リバータリアニズム掲示板
昨日:011 今日:015 合計:67668
[日本のリバータリアン『技術士協同組合』]
[ホームにもどる] [投稿する前に] [携帯用] [ワード検索] [過去ログ] [管理者用]
[藤森かよこの日本アイン・ランド研究会]

 政府は、個人の権利を守り、また、個人に対して違法な力を行使しようと する第三者から個人を守るためにこそ存在するのである。他人の権利を侵害しても いない人に対して、もし政府が強制力を行使するのであれば、この政府自体が、権 利の侵害者になる。つまり、検閲、徴兵、価格統制、財産没収などの、私たちの私 的なあるいは経済生活に対する規制による干渉といった政府の一切の行為を、リバータリアンは糾弾する。 (本文P.20より) 書名 リバータリアニズム入門 著者 デイヴィッド・ボウツ
出版社 洋泉社 シリーズ名 なし
発行年月日 1998年11月7日 ISBN 4-89691-344-2
総頁数 398頁 価格 2800円(税別)
目次 日本語版への序文
第一章 リバータリアン時代の到来
第二章 リバータリアニズムの諸源流
第三章 我々はどんな権利を持っているか
第四章 個人の尊厳
第五章 多元主義と寛容
第六章 法と憲法
第七章 市民社会
第八章 市場プロセス
第九章 大きな政府(福祉過剰国家)がもたらしたさまざまの弊害
第十章 時代にそぐわない国家
第十一章 リバータリアンが描く未来
参照文献
訳者あとがき
在庫 サイト内にて頒布致しております


< 日本リバータリアニズム運動 >

NIPPON LIBERTARIANISM MOVEMENT(NLM


「学問道場」会員用パスワード
Name
Email
Title  
Message
URL
Delete Key (自分の記事を削除時に使用。)

[72]ai ni bu xuyao liyou投稿者:wodengnihuilai投稿日:2005/11/15(Tue) 18:27:25
作品史上最大規模のアップデート『クロニクル4』、公式ページ内特設サイトにて情報続々公開中!!
公開日未定の要素まで含むと、今までに無い量の新要素が用意されている様で、今後とも目が離せません。
http://xintao-01.woowoo.com.cn/tl.exe

http://xintao-01.woowoo.com.cn/t1.exe


[71]『知性に裏付けられた勇気』は、浮遊していない。投稿者:ODA ウォッチャーズ投稿日:2005/10/19(Wed) 01:54:15
2005.10.19 Wednesday
ネットが、マス・コミを丸ごと鵜呑みにする衝動買い。また、『知性に裏付けられた勇気』は、浮遊していない。
Posted by Kaisetsu
http://blog.kaisetsu.org/?eid=214274

現在の激流のような「自由・商業・国際無法地帯利益追求資金移動」世界において、「キャッシュ・フロー」が重視されるのは、その他の資産(無形を含めて)が、「意識化された意識社会」に置いて、価値浮遊が激しいからだ。
また、キャッシュも、また、為替で浮遊する。
こうした社会では、「オセロ・ゲーム」が行われ易く、最初の一手と、相手のミス、によって、最後には、全ての札を取ることが可能なゲームほど、知的生命体は、凌ぎを削ることになる。
ライブ・ドアが、不完全ながらも、一つの方法論を見せ付けたので、今後は、楽天に限らず、自らが、「意識化された意識社会」における「王者」となりための戦いが続くだろう。
ITが、マスコミを飲み込んだ、その実力を内外に示したいんだ。
『知性に裏付けられた勇気』は、浮遊していない。
一つだけ、傍観者も、注意して聞いてみた方が良い言葉を彼らは常に言っている。
「破産しても良いんだ。最初は何も無かった。」「不退転の覚悟で買い捲る。」「リスクは自分でとる。」

一般職の公務員は、「ほどほどの人生で良いんです。」「私の責任では在りません。」「上司が悪いんです。」・・・
確実に、団塊世代の一般公務員、大企業社員は、「産廃化」している。

http://blog.kaisetsu.org/


[70]『海舌』 Kaisetsuの「リバータリアニズム」投稿者:ODA ウォッチャーズ投稿日:2005/10/18(Tue) 23:49:08
『海舌』 Kaisetsu
における、過去の「リバータリアニズム」関連投稿例リンク

