森村進 編著 『リバタリアニズム読本』
http://www.ritsumei.ac.jp/~li025960/home/books/0504010libertarian_reader.html#topここに「リバタリアニズム読本」の、
リバタリアニズムのキーワードとリバタリアニズムの25冊と古典が紹介が軽く載ってるので、本の紹介だけ少し貼り付けます。
(貼り付け開始)
第2部 リバタリアニズムの25冊
30 ジョン・ロック 『統治論』
ただしこの文章が本当に所有権への制約と介されるべきなのか、またそうだとしたら「他の人々にも十分なものが同じように残されている」と言う表現はどのように解釈されるべきかは解釈が大きく分かれるところである。(P93)
この主張は、国家がそれを構成する各人がそもそも持っていない国家固有の刑罰権を持っていると考えない限り、以外に反駁しにくい主張であって、リバタリアン的な刑罰の正当化について考える際に検討すべきである。(P96) 31 アダム・スミス 『国富論』
32 トマス・ペイン 『人間の権利』
33 マックス・シュティルナー 『唯一者とその所有』
34 アイン・ランド 『水源』
35 フリードリッヒ・ハイエク 『隷属への道』
36 ルートヴィッヒ・ミーゼス 『ヒューマン・アクション』
37 ミルトン・フリードマン 『資本主義と自由』
パンを買う人は、原料の小麦を作った人の人種や政治的立場には関知しない。没人格的な市場には、経済的活動を政治的見解から切り離す誘因が常に存在する。資本主義経済における競争から最も利益を得るのは、最も多数者の不振と憎悪の対象にされやすい少数者たちである。また、フリードマンにとって市場は単に財貨の配分のみに関わる制度ではなく、社会においてひろく個々人の相互依存と相互調整を実現する包括的メカニズムである。それは彼が言論の自由を正当化するさいに、少数意見が多数派の支持や容認をかちとる機会を与える場として、「考え方の市場」と言う表現を用いるところに顕著に現れている。(P119)
38 タネヒル夫妻 『自由の実現に市場を』
39 ウォルターブロック 『擁護できないものを擁護する』
リバタリアンはしばしば法の領域と道徳の領域との間に一線を画し、違法行為と悪徳行為とを峻別する。(P124)
40 フリードリッヒ・ハイエク 『法と立法と自由』
「エコノミー」とは、オイコノミア(家政=節約術)を語源とする言葉であり、それは単一の目的を最大限に満たすために、諸所の手段を合理化する組織である。これに対して「カタラクシーとは、市場交換の秩序であり、(・・・)人々の行動を価格シグナルなど抽象的な手段によって調整していく秩序である。エコノミーは各人の意識によって統御され構築されるものであるが、これに対してカタラクシーは、各人の統御力を超えて、諸個人の相互行為の産物として自生的に生じたものである。(P128)
すなわち、政府が競争に基づく発見過程を促すことができるならば、そのための介入を認める余地があるのであり、新たな発見を促す制度こそ、ハイエクの理想とする自由主義社会なのである。(P129)
41 デイヴィド・フリードマン 『自由のためのメカニズム』
彼によれば、私有財産制度が利己性にもとづいているというよくある反論は間違っている。各人が他の人々をして自分の目的達成に助力させる方法は、愛情と交易と実力(暴力)の三つしかないが、実力は問題外だし、愛情は限られた領域でしか機能しないから、それ以外の領域では交易という方法に頼らざるを得ない。私有財産と自由市場こそが各人が自分自身の資源によって自分自身の目的を追求することを許す理想的な制度である。(P131)
42 ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』
貧しい人々への援助は政府による強制的な再配分でなしに個々人の自発的な献金によるべきなのである。(P135)
43 ジェイムズ・ブキャナン 『自由の限界』
社会一般に法が遵守されているという状態は一種の公共財であり、個々人にとって法遵守とは、行動制限のコストと引き換えに他者の法遵守が生み出す正の財−安定性や安全−を得るための、いわば自由税である。(P140)
さらに、秩序は公共資本としての性質も有している。安定性という便益は時を経るにつれ逓増するが、ひとたびその侵食が起これば、不可逆的に枯渇まで進行しかねない。(P141)
処罰もまた、公共財的性質を有する。処罰はその上、免罪のリスクをつねにはらんでいるため、人々は処罰に消極的になりがちである。法執行機関が立法契約段階で創設されねばならないのはこのためだが、この解決策は「誰が監視者を監視するか」という別のディレンマをもたらす。(P141)
44 マリー・ロスバード 『自由の倫理学』
ロスバードによれば、国家は強制的な課税によってその収入を得ている以上、諸個人の自由権の侵害者である。いかなる活動も不正であり認められない。(P143)
国家=政府は諸個人を強制する犯罪的な集団であって、それなしでも自由な諸個人による社会とその秩序は成立可能であり、またこれまでもそうであったとロスバードは考えているのである。(P143)
45 リチャード・A・エプステイン 『公用収用の理論』
つまり、政府が公共の目的のためという名目で私的所有権に対して行うあらゆる形態の規制に対して効用収用条項を適用すべきだというのである。(P147)
私人間の自発的交換によっては解決不可能なこのような問題を対処するために、政府が強制的な交換を行う必要がある。この効用目的のための強制的な交換が効用収用であり、それを強制する主体が政府なのである。(P147)
46 デイヴィド・ゴティエ 『合意による道徳』
(・・・)<合理的な人々であればリバタリアン的な社会原理に合意するはずだ>と主張する契約論敵リバタリアニズムに分類されるが、相互の利益を目指した、かつ相互交渉的な契約であるところにゴティエの特色がある。(P149)
47 ロレン・ロマスキー 『人格・権利・道徳共同体』
つまり、人は自らのプロジェクトを追求する主体であり、各人がプロジェクト追求者として共存していくためには基本的権利が必要不可欠だと主張するのである。(P152)
肝心なのは、プロジェクトの内容ではなく、他の誰でもないその人自身がプロジェクトを追求するということなのである。(P152)
したがって、基本的権利の内容は、他者から強制・干渉されないという自由権、すなわち消極的権利ということになる。しかし、自由権しか基本的権利として認められないのかというと、そうではない。なぜなら、困窮状態にあるためにプロジェクト追求者になることすらできない人々が存在するからである。(P153)
48 ジャン・ナーヴソン 『リバタリアン・アイディア』
彼は「民営化とトリビア化と永遠のヤッピー」と題された節で、<リバタリアニズムがもたらすだろう世界は、ハイテク機器に囲まれたヤッピー小家族の安楽なサバービア(都市近郊)の暮らしだろうが、そんな社会は浅薄な生しか与えない>という批判に答えて、現実にそんな生活をしている人々は自分の生活が十分に生きるに値するということを疑わないだろうと回答し、さらに、文明生活批判を行う知識人も物質的に快適な生活を捨てないし、もしそれを捨てたいなら山奥の小屋に住むこともできると付け加える。(P155)
49 ヒレル・スタイナー 『権理論』
50 竹内靖雄 『国家と神の資本論』
また著者は国家の溶解と自由市場化が歴史の流れだと楽観しているが、日本を含めて先進国では国民負担率が上昇する一方だし、世界の多くの場所では宗教的・民族的アイデンティティがこれまでなかったほど強調され、それが悲惨な紛争を生み出していることを軽視しているようだ。(P159)
51 森村進 『財産権の理論』
、森村は、まず、自己の進退や自由への権利(狭義の自己所有権)と、狭義の自己所有権から導出される財産権(広義の自己所有権)とを区別した上で、広義の自己所有権の正当化につき、ロックの『統治論』を手がかりに二つの正当化理由を挙げる。一つは財産を所有者の人格の延長だと考える、いわゆる「自由からの議論」であり、もう一つは自分が経済的価値を創造したことに基づく正当化、いわゆる「価値の創造からの理論」である。(P160-1)
しかし、自己所有権によるリバタリアニズムに理論的基礎づけを求めるというのが本書の企てであるとすれば、こうした本書の意欲的企てと、道徳的直観まで含んだ形での多元主義的アプローチとの関係はどのように整合的に理解したらいいのであろうか。(P151)
52 笠井潔 『国家民営化論』
53 ランディ・バーネット 『自由の構造』
54 マイケル・オーツカ 『不平等なしのリバタリアニズム』
ところがオーツカは<誰も自分自身の責任によらずに相対的に不利益な地位に置かれるべきではない>と信ずるので、<外界資源は誰もが等しいレベルの福利(効用)をえられるように分配されるべきだ>と主張する。(P168)
人は福利の不平等を引き起こすような権利など持っていないから、これはそもそも権利の制限でない、と主張される。(P169)
対照的に、仮説的同意に訴えかけるロールズのような「リベラル平等主義」の想定する政治社会は閉鎖的で、退出の自由だけでなく、政治社会内部でのそのような分派行動も容認しない。(P169)
第3部 リバタリアニズムの古典から
55 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト 『国家活動の限界を確定せんがための試論』
人間の目的を達成させるのは内的な想像力においてほかはなく、そのために国家は手段としてのみ機能することが許されある。目的達成に必要なのは自由と状況の多様性であり、国家が主導的役割を担うことは許されない。国家の役割は市民の福祉の増進ではなく、単に国防と治安に限られる(夜警国家観)。そしてフンボルトは宗教・教育・道徳を国家の活動外に置く。これは、ドイツの特徴であったパターナリスティックな啓蒙絶対主義へのアンチテーゼといえる。(P185)
56 バンジャマン・コンスタン 『近代人の自由と比較された古代人の自由について』
57 リチャード・コブデン パンフレットと演説から
58 フレデリク・バスティア 『見えるものと見えないもの』
しかしもし、あなたがそこから、あまりによくあることだが、窓ガラスを割るのはよいこと、それは世の中にお金を回らせて結果として産業全体を信仰させることになる、という結論に至るならば、私は叫ばざるを得ない。待て!あなたの理論は見えることにとどまっている。それは見えないことを考えに入れていない。見えないこと、それはボノム氏がある物のために六フラン使えば、それを別のもののためには使えなくなる、ということである。(P200)
59 ハーバート・スペンサー 『社会静学』
60 ライサンダー・スプーナー 『不徳は犯罪にあらず:道徳上の自由の擁護』
(貼り付け終わり)