく言われる>「道路建設に族議員・官僚・業者が群がり利権を欲しいままにする構造と旧来の陋習」は、過去のものである。<それは>今後努力すれば克服は可能である。最近の政官界の急激な変化によって、自民党を中心とする政官業癒着体制は無力化している。むしろ公明党をバックにした小泉・森派一派支配という新たな強権体制の危険性が高まっている。いつまでも田中・竹下派の族議員を攻撃することが政治の主要課題だと報道し続けるマスコミの現実に私は危惧を感ずる。彼らはもはや過去の存在なのだ。・・・いま、日本国民が警戒すべきは、強大なブッシュ政権と一体化し、公明党・創価学会の強い支持を受け、財務省、法務省、総務省、警察庁の上に乗って強大化している小泉政権である。この危険性に目を向けるべきだろう。強大化した小泉体制下において抵抗勢力はほとんど壊滅状態にある。・・・マスコミは依然として壊滅状態にある抵抗勢力を巨大な勢力のように国民に思わせる誤った報道をつづけている。マスコミの報道によって多くの国民が惑わされ続けることを私は危惧している。もっとも危険なものは何かを見誤ってはならない。」(森田実『公共事業必要論』P62−63)
少なくとも近年の、日本の政界の動きは素早いようです。おそらくそのために政権交代によって、「もっとも危険な勢力」がまたたく間に変動するようです。森田氏は敏速かつかなり正確に、その動きを捉えていると思われます。
森田氏は読者に対して時々刻々変化する政治情勢において、その時点その時点における「もっとも危険な勢力」を見誤るなと言っています。また、言論や政局のチェック・アンド・バランス<権力が特定部門に集中するのをさけ、各部門間相互の均衡をはかること>化を重要視しているのではないかと思われます。それゆえ政治には「急ぎ過ぎ」や「極端」を警戒すべきものとしています。
公共事業については、八十年代までの「絶対善」から九十年代からの「絶対悪」という、急激で極端な変化が起きました。その極端が今もそのままで継続しています。それで今、日本の国民経済が苦しみ血を噴き出していると森田氏は考えているのでしょう。私はそういった森田氏の思想を学びたいと思っています。>二割というと、5人に1人って、そんなに多いんですか、正確でしょうね、その数字?。
森田実氏の『インターネット動画放送』で言っていました。他にもそのように聞いた人がいましたので、聞き間違いではないと思います。
時間が取れないので私自身は確認できませんが、森田氏が言うのですからこのデータは間違いないと思っています。>私は最近、「日経よく読む人」なのですが、最近までは内需株が上昇していて、ハイテク株は出遅れているとありました。
ここは私の推測で書いたところです。今は輸出関連企業ではないですか。以前はそういう時点もあったと思いますが、現時点については、そう言われれば自信がありません。間違っていたのならば、申し訳ありませんでした。もし間違いであれば「一部の企業」とすれば良いだろうと思います。ここでの趣旨には、「一部の企業」で通りますから。
>しかし、これだけ社会的、公共的な主張をされるには、本人が極めて優秀でなければなりません。余計なことですが、世の中には人格が破綻しているのに、社会的な正論ばかりを主張したがる方がおられます。
本人が優秀でなければ、社会的、公共的な主張をしてはいけないのでしょうか。優秀とは誰が決めるのでしょうか。みんな一国民としての意見を出し合って、批判し合えばいいのではないでしょうか。
世の中の人格破綻があるということですが、もしそうだとすれば、それは社会的に「正論」(というか、当たり前のこと)が余りにも行われていないからではないでしょうか。だったら余計に「正論」を広く議論する必要があるのではないでしょうか。
もっとも私は自分の論が「正論」であると思っているわけではありません。そんな大それた考えは持っていません。いちいち断ってはいませんが、私は自分なりのささやかな、しかし精一杯の「試論」のつもりで、そして一国民の意見として、そして批判を浴びる覚悟をして、この場を有り難くお借りして投稿させて頂いているだけです。(了)
| [5146] 社会正義 - 投稿者:長(2502) 投稿日:2005/11/12(Sat) 21:10:42 |
落ち着いたところで、改めて「5143」を読んだけど、やっぱり、どれが森田実氏の引用で、どれがバード氏の主張なのか、さっぱりわからない。どこかで、「低い者は高いものがわからない」と述べていたと思うが、では、社会正義という極めて高次元なことが低い者にわかるのだろうか。そしてどういうわけか、森田実氏の言論が社会正義だ、と学問道場で認定された途端に、森田氏の言論をお経の経文のように、掲示板にべたべた張り付けたりするのである。これ以上は、私も面倒だから書かない。どうせ、また同じことを繰り返して、私は低い者ですが、社会正義という高次元なことはわかるのです、と訳のわからない張り付けをするのだろう。
| [5145] あれまっ! - 投稿者:長(2502) 投稿日:2005/11/12(Sat) 00:32:16 |
今、読み返したら、何と、私は森田さんを批判していることになっているではないか。(引用開始)がないから、これは全て、バードさんの主張かと思った。大恥をかいてしまったではないか。
| [5144] 私もバードさんに一言いいたい、しかし、少し危ないかな - 投稿者:長(2502) 投稿日:2005/11/11(Fri) 22:34:39 |
>財政支出を少し増やし、公共事業を盛んにすれば、景気が上向きになり、そして税収が増し、財政赤字が減少する、これが歴史の示すところである。歴史が示す、というのはアメリカのニューディール政策のこと? 実は、アメリカは公共事業ではなくて、戦争政策によって景気を回復させた、というのが学問道場の暴きだと思うのだけど。アメリカでは戦争は公共事業である、というのは別の話ですが。森田さんの本を読んでいないのですが、森田さんが主張しているのですか?それに、公共事業をやれ、増税するな、ではこの掲示板では通らないでしょう。
>しかしその東京といえども、その小学校児童の二割が生活保護所帯の子供ということだ。
二割というと、5人に1人って、そんなに多いんですか、正確でしょうね、その数字?。
>最近株価が上昇しているが、大手メディアはそれを以って、景気回復といっているが、これも一部の輸出関連企業のみの上昇ということだ。
私は最近、「日経よく読む人」なのですが、最近までは内需株が上昇していて、ハイテク株は出遅れているとありました。
>私が住んでいる港区白金台はこの二、三年の間に風景が一変した。
すごい都心に住んでますね。ではどうして「5139」では市立図書館なのでしょうか。
しかし、これだけ社会的、公共的な主張をされるには、本人が極めて優秀でなければなりません。余計なことですが、世の中には人格が破綻しているのに、社会的な正論ばかりを主張したがる方がおられます。
| [5143] テレビでは「公共事業」は禁句で、事実上の放送禁止用語であるようですが、今公共事業はもっと必要だと思います。 - 投稿者:バード 投稿日:2005/11/09(Wed) 20:52:37 |
公共事業は悪である。公共事業は必要であると唱える人間は悪者である。現在はこのような風潮が隠然としてある。かつてテレビはこのような考えを国民に植え付けた。だからいつの頃からか、「公共事業」という言葉はテレビで聞かなくなった。テレビでは「公共事業」ないし「公共事業必要論」は禁句であるのではないか。それらは、事実上の放送禁止用語となっているのではなかろうか。
テレビでは、「公共事業」という言葉をただ口にすることさえ、「公共事業」が話題になることさえ、憚られるようである。そのような、「公共事業」を熱く語る人は出演させないのではないか。
しかし財政破綻(財政赤字)が増大している近年こそ、そのような「公共事業必要論」者がテレビに多いに出演して国民に訴える必要だったのではなかろうか。森政権の本質もそうだったが、小泉政権はその成立以来、財政赤字が増大したからといって、財政緊縮政策を取ってきた。一貫して財政支出を削減しようとしてきた。そのために先ず、公共事業費を大幅に削減しようとして来た。「公共事業は財政赤字を減らす効果がなかった。財政再建のために公共事業は増やすことはできない、減らさざるを得ない。財政支出を抑えなければ(減らさなければ)ならない。」という、近年の社会通念となった「公共事業罪悪論」をもって、小泉政権はひたすら公共事業費を削減しようとしてきた。
この結果はどうであったか。財政赤字は減少するどころか、かえって急増という結果を生んだ。その一方で、国民経済は疲弊した。小泉政権の四年間は、財政危機を増大し、そして国民経済を縮小させた。
まさに財政再建は大失敗しているのである。しかしこのことの責任追及と批判は、テレビをはじめとする大手メディアからは一向に出てこない。実はアメリカからすれば、日本は不況(=国民経済の縮小)でなければならない。不況であれば、日本の金利はゼロ金利のままに据え置くことができる。そうすると日本の金融資産はアメリカに呼び込むことができる。
公共事業費を増やして日本経済全体が元気になりゼロ金利(超低金利もしくは低金利)を脱すれば、日本の金融資産はアメリカへ流れなくなる。これはアメリカにとって重大な危機である。アメリカは日本のお金を使って成り立つ経済になっているからだ。
だから、「公共事業は財政赤字を生むだけで効果はなくなったのだ」、「公共事業は悪なのだ。」、「土建業者は税金=公共事業費にぶら下がった存在でしかなく、その存在自体が悪である」というような、今では基本的に誤った考えとイメージを、大手メディアに発信させ、日本国民が公共事業を要求することのないようにしている。大手メディアを動員して、日本国民に「公共事業罪悪論」を信じ込ませているのだ。公共事業が国民経済に対して成果を生んでいないのは事実であろう。そうかもしれない。しかしこれはそのように政治的に仕向けられているのだ。
それはどういうことかというと、全国高速道路網の建設においては「公共事業費の急激な削減」によって、部分開通のままにされ、まだまだ高速道路のない地域は多く、大都市と大農産地や海産地との間や、大農業産地と港との間で、全面的に開通していないまま放置されているからだ。また公共事業軽視のため、コンテナ輸送時代に向けての港の整備ができていないからだ。これらが整備されると、北海道の十勝平野が大食料生産地となり、それだけで日本の食料自給率は現在の四〇%から六〇%になる可能性があるという。
東京湾アクアラインも利用されていないので、収益が芳しくないという。しかしそれは当初(1989年起工、1997年完成)の、高料金設定や、その悪イメージの定着や、他の道路(東京湾環状道路、東名高速、東関東自動車道など)との連結の不備などが原因であろう。中曽根元首相(建設を閣議決定した時<1983年>の首相)や、浜田幸一元国会議員(建設を推進した当時の地元衆議院議員)など、当時の関係者は、不思議なことに、このような「アクアライン工事費問題」したがってアクアラインの悪イメージ化に対して沈黙を続けている。どうして現代の土木技術の最高技術の集大成である「東京湾アクアライン」を日本経済に生かすよう、料金を検討したり、イメージを良くする方法を考えたり、他の周辺道路との一体化や周辺の観光開発などを提唱しないのか。どうして自らも参加して創った「東京湾アクアライン」を愛情を持って育て上げようとしないのか。自らが建設したものを大事にしないこの態度は、許せない。浜田幸一氏はテレビタックルで、ニヤニヤしているだけであった。本四架橋も建設した以上は、同様にそれを生かす運用を考えるべきだろう。料金および料金システムなどを改善しただけでも利用度は変わるだろう。現状は、わざと利用できないように運用されている疑いがある。
今にして思えば、このように公共事業を中途半端に済ましているから、現在その効果が生じないだけではないだろうか。小泉政権は当初から公共事業費を抑えてきた。だから小泉政権は裏で目立たないようにこっそりと公共事業を中途で中断させておいて、表で「ほら、公共事業では役に立たない。公共事業はムダである。」と言っているに過ぎないのだろう。いずれにせよ、「公共事業はムダである」というのは、世界の非常識である。
過去の世界の歴史において、財政危機に際して、緊縮財政(財政支出の削減)が成功した例はなく、むしろそれはさらなる財政危機と国民経済の疲弊をもたらしているのだ。
財政支出を少し増やし、公共事業を盛んにすれば、景気が上向きになり、そして税収が増し、財政赤字が減少する、これが歴史の示すところである。景気が良くなるということは、国民全体の所得が上がり、失業していた人の多くが仕事に就けるようになり、国民の多くの人が希望を持ちつつ安心して働けるようになるということだ。単に株価が上がるというようなことではない。
景気が良くなるということは、国民皆が元気になるということである。国民皆が隣人にサービスを売り、隣人のサービスを買うということである。お互いに必要なサービスを出し合っているという状態である。(もちろんモノの売買も存在する。しかし現代はサービスの売買はそれ以上に重要である。マクロ経済を考える時に忘れがちになるが、サービスの価値とその売買量は想像以上に大きい。)
だが、実際の経済では、そこにおカネが介在するのだ。おカネ(通貨)がなければ、このような好景気の(国民が元気な)状態は作れないのだ。カネ(通貨)は国民経済の血液であると言われるゆえんである。財政出動し、カネ(通貨)が社会に必要なだけ供給されていなければならないのだ。緊縮財政(財政支出削減政策)によって、また竹中プラン(不良債権加速償却、時価会計・減損会計の強行。この結果銀行は破綻、企業は倒産に追い込まれている)の金融政策によって、そして政府・政治に対する信頼性の欠如によって、国民経済の血液であるカネが不足し、かつカネの動きが鈍くなっている(流通速度が遅くなっている)のだ。
だから普通のほとんどの企業の売れ行きと収益は減少し、国民の所得や働き場は減少し、国民の暮らしは苦しくなり、ゼロ金利のままなのである。税収は減少し、財政赤字は増大し、財政はさらに苦しくなるのである。
この誤った政策によって、苦しむのは日本と日本国民であり、喜んでいるのはアメリカであり、それと繋がった一部勝ち組の国民だけである。マスコミによると、――どのマスコミでも――いま年金制度改革が国民に望まれていると、(あの無節操で限りなくおぞましい)世論調査が示しているということだ。だから、「政府は年金制度の改革を早急にすべきだ」ということらしい。たしかに国民の願望はそうかもしれない。しかし国民の願望であればそれが政策として正しいのか。国民は国民経済のことを勉強しているのか。大手メディアの世論調査に答える人たちは、経済のこと、日本国家のことを勉強し、それらのことを知り尽くしている人たちなのか。また、そもそもあなたたち大手メディアの人も本当にそれらのことを勉強したのか。知り尽くしているのか。どうして、調査と称して国民にばかりお伺いを立てているのか。自信がないからなのか。どうして、そのような調査結果から「政府は年金制度の改革を早急にすべきだ」というような結論に至ることになるのか。
私はその調査結果が国民の願望として一応尊重はする。が、だからといって、そういう結論に至るのは、疑問である。
なぜなら、いまは景気回復政策がもっと早急に求められると思うからである。繰り返しになるが、いまは国民経済を立て直し、国民全体が元気になるようにすべきなのである。もっと国民に通貨を供給して国民が元気になり、国民経済が動くようにしなければならない。そのうち高速道路網が全面開通に徐々に向かい、全国の港湾が次々と整備されてくれば、これらの社会資本が徐々に有効利用されるようになるだろう。そうすると物の流れと人の流れが段々と盛んになり、国民は元気になってくるだろう。――もっとも元気が限度を超えれば、今度は抑えなければならないのだが。
また、企業が元気になり、かつてのように社内教育をする余裕ができてくれば、若者も働けるようになるだろう。失業対策費は減少するだろう。
このように国民経済が元気になってくれば、自分の親の面倒を見る国民も増えるのではないか。働く老人も増えるだろう。そうすれば、必要な年金支給総額が少なくて済むようになる。このような状態で年金制度を検討すれば、無理のない健全な制度が可能になるだろう。
このように国民経済を良くした段階で年金制度を作らなければ、意味がないと思う。
国民経済が疲弊し、国民が元気に働いていない不況期を前提に年金制度を決めるのは愚の骨頂なのだ。
それは、年金目的の消費税の創設などということになり、それは国民経済の更なる疲弊を生み出し、国民経済の破壊につながる。年金制度どころか国民および国民経済自体の死活の問題になってくる。それは(ごく一部の金持ち以外の)全国民を疲弊させる、現在進んでいる道なのだ。それを加速する政策だ。結局、多くの国民が元気になり、財政、老人、失業者、若者などの問題の面倒を見ましょうということだ。
いまは、財政の問題を政府(役人)の力(知恵)だけで解決しようとして失敗を繰り返しているに過ぎない。国民の力を用いていないので、失敗することになるのだ。国民経済を縮小しているので、国民の力が利用できないのである。
国民経済を成長させれば、それで自然に、国民の力が利用できることになるのだ。
税収は増え、社会保障関係の支出は減るのである。来年平成十八年度(二〇〇六年度)の予算も、財政支出削減路線は変わらないようだ。だから、国民経済の縮小は止まらず、財政赤字は、さらに増えるであろう。国民は全体として、働き場を喪失し苦しむことになる。地獄への道だ。恐ろしいことである。
さらに来年度は定率減税の見直しという増税があり、さらにきびしい国民経済の萎縮が考えられる。その後も増税ラッシュが控えている。
小泉政権がどうしてこのような日本経済破壊政策をするのか知らないが、アメリカは多いに喜んでいるだろう。
今の日本では出生率の低下(少子化)が急速に進んでいますが、こういう政策をしているのだから、少子化は当然です。経済的問題で結婚できないということもあるでしょうし、結婚しても多くの人たちは、特に二人目以降の子供を生むことに躊躇することでしょう。
自分たちが東京湾アクアラインなど公共事業で作ったものを愛情を持って育成できないのが今の日本の政治家、官僚、財界、マスコミ界なのだから、人の子が育成できるはずがない。国民の少子化傾向は正しいのである。正しい判断である。この判断をどうして選挙で生かせないのであろうか。日本経済の縮小は進んでいますが、奇妙なことに東京だけは景気が良いのだそうだ。「東京では新しい高層ビルがあたかも雨後の筍(たけのこ)のように増えている。私が住んでいる港区白金台はこの二、三年の間に風景が一変した。目白通りは高層ビルラッシュである。品川も同じだ。品川駅は終日人が溢れている。数年前までは人通りがほとんどなかった品川駅の港南口側はいまや超高層ビルが林立するビジネス街である。汐留めも、六本木も、台場も、この数年の間に風景は一変した。新築高層ビルが並び立ち、いまも建設ラッシュだ。八〇年代のバブル期以上の活況だ。札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡――かつて各ブロックの拠点といわれる大都市のなかで、少し元気があると見られているのは名古屋である。だが、東京に比べれば遠く及ばない。・・・東京だけが突出して繁栄を謳歌しているのである。」(森田実『公共事業必要論』2004年6月P134−135)
だから、東京の中心地だけを見れば、日本経済は成長しているという錯覚に捉われるのかも知れない。大手メディアの出世組はそのような錯覚を抱いているのかもしれない。日本の国民経済が縮小していると言っても、それが信じられない人が多いのかもしれない。しかしその東京といえども、その小学校児童の二割が生活保護所帯の子供ということだ。東京が栄えているといっても、その恩恵に浴しているのは一部の勝ち組だけなのだ。その足元では貧困が存在しているのである。
予想され、二十年前から一部で指摘されてきたことであるが、このように、東京と地方との、富める者と富めざる者との、二極分化が進んでいるのだ。そして、日本の国民経済全体としては縮小が進行しているのだ。
その証拠に、東京中心地バブルは一年以上も前なのに、一向にそのバブルは全国に波及していないではないか。最近株価が上昇しているが、大手メディアはそれを以って、景気回復といっているが、これも一部の輸出関連企業のみの上昇ということだ。格差拡大、富の偏在の下での株価上昇である。従って、国民経済的に見れば、景気回復とは言えない。少なくとも金利がゼロ金利から脱出しないと、国民経済的には景気回復とは言えない。本当の景気回復ならば、多くの経済学者と多くの国民が、金利上昇の直前に実感として素早く感じるはずだ。
最近の株価の上昇は、東京中心地バブルと同じことだ。いずれにせよ、貧富の格差が大きい社会は、経済成長が不可能な社会であると言えるだろう。富が一部に偏っている社会では、おカネの動きようがなくなるからだ。景気が回復しない社会だ。
アメリカがそうだ。アメリカは貧富の差が拡大しすぎたので、経済成長能力を失った社会だ。
ただしアメリカの場合は、現在は、日本政府が年間二〇〜三〇兆円のカネを贈与しているので、――その他にも誤魔化しがあるのかもしれない。誤魔化しはあった。北米、中南米の34カ国の首脳が集う米州サミットが、11月4日、アルゼンチンのマルデルプラタで開催された。そこでは、中南米で米国がやったことは、中南米地域の貧富の格差拡大であり、中南米の富を米国資本が巻き上げただけではないのかという見方が、中南米地域に急速に広がっている。米国は金をもってこずに、ただただ巻き上げていくだけだ、という見方が広がっているのである。――その国民経済は成長しているのだ。その成長は他律的で、自律的に成長しているわけではない。今のアメリカ経済は、貧富の差が大きすぎて、自らの力で成長する能力を喪失しているのだ。空洞化が起きているのだ。ところで現在の日本の公共事業費は年間八兆円程度である。だからアメリカに贈与しているおカネ(年間二〇〜三〇兆円)の半分とか三分の一を日本経済に注げば、日本の国民経済は確実に健全になったのではなかろうか。
この日本政府がアメリカに贈与した多額のおカネで、輸出産業だけがその恩恵を受けた。また東京だけの突出した繁栄はこのおカネによるのであろう。日本政府はアメリカと、輸出産業と、東京中心地にのみ多額の補助金を提供していることになる。
そのおかげで日本政府は今、一般国民に大増税を打ち出しているのだ。国民に対しては、「自己責任」を押し付け、負担増を押し付け、大増税(さらなる負担)を押し付ける政策を進めている。「自己責任」なのにどうして税金を納めなければならないのか。この倒錯した考えに至っても気付かず、それを正しいとし、恥じないのが、小泉政権や大手マスメディアなど、「勝ち組」国民の特徴である。ファシズムである。日本は世界一の軍隊を持たないので、アメリカのように他の国からお金を贈与させることはできないし、そうしようとも思っていない。この点は、アメリカの真似はできないのだ。だから日本は自律的に経済成長しなければならないのだ。
何でもかんでもアメリカの真似はできない。アメリカは世界帝国である。世界覇権国である。日本は世界帝国ではないのだ。
ということで本来、日本は貧富の差を縮めなければならないのだ。東京と地方の格差も縮めなければならないのだ。
これは一般道徳、一般倫理に合致しているばかりではなく、日本経済の成長のためにも有益なことである。平等過ぎても国民経済は成長しない。また、格差が大き過ぎても国民経済は成長しない。その中間に最適値があるのだ。
「政治は科学ではなく術である。政治は結果で判断される。政治はよい結果を出すための社会の技術である。政治は科学ではないのだ。・・・財政問題だけを他のすべての政治課題に突出的に優先させるいまの国家運営は間違っている。すでにできた借金とは嫌でも共存しながらやっていかなければならない。政治にとって大切なことは、よい結果を出すことである。このためには長期展望に立って総合的な政策運営をはからなければならない。」(前掲書P49)
公共事業は必要である。多すぎてもいけないが、少なすぎてもいけない。今は少なすぎるのだ。
今、テレビは公共事業を前向きに議論すべきであり、日本政府は公共事業を盛んにすべきだと思う。政治家はそのように動くべきだと思う。森田実著『公共事業必要論』(日本評論社:2004年6月)は、以上のようなことを考えさせられた本である。
ぼやき「705」では「日米構造協議の中では、10年間では430兆円の公共投資・・・が指令されている。」とあり、公共投資費は年間43兆円程度の数字になってる。『公共事業必要論』では2004年度予算として年間8兆円程度の数字が出ている。
これは、随分と差がある。後者は一般会計のみの数字で、前者は一般会計と特別会計(こっちの方が金額が大きい。)の合計ということだろうか。そのような感じだが、よく分からない。
こういう政府統計もいざ調べてみると複雑で分かりにくい。日本政府はわざと分かりにくくしている感がある。
横軸に年度をとった、年毎の変化が分かりやすいグラフがあれば国民にとって便利だろうが、政府作成のそういうグラフが見つからないで不便を感じる。(了)
| [5142] 気になって仕方がない記述 - 投稿者:唯物教徒拝金派 投稿日:2005/11/08(Tue) 23:47:20 |
お邪魔いたします。中川昭一氏が農林水産大臣になりましたが、米国の「牛肉を買え」圧力は食い止めがたいようです。
いまさら、止められないと武部勤でさえ思っておられるのならば、日本にすむ日本人としては自衛しか路がありません。
牛海綿状脳症に関しては、気になって仕方がない記述がありました。
「代用乳使用とBSE発生は関係があるとはいえない」のは本当か?
--BSE疫学調査報告書におけるカイ二乗検定の問題点--http://home.hiroshima-u.ac.jp/yiwa/index1.html
(食の安全・安心と畜産システム)
によると、
日本で最初に見つかった牛海綿状脳症の七頭は、同一の工場で生産された代用乳が与えられていた
という記述があります。
そのことに関して、報告はまとめられておられるのですが、結局、問題の根源は、いまだに隠されているのでしょう。私は、吉野家が牛丼を再開すれば、二度と行きません。