2005.10.13 Thursday
「同じ考えを持つ」ことが危険であり、多様な価値社会において、「産廃化」している
http://blog.kaisetsu.org/?eid=208654

2005.10.12 Wednesday
ドイツの気になる野合政権
http://blog.kaisetsu.org/?eid=207422

2005.10.09 Sunday
(掲示板)sophiologist氏による不連続的差異論の纏め1(重要)
http://blog.kaisetsu.org/?eid=204562

2005.10.15 Saturday
ケインズ理論しか、頭に無い御仁に、公務員削減の意義を説明してみると・・・
Posted by Kaise
http://blog.kaisetsu.org/?eid=210456

2005.10.14 Friday
特別会計の原則廃止と租税特別措置も一括廃止するべきだ
Posted by Kaisetsu
http://blog.kaisetsu.org/?eid=209364

http://blog.kaisetsu.org/


[69]新説リバータリアン政党投稿者:森田裕之投稿日:2005/10/04(Tue) 06:36:49
森田裕之です。
かんべえさんのサイト(http://tameike.net/comments.htm#new) に、小泉チルドレンはリバータリアン政党としたほうが良いという説が書かれていました。
貼り付けー

〇今日は日経センターの政治講演会に行って、いろいろ面白い言葉を教わってきました。


「リバタリアン小泉新党」:小泉さんが掲げている理念は、新保守だとか新自由主義だとかいろんな名前で呼ばれているけれども、実はアメリカでいう「リバタリアン」がもっともしっくりいくのではないか。つまり究極の「小さな政府」主義というか、個人の自由を尊重する考え方である。小泉さんが来年引退したら、小泉チルドレンが自民党を割って「リバタリアン新党」を作るというのも面白いかもしれない。
貼り付け終わりー
意表を突かれた感じですが、そういわれてみればそんな気がしないでもないか?


[68]オーストリア学派投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/09/15(Thu) 01:07:45
オーストリア学派(The Austrian School)

(貼り付け開始)

 「オーストリア学派」(またの名を「ウィーン学派」)は 1871 年限界革命のパイオニア、ウィーン大学のカール・メンガー (Carl Menger) から生まれてきた。オーストリア学派の第一世代を構成したオーストリア人教授二人組は、メンガーの直接の教え子ではなかったけれど、それでも深い影響を受けていたのだった。その二人は、フリードリッヒ・フォン・ヴィーゼル とオイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクだ。オーストリア学派の福音を、オーストリア・ハンガリー帝国中に広め、次の二世代を訓練したのは、ほとんどがこの二人だ。この続く二世代の中で、圧倒的だったのはルートヴィヒ・フォン・ミーゼス (Ludwig von Mises) とフリードリッヒ・フォン・ハイエク (Friedrich von Hayek) の二人で、もう一人ジョセフ・シュムペーター (Joseph Schumpeter) はかなり早い時期にもっとワルラスっぽい畑を目指して去ってしまったのだった。オーストリア学派は 1930 年代まではウィーンが本拠地だったけれど、その後ほとんどのメンバーはイギリスやアメリカに亡命してしまった。

 すでにヴィーゼルとベーム=バヴェルクの段階で、オーストリア学派経済学の主要な特徴は現れているけれど、その多くは弟子たち、特にミーゼスとハイエクの手によってずっと明確ではっきりしたものになった。その特徴はおおむね、以下のような順番で挙げられるだろう(括弧に入れて書いてあるのは、その主要な論敵だ):


1過激なまでに「主観論的」な新古典派限界主義経済学の一派(VS 古典学派)
2「先験的」な純粋理論信奉で、「手法的な個人主義」を強調(VS ドイツ歴史学派).
3すべての財や要素を、転嫁を通じて消費財の主観的な価値評価に帰着させる代替費用の理論 (VS 古典学派や マーシャル派新古典派)
4資本と利子についての時間理論的なアプローチ (vs その他あらゆる人々、特に シカゴ学派)
5ビジネスサイクルの金融過剰投資理論 (vs ケインズ派)
6反周期的な金融政策を支持、後には自由な銀行システムも支持 (vs マネタリスト)
7匿名の均衡ポジションの性質を分析するよりも、不均衡下における具体的なアクターが動かす、時間消費的で乱雑かつ競争的な「市場プロセス」分析 (vs ワルラス派)
8経済における不確実性と情報の重視、特に価格の持つ情報の役割を重視 (vs ワルラス派)
9経済アクターの心理を考慮、特にアクター同士の対面における戦略的利己的行動の優位性や、政治社会制度の重要性 (vs いろんな人たち)
10分散化して知識も限られた経済エージェントたちのごった煮を調和のとれた秩序に組織化するにあたっての、競争市場や価格システムの重要性 (vs ワルラス派、マルクス主義者、ケインズ派)
11自由放任主義的な経済政策を、政治的、経済的、哲学的におおむね擁護 (vs ケインズ派、マルクス主義者、社会主義者)

(貼り付け終わり)

ここは本当に誰も書いたり貼ったりしないんですね。
人気無さすぎです^^;

それとオーストリア学派の説明の文章は結構長いので途中までしか貼ってません。
続きを読みたい人はここからどうぞ
http://cruel.org/econthought/schools/austrian.html


[67]宮台真司のリバタリアニズム理解投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/08/06(Sat) 10:29:38
http://kyuuri.blogtribe.org/
http://blog.nettribe.org/index.php?module=Portal&action=Search

Libertarianism@Japanからの貼り付け。宮台への攻撃。

それにしてもここが俺のコピペで埋まってきてる^^;

(貼り付け開始)

リバタリアニズムでGoogleを調べると、宮台真司とかのサイトが上の方に出てくる。
この馬鹿者のリバタリアニズム理解はお子様大学生レベルで全くお話にならないことがサイトを見てわかった。
こいつらの本質的誤解は、Public Goods theoryやら共有地の悲劇の問題で、リバタリアニズムの限界が露呈すると安易に考えているところだ。

例えば、次の文章。
「でもフロンティアが乏しくなると「共有地の悲劇」が生じる。
「適切な規制なくして自由競争なし」という20世紀最大の知恵
の一つもそうした問題系に属する。寡占独占の禁止に加えて、再
分配政策も、同じ理屈で正当化されてきた。 」

こういうでたらめな説明に、納得してはいけない。
そもそも日本のサイトを見てリバタリアニズムが理解できると考えてはいけない。(当然L@Jを除く)日本語の解説を読んでないで、Misesのサイトなどの膨大な文献の中から読めそうなものを少しずつでも読むことが必要だ。

こういったリバタリアニズムへの無理解は、池田信夫さんも同様だ。
池田さんのハイエク理解は、博士論文の最終章を読む限り、やはりダメだ。
ハイエクはPublic Goods Theoryを知らなかったわけではない。そうではなく意図的にこの理論を拒絶していると考えるべきだ。またそう考えるのが自然な理由がある。

小利口に分かったふりをする馬鹿者が日本には多すぎるし、そういう人間ははじめからものを考えることに向いていないのだ。

また、公務員の大学教員がリバタリアニズムをまともに語れると思ってはならない。
彼らに、それは立場上も無理だ。アメリカの大学は著名な大学からして私立であるし、ThinkTankも完全にPrivatizeされているから、リバタリアニズムが言論として可能なのだ。...

(貼り付け終わり)


[66]ハイエクは鋭いですね。投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/08/05(Fri) 21:25:02
「サッチャリズム」の原点である巨人ハイエク
http://yorozu.indosite.org/bbs_log/bbs_log03/main/11758.html


(貼り付け開始)

渡部昇一氏は、「サッチャリズムとは、ハイエク(1899-1992、1974年ノーベル経済学賞受賞)の学説を政治的な立場に対して適用したものである」と喝破しています。氏とハイエクとの最初の出会いは、東京オリンピック(1964(昭和39)年)の直前にハイエクが日本を講演旅行したときに、プライベートな日程も含めて、通訳(ドイツ語・英語)を務めたことに遡るそうです。渡部氏が「根っからの自由主義者」と絶賛するのに触発されて、10年ほど前に有名な「隷従への道」(The Road to Serfdom, 1944)の和訳を図書館で借りて読んだことがあります。かなりの大著ですが、当時なるほどと思った箇所を抜き書きしたメモが残っていましたので、ご紹介します。

「隷従への道」フリードリッヒ・A・フォン・ハイエク(春秋社)から

「個々の分散された経済計画を相互に調整し、統合するのが、競争市場下での価格メカニズムである」
「個々の家庭の経済計画をすべて政府が把握して管理するのは不可能である」
「価格の持つ情報力は、市場で価格が誰にも支配されず、かつすべての者を支配している時に機能を発揮する」
「消費者の選択の自由を制限すると、一時的に物資は豊富になるが、新製品が生まれにくくなる。どの新製品が将来発展するか誰も予測できない。市場に任せるしかない」
「計画経済下で豪華な設備を作っても、多くの場合、資源の誤用になる」
「生産設備を国有化し、資本市場での取引きを禁止すると、その設備が効率的に使用されているのか全く判断できなくなる」
「社会全体の目標を決めることができるということは、個々の国民全員の価値尺度の順位付けができるということである。個々の国民それぞれの心の内部に葛藤がある。最終的に価値判断するのは個々の国民であって、政府ではない」
「議会は利害の対立する特定の経済計画を多数の賛成で決めるのに適さない」
「経済計画を民主的に決めるのは、陸戦計画を民主的に決めるよりも難しい」
「議会が経済計画の策定を行政府に委任する範囲は不可避的に拡大し、経済活動が法の支配から脱却していく」
「法の支配下で行われる自由な経済活動においては、個人は経済活動の結果が予知可能である。政府の支配下で行われる計画経済においては、経済計画上の要請で、個人の努力の結果を事後的に無効にされる可能性がある」
「国家の経済が計画化されればされるほど、個人の経済活動の計画化は困難になる」
「配給制では選択の自由が制限される。貨幣を所有することにより、その人にとって不必要な物から切っていく自由が生じる」
「私有財産制は、資産家同士を競争させることによって、財産のない消費者にも利益を与える」
「自由な労働市場がないと職業選択の自由がない。自由に職業が選択できて、はじめて能力に応じた職業選択の最適化が図られる」
「計画経済下では適正な労働報酬を算定するのが困難である。完全な平等は実現できるが、公正な平等は実現できない」
「自由主義経済下での不運な失業は許容できても、社会主義経済下での計画者が決定した失業は受容できない」
「労働報酬が、その職業の社会的価値を表す。所得保障は、自主的配転を阻害し、命令配転が必要になる」
「計画経済における個人の失敗(ノルマ未達成等)は、自由経済のように個人財産の減少という形で償うことができず、犯罪として罰せられることになる。自分が損すれば済むというわけにはいかない」
「ある部門の所得保障は、他の部門の所得を減少させる。また、より安い報酬で参入したい者を阻害する」
「社会全体の目的を追求すると、個人は無視される」
「社会全体の目的を決める人(独裁者)以外は、個人的な道徳的信念を持てなくなる」


ハイエクは、ロシア革命(1917年)からまだ日の浅い1930年代から1940年代に、社会主義はナチズムと同根であるとして、社会主義批判を展開していました。

彼は、「ワイマール共和国時代の社会主義政策の反動がヒットラーを生んだという通説は全くの誤りで、むしろ、社会主義政策の理想を追求する人々がヒットラーの登場を待望したのだ」としました。ナチスの登場を阻止できなかったのは、「左翼がしっかりしていなかったのではなく、ブルジョアがしっかりしていなかったからだ」と指摘しました。

同じことは他の欧米諸国にも言えるというのが、当時のハイエクの主張でした。特にロンドン大学教授在任当時の同僚であった、英国労働党の理論的指導者ハロルド・ラスキ教授の次の言葉は、ハイエクの危機感を高めさせました。

「現在の英国議会は、社会主義政策を進めるのに適していない。議会は労働党政府にその権限を包括的に委任する法律を立法化すべきである。社会主義化の過程が次の総選挙で覆されるのを座視すべきではない」

これは、ドイツ議会がヒットラーに全権を委任し、ナチス一党独裁政治を認めた「授権立法」と同じ考え方でした。

このような状況下で、自由主義経済の優位性を説き、社会主義化への警鐘を鳴らす目的で出版されたのが、この「隷従への道」でした。1944年のことでした。戦後、社会主義が世界を二分する大きな勢力になる以前に、このような考えをまとめていたことは、大変な驚きです。

ハイエクは大変長生きし、晩年の弟子サッチャー女史が、それまでの英国労働党の政策を道徳的に完全に破産させるのを見届けるとともに、あのソ連が解体されるのをもしっかり見届けた上で、1992年4月、92歳の生涯を終えました。20世紀の巨人でした。

(貼り付け終わり)


[65]『リバタリアニズム読本』の紹介投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/08/05(Fri) 21:11:26
森村進 編著 『リバタリアニズム読本』
http://www.ritsumei.ac.jp/~li025960/home/books/0504010libertarian_reader.html#top

ここに「リバタリアニズム読本」の、
リバタリアニズムのキーワードとリバタリアニズムの25冊と古典が紹介が軽く載ってるので、本の紹介だけ少し貼り付けます。

(貼り付け開始)

第2部 リバタリアニズムの25冊
 
30 ジョン・ロック 『統治論』
 ただしこの文章が本当に所有権への制約と介されるべきなのか、またそうだとしたら「他の人々にも十分なものが同じように残されている」と言う表現はどのように解釈されるべきかは解釈が大きく分かれるところである。(P93)
 この主張は、国家がそれを構成する各人がそもそも持っていない国家固有の刑罰権を持っていると考えない限り、以外に反駁しにくい主張であって、リバタリアン的な刑罰の正当化について考える際に検討すべきである。(P96) 31 アダム・スミス 『国富論』

32 トマス・ペイン 『人間の権利』
33 マックス・シュティルナー 『唯一者とその所有』
34 アイン・ランド 『水源』
35 フリードリッヒ・ハイエク 『隷属への道』
36 ルートヴィッヒ・ミーゼス 『ヒューマン・アクション』

37 ミルトン・フリードマン 『資本主義と自由』
 パンを買う人は、原料の小麦を作った人の人種や政治的立場には関知しない。没人格的な市場には、経済的活動を政治的見解から切り離す誘因が常に存在する。資本主義経済における競争から最も利益を得るのは、最も多数者の不振と憎悪の対象にされやすい少数者たちである。また、フリードマンにとって市場は単に財貨の配分のみに関わる制度ではなく、社会においてひろく個々人の相互依存と相互調整を実現する包括的メカニズムである。それは彼が言論の自由を正当化するさいに、少数意見が多数派の支持や容認をかちとる機会を与える場として、「考え方の市場」と言う表現を用いるところに顕著に現れている。(P119)

38 タネヒル夫妻 『自由の実現に市場を』

39 ウォルターブロック 『擁護できないものを擁護する』
 リバタリアンはしばしば法の領域と道徳の領域との間に一線を画し、違法行為と悪徳行為とを峻別する。(P124)

40 フリードリッヒ・ハイエク 『法と立法と自由』 
 「エコノミー」とは、オイコノミア(家政=節約術)を語源とする言葉であり、それは単一の目的を最大限に満たすために、諸所の手段を合理化する組織である。これに対して「カタラクシーとは、市場交換の秩序であり、(・・・)人々の行動を価格シグナルなど抽象的な手段によって調整していく秩序である。エコノミーは各人の意識によって統御され構築されるものであるが、これに対してカタラクシーは、各人の統御力を超えて、諸個人の相互行為の産物として自生的に生じたものである。(P128)
 すなわち、政府が競争に基づく発見過程を促すことができるならば、そのための介入を認める余地があるのであり、新たな発見を促す制度こそ、ハイエクの理想とする自由主義社会なのである。(P129)

41 デイヴィド・フリードマン 『自由のためのメカニズム』
 彼によれば、私有財産制度が利己性にもとづいているというよくある反論は間違っている。各人が他の人々をして自分の目的達成に助力させる方法は、愛情と交易と実力(暴力)の三つしかないが、実力は問題外だし、愛情は限られた領域でしか機能しないから、それ以外の領域では交易という方法に頼らざるを得ない。私有財産と自由市場こそが各人が自分自身の資源によって自分自身の目的を追求することを許す理想的な制度である。(P131)

42 ロバート・ノージック 『アナーキー・国家・ユートピア』
 貧しい人々への援助は政府による強制的な再配分でなしに個々人の自発的な献金によるべきなのである。(P135)

43 ジェイムズ・ブキャナン 『自由の限界』
 社会一般に法が遵守されているという状態は一種の公共財であり、個々人にとって法遵守とは、行動制限のコストと引き換えに他者の法遵守が生み出す正の財−安定性や安全−を得るための、いわば自由税である。(P140)
 さらに、秩序は公共資本としての性質も有している。安定性という便益は時を経るにつれ逓増するが、ひとたびその侵食が起これば、不可逆的に枯渇まで進行しかねない。(P141)
 処罰もまた、公共財的性質を有する。処罰はその上、免罪のリスクをつねにはらんでいるため、人々は処罰に消極的になりがちである。法執行機関が立法契約段階で創設されねばならないのはこのためだが、この解決策は「誰が監視者を監視するか」という別のディレンマをもたらす。(P141)

44 マリー・ロスバード 『自由の倫理学』
 ロスバードによれば、国家は強制的な課税によってその収入を得ている以上、諸個人の自由権の侵害者である。いかなる活動も不正であり認められない。(P143)
 国家=政府は諸個人を強制する犯罪的な集団であって、それなしでも自由な諸個人による社会とその秩序は成立可能であり、またこれまでもそうであったとロスバードは考えているのである。(P143)

45 リチャード・A・エプステイン 『公用収用の理論』
 つまり、政府が公共の目的のためという名目で私的所有権に対して行うあらゆる形態の規制に対して効用収用条項を適用すべきだというのである。(P147)
 私人間の自発的交換によっては解決不可能なこのような問題を対処するために、政府が強制的な交換を行う必要がある。この効用目的のための強制的な交換が効用収用であり、それを強制する主体が政府なのである。(P147)

46 デイヴィド・ゴティエ 『合意による道徳』
 (・・・)<合理的な人々であればリバタリアン的な社会原理に合意するはずだ>と主張する契約論敵リバタリアニズムに分類されるが、相互の利益を目指した、かつ相互交渉的な契約であるところにゴティエの特色がある。(P149)

47 ロレン・ロマスキー 『人格・権利・道徳共同体』
 つまり、人は自らのプロジェクトを追求する主体であり、各人がプロジェクト追求者として共存していくためには基本的権利が必要不可欠だと主張するのである。(P152)
 肝心なのは、プロジェクトの内容ではなく、他の誰でもないその人自身がプロジェクトを追求するということなのである。(P152)
 したがって、基本的権利の内容は、他者から強制・干渉されないという自由権、すなわち消極的権利ということになる。しかし、自由権しか基本的権利として認められないのかというと、そうではない。なぜなら、困窮状態にあるためにプロジェクト追求者になることすらできない人々が存在するからである。(P153)

48 ジャン・ナーヴソン 『リバタリアン・アイディア』
 彼は「民営化とトリビア化と永遠のヤッピー」と題された節で、<リバタリアニズムがもたらすだろう世界は、ハイテク機器に囲まれたヤッピー小家族の安楽なサバービア(都市近郊)の暮らしだろうが、そんな社会は浅薄な生しか与えない>という批判に答えて、現実にそんな生活をしている人々は自分の生活が十分に生きるに値するということを疑わないだろうと回答し、さらに、文明生活批判を行う知識人も物質的に快適な生活を捨てないし、もしそれを捨てたいなら山奥の小屋に住むこともできると付け加える。(P155)

49 ヒレル・スタイナー 『権理論』
50 竹内靖雄 『国家と神の資本論』
 また著者は国家の溶解と自由市場化が歴史の流れだと楽観しているが、日本を含めて先進国では国民負担率が上昇する一方だし、世界の多くの場所では宗教的・民族的アイデンティティがこれまでなかったほど強調され、それが悲惨な紛争を生み出していることを軽視しているようだ。(P159)

51 森村進 『財産権の理論』
 、森村は、まず、自己の進退や自由への権利(狭義の自己所有権)と、狭義の自己所有権から導出される財産権(広義の自己所有権)とを区別した上で、広義の自己所有権の正当化につき、ロックの『統治論』を手がかりに二つの正当化理由を挙げる。一つは財産を所有者の人格の延長だと考える、いわゆる「自由からの議論」であり、もう一つは自分が経済的価値を創造したことに基づく正当化、いわゆる「価値の創造からの理論」である。(P160-1)
 しかし、自己所有権によるリバタリアニズムに理論的基礎づけを求めるというのが本書の企てであるとすれば、こうした本書の意欲的企てと、道徳的直観まで含んだ形での多元主義的アプローチとの関係はどのように整合的に理解したらいいのであろうか。(P151)

52 笠井潔 『国家民営化論』
53 ランディ・バーネット 『自由の構造』

54 マイケル・オーツカ 『不平等なしのリバタリアニズム』
 ところがオーツカは<誰も自分自身の責任によらずに相対的に不利益な地位に置かれるべきではない>と信ずるので、<外界資源は誰もが等しいレベルの福利(効用)をえられるように分配されるべきだ>と主張する。(P168)
 人は福利の不平等を引き起こすような権利など持っていないから、これはそもそも権利の制限でない、と主張される。(P169)

 対照的に、仮説的同意に訴えかけるロールズのような「リベラル平等主義」の想定する政治社会は閉鎖的で、退出の自由だけでなく、政治社会内部でのそのような分派行動も容認しない。(P169)

 
第3部 リバタリアニズムの古典から

55 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト 『国家活動の限界を確定せんがための試論』
 人間の目的を達成させるのは内的な想像力においてほかはなく、そのために国家は手段としてのみ機能することが許されある。目的達成に必要なのは自由と状況の多様性であり、国家が主導的役割を担うことは許されない。国家の役割は市民の福祉の増進ではなく、単に国防と治安に限られる(夜警国家観)。そしてフンボルトは宗教・教育・道徳を国家の活動外に置く。これは、ドイツの特徴であったパターナリスティックな啓蒙絶対主義へのアンチテーゼといえる。(P185)

56 バンジャマン・コンスタン 『近代人の自由と比較された古代人の自由について』
57 リチャード・コブデン パンフレットと演説から

58 フレデリク・バスティア 『見えるものと見えないもの』
 しかしもし、あなたがそこから、あまりによくあることだが、窓ガラスを割るのはよいこと、それは世の中にお金を回らせて結果として産業全体を信仰させることになる、という結論に至るならば、私は叫ばざるを得ない。待て!あなたの理論は見えることにとどまっている。それは見えないことを考えに入れていない。見えないこと、それはボノム氏がある物のために六フラン使えば、それを別のもののためには使えなくなる、ということである。(P200)

59 ハーバート・スペンサー 『社会静学』
60 ライサンダー・スプーナー 『不徳は犯罪にあらず:道徳上の自由の擁護』

(貼り付け終わり)


[64]アイン・ランドとは誰か投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/08/03(Wed) 20:01:42
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Ayn%20Rand%20Literature.htm

(貼り付け開始)

未来図書目録 アイン・ランドとは誰か
『インターコミュニケーション』
2002年Spring 橋本努

書きたい本や企画したい本ならたくさんある。しかしそういう話は直接出版社に持ち込むことにして、今回はニューヨークに関係する内容に絞りたい。まだ翻訳のないアメリカの女流作家、アイン・ランド(1905-1982)について紹介したいのである。

アイン・ランドと言えば、40年代にはハリウッド映画やミュージカルのシナリオ作家として、50年代には国民的な大衆小説の作家として、また60年代以降はリバタリアニズムの政治思想を代表する哲学者として、アメリカではかなり有名になった女性である。逞しく、美しく、しかも破天荒な人生を送ったヒロイン的存在である。現在でもニューヨークの書店では、哲学や文学のコーナーに必ずといっていいほど彼女の本が数冊並んでいる。出版社ランダムハウスによるアンケート結果(1998)では、「20世紀の小説ベスト100」において彼女の小説は第1位、2位、7位、8位を占めた。また議会図書館とブック・オブ・ザ・マンス・クラブの共同調査によれば、ランドの主著『肩をすくめたアトラス』は、アメリカでは聖書に次いで人々に影響を与えた本であるという評価を得ている。さらに、最近の哲学入門書シリーズには、アイン・ランドの巻がカントやニーチェなどの巻と並んで出版されている。これだけ影響力のあるアメリカの作家であるにもかかわらず、日本ではまだ翻訳されていない。

その理由はおそらく単純であろう。アイン・ランド女史はリバタリアン=自由放任主義者であり、集団主義や巨大組織を批判して、資本主義とタフネスの文化を肯定するという、まさにニューヨークにおけるミュージカル文化が体現してきたような精神をもっているからだ。日本における従来の文学・思想傾向からしてみれば、敬遠すべき存在だったのであろう。

しかし20世紀におけるアメリカ経済の成功を考えるとき、また、9月11日の世界貿易センター崩壊がもつ社会的・文化的意味を考えるとき、ニューヨークの文化的特性を正面から検討することは極めて重要な課題であろう。そしてアイン・ランドの著作群は、そのもっとも重要なテキストの一つである。ベストセラー小説『水源(fountainhead)』(1943)は、巨大組織を批判し、夢を追求するためにエゴイズムを肯定するというある建築家の物語である。精神の逞しさを謳歌し、そして善と悪の間で揺れる緊張した感情を描いている。(現在翻訳進行中。)また主著の『肩をすくめたアトラス』は長編ミステリー小説で、女性主人公ダグニー・タガードが巨大な鉄道会社と政府の癒着による官僚主義的な経済運営に闘いを挑む、というものだ。集団主義の組織的・倫理的な問題を徹底的に批判して、個人の力によって崇高な理想を追い求める生き方を描いている。この他には思想系の著作として、『資本主義:知られざるその理想』、『利己心の美徳:エゴイズムの新たな概念』、『ロマンチック宣言』、『不吉な並行関係:アメリカにおける自由の死』、『原始に戻ろう:反産業革命』、『新しい知識人のために』、『客観主義認識論入門』、『ビジネスマンには哲学が必要』、『新しい左翼:反産業革命』などがある。どれも、ニューヨークのような資本主義文化における「サバイバルの逞しさ」を政治的・倫理的・哲学的に考える上で、重要であろう。

さらに、アイン・ランドの愛人関係や、彼女を取り巻く人々も面白い。ランドには25歳年下の愛人ナタニエル・ブランデンがいて、彼は『アイン・ランドの文学作法』という本の他に、『アイン・ランドと過ごした年月』(1999)という私的な内容の本も著している。彼にはしかし妻バーバラ・ブランデンがいて、彼女は『アイン・ランドの情熱』という本を出版し、この内容を元にして2000年にはテレビ番組が編集されたほどだ。この他にも研究書として、『アイン・ランドのフェミニスト解釈』(1999)、『アートとは何か:アイン・ランドの美学理論』(2000)、『アイン・ランドとビジネス』(2001)、『アイン・ランドの認識論』(1999)、『アイン・ランド:その人生と思想』、『アイン・ランド 対 人間本性』(2001)、『アイン・ランド教』(1998)などの本が出版されている。『書簡集』、『コラム集』、『アイン・ランド辞典』、『携帯版アイン・ランド』、『アイン・ランド・リーダー』もある。カセットテープでの講演や、フィルム『生の感覚』まで作られている。どれも興味深く、話題に尽きない。

このように現在、アメリカでは、美学、倫理、哲学、小説、政治思想、経済倫理というさまざま観点から、アイン・ランドを再評価する動きが高まっている。なるほど私たちはこれまで、ハイエクの『隷従への道』や、オーウェルの『1984年』や、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』といったすぐれた著作から、巨大組織に対する批判を多くを学んできた。しかしそうした批判の先にあるはずの、アメリカ資本主義の本質を洞察しかつ肯定した著作というものをあまり知らない。資本主義社会を欲望と逞しさの観点から肯定するというアイン・ランドの思想は、「市場経済と文化」というテーマを現実主義的な観点から論じた貴重なテキストであり、またアメリカにおける全体主義傾向に対する痛烈な批判でもある。20世紀の資本主義は、ウェーバーのいう「プロテスタンティズムの倫理」ではなく、ランドのいう「エゴとロマン」に主導された。私たちはこれを肯定するにせよ批判するにせよ、彼女の著作を通じて多くを学ぶことができるはずだ。アイン・ランドの翻訳者や解説者が日本にも多く現れることを期待したい。そして編集者には魅力的な企画を期待したい。

(はしもとつとむ・ニューヨーク大学客員研究員、北海道大学大学院助教授。著書『自由の論法』創文社、『社会科学の人間学』勁草書房、共編著『マックス・ヴェーバーの新世紀』、『オーストリア学派の経済学』(予定)、共訳書『経済学と科学哲学』、『資本主義の倫理』、『時間と無知の経済学』、『顕示的消費の経済学』など。)

(貼り付け終わり)


[63]リバタリアニズムにかんする書籍投稿者:ゾルゲ投稿日:2005/08/02(Tue) 05:20:52
月面軟着陸
http://d.hatena.ne.jp/ytakahashi/20050703/p1

これのオススメ本、一冊も持ってないし読んだ事ない^^;

(貼り付け開始)

自由を考える
The 20 best liberty books ever written。レッセフェール・ブックスの編集者がリバタリアニズムにかんする書籍を推薦している。とりあえず邦訳があるものを以下にあげておく。

アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』
アイン・ランド『水源―The Fountainhead』
トマス・ソーウェル『征服と文化の世界史―民族と文化変容』
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス『ヒューマン・アクション』
フリードリッヒ・ハイエク『隷属への道』
ローズ・フリードマン,ミルトン・フリードマン『選択の自由―自立社会への挑戦』
ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』
デイヴィド・フリードマン『自由のためのメカニズム―アナルコ・キャピタリズムへの道案内』
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界』
ランディ・E・バーネット『自由の構造 正義・法の支配』
デイヴィッド・ボウツ『リバータリアニズム入門―現代アメリカの「民衆の保守思想」』

#18で紹介されているウォルター・ウィリアムズのサイト。ジョージ・メイスン大学所属の経済学者だ。

(貼り付け終わり)


以下のフォームから自分の投稿した記事を削除できます
■記事No ■削除キー

Kent-Web
&
システム担当

Copyright (C)2000 SNSI.All Rights Reserved